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第130話 アインの戦い

 背に白い翼を生やし、手に握った赤い鞭剣を振るう。

 長い長い年月が過ぎても、人間だった頃からの私の戦闘スタイルは変わらない。

 そして暗い闇の向こうから這い巡らされる鎖のような無数の根もまた、どこか私の能力と似ている気がした。


『アインー。こんなことしても無意味だよー。さっきの男は外の世界でとっくに殺してしまったから、後はボクたちが元鞘に戻るだけだよー。昔みたいに仲良くやっていこうよー』


 身体の主導権は完全に掌握され、イグニスと分離した今の私は確かに外界の情報を得られない。だがあれの言ってることは嘘だ。

 焦っている。

 正真正銘の化け物。いかなる事態においても決して手の内を見せなかったあれが、今初めて、焦りの内を隠せないでいる。

 間違いなく神無矛(アスピア)は【(イグニス)】に有効だ。そういう呪いがかかっているのだから。私は最後の希望を最高の相手に手渡せた。矛に貫かれれば恐らく私も消滅するだろうが、些事だ。

 渡瀬太一という、未来の新たな人類の危機に、和神が見出した一人の青年。

 ――私は【主】であるとき、耐え難い孤独から無意識に私とあらゆる面で親和性の高い魂を求めていたらしい。ルシファーが【(わたし)】に適合するよう非道な人体実験を行った大量の人間の犠牲者のうちの一人が、血のつながらない、だが彼にとって唯一の大切な家族となったという。

 だがそれも、【(わたしたち)】による数えきれない程の犠牲者のたった一人に過ぎない。

 

 今更それらをどう思うこともない。

 思いを偲ばせることが一体何の救いになろうか。

 でもだからこそ私は、千載一遇のこの状況下で、なにがあってもイグニスに吸収されるわけにはいかない。


 ――迫る無数の根の物量はまるで津波のようだ。

 あの青年に知らされ、ここが精神世界であることは分かっているが、信じられない程にこの世界は精巧に外界を模倣(エミュレート)されている。


 胴体が真っ二つになりそうな程の重圧も、打ちつけられた痛みも、手のしびれ、貧血の怠さに至るまですべてが本物に思える。

 明確に違う事は、この領域での肉体死は死ではないということだ。

 だから、耐え難い痛みに屈してこの戦いを放棄したいと内から突き上げる()に負けた時が、ここでの本当の死なのかもしれない。


「焦っているな、化物。ついにお前の悪行を裁く存在が現れたんだ。お前はここで私と一緒に、地獄に落ちるんだ!」


 岩砲弾を量産しながら、自分の手札を手繰り寄せ続ける。

 【主】には奪い取った千を超えるスキルがあるが、身体の支配を完全に奪われてからのそれらは、私に支配権はない。

 だから手数も出力にも、彼我には大きな力の隔たりがある。


『んーよく考えるんだ、アイン。君が内心で苦しんでいたのは知っている。でももうすぐボクの悲願は叶う。そうすれば完全に人間だった頃の君の身体と、ボクの力で完全に記憶の補完されたアドルフ君を作り直して、二人のための楽園も用意してあげよう。そこで永遠に愛を紡ぎ合えるよ。ほら、生い先短い魂を勝ち目のないボクへの反抗なんかのために使うより、よっぽど良いじゃないか』


 闇の奥で蠢く化物は、そのようなことを口にした。

 ――囚われていた頃の絶望していた私なら、その誘惑に乗ってしまったのかもしれない。

 だが今は違う。

 今私には、選択の自由がある。


「……はは」

 だから、思わず笑ってしまった。


『――なにが可笑しいんだい?』

 それが何やら、イグニスには癇に障ったらしい。


「いや、他者との共感性すらない存在が愛を語るなんて道化もいいところだよイグニス。それに……きっと永遠の思いなんてものは存在しない。今になって思う。私たちには――――あの瞬間が全てだったんだ。だからお前が想像している楽園とやらは実際は醜悪なドブ溜めだ。恥を知れ偽善者」


 ゾワリと、炎の揺らぎとなって大きな怒りの感情が渦巻いているのが目で見える。さすが精神世界。

 かたや私は、随分とすっきりした。私を縛っていた何かが少し緩んだような感覚がある。

 

『ようく分かったよアイン。どうせ人間を根こそぎ絶滅させた後は君は用済みだ。正直、君には多少の情もあったが――残念だが終わったら【主】の身体ごと消去させてもらうよ』

「ご自由に」


 イグニスが好んで使った能力は、植人族エントの星で奪った『根』と、もう一つ。


『選択を後悔するんだね』


 天から、ポツポツと雨が降り始めた。

 それは次第に豪雨へと変わっていく。


 雨が触れたとたんにドロリと皮膚がただれて、遅れて鋭い痛みが全身を蝕み始める。


 自分でこれをくらうのは初めてだが、やはりいつ見ても『硫星雨』は嫌な能力だ。

 あらゆる銀河中で最も他星を侵略した、魔導に長けた長耳族を滅ぼした際に奪ったスキル。

 星を溶かす強酸・侵食属性の雨を降らせる超広範囲魔法だ。

 【主】はこの能力を手に入れてからは、これと『根』のほぼ二つのみであらゆる星を終わらせてきた。この二つのスキルの相性は、侵略される側にとって、それくらい最悪だった。


 恵みの雨を受けて、根はより強靭に、より醜悪に育ち、ついには先端が裂けて口となりそれぞれが耳を汚す産声を上げ始める。

 ――あっという間に、根の悪魔の軍団の誕生だ。

 こうして天と地を地獄に変えながら、星に住まう生命達は文明ごと溶けて、枯れた。


 すぐに血のコーティングを全身に施した。だが凄まじい勢いで血液中の細胞が死に絶えてただの赤黒い液体に変わって剥がれ落ちていく。そしてその都度張り直す。

 これまでは時間を稼ぐことが目的だったが、それは非常に困難になった。これを使うということは、イグニスは本気で私を消滅させるつもりだ。私の魂なしでも【主】を維持出来るという算段があるのだろう。


 ギャギャギャ


 どこか嬉しそうな声がした方向から反射的に飛び退く。

 遅れて激痛が脇腹を抉った。そちらを見る余裕などあるわけもないが、恐らく一部を食いちぎられていることだろう。続いて私の頭部を丸のみにしようと飛び込んできた根は何とか断空の剣で両断した。


 ――剣にごっそりと精神力をもっていかれる。

 意識を上に向けると、既に第三から第十までの根の悪魔が笑いながら空から私を見下ろしていた。


 出力が桁違いだ。だがこのまま黙って消されるつもりはない。

 例え自滅することになろうとも。

 精神力の枯渇による頭痛に耐えながら、巨大な土石人形兵(ストーンゴーレム)を作ってその肩に飛び乗り、再び断空の剣を召喚した。


「かかってこい、木属人形(デク)ども!」

 一斉にゴーレムに巻きつく根の悪魔たち。ゴーレムは果敢にそれらを振り払い、殴りつける。更にゴーレムは胴体に巻き付いた一体を引きちぎった。


「ハァッ!」

 そして私は引きちぎられた個体の首を両断する。この剣で切られた敵は切断面の次元がズレて再生できない。根の悪魔は根本から枯れていった。首を切れば倒せるのだ。


 ――負けてなるものか。


『はは、がんばるね』


 ――ゴーレムを操りながら剣で首を刈り続けた。

 

『一億年の歳月を経てもキミの魂は高潔なまま、か。たいしたものだ。――あの憎らしい時制神(クロノス)にも見せてやりたいよ』


 ゴーレムの手足が同時に食いちぎられたことで再生に大幅にリソースをとられ、剣が消えてしまった。


『ねぇ、アイン』


 ゴーレムが消えてしまえば私はすぐに食い殺されてしまうだろう。

 再生、再生、再生――。


『アイン!周りを見てみなよ!』


 突然のイグニスの大声とともに、ふと攻撃の手が緩んだ。


 荒い息をつきながら周りを見渡してみる。

 少し前からなんとなく気付いてはいたが、周囲に巨大な壁のようなものが出来上がっていた。

 だがただの壁ではなかった。それは根の悪魔が巻き付き絡み合って出来ていた。

 ――恐らく、数百体の。


『現実世界でも、あの男は君と似たような光景を見ているよ。もういい加減諦めなさい。――キミはよくやった』


 ハァ、ハァ。

 あいつの言葉に耳を貸してはならないと分かっているのに。思わず一瞬力が抜けてしまった。


 その一瞬の隙に、私の背後でゴーレムが食い殺されてしまった。


 ――しまった。


『アイン。もう見てられないんだ。少しだけ時間をあげるから、もう一度周りと、キミ自身の姿を確認してごらん』


 ――攻撃の手が完全に止まる。


 もはや言われた通りに見渡すと、私はいつの間にか全周囲を根の悪魔に取り囲まれていた。

 自分の両手を見てみると赤一色だった。

 他にも鎧が砕けた部分の露出した皮膚はとっくに剥がれてなくなっていた。

 つまりまったく再生が追いついていない。……どうりで痛むわけだ。


 ポタリポタリと水音がしてみれば、それははるか頭上から根の悪魔たちが垂らした涎だった。

 私のことを食べたくて仕方がないらしい。

 つまり皆、イグニスの号令をお利口に待っているわけだ。


 ――――ここまでか。


 太一君、ごめん。

 

 みんな、ごめん。ごめんね。

 

 ――――仇、またとれなかったよ。


『もう来世はないから、あの世で()と楽しく過ごしなよ。……じゃあね』


 パチンと指が鳴る音がして、一斉に悪魔たちは私目掛けて踊るように飛びかかってきた。

 それを最後まで目を開けて見ている事すらできなかった。


 ――あぁ、悔しいな。


 バラバラに食い散らかされて、魂が消滅していく。

 もう間も無くやってくるそんな光景が走馬灯のようにけたたましく映り過ぎていく。


『――なんだと?』


 ――だが、いつまで経っても衝撃はやってこなかった。


 そういえば白い何かがやって来て、無我夢中でそれに手を伸ばしたような……。

 そしてだんだんと身体の痛みが引いていき、肌に涼しいような感覚を覚え始めた。


 意を決して目を開く。


 ――いつの間にか、光景は一変していた。

 私は風を切って走っていた。

 いや、私は、何かに乗りかかっていた。

 ――ふわふわ、だ。


 白く、ゴーレム程にも大きな、狼だった。


 私は颯爽と走る白い狼の背に乗っている。

 そして私の隣には、私の腰くらいまでの小さな赤い……スライムのような丸い生き物が、大きな赤い傘をさして、硫星雨から私と狼を守ってくれていた。


「あ、あ……」

 二体の魔物が言葉を発することはない。

 だが、一目見て分かった。

 一億年もの時の侵食を受けて姿も在り方も変性してしまったが、魂の色までは変わっていない。この世界でなら、それが分かる。


「ゼルに、リシェル……なんだね」

 私が声をかけると、白い狼は応えるように短く吠えて、赤いスライムはぷるぷると身体を震わすと、伸ばした小さな触手が私の頬を撫でた。


「来てくれたんだ……」

 ありがとうと言おうとして、言葉に詰まった。

 一億年前に蘇生に失敗した二人の友達。

 一人はライバルで、一人は親友だった。

 こんなに時間が経って……多くの魂がゾンビみたいに劣化した中、ただの人の身で揃ってここまで形を保つことが、それが、どれだけの事か。幽閉されていた私にはよく分かる。

 私はスライムを抱きしめた。


「ありがとうリシェル……ありがとう……ゼル。二人とも、ずっと頑張ってたんだよね」


 こんな重大な局面で恐怖に目を閉じたり涙で視界を滲ませたり、私は本当にダメなやつだ。

 二人に比べたら、ほんとにいつまでたっても落ちこぼれだ。


「私、頑張るよ。絶対に負けない」

 みるみる気力が漲っていく。

 雨でボロボロになっていた全身が瞬く間に再生していった。


『この醜いゾンビどもめ!ボクに近づくんじゃない!』

 後ろでイグニスの悲鳴にも似た怒声があがり、白狼は足を止めて振り返った。

 どうやら根の悪魔たちから離れて高みの見物を決め込んでいたイグニスが何者かの軍勢に攻め込まれているようだった。すぐさま悪魔達は呼び寄せられ、私たちへの追っ手が止んだ。


「封じられていた魂たちが、解放……されていっているのか。だからあなたたちが……」

 赤スライムは、またぷるりと一度震えた。是ということらしい。

 これがあの青年の力なのだろうか。この一億年で、牢に入れられた魂がイグニスの意志に反して解放されることなど一度もなかった。

 だが今や解放された魂は一つや二つどころではなく大軍勢となっている。イグニスは大いに混乱し、消滅や封印に躍起になっているようだ。


 ――私の手で、イグニスを私の身体から追い出す。


 そんなことが可能だなどと夢にも思っていなかった。

 どきどきする。

 このまたとない好機に、私の残り少ない寿命の全てを燃やして、それでようやく届くかどうか。

 

「ゼル、リシェル。行こう!」


 赤スライムは無数の鞭剣を生やし、白狼は大きく一度吠えて、勢いよく走り出した。

 私は剣を、強く握りしめた。

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