第126話 始まりの記憶
「ハァ…ハァ…」
ポタポタと、血が滴下する音が聞こえる。
どこからともなく。
「あ…ぐ…」
相打ち覚悟であいつに致命傷を与えた際、根本から食われた左腕の止血は済んでいる筈だが――。
意識が朦朧としているのが分かる。
痛みと疲労に、もっていかれたあちこちの欠損に、悲鳴をあげる身体に鞭打って前へと進む。
「終わったよ……アドルフ……」
「――アドルフ?」
――静かすぎる。
背後には無数の白羽矢と岩砲弾が突き刺さり血の剣鞭で四肢と首を切り落とされた翅の擬人の死体が痙攣を続け、動力源を破壊したバイオプラントが緑色の刺激臭のする煙をあげ続けている。
それらを差し置いても、静かすぎる。
まるで生者の気配が感じられない。
「アドルフ?」
呼びかけるが返事がない。
その時、彼の身を隠した筈のコンテナの向こう側から妙な機械音がした。
なんだか嫌な気配がして、私はマルコの土魔法で作った即席の槍を構える。
――果たして、使命を全うした私を待っていたのは――。
機械仕掛けの兵士に首の根をつかまれ、銃剣で胴体を貫かれたアドルフの姿だった。
「ッ!!」
身体の痛みなど、その瞬間に消え去った。
残った生命力でぎりぎり生み出せた小さな翼をスラスターにして滑走し側面から強襲して槍を機械兵の頭部へと思い切り突き刺した。
「……ギギ?」
「ぁぁぁ!!!」
――体制を整えられたらもう戦えない。
私は兵士に馬乗りになって、コアがありそうな頭部・胸腹部に向けて、ひたすらに突き立てた。
「ハァッ…ハァッ…ハァッ!」
「……」
ようやく声を発さなくなった兵士から槍を引き抜いた。
槍を杖にして、倒れた彼の元へと急ぐ。
「アドルフ……今、回復を……」
しかし、それは敵わなかった。
魔力が尽きたからではない。
「アドルフ……」
朧げに開かれた彼の双眼は、もう光を映してはいなかった。
彼は、もうとっくに息をしていなかった。
ドサッ
「え?」
一瞬、それが自分が地面に倒れ込んだ音だと気づかなかった。
とっくに私も限界を迎えていたらしい。
「う…く…」
這って彼のそばに辿り着いた。
あんな最期だったのに――彼は、静かな横顔だった。
……結局約束は守ってもらえなかったけど。今まで長きにわたり私を見守り助けてくれていたんだ。
――開かれたままの瞳をそっと閉じた。
もう、天国に行かせてあげたい。
私だって、ちゃんと使命を果たしたんだ。
――アドルフの力をこの身体が引き寄せてしまう前に、私も同じところへ行こう。
彼の横に横たわり、パイプが這い巡る無機質な天井を見上げた。
工場自体は停止したが、地表に待機する生き残りたちはここへ向かってきているはずだ。
私も死んだ後は、いずれわんさか押し寄せるあいつらの餌になるんだろうな――。
残った僅かな魔力と、身体から流れ出る血で短刀を作った。
それを静かに首筋に押し当てた。
――目をつぶる。
――。
「ギギ……ピー……ガ―……『あー、聞こえるかな』」
その時、穴だらけになった機械兵のスピーカーから、突如人のもののような肉声が聞こえた。
そして、何もない空間に映像が映し出された。
それは何とも言えない、気味の悪い姿だった。
ありとあらゆる生命が継ぎ足されたような醜悪な身体。
そのくせ、首から上だけはつるりとシンプルで、擬人と同じようにのっぺらぼうな顔面には眼球だけが貼りつけられたようにぎょろついていた。
純粋に、気持ち悪い――。
「……誰?」
『ぼくは生命神。――君たちの祖である、大神さ』
「……え?」
『特別に、褒美をとらせたくてね』
「……ほう……び?」
『うん、君はたった一人で本当によく頑張ったからね。君たち人間はぼくのことを憎んでるだろう?だから君には特別に、ぼくを直接やっつけるチャンスをあげようと思ってね。プラントの奥にある小型の船は、直接ぼくのいる『神域』へと跳べる特別性なのさ』
――こいつは一体、何を言っているんだ?
無視しよう。
もうこれ以上、戦いたくない。
『ふーんそれでいいのかな。ぼくを消滅させておかないといつかまた必ず準備を整えて、今度こそ人間を滅ぼすよ。ぼくは人間が大嫌いだから、例え今みたいに放っておいても滅びそうな状態でも、確実に手を下すよ。――そこに転がってる彼みたいに』
「……ッ!」
『あとは君次第。じゃね』
気配は去った。
今度こそ、私はここで一人になった。
今言われたことをしばし反芻する。
「畜生…………」
明らかに罠だ。
直接手を下せないから、向こうのテリトリーに誘い込んでから私を殺すつもりだ。――もしくは何かに利用するつもりか。
何が大神だ、卑怯者め。
もう、楽になりたいのに……。
でも、あの目を見てしまったから。
あいつがアドルフを見る目。まるで、虫ケラみたいに……。
……ここで自死を選んだら、私の魂はきっと、みんなと同じ場所には行けないだろう。
「ぐ……」
意識が途絶えそうな中、私はなんとか身体を起こし、アドルフの亡骸、その手を握った。
「……静かに逝かせてあげられなくてごめんね。でも、もう少しだけ私に力を貸して。一緒にあいつを倒そう」
アドルフの身体が淡く光り始めた。
次第にゆっくりと、暖かいものが手を伝って入ってくる。
そして急速に、私の身体は熱を浴び始めた。
「アドルフ……」
殆ど感覚のなかった手足が、今や火傷しそうな程に熱い。
かつてはほぼ自覚すらなかったこの魂の伝承だが、今回のは桁違いだ。私の能力が、先ほどまでとは別人のように塗り替えられていくのが分かる。
――継承が終わった後、私は立ち上がった。
いつの間にか、欠損ごと身体は全回復していた。
(神をも討てるような、強い武器が要る)
燃えるような身体と迸る力を制御するためにも、私は武器を造ろうと思った。
触媒にするためにバイオプラントに使われていた巨大魔素核を血鞭で手繰り寄せた。素手ではとても持ち上げられない重量だろうが、魔法の出力も相当上がっている。
――マルコとアドルフの二人は、もしかすると、初めからこうなるつもりだったのかもしれない。
「――骨子錬成、固着、形成――」
私とアドルフの血で骨子を作り、固め、形成する。
授かった彼の力を、その内に込めていく。
――ぐちゃぐちゃになった今の私の感情も、すべて込める。
そうして身体の火照りと共に激情が次第に収束していった頃。
――私の背丈程もある立派な矛ができていた。
強大な力と、呪いが込められているのが分かる。
紅と黒の入り混じった、飾りけのない禍々しい矛。それはとても、手に馴染んだ。
「――行こう、アドルフ」
神無矛と名付けた彼の生まれ変わりを手に、私は宇宙船に向かって歩き出した。
『――アイン、待って』
久々に聞いた内からの声だった。
私の相棒。なぜか最近は出てこなくなっていて、めっきり話す機会も減っていた。
「和神。久しぶりだね」
『君が取り込んだ沢山の魂の処理に手一杯だったんだよぉ』
「そうだったの。……ありがとうね」
『いいってことよ。それよりも、アイン行かないで。そっちは危険だよ』
「分かってる。でもあいつを倒さなきゃ地球の未来がない。それに私は、絶対に皆の、アドルフの仇を討つ」
『うん……。でも神域だなんて危険だよ。きっと僕の加護すら届かない場所だ』
「――そう。でも私の力は殆ど外から取り込んだものだから、今やあなたの加護なしでも力は落ちないんじゃないの?」
『うっ、鋭い……』
嘘をつけないタイプらしい。昔からだ。
さすが神様。
でもしょぼくれた声だった。影の功労者に対してちょっと酷い言い草だったかもしれない。
「じゃ、最後に私からお礼をするね」
『ん?』
私は和神の好む情動に精神を同調させ、生命力を送り込んだ。
『わぁ、ひょっとして君』
「うん、神威、使えるようになったみたい」
和神の魂が、次第に受肉されていく。
元々苦手ではなかった。かつてとは比べ物にならない程に生命力が強化されたことで、最終段階の昏まで可能になったようだ。
「和神、こんな姿だったんだね」
初めて見る和神の姿は、まるでマスコットキャラクターのような、シンプルだけど可愛い出立ちをしていた。
なんだかふと、遠い未来でこの子が人々の元に現れて、幸せのお裾分けをしてくれる。そんな映像が目に浮かんだような気がした。
「元気でね」
私は和神を抱きしめた。
とても暖かかった。
『アイン……』
身体を離し、宇宙船に向かって歩く。
最後に振り返ると、和神は、ぽつんとその場に佇んでいるように映った。
だから私は、今度こそ、きっと独りで船へと乗り込んだ。
――船の中は物音ひとつしなかった。
ただ私が呼吸をする音と、やけにゆっくりと心臓の鼓動が聞こえてくるだけ。
窓の外の景色は、時折歪に歪んでいる。
きっと私には想像もできないような距離を走っているのだろう。
……寂しい。
私は膝を抱えた。
「でも……負けるものか……」
この孤独に負けないように、ただひたすらにイグニスへの殺意を絶やすことのないように、矛を強く胸に抱く。
そうして、対決の時を待ち続けた。
船はひとしきり長い時間をかけて時空を歪めて走った後、今までとは全く別の場所に出た。
一目みて、そこが生命神の言った『神域』という場所なのだと分かった。
美しい場所だった。
まず目に入ったのは、白く輝く大きな星。まるで太陽のよう。
太陽はとても熱いものだと聞いていたが、この星の傍に寄っても、恐らく船が燃え尽きることはないのだろう。それくらい優しい光を放っていた。
煌めく星々の間を抜けて、船はひとつの星に近づいていった。
そこは緑の星で、翡翠の宝石のような綺麗な色彩だった。
地に降り立ち、船の扉は独りでに開いた。
私の両足は自然と船の外へと向かった。
タラップを降りると、そこは浮草のように空胞を蓄えた柔らかい草がしきつめられた、広い草原だった。
ここでは呼吸が出来るようだった。
気持ちの良い風が吹く。
――だが、気を緩めることはない。大丈夫。
私は今、敵の総大将の本拠地に、単身で訪れているんだ。
私は人類が産み出した最後の兵器。
強く矛を握りしめる。
やることは一つ。
敵の首を落す。それだけだ。
「出てこい!イグニス!私はやってきたぞ!」
草原に声が響き渡る。
そして、風に流れて消えて行く。
返答はない。
――途端に不安が鎌をもたげる。
私は……今どこで……何をしているんだったか?
神殺し?
どこに神がいるんだ?
バクン
バクン
これは、私の心臓の鼓動か。
ひどくゆっくりだ。
どれくらい時間が経っただろうか。
いや、落ち着け、まだ数秒しか経っていない。
大丈夫、私の身体は落ち着いている。心を静かに保つだけだ。
『ふふ、待ったぁ?』
――背後、耳元から、声がした。
「……ッ!」
槍を振るった。夢中で。
だが、なにもいない。
『寂しかったねぇ、ごめんね、君はひとりぼっちなのに待たせてしまって』
今度はどこから声が聞こえてくるのか、全く分からない。
やみくもに槍を振うが、当たらない。
血鞭を全方位数Kmに渡って振り回すが、一切の手ごたえがない。
一帯の地肌が露出し、草原は更地へと変わる。
草が蓄えていた気泡が、空へとシャボン玉のように舞い上がり、視界が狭まった。
すぐに翼を駆り、上空へと飛び上がった。
「フゥッ、フゥッ、フゥッ……」
全身にびっしり汗をかいているのが分かった。
空から周囲を見渡すが、気配がない。
今この場所に、動物は私だけ。
ただ生きて存在しているだけ。
なんだかそれが、ここではとても違和感のある行為のように思えた。
『生きているということ。それは時に、とても罪なことだ』
また背後から声がした。
「うわぁぁぁぁ!!!!」
翼を硬直させ、無数の白羽の矢を飛ばした。
だがまた当たらない。
「ゼェッ……ゼェッ……」
息が上がっている?
落ち着け。
まだ敵はなにもしていない。飲まれるな。
『生命体の本質であるところの動的秩序――その有様はただでさえ随分と残酷なのに、君達知的生命体の手にかかれば、その本質は更に醜悪なものへと変質する。君達は共同体の繁栄のために無作為に多様性のある個体を生み出すが、一部の欲深い生命体が本来の秩序を捻じ曲げて静的秩序を作り出し、数多の悲劇を生み出しながら周囲の個体をその檻に捻じ込む』
「フゥ……フゥ……」
私は矛を握りしめた。
どこかにいるはずだ。感じるんだ。
『多くの知的生命体がそうして静的秩序の悲劇を繰り広げる中、ついに君達人間は檻としての【神】を生み出してしまった。僕はね、驚いたんだよ。まがい物かと思った君達の作った【神】は、まぎれもなく僕たちと同格の存在だった。だから僕は……君達を見ていると、嫌な想像をしてしまうんだよ。――秩序を超越した存在である僕達『創造神』もまた、誰かの静的秩序が生み出した怪物なのではないか、とかね。そんなことは……』
狂言に耳を貸す必要はない。
――目をつぶる。
(アドルフ……力を貸して)
『断じて認められないに決まっている。だから僕は君達人間を――』
「そこだッ!」
私はありったけの魔力をこめて神無矛を振るった。
空間を裂くアドルフの力により、周囲の景色は一変した。
『ギャァーーー!!』
先程までの美しい光景は消え去っていた。
気付けばあたり一面、ただただ白い光が差し込む何もない空間に、私はいた。
――斬られた顔の傷口から湧き出る緑の煙のようなものを必死に8本の手で抑える、生命神と共に。
「ようやく会えたわね」
『いたいなぁ、痛覚オフ、と。……傀儡にするのは無理だったかぁ。まったく忌々しい力だなぁ』
「死ねッ!!皆の仇!」
私は更に矛を振う。
イグニスの全身が4つに分かれた。
「死ね!死ね!死ねぇぇぇぇ!!!!」
『お、お、お、お』
イグニスの全身が16つに分かれた。
『すごい暴力。とても敵わない。でもね、本物の神は不変、つまり永遠なんだ』
イグニスは無数の肉片と化した。
『だから僕はどんな姿になってでも、必ず失敗作達を滅ぼし、そして人間を滅ぼすよ』
「黙れ黙れ黙れ!!」
『きゃははははははははははははははははははは!!!!!』
無我夢中で矛を振るった。
振るい続けた。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ……」
――いつしかイグニスの身体は完全に消失し、声も聞こえなくなっていた。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ……」
――勝った?
立ち上った緑の煙もどこかへと消えて行った後、あたりには静寂だけが残された。
私が、勝ったんだ。
矛を降ろした。
「ぐッ!」
ひどい頭痛がして思わずうずくまった。
「――ッ、なんなの、一体……」
そうしていると、頭痛はすぐに治まった。
なんとも後味の悪い勝利だった。
「こんなところ……さっさと帰ろう」
もううんざりだった。
それに――私はまだやることがある。
地球に帰って、この力で擬人たちを一掃し、人類を救わなければならない。
私は宇宙船に乗り込んだ。
行先に地球が表示された。自動巡航ボタンを押した。
船は浮き上がり、星を離れ、すぐにワープ航路へと入った。
ワープ……ってなんだっけ?
――なんだろう、頭にモヤがかかったような気分だ。
矛を胸に抱いたまま、船の操縦室の椅子に深く腰掛ける。
ひどく疲れた。
こんなに強くなったのに。一方的だったはずのさっきの戦い――なんでこんなに疲労感でいっぱいなんだろう。
ステータス画面を開くと、自分のステータスが表示されている。コンディションは特に問題ないようだ。
ふと、見慣れないスキルを見つけた。
「スキル――『創生』。こんなの、いつの間に手に入れたんだっけ――」
ブー、ブー、ブー。
『間もなく地球。地球。着陸準備に入ります。搭乗員は、衝撃に備えてシートベルトを装着してください』
いつの間にか意識を手放していたらしい。
ご丁寧なアナウンスに従うことなく、私は立ち上がり、視界いっぱいに広がる地球を見下ろした。
青く美しい星。
――だが。
なにか違和感があった。
地球を出発したときは、たしかあちこちに大陸のようなものが見えていたはずだ。
今は……そうだ、青すぎるんだ。
その答えは、着陸したときに分かった。
地球は、陸地がすべて消し飛んでいた。
ザザ――
ザザ――。
ザザザ――――――――――――――。
ーーーーーーーーーー
次第に意識が浮上してくる。
なんだか、懐かしい感覚。
私は――。
わたし……。
おれは……渡瀬……太一。
今俺は、大海原の中に浮かんでいる、一人の人間だ。
――いや、違う。
俺の目の前に、大きな白い翼を広げて、空の上で一人、泣き叫ぶ女の子の姿がある。
彼女が……。
そうか、彼女が……【主】か。




