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第125話 終の記憶


 ――あの日から。


 私の目の前でリシェルが擬人に殺されたあの日――『大災害』を境に。

 地球は……この星は、確実に終末へと向かっていっていた。


 擬人とは、おぞましい存在だった。

 人間をゴミでも見るかのような眼で見てくるくせに、殺害方法は決まって食害である。それは教科書で習った通りだったのだが、知識と体験は、かくにも違うものだろうかと誰もが思った。

 恐怖と嫌悪感を骨の髄まで植え付けられた人間たちは、抵抗する気力すら奪われたのだろう。軍部が崩壊したにもかかわらず、ろくなレジスタンスも育たず、大半の人々はただただ餌であり続けた。


 あの日、リシェルを殺した擬人は、すぐに私を狙った。

 その擬人の首を刎ねたのはアドルフだった。私はただ茫然とその光景を見ていただけだ。

 リシェルの死後すぐに、私は彼女が得意だった血魔法を使えるようになった。

 それは、どう考えてもおかしかった。

 まるで喰種か、はたまた疫病神か。

 私はそういった類の呪いをもって産まれてきてしまったのかもしれない。

 だが私はそんな自分を受け入れることにした。戸惑う暇はなかった。


 ――なによりも、私はゼルを、そしてリシェルを殺した侵略者共を許せなかった。


 擬人たちと戦うためにアカデミーが組織したレジスタンス部隊へと入隊し、私は擬人への戦いを始めた。

 アドルフとマルコは同じ隊の仲間となり、幾度も私の命を救ってくれた。

 私もそれに応えるため、ひたすら能力を使い、ひたすらに敵を殺し続け、私はどんどん力を付けた。

 レベルはアドルフやマルコの方が上だったが、次第に私は、魔力だけなら二人を超える程の強い力を身に着けていった。


 私はいつしか戦場で『血狂の天使』などと揶揄されるようになっていた。


 だが私やアドルフ、マルコがどれだけの敵を倒しても――倒しても。

 それは人類vs擬人という大きな戦況の中では、とるに足らない些事に過ぎなかった。

 戦局全体で見てみれば、人類は負け続け、敗走に敗走を重ねていた。

 私達が生存を許される土地は、広大なパンゲアにおける、わずか数%程までに追いやられていた。


 

 ――作戦が打ち立てられたのは、そんな最中。

 もう後がない人類が企てた、それは大博打だった。

 

 目標地点は、異常な公転周期の関係でなぜか月に最も近づくとされる地点――爆心地グラウンドゼロ――。

 草一本生えないこの場所には今、大量の擬人を地球に持ち込んだ最大級の母艦が停泊している。――星を渡る船。

 最終目標は、それを奪取することだった。そして月にある敵の本拠地を叩くこと。

 あの人喰いの化け物たちがそんなものを所持している事こそが、背後に何らかの後ろ盾がある何よりの証拠と言えたのだが――。

 それが本当に、生命を生み出したという神様なのだとしたら――。

 今私たちが必死に抗っているのは、いったい何に対してなのだろうか。


 そして無数の擬人たちが住まうとされるその場所に突撃する兵士の数は、1000名に満たないものだった。

 それが私達の、現状だった。



 そして作戦決行の前夜――。

 私はアドルフ、マルコと3人で、酒を酌み交わしていた。お酒なんてものを飲んだのは初めてだった。マルコが言い出したことだ。


「どうアイン、うまい?」

「――喉が熱い。あんまり美味しくはないかな」

「はは、そんなもんさ。お酒の味を知らずに死ぬのも可哀そうかと思ってね」

「――どうも。でも死なないわよ。だって私は――」

「マルコ……。アインは死なせない。たとえ、私とお前の命に代えてもな」

「勿論さ。ちょっと緊張をほぐしてあげようとしただけだよ」

「別に、もう2人に守ってもらわなくて結構よ。昔の私とは違うもの。死に場所くらい自分で選ぶわ」

「――そうだな、アインは随分と強くなったよ。さすが私とマルコの教え子だ」

 そう言ってアドルフは穏やかに私の頭を撫でた。いつものように。


 ――私は、アドルフの事が好きだ。

 優しいアドルフ。

 この繊細で綺麗な手が、幾千の敵を斬り捨てるのを目にするたび、どうしようもなく高揚を覚える。


 だが、私がその気持ちを伝えることはない。

 この先もきっとないだろう。

 どうせ長く生きることはない。万に一つこの恋心が実ったとて、そこに幸せな未来なんてない。

 今、この時間を過ごせるだけで十分だ。


 私はひそかに断腸の思いでアドルフの手を引き剥がすと、取り繕うように言った。

「教え子じゃなくて一応元同級生です。でも実際、敵の船まで生きて辿り着けるかな」

「どうしてそう思う?」とアドルフ。

「どうしてって……たった1000人って、どう考えても勝てるわけない」

「当然総当たりするわけじゃないし、全部を相手にするわけでもない。途中までは制圧した地下ハイブの隠し通路を伝って行けるはずだ。そして頭がからっぽな擬人は、重要な宇宙船から全員もれなく飛び出して人間を食うことしか考えてない。だから船までたどり着けば、奪取は容易い。その暁には――」

「敵の本拠地に殴りこむ。……勝算はあるの?」

「どうやら敵の親玉もまた、一秒でも早く人間を滅ぼすことしか考えてないらしい。千里眼の遠視によると、兵士を作るメインプラントの警備も非常に手薄だそうだ」

「ふぅん、そう――」

「はいはいそこまで。もう難しい話はじゅうぶんでしょ。僕らはただ戦うだけ。美味しくお酒飲もーよー」

「――それもそうだな。では改めて我々の明日に――」

「乾杯!」

 ぐいっとウイスキーをあおった。

 ぬるくて刺激が強いばかりの初酒であったが、酒は現実を少し遠ざけてくれる。

 それが不思議と喉を通るこの刺激的な液体を、少しだけ美味しいと感じさせたようだった。


----------


 明朝より、作戦は開始された。

 ハイブを進む兵士たちは、ここまでの戦いを生き残ってきた生え抜き、精鋭中の精鋭達だった。

 案の定、ハイブ内には擬人たちが溢れかえっていたが、兵士たちは全員が一騎当千の働きをし、万を超える敵勢を相手にわずかな人的損失で通路を進んでいった。



 ――。


 だが快進撃は、長くは続かなかった。



 ――。



 ゼェゼェと至る所から荒い息が聞こえてくる。

 先の横穴からの奇襲で、貴重な兵士達が50名も死んでしまった。

 順調だった行軍はそれで一気に減速し、士気が目に見えて下がってしまったのが分かる。負傷者も多数いる。足を亡くして歩けなくなった兵士は置いていくしかない。彼らの慟哭が響き渡る中、隊列を組み直し、黙々と部隊は進んでいく。私は急いで負傷兵に回復術を施して回った。


 ――。


 兵の数はいつしか、半数以下にまで減っていた。まだ終着点は遠いらしい。アドルフとマルコを除いて、全員大なり小なりの大怪我をしている。回復術が使える人間もあとわずかであり、私のせいぜい中級に及ばない程度の回復術で、無理やり彼らを前線に駆り立てている。口々に礼を言われる。

 だが皮肉にも、加護をもつ仲間が死ねば死ぬほどに、私の身体はコンディションが上がっていく。

 数多の戦場を巡り、そのことはもう、嫌でも分かっている。

 でも私は本当に――誰にも死んでほしくない。

 無心で回復術を施した。


 ――。



 ついに爆心地グラウンドゼロの直下までたどり着いたとき、兵士の数は100名に満たなかった。


 そこは、大きな地下空洞が拡がっていた。そして――。


「あれは……」


 アカデミーの高官でも知らないソレが、地下空間を煌々と照らし続けていた。


「巨大な――ありえないくらい巨大な――魔素核か」


 それは、見たこともないくらいに大きな魔素核だった。

 もはや、魔素核と言っていいのかもわからない。

 虹色のプリズムに発光するその物質は、見当もつかないほど、無尽蔵のエネルギーを貯蔵しているように思えた。


 先の大戦の折には、このようなものは確認されていなかったはずだ。

 その際にこの地下奥深くに埋め込まれたのだろうか。

 そして部屋の隅には、内部が脈動する巨大な卵がびっしりと敷き詰めれるように蠢いていた。

 間違いない。数年前に擬人達が大量発生した原因はこの魔素核のせいだ。そして宇宙船がわざわざこの直上に留まったことを考えると――敵軍に何らかの手段でエネルギーを提供している可能性がある。


 その場にいる者達の背筋が凍る思いがした。

 

「すぐにこれを破壊しなさい!」


 アカデミーの高官が司令を出すよりも早く、その場にいる魔術師による一斉砲撃が行われた。

 だが、巨大な魔素核には傷一つ付いていない。


 ヒュウゥッ

 

 程なくして、地上まで続く巨大な縦穴を通じ、空気を震わせる――風切り音のようなものが聞こえた。

 そしてそれは急速に近づいてきた――。


「避けろ!」

 アドルフに抱き寄せられてその場を飛び退いたその直後――。


 ドォォン!!



 ブチブチッ


 翅を生やした一体の巨大生物が空洞の地に飛び降りてきた。

 それだけで、アカデミーの高官を含んだ兵士達が優に十数名、踏みつぶされて死んでしまった。


「ギオオオオオオッ!」


 パーツの乏しい顔には口だけがさも愉快そうに開かれていた。

 そして大きな腕が凄まじいスピードで振るわれると、更に数名の兵士が両腕に捕縛され、そのまま口の中に放り込まれた。


 ばりばり、ぼりぼりッ


「ひるむな!一斉に魔法を放て!!」


 火矢、水弾、土砲、風刃、ありとあらゆる魔法が放たれたが、効果がない。

 次々と味方の数が減っていく。

 全滅は時間の問題だった。


「アドルフ、僕が時間を稼ぐ」

 マルコだった。


「マルコ。お前でもあれは無理だ。あの魔素核はよほど重要なものなのだろう。あのガーディアン、強さがこれまでの擬人とは桁違いだ。それに船を操作できる人間が死んだ。私に出来る事といえば月へ戻る緊急操作くらい――」

「月へ行け。君達なら大丈夫だ。僕のことも、いい。……アインの役に立ちたいんだ」

「ーーマルコ。……………すまない」

 

 その時、化け物の大きな手が私へと伸びてきた。


「させるか!」

 マルコは瞬時に土の巨人へと姿を変えて、あの化け物相手に組み合ってみせた。

 そして蹴りで距離をとり、身の丈の倍ほどもある戦斧を顕現させると、すさまじい膂力で翅の擬人にむかってふるった。


 ガァン!!

 擬人は大きく吹き飛び、巨大な魔素核に打ち付けられた。


 ――すごい。マルコがここまで強いとは知らなかった。自分は既に2人と同格レベルに至ったという自負があったが――自惚れていたのがよく分かった。これなら勝てるんじゃ――。


「チッ、虫野郎も、魔素核も、びくともしないか」

 マルコは小さく唸き、

「アドルフ!やはり倒しきれない。行け!!」

 そう言い放ち、首をもたげて起き上がった翅の擬人に斬りかかっていった。擬人は長い鎌首をもたげると、マルコの胴横へと噛みついた。ミシミシと土の鎧に亀裂が広がっていく。

「ぐぁああ!」

「マルコ!」

 私は加勢しようと翼を展開した。

 だが――。


「来るなアイン!今の君じゃ無理だ!」

「そ、そんな」

 かけられた言葉は、マルコからの、明確な拒絶の意思だった。


「アドルフ、すまないが……後は頼んだよ」

「……あぁ。任せてくれ」

「……うん」


「マルコ」

「アイン。短かったけど、君と友達になれて良かった。……いろいろとつらい世界だけど、頑張って生きるんだよ、アイン」


 呆然自失だったのだろう。アドルフに手を引かれるまま、私達は縦穴をまっすぐに駆け上がって行った。随分と昇ったが、もう昇ってこられるだけの、生きた兵士の姿は一人もなかった。

 私が最後に後ろを振り返ると、胴体を貫かれたマルコの姿があった。


「ぐふ……お前は道連れだ。『アースクエイク』」

「マルコ!」


 一度だけ見たことがある、大規模な地殻変動を起こす彼の極大魔法だ。

 洞窟は次々と崩落を起こし、空間すべては土石に埋め尽くされた。擬人も魔素核もマルコも、すべては地の底へと沈んでいく。

 


 ――それきり、音は聞こえなくなった。


「マルコ――すまない」


 アドルフの呟きだけが、洞窟の中に静かに残された。

 久しぶりに上を見上げると、地底の終わり道に、わずかに太陽の光が差し込んでいた。



ーーーーーーーーーー


 ――私とアドルフとたった二人、もぬけの殻となっていた宇宙船に乗り込んだ。

 残党を数十匹切り倒すだけで私達はあっさりと船を制圧し、アドルフの操作により巨大な飛行船は空を飛び、私達は宇宙へと飛び立った。


 地球を離れた人類は、私達が初めてらしい。

 ――船から見る地球は綺麗だった。

 これから私達はたった二人で敵の本拠地へ乗り込むという絶望的な状況だが、不思議と恐怖はなかった。

 私は、私の中に、マルコの存在を感じ取っていた。


 ――そして旅路の途中で。

 私とアドルフはここで、どちらともなく自然と、結ばれた。

 お互い汚れきっていたし、部屋もベッドもない船のコンソールの中だったが、そんなことは全く気にもならなかった。

 恐らく二人とも、生きて地球へ帰ることはできないだろう。

 生存本能でも働いたのだろうか。悩んでいたことなどすっかり忘れて――。

 どうせ近いうちに死ぬのだ。

 きっと神様がくれた一度だけの星の海の航海。

 彼と二人で眺めるこの景色を、私は心に刻み込んでおくことにした。



「なぁアイン。……マルコの魂はついてきてるか?」

「――うん」

「そうか……あいつも一緒に来られて、よかった。……聡い君だから気付いているだろうが、君は、加護者の魂を引き寄せる器として生まれた。そして私とマルコは、君の使命――人類救済――その遂行を支えるためのアカデミーのエージェントだった。私達も君と同様に、任務のために最上級の人造神と契約された、作られた命だ。……ずっと黙っていてすまなかった」

「……いいんだよ。それが任務だったんだから。……強さだけじゃなくスキルをラーニングする条件には、模擬戦で勝つことが必要?私、マルコと模擬戦させられたことなんてなかったけど」

「最初はそうだった。君の中の神が、相手の神を調伏するための儀式らしい。だが君の魂の器が十分に成長した今となっては、君に親和性がある者であれば誰でも、そのスキルを継承することが可能だと判断されている」

「――私がこのことを知らされていなかったのは、きっと私が正気を失わないためだったんだよね」

「――そうだな。ただの器、ただの兵器として幼少期から事実を告げられ教育された君の先代は、なぜか魂の器が育たず、力も育たず、戦場で心の平衡を崩し、あっけなく死んだ。だから君は何も知らされないままに一学生として育つように計画された。結果、君は自由な心と、とても大きな器を得た。君はまだまだ強くなれるだろう」

「そう――。でも、もう嫌だな。死んだ人の魂をかき集めて――知らない内に強くなるのは。人のために戦う兵器であることはいい。ゼルやリシェル、マルコに生かされた命だ。でも私は――人間をやめたくない。少しずつ、心がドライになっていってる気がするんだ。――皆のことを忘れたくない。……アドルフ、私はまだ人間でいられているかな」


「――そうだな」


 アドルフに頭を撫でられた。

 

「大丈夫。私もマルコも、ずっと君を見てきた。君は変わってないよ。子供の頃からの、純粋で優しい、君のままだ」

「……そ」


 ……照れる。

 そこまでは期待してなかったけど。

 でも、そっか――。


 それを聞いただけで、私は随分安心したらしい。

 私って単純だな。あ、そういうのが純粋って意味か。


「ねぇ、約束してアドルフ。絶対に私より先に死なないって」

「――」

「――」

「……わかった。約束するよ」

「……ありがとう」


 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「行こう。アイン」

「うん」

 

 私達は手を繋ぎ、月面に降り立った。

 ブリーフィングにあった通り、私達二人ならマスクなしでここの環境にも適応できるようだ。

 船から出た私達は、おびただしい数の擬人達に出迎えられた。

 その数、数千――いや、数万体はいるだろうか。


「どこが警備は手薄なのかしら」

「気にするな、有象無象の雑魚ばかりだ」

「ま、そうだね」


 不思議と恐怖はなかった。

 あれが狂った神の使徒であるのなら――私が食いつくしてやる。

 その加護も、意思も、魂も、すべて。


「マルコ、力を借りるね――。『アースクエイク』」




 





 ――どれくらい戦い続けただろうか。




 ――私と、アドルフ。


 二人とも、お互いの気配だけを感じ取りながら、擬人を殺し続けた。


 アドルフが敵を斬り続け、私が殺し、補給できる私がアドルフを治し、更に戦い続けた。


 アドルフは愛用の剣が折れた後、極大魔法で生成した断空の剣で更に数多の敵を斬り続けた。だがその奥の手は消耗が著しく、すぐに魔力は尽きて、エーテルも使い果たした。


「うぁぁぁぁぁ!!!!」


 私は彼を死なせまいと、翼を大きく広げて血と地を操り、ただひたすらに敵を殺し続けた。


「……アイン!」


 アドルフが、一番兵士が集まっていた場所に、基地への入り口を見つけた。


 私達はなだれ込むように基地へ侵入した。


 深く深くへと潜っていく。


 いつの間にか無意識に、私はアドルフを抱きかかえて飛んでいた。 


 アドルフの身体には、私の回復魔法ではとても癒せないほどの重傷がいくつも刻まれていた。


 荒い息をつく彼に回復魔法をかけ続けながら、私は夢中で飛び続けた。




 ――そしてついに、私達は最終地点へと到達した。


 地球にあったもの程ではないが巨大な魔素核をもつ、超規模のバイオプラント。




 ――そこには、マルコを殺したガーディアンと瓜二つの翅の擬人が、私達を待ち構えていた。





「待っててね、アドルフ。私が全部、終わらせるから」

「すまない……」


 私はアドルフを物陰に横たえると、擬人へと向き合った。

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