第40話 太古の妖怪 壱
目が覚めると、コーヒーの香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。
「あ、ナーシャ。おはよう。よく休めた?」
「快適くんのおかげでぐっすり。飲む?」
「もらうよ」
ダイニングチェアに座って、熱いコーヒーが入ったマグカップを受け取る。
習慣に従ってすすりながらゆっくりと口に含む。
心地よい熱さだ。
「ボスの直前でハウスを出して本格的な休息をとるだなんて。私たちのリーダーは大胆だよね」
「緊張の糸を解くのが不安、なんて発想をする時は、大体疲れ切ってる時だよ。今度の相手は、なし崩し的に挑んでいい相手じゃなさそうだから」
「うん。疲れ切ってたみたい。びっくりするくらいすっきりしたよ」
「それなら良かった」
「私たち、魔法使い系のボスと戦うのは初めてだね。亜神なんてのを相手にするのも初めて」
「ああ」
「でも、できる限りの準備はしてきた。絶対生きて帰ろうね」
「当然。宇宙人に操られた国産アホ狐には俺がおしおきしてやる」
「さすが太一。私も特訓の成果を見せてやるんだから」
ナーシャの『水神召海七覇槍』は随分と性能が向上し、自律型の槍達は水弾を放ったり壁状や網状に変化したりと非常に多彩だ。もはや槍といえるのかどうか。俺の極大魔法も、あれくらい融通が利くと嬉しいのだが。
「あー、コーヒーですか…。私は朝は味噌汁派なんですが…」
別に朝という訳ではないけど、少し遅れて店長が起きてきた。
最後のミーティングを行う。
九系統もの魔法を限界突破した魔力で放つ、太古より生きる大妖怪とやらが今回の敵だ。
敵の攻撃方法を想定し、想像しうる限りで対処法を挙げていく。
間違いなく今までの敵とは格が違う。全員の命がかかっている。怖いし、怒りもある。
でも、心中には、ただそれだけでもないというか…。
太一の中で、ある素質が芽生えようとしていた。
二番目の龍の加護に目覚めた今の自分がどれだけやれるのか、試してみたい。思いっきりぶつかってみたい。幾多もの臨死体験を乗り越えて生まれた戦いへの高揚感が、知らずと彼に脅威へと立ち向かう勇気を与えていた。
ミーティングを終えて、家や荷物を収納し、最後の門の前に並び立った。
これまでの淡い光の壁と違い、門の中には虹色に輝く光が渦巻いている。
「用意はいいか?」
「ええ、いつでも」
「バッチコイです」
「ルパ!」
長かったB級ダンジョンの、総仕上げだ。
4名は渦の中へ、自然と歩を合わせて進んでいった。
ブゥ…ン。
全員の姿を飲み込んだ後、門は静かにその口を閉じた。
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『………。……ち。…ぃち。』
ん?
誰の声だ?
『たいち。…太一。』
なんだか周りで大きな音がするから聞こえづらいよ。
『あぁ、太一…ごめんね。太一のことは、お母さんが絶対守ってあげるからね』
母さん?…俺の母さんは、俺が子供の時に事故で…。
『お父さんは…先にいってるからね。さ、走って。その角を曲がればエレベーターが…あ…』
俺の手を引っ張る母さんが急に立ち止まった。
緑色の大きな壁にぶつかったみたいだ。あれ、廊下な筈なのに、壁?
その壁は突然真ん中がクパァっと裂けたかと思うとみるみるうちに広がって、中には白くとがった柱がまるで歯のようにびっしりと敷き詰められていて、それで…。
『ァーーーーー』
バクン
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「ッ!」
ハッと目を見開くと、視界は赤一面に…。
…いや、そんなことはない。怪我もしていない。
…俺は今何を見ていたんだ。
辺りを見渡すと、他のメンバーはキョロキョロと周りを見渡している。特に変わった様子はない。
…まぁいいか。今はそんなことを気にしている場合じゃない。
ついに、第20階層なんだ。
1階層と同じく、ぼんぼりが連なる長い長い渡り廊下に、俺たちは立っているようだ。
笹離宮というのだろうか。背の高い竹と笹が風でサワサワとたなびく度に音が生まれては、月明かりと共に泡のように移動しては消えていく。
空を見上げると、雲に隠れて眩い月が見え隠れして、通路の周りを淡く照らしている。
空に月、ね。これも異空間の仕業なのか。それとも幻か。
見たことのないような美しい情景が、ダンジョンの最奥に広がっていた。
思わず呆、と見上げていると、きつめの口調でナーシャの声がとんできた。
「みんな油断しないで。あの空はたぶん、九尾の魔法による幻術だよ」
「ほ?あんなにリアルなのに?」
店長に同意。思わず目を擦ってしまう。どう見ても地上で慣れ親しんだ月そのものに見えるのだが。
「ミーティングで言ってたやつか」
「そう。『ダンジョンマップ』によると…無属性魔法は別名『虚無魔法』と呼ばれ、存在しない虚像を作り出すことができる」
「無は有なり、ですか。ということは逆もあったり…」
「有はまた無なり。仏教の価値観だっけ。幸い、現状では『消滅系魔法』は確認されてないみたい」
「九尾がそんな物騒なものまで使えないことを祈るばかりだな…」
ナーシャの『ダンジョンマップ』のマッピング機能が、空間識別により幻術を見破る手助けをしてくれるらしい。念話のリンクを常にオンにしておくことで、経験のない俺たちでもある程度は対処できそうだ。
しばらく歩くと、俺たちの目の前に、赤い巨大な鳥居と、それに続く長い石の階段が現れた。
上の方は霧がかっているが、来訪者を誘うかのように沢山の鳥居が連なっている。
数百段はあろう階段を一歩、一歩と進んでいく。物理的な疲れは感じていない筈だが、進むにつれて身体が重たくなっていくような気持ちになる。
長いような短いような時間の中で、何事もなく階段を登り切った。
視界一面に広がる石敷きの境内には、見事なまでに多様な桜が咲き誇り、風に舞う無数の花びらは留まることなくどこかへと運ばれていく。
またしてもその光景に見とれそうになるが、ナーシャの言葉を思い出して気を引き締める。
ふっと風が止んだ先には、大きな神社が佇んでいた。
ここが最終地点なのだろう。
「行こう」
皆と見合わせて、敷地内に一歩踏み入れた。
その瞬間、一帯の空気が底冷えする程寒々しい物へと切り替わった。
「バルルゥゥゥッ」
ルーパーが突然、タテガミを逆立てて社の方に向かって唸り声をあげ始めた。
こいつがここまで猛っている姿は初めて見たな。
「よく来たな、現代の人の子らよ」
何もない筈の場所から、それは唐突に姿を現した。
白銀色の艶やかな髪は腰まで伸びて、白と赤を基調とした現代風の着物を羽織った、絶世の美女。むしろ造形が整いすぎていることが人間らしからぬとも言える。
だが華奢な外見とは裏腹に、内包する恐ろしい程の魔力を隠すことなく迸らせており、かつてないプレッシャーを全身で感じる。
頚髄の1ミリ手前に巨大な杭を打ち付けられているような気分だ。
「お前が九尾か」
こいつで間違いないのだろう。
本能は割れんばかりに警報をかき鳴らしているが、バクバク鳴る心臓がやけに軽く感じる。
「いきなり礼のない小童よな、わらわには玉藻前という立派な名があるのじゃが」
「貴女、ダンジョンに操られているんじゃないの?」
「ふふ、北方の聡い女子よ、そちもよく参ったの。猫神の矮躯が何を吹き込んだかは知らぬが、察しの通り、わらわは別に操られてはおらぬよ。利を以てあちらについただけじゃ」
「何故?敵は外来生命体で、星も人間も、今まさに家畜のように支配されようとしているのですよ。古より人間の政にも深く関わってきた貴女がどうしてそれに加担するようなことをするのですか!
」
「そう猛るな。ぬしらに話すことは何もない。それよりも、今まで出会った人間の使い手どもと比べて、ぬしらは遥かに強大なチカラを備えておるようじゃの。まさか衰え切っていた人間が、星の危機に瀕してここまで化けるとはな。幾数百年ぶりに、楽しませてもらえそうじゃ」
「ひぃぃぃ、やっぱりダメですよーーー」
ぷるぷるシールドに隠れてがくがく震えている店長に合わせて、より激しく盾もぷるぷるしている。
「待って!私たちは戦いなんて望んでいないの!」
「却下。もう十分待った。誰じゃ、折角わらわに会いに来たというのに、直前でダンジョンに家などを建てて寛ごうと言い出したバカは。わらわはここで星や人間から吸い上げた力を試しとうて試しとうて仕方がないのじゃ…。ふふ、がっかりさせてくれるなよ」
血走った眼球と残忍に吊り上がった口角は、間違いなく化け物のそれだ。
それ俺です、とはとても言える空気ではない。とにかく解析しなければ。
『ステータス閲覧』。
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玉藻前 LV:??
種族:妖怪(九尾狐)
性能:体力SS, 筋力S, 霊力Ⅰ, 敏捷S, 運C
装備:血吸扇、御伽装束
【スキル】
火水土風氷雷光闇無?#%&’
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ぐ!目の奥が灼ける様に熱い!
閲覧に失敗したのか?
「…乙女に対して初端から身辺解析とは、大和の漢も落ちたものじゃ。お前はいの一番に来世へ送ってやろう」
「太一!」
「はじけよ。『六色季葬』」
言葉に続くようにボンボンッと現れた五色の綺麗な球体が見えたのを最後に。
腹部に熱感、冷感、鈍鋭痛、神経痛が入り混じったような不快感を感じると共に、太一の身体は木の葉のように吹き飛び、意識は反転した。
鈍ガメ更新で申し訳ありません。未だ見てくださっている方、本当にありがとうございます。
長かったB級ダンジョンも、ようやく終わりです。九尾戦が終われば、ようやく地上に出られます。
今後ともよろしくお願いします。




