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第47話 熱風!突風!レスリング!

 人類の命運をかけた戦いの行く先が、今なぜか、腕相撲に委ねられようとしていた。

だが、いかにただの腕相撲といえど、これは最強クラスの加護者同士の戦いである。

ただの野次馬となった軍の高官達は、固唾を呑んで、開始のその時を見守った。

「レディ…」

皆、この結末がどうなるのか、全く予想がつかない。

リーリャといえば、敵意を隠すどころか、太一を怯ますためにバチバチと威圧を飛ばしている。

戦車の砲台を素手で握りつぶすリーリャの前腕は、スレンダーな見た目とは裏腹に、鋼鉄で編まれたかのような筋肉を引き絞り、ギチギチと太一の手を握りしめていた。

過去に侮って泣かされた経験のある男たちは、それを見ただけで思わず○玉が竦み上がった。

だが一方の太一の表情は、余裕そのもの。

体力・筋力SSS+と、既に生物の限界点に達した太一は、筋力Aにどうされたところで、少し圧迫感を覚える程度のものである。

(ぶっちゃけナーシャより弱いわけだし)

過去に泣かされた男たちは、その涼しげな表情を見ただけで、既に太一に憧れの眼差しを向け始めていた。

そのような中で、グラジエフのかけ声とともに、戦いの火蓋は切られた。

「ファイ!!」


 まず仕掛けたのは、リーリャの方からだった。

タイチという目の前の男が「ばりやー」とかいう呪いをかけたテーブルは不気味なくらい頑丈になっている。

気味は悪いが、さもあれ、今は自分の唯一の味方であるその端を左手でしかと掴み、引き寄せ、全重心を左方へと総動員する。

ギリギリギリギリギリッ-


 国防省女学校を首席で卒業し、偉大な父の役に立ちたいと18歳で軍に入隊したリーリャは、そのわずか3年後、21歳の若さでスペツナズに編入された。彼女は、天才だった。

一兵卒だった頃の彼女の最初の小隊長は、ソビエト時代に幾つもの内戦や紛争を生き抜いた老兵だったが、元は「ソビエトの悪魔」と呼ばれた伝説の兵士だった。彼は、地上最強と言われる格闘技「システマ」を極めていたのだ。これはただの眉唾物の噂だが、全盛期の彼は、銃弾を素手で弾いたという。

前線を退いた後、旧友であるグラジエフから頼まれて仕方なくシゴキを始めた彼の娘は、真綿のようにその技術を吸収していった。老兵は、彼女に惜しみなくその全てを与え、慈しみ、育てた。

だが…世界が激変したあの日、彼女の故郷であるノヴォシビルスクはA級ダンジョンに呑まれ、敬愛する彼女の師父は、モンスターから彼女を守って命を落とした。命からがら危機を脱した彼女はダンジョンへの復讐を誓い、そして己の中の新たな力に気づいたのだった。アレキサンダーがブラジルに拠点を築いた後すぐに最重要拠点であるロシアへと飛び、モンスターを封じる要塞を建設し彼の地を救った際、リーリャは彼を手伝い、彼から特別な魔導兵器を授かったという。

その後、瞬く間に特級魔導兵部隊隊長へと上り詰めたリーリャは、彼女の精鋭部隊と共に、ロシアで最初にC級ダンジョンを制覇し、今へと至る。

彼女のノヴォシビルスク再奪還にかける思いは、並大抵のものではない。


 その…並々ならぬ思いを全てその右腕にこめて…押して…押して…いるのだが。

この男の肘から先の角度を、1°たりとも、傾けられない。

(こんな感覚、とても生き物を相手にしたものじゃない)

一瞬気合いが揺らぎかけ、チラリと相手の様子を伺う。

すると、覇気のなさそうな、だらけた顔が目の前に展開されていた。

しかも口元が若干ニヤニヤしているような気がする。

まるで、『それで全力?』とでも言わんがばかりだ。

ブチブチッ

若い彼女の健康な血管の、特に太いのが何本か切れた。気がした。

(このぉ…ッ、見せてやろうじゃないの…)

「ヒュ…ヒュ…ヒュ…」

最強の武術システマ、その亜流にして頂点。

師父より授かりしその極意、エスの呼吸を。

更に今の自分は、師父をも超えたと自負している。

(練り上げる。はるか高みまで)

特別な呼吸による、運動機能の急激な活性化を、三呼吸の内に行うことができる。

リーリャの頬は赤く彩付き、肉体は別人のように、大きく切り替わった。


「う、うぉ」

 対する太一。

最初は余裕もあり、『それで全力か?』なんてことを考えてみたものだが。

彼女が奇妙な呼吸をし始めたあたりから、急に押される力が、倍増した。

(け、結構強いな…どう考えてもナーシャより強いじゃないか)

少なく見積もってもS+くらいはありそうに思える。しかも彼女にスキルを使った様子はなかった。

もしかして、元々怪しげな武術の使い手とかなのでは…。

そういえば、俺のパーティは全員、元は武術をかじったことのない素人(+獣)ばかりだ。

剣と魔法の現世で、人間相手の武術なんて通用しないと考えていたが…。

それが、ここまでステータスを底上げできるなんて。しかもこの若さで。

これでまだスキルを使っていないとなると、下手をすると一杯食わされる可能性もある。

「悪いが、早々に決着を付けさせてもらうぞ…!」

左手でわしっとテーブルを掴んだ太一は、ここまでとは比較にならない力をこめて、彼女サイドへと叩き付けるようにその豪腕をふるった。


「ぐぅぅ!!!」

ボキリとどこかの骨がズレたような音を聞いたその瞬間、リーリャは自分の甘さを呪った。

スキルを温存し相手を消耗させて好機を待つ、だなんて。

どこかで師父の技を自慢したい、見せつけてやりたい、そんな子供のような自分がいたのだろうか。

気がつけば、全ては遅きに失していた。

スローモーションのように、それでいて早送りのように。自分の手の甲が、鉄板のようなテーブルに叩き付けられて砕けるイメージに向かって、それを再現するように、光景は突き進んでいく。

いくら手に力を込めても、その光景は微塵も回り道をしてくれない。

…だが、終わるわけにはいかない。

取り返しのつかない失態は犯したが、まだ終わっていない。

スキルの便利なところは、ただ念じて、発動するだけであることだ。

ひるむな。あとのことは、その後の自分がやってくれる…!


MMMトライアム


発動した瞬間、いつものようにゴソっと体力を持って行かれたのが分かった。

折れた骨は膂力をもって強制的に立ち上がり、全力の太一という化け物に対し、果敢に向かっていった。その、ほんの一瞬だけであったが、お互いの力は完全に拮抗し、巨大な力同士が引き起こした振動は建物全体を揺らすほど大きな地震となった。

武官でない軍人はひっくり返り、事情を知らない外の人間はパニックを起こし、モスクワ基地内は、一気に阿鼻叫喚の騒ぎとなった。


「はは、まさかレベル70でここまでやるなんてな。決まりだ。君にはS級に挑むだけの力がある」


(くそぉ…負けたくない…負けたくない)


「悪いが全力を出すって前提だったからな、俺も使わせてもらうよ、スキル」


折れた骨から伝う振動に脳髄まで揺さぶられ、激痛とともに次第に薄れゆく意識の中で、リーリャは思った。


(あぁやっぱ、スキルって、好きになれない…な)


ダン!!!


ワァァァァァァァァ

沸き起こった歓声とブーイングの嵐は、しばしの間、鳴り止むことがなかった。


------------------------------------------------------


 少しして。

目を覚ましたリーリャは、己の敗北を悟った。

自分の姿を認識したところ、床に伏した状態で毛布をかけられていたからだ。いかにも敗者らしい。

確実に折れて偏位していたはずの自分の右腕は、何もなかったかのように綺麗に治っていた。

「大丈夫?」

そして目の前に、しゃがみこんで静かにたたずむ、アナスタシアの姿があった。

「ごめんね、太一があそこまで無茶するとは思わなかったよ」

にこりと、先程まで荒ぶっていた気持ちが恥ずかしくなるくらい、穏やかな笑顔を浮かべている。

聖女と呼ばれている、ロシアの英雄。聞けば、私と同い年らしい。

きっと腕の怪我は、彼女が治してくれたのだろう。治癒能力…すごい力だ。

そして太一と同様に、その内からは底知れない強さを感じる。

彼女だって、この災厄で、きっと色んな悲しみや絶望を背負って、それでも前に進んできたのだろう。


「…完敗だ。私の得意分野でやって負けて、怪我まで治してもらった。上げる面もない。あんた達…いや、すまない。貴方達なら、きっと故郷を救ってくれる。故郷を…ノヴォシビルスクを、お願いします…」


ぐす、と涙をこらえるリーリャ。

「あぁリーリャ…パパはいつまでもお前の味方だよ…!」

彼女のこれまでの努力を知る、グラジエフや他の軍人たちまで、大勢の男達が、思わず感極まって目に涙を浮かべた。


そんな中、太一は彼女に手を差し出した。

少しばかり勇気が必要だったが、太一は明るい声で、皆に聞こえるように、大きく宣言した。


「昨日の敵は今日の友ってね。泣く必要はない。一緒に故郷を取り戻しにいこう。約束する。この戦いで必ず、君の力は俺に追いつくよ!」

ちょいとあつくるしいかんじで御免!

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