第128話 未来へ
エウゴアを収監した刑務所は、北極にあった。
一面が氷の世界――。
世界を恐怖と絶望へと引き込んだ奉魔教徒全員が収監される程、そこは大きな刑務所だった。
コンクリートの塀を閉ざす鉄扉をくぐり、なんの装飾もない頑強なキューブ状の建物へと入った。
囚人01番。
ここではそう呼ばれているらしい。彼を封じるために急いでここが造られた、当時を思い出すようだ。
オメガの脊髄と融合したエウゴアは、宿主が死に、無理矢理に引き剥がされた際に神経がイカれ、首から下は動かせない状態となった。そんな状態で、胃瘻から栄養を入れられながら、20年が経った今も、まだ口達者に生きているというから驚きだ。
椅子に座る私の前に、やがて車椅子に載せて連れて来られ、以前と変わらない無遠慮な笑顔で私を見るエウゴアは、強化アクリルグラス越しに口を開いた。
「やぁレディ。会いにきてくれて嬉しいよ。あれから20年と2ヶ月、15日と4時間が経ったのに、君は変わらず美しいんだねぇ」
私は表情を変えずに、この男に聞かなければならないことだけを問うた。
「雪が、死んだ。彼女の遺言で、旧人類を滅ぼした脅威は擬人とは別にある可能性が触れられていた。お前は、何か知っているのではないか」
エウゴアは少しとぼけた顔をしたのち、またニヤリと笑った。
「あぁ、ああ。知っているとも。そうか、そうか」
何が嬉しかったのか、エウゴアはおかしな笑いを続けた。刑務官にこづかれてムセこむまで笑い続けた後、彼はうってかわった神妙な表情になると、
――まるで唄うように、言葉を紡いだ。
「1000年の時を経て、竜は生まれ落ちるだろう。人々の欲を喰らい、遥か地下深くを流れる気脈の霊気を吸って、卵は産声を上げる時を待ち続けている。だからといって、決してそれを破壊しようとしてはならない。さすれば嘗てそうであったように、地脈と繋がったそれが陸地を跡形もなく消し飛ばすだろう。――もし君たちが、英雄の帰還を待ち続けると言うのならば、繋いだ命の火を絶やさないつもりなのであれば――神殿を遥か空の向こうへと移しなさい。来る災厄の未来に向かって」
私は圧倒されていた。
余計な口をきくつもりなどなかったのに、思わず言葉が口をついて出てしまう。
「お前は結局、なにが目的だったんだ?」
私の言葉を聞いて、エウゴアは実に満足そうに口に笑みを浮かべた。
「最初から言っていたじゃないか、アナスタシア。私は渡瀬太一に敗れ道は閉ざされ、今は哀れな吟遊詩人。だが、私の目的は常に『人類の救済』だ。――君たちに、幸あれ」
――私はそれで、刑務所を後にした。
その後間も無く、エウゴアは執行を待つ事なく、自室で死んでいたそうだ。
狂人の戯言と一笑に伏すことは簡単だ。
今となっては問いただすこともできない。
だが私は、あの男が最初から最後まで言い連ねたあの言葉は、本心なのではないかと思う。
私は事の顛末をアレクに全て話した。
そして事態を重く見たアレクがゲートバスターズ全員を召集し、長きにわたって協議した結果――。
私たちは、私たちが死んだ後の未来を救うための再準備を整えていくことを決めた。
なんだかそれは、初めてアレクと共に対ダンジョン協会を立ち上げた時のようで、私と彼は不思議な感覚を覚えたのだった。
ーーーーーーーーーー
数年の月日が流れた。
今日は、よき日だ。
娘の、リツカの、結婚式の日である。
場所は水の神殿の中にある祭事場で。
お相手はなんと、リツカの3つ年下の、アレクとリーリャの一人息子だ。名をマテウスという。
そう狭くはない祭事場だが、沢山の人に囲まれて祝福されて、2人は嬉しそうだ。
乾杯の音頭はクリスがとった。雪が亡くなってから暫く元気がなかったが、今は平和な日々の幸せを噛み締めているような、温かいスピーチだった。
次郎は終始泣いたり笑ったり忙しそうだ。魔素加工業、復興支援業、S級ダンジョンから構想を得た宇宙エレベーター開発ならび卸売業、レンタルモンスター屋、運貸し屋などなど彼が手がけた事業は多岐にわたる。とても忙しそうだ。歳も70近くなり、身体機能の祝福が少ない彼は見た目も少し老けたが、まだまだ元気そうで安心した。
水滴を模した碧いドレス、得意な龍神の神威をまとったサプライズバトルドレスなど、活発な娘らしい二度のお色直しがあった。
そしてウェディングドレスも。
どれも、とても綺麗だった。
神殿の外に出て、滝の前に設置された次郎特注の鐘を鳴らせば、現代最強となったタマモが魔法を駆使して空に極彩色の極大花火を打ち上げた。その光は大気圏を超えて弾け飛び、地球上すべての場所で観測されたという。
タマモはかかかと笑い、新しく出来た極大魔法じゃとネタばらしをして周囲はやや肝を冷やした。
リツカとマテウスの生い立ち、出会いのムービーは、軍に務めるマテウスの友人が作成した。
政治や軍の関係者、学園、親しい友人、沢山の人々に囲まれて育ったマテウスと比べて、リツカの映像は静かなものだった。それでも、彼女の眩しい笑顔のためか、不思議と見るものに寂しさを感じさせることはなかった。
そして楽しく時間は過ぎて――。
最後のトリといえば新郎父の挨拶だ。
地球で最も偉大な指導者アレキサンダーの挨拶ということで、関係者各位は自ずと背筋が伸びた。
だが、アレクが息ごんで閉幕の辞を述べる前に、突如、リツカはマイクを握った。
「アレクお義父さん、ちょっとだけ、ごめんね。えー、本日は私達の門出をお祝いいただき、本当にありがとうございました。ここで私から皆さんに、最後のサプライズがあります。お母さんにも内緒にしてた、お父さんからの手紙を朗読させていただきます」
「え……」
(今、リツカは何て……?)
会場もざわめき始めた。
リツカの父といえば――。
いやはや彼は20年以上も前に――。
「はは、お母さんビックリしてる。じゃあ、読みますね」
そしてリツカは、少し声色を落として、ゆっくりと手紙を読み始めた。
「皆様、本日は娘の結婚式にお集まりいただき、祝福してくださり、本当にありがとうございます。あ、性別は八百万神が教えてくれました。このメッセージが読まれているということは、残念ですが私は地球に戻れていないということなのでしょう。なのでトリを邪魔してもいけないので少しだけ、20〜30年未来の新郎新婦へ祝辞を贈ります。
新郎へ。まずは、娘を選んでくれた、娘が選んだ貴方に感謝したい。きっととても良い人なんでしょう。立場上、色々と生活に制限がかかるかもしれませんが、危なくない範囲で、家族で楽しい生活を送ってほしい。君たちの、一度だけの人生だから。心から、ありがとう。娘を、宜しく頼みます。
新婦へ。きっと今頃、君はお母さんに似てとても綺麗に育った晴れ姿をしているのでしょう。私は君の成長を見守ることの出来ない至らない父親ですが、一度も抱いてあげたこともない、目にしたこともない君の幸せを、他の誰にも負けないくらい強く願っている父親であると自負しています。そこは譲れません。君がお母さんのお腹の中にいると知った時ほど、私は生を感謝したことはありません。どうか、幸せになってください。心から愛しています。
父より」
会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
太一がこんなメッセージを娘に送っていたとは知らなかった。雪だけじゃなかったのか。
――よかったね、リツカ。
これ以上ないくらい立派な、お父さんからのお祝いだったね。
リツカも目に大粒の涙を浮かべていたが、ごしごしとぬぐうと、笑顔で私の方へと向きなおった。
「――最後に、アナスタシア。妻へ言葉を送らせてください。
もし運命を少しだけ変える力があるのなら、私はあの子を救いたい。
そしてもし時間を少しだけ遡る力があるのなら、私はもう一度、君に会いたい。
私がこれから神へと挑む最大のモチベーションは、そんな自分の私利私欲なのです。
頑張ります。
愛しい君よ、どうか健やかに。
それでは皆様、本日は誠にありがとうございました」
――そして、邪魔しないと言いつつ見事にお株を奪われたアレクは、愉快でたまらないといつになく楽しそうに謝辞を述べて、式は最高潮のまま終わりを告げた。
――アレクのスピーチを楽しみにしていたのに、全然内容は頭に入ってこなかった。
運命を変える?
時間を遡る?
私だって会えたらどれだけ嬉しいか。
なんだか、太一が無性に遠い所へ行ってしまったような気がして逆に寂しい気になるが……。
くよくよしている暇はない。
弱かった私とはさようならをした筈だ。
1000年先の破滅を防ぐために、これからは私も忙しくなるのだから。
だから、これでいいんだよね。
「じゃあ――またね、太一」




