第34話 喫茶店
「ごめんくださーい」
木製の軋む扉を開きログハウスの中に入った。
窓にはカーテンがかかっており薄暗く、沢山の大小の蝋燭たちの灯りが、高い天井の下でゆらゆらと大小の影を作っている。
静かに音楽が聞こえてくるが、お洒落なモダンジャズとかではなく、聞き慣れない響きのパーカッションがコツコツと一定のリズムで鳴っている感じだ。
昔ストリートライブで聞いた、ハングドラムに近いかな。
室内は薄暗くてやや不気味だが、妙に落ち着く気もする。
「いらっしゃい」
声がした方に振り向けば、よく見るとカウンターの奥にうっすら人が立っている。
手元でグラスを磨いているようだ。
タキシードに身を包んでおり、顔は薄暗いせいかよく見えない。
近づいて行ってみる。
顔は、のっぺらぼうだった。
「えぇ、なんで擬人が喫茶店なんて開いてるのよ。ていうか今、彼がしゃべったの?」
「今までと違って、流暢な感じでしたが、特殊な個体なのでしょうか」
「違うぞ、上じゃよ」
見上げると、頭上の酒棚に、でっぷりとしたふさふさの三毛猫が座っている。しかも喋っている。猫が喋るのか、なんでもありだな。よく見ると、身体の周囲が淡く光っているようにも見えるが。
「儂は猫神という。このダンジョンに捉えられた神々のうちの、ちっぽけな一柱じゃ」
そう言い、喋る猫はふわっとカウンターの上に降りてきた。
「猫の神様なの?それって結構すごい神様なんじゃないの?」
「ニッポンの、猫の神様じゃな、お嬢ちゃん。まぁ、ささやかな存在じゃよ。束縛を断ち切る力だけは長けておったおかげで、ダンジョンの一フロアを隠れ蓑に改造して、こうして攻略者を待っておれたということじゃ。…まずは、ご苦労さん。たった3人と、後ろのは神獣かな。ようここまで来たのう。温かいミルクでも飲んでいっておくれ」
ドリンクはミルク限定のようだ。よく見ると、酒棚の上のビンは全部、ミルクのビンだった。
カウンターに座ると、のっぺらぼうのボーイが、トクトクとグラスにミルクをついで、ビーフジャーキーを添えて出してくれた。美味しいビーフジャーキーとミルクをいただくと、ようやく人心地がついた気分だ。
店長は「こ、このジャーキーは…ううむ、店に出したい」とか唸ってパクパク食べている。
「ありがとう、猫神様。あまりゆっくりはしていられないんだが…今まで幾つかのC級ダンジョンを攻略してきた中で、こうして話ができた神様は初めてなんだ。聞きたいことが山程ある」
「そうじゃろうな。儂もこの事態の真相について多くは知らぬのじゃが。知っている範囲で、何でも答えよう」
「まずは、このダンジョンについて知っていることを話してくれ」
「そうじゃな。その前におぬしらはこの魔窟を『B級』などと階級分けしているようじゃが、ここは紛うことなき日本の中枢、大和神が封じられし場所。ここが開放されれば、日本各地の魔窟は力が弱まるはずじゃ。
『A級』とやらは別物じゃがな。圧倒的に距離が近いこの『B級』も多少は影響を受けているが、あれらは『ゲート』に直接管理されておるからのぅ」
そうか、このB級、やたら難易度が高いと思ったら、『ゲート』の影響を受けていたのか。
オーガが出たC級も、その一端だったのかもな。
「11階層から先は、モンスターも出現するようになるし、擬人もどんどん強くなる。お主ら3人で、力を合わせねばのぅ。皆良い加護をもらっているようじゃ。特にお主とお嬢ちゃんは、八百万神から直接力を授かっておるのか。八百万神は、我ら些末な神々を含めた全世界の神々からごくごく僅かずつだが力を共有し、世界の霊的なバランスを保っていた存在じゃ。集合体のようでいて、固有の存在でもある。強力なようでいて、安寧の世では微小な存在でもあった。今はバランスは崩れ切っておるが、原因が神々の封印によるものなだけに、その力を大きく失っているようじゃな」
「ガチャ神様、やっぱり凄い神様だったんですね」
「儂はお会いしたことはないがな。さて話が逸れたが、最下層までたどり着いた暁には、この魔窟のヌシ、お主らでいう『ダンジョンマスター』に挑むことになる。相手は、日本最古の妖怪であり、日本の移り世を見守ってきた存在、『九尾』じゃ。大和神の封印と共に捉えられ、魔窟により凶暴化させられておる。あやつは強いぞ。魔窟による強化を受けて、元々強大じゃった魔力は『亜神』の域に到達しておる。お主ら3人でも、厳しい戦いになるじゃろう」
「妖怪なんて存在がいたことについてはもはや驚かないが…亜神クラスか。なにか攻略法はあるか?」
「攻略法…か。常に強大な魔力障壁に守られ、火水土風氷雷光闇無の9つの魔法を同時に操るというあやつは、世界でも最強クラスの人妖じゃ。古来日本でも、武や魔の才をもち妖怪退治を生業とした多くの人間が、その力や知識、財、美貌を物にしようと挑んだというが、傷一つ付けられたものはいなかったという。唯一治癒魔法だけは扱えないようじゃから、その魔力障壁を打ち破れるまで、死力を尽くすほかなかろう」
男の性で、美人だという点が、まず気になってしまうが。
「太一ぃ、顔に出てるよ」
ジロっとナーシャに睨まれたので、顔をきりっとさせる。
いかんいかん、俺にはナーシャという俺の聖女様がいるじゃないか。
というか、そんなことを考えている場合ではない。
相手は、偉い祖先たちが返り討ちにあったという、かなりヘヴィな存在だ。
俺たちは、こんなところで、誰ひとりとして死者を出すわけにはいかないのだ。
入念に準備をしてから臨もう。
「ちなみに、亜神に到る条件ってなんなんだ」
「亜神に至った人間はたいがい、古代より神話として語り継がれておるからの、有名な話じゃ。条件とは、突破したい領域において、対応する亜神を討伐もしくは制圧することじゃよ」
九尾を討伐すれば、俺は魔力面において亜神に到る条件をクリアできるわけか。
どうやら、ゲートが地球を侵し始めるより以前の古代人類史では、魔素をもった妖怪や、それを狩る人間の存在が、普遍的なものであったようだ。
さすが神様の話はためになる。
「猫神さま、最後に私からもよいでしょうか。ダンジョンが人間を模している理由について、ご存知ありませんか」
「…その質問は、この未曾有の災害の、実は一番発端となっておる部分やもしれぬな。
人間たちには古来より、ある力があった。集団信仰によるエネルギーで非意図的に神を生み出し、星と一体となった神の力を祈りによって借り受けるという、人間にしかない力だ。猫を含め、他の生き物には、『信仰する』という機能は備わっておらんからの。『ゲート』や魔窟共が、その人間の機能を利用したいとすれば…その目的などは、皆目検討もつかぬが」
「そうですか。数ある星々の中で、地球が狙われたのは、人間がいたからだ、と」
猫神は、肯定も否定もなく、ぐるると唸った。
「祈り、ねぇ。俺、無宗教なんだけど?」
「猫神の儂より、お主らのほうがよくわかっておろう。信仰と宗教はイコールではない。儂も、もののけの様なものじゃが、道端に添えられた、人間の一匹の猫への想いから生まれたようなものじゃしな」
…哲学的な話は苦手だ。
とにかく、ダンジョンには俺たちへの悪意があり、全て潰す必要があるということだ。
「分からずともよい。
…人間の存在がこの世によいものなのかどうか、神々の中でも意見は分かれる。
じゃが、儂は、お前たち人間が好きじゃ。どうか、一生命として、最後までこの状況に抗って、頑張って生き抜いてほしい。では、もっと色々話したかったが、そろそろ時間じゃ。達者でな」
猫神様は豊満ボディの割に華麗にジャンプすると、ソファですぴすぴ寝ているルーパーの上にふわりと降り立った。
猫神様の足元で、一瞬、静かな波紋のようなものが広がったように見えた。
「るぱ?」
「神獣よ。早く大人になって、彼らの力となるんじゃぞ」
その言葉を残して、瞬きした次の瞬間に三毛猫の姿は消え去っていた。
代わりに、入ってきた木の扉は、次の階層への歪へと姿を変えた。もてなしの時間は終了したようだ。
一風変わった猫の喫茶店だったが、有益な情報が得られたし、全員のコンディションは全快の状態になっていた。
名残惜しそうな店長に変わって(代わって)ビーフジャーキーをアイテムボックスに詰められるだけ詰めてから、ばいばいと手を振るのっぺらぼうのボーイに礼を言って、俺達は次の階層へと向かった。
最後に、猫の神様が座っていた酒棚に向かって、軽く手を合わせておいた。
休憩フロアでしたが、話ばかりであんまりくつろいだ感じはなかったかも。
次階層から後半戦です。




