第121話 復興する地球
――太一が【ゲート】を破壊してから、5年の月日が流れた。
かつて【ゲート】があった場所には、神殿が建てられていた。
空に浮かぶその人工島には、水神の加護により碧壁の結界が張られ、当主へ危害を加えるものは誰一人として侵入が許されなかった。結界から流れ落ちる流水は滝となり、海へと降り注いだ。
滝つぼの水しぶきで空には大きな虹がかかり、それはそれは風光明媚な場所であった。
そんな神殿の初代当主であるのが、アナスタシア・ミーシナ・ワタセだった。
彼女がこの神殿の外へ出ることは滅多になく、出かける際には必ず護衛――現代における実力者No2と名高い、先の大戦で英雄達と共に戦った九尾狐の妖怪――を引き連れて行くことになっていた。それくらい、当主の危機管理には最大限の注意が払われていた。
「おかあさーん」
神殿の外で自分を呼ぶ声が聞こえて、祈りを捧げていたアナスタシアは目を開けた。
それは最愛の娘の声だった。
「おかえり、リツカ」
アナスタシアは神殿の外へと出迎えて、駆け寄って来た娘を抱き上げた。
太一とアナスタシアの娘はすくすくと成長していた。
5歳となり、今年から加護者が通うスクールへ通学を始めていた。
「そ奴はなかなか見込みがあるぞ。さすがは太一殿のご息女だ」
「ふふ、ありがとうタマモ。あなた程の人に、悪いわね」
「よい。そなたとこの娘の命より大切なものなど、この星には他に在りはしないのだから」
アナスタシアは困ったように笑ってから、深々と頭を下げた。
――あれから、地球上は大きく変わった。
数多の大国が滅び、人口が激減した人類は、転換の時を迎えていた。
人類の歴史とともに常に人を隔てていた、国家という区分けを撤廃したのだ。
その昔、太古の人類がこの星で侵略者と一丸となって戦っていた頃にそう名乗っていたように。
対ダンジョン協会は、全人類法制統治協会へと名前を変え、人の繁栄の礎となることを誓った。
【主】が地球を去って当面の危機は去ったとはいえ、S級ダンジョンがまだ2カ所も地球上には残されていたし、各地に散った擬人たちの残党を撲滅するには、まだまだ時間がかかりそうであった。
ようやく屍人となってしまった人間たちの浄化処理がひと段落ついた時点で、アナスタシアは神殿へと身を寄せることを決めたのだった。
「リツカ、学校は楽しかった?」
和を感じさせる客間へと玉藻を招いてから、アナスタシアは茶と菓子を二人に振る舞った。
ずずずず
ばくばくばく
「うんっ、たのじがったヨ!」
「あはは、まだ口の中いっぱいいっぱいだったね」
アナスタシアは苦笑したが、娘の笑顔が何よりもうれしかった。
娘の担任の教師は、あのクリス・オーエンスだと聞いている。
彼が政治や軍事ではなく教師を選んだことにびっくりした人は多かったが、ああ見えてとても面倒見のいい人だ。きっと娘も、色々と目にかけて可愛がってもらっているのだろう。
リツカは既に、龍神の加護、水神の加護を幼いその身に宿していた。
自分も太一もまだ生きているのに、完全なる加護が引き継がれることは異例と言えた。
『テレポート』の行使を絶やさぬよう、自分の血族にはこれからも特別な継承が為されていくのだろう。
「そういえば、そろそろ裁判の第一審が始まるらしいな」
アナスタシアはそう聞いてはっとした。
ようやく……いや、こんなに早く、というべきか。
彼を裁く体制が整うくらいには、人類は持ち直し、被害の全容が明らかになってきたということなのかもしれない。
「エウゴアの死罪の是非を問う――裁判ですね」
「あぁ。わらわからしたら、あのような狂人、さっさと――してしまえばいいのにと思うがな」
一応、娘に気遣ってくれたらしい。
「…………そうかもしれませんね」
そう言いながらも、アナスタシアの気持ちは――ひとえにそれだけではなかった。
この身が彼から受けた過去の憎しみはまだ完全に癒えてはいないが――狂人であった彼が目指した場所は、あながち全くの間違いではないのではないかと思ったからだ。
彼の主張は、外敵の脅威に対して、人類全体へ平等に負荷を強いて、強制的な種の進化による対処を行うべきだった、というもの。
今の、『何億もの人類のうち、たったの一人がその全責任をもって対応に当たっている現状』が果たして正しいのか。そう彼は自己弁護で主張しているそうだ。
「長い裁判になるでしょうが――その決着は、私達以外の、生き残った全ての人々の総意にまかせましょう。太一がエウゴアを生かしたのには、きっと何か理由があったのでしょうから」
「――そういうものか」
「裁判のことより、雪ちゃんはどうしてるんですか?」
「あぁ。あの現代最強か」
そう言う玉藻の声は面白くなさそうだった。
「あの風雷娘なら、何が楽しいのか、相変わらず軍アカデミーに籠りっきりよ」
「……そうですか。彼女はまだ――諦めていないのですね」
雪の意識が戻ったのは、あれから数日が経ってからだった。
あの日、太一が既に【ゲート】の向こう側へと渡ってしまった事を知らされた彼女の反応は……誰もが目を覆いたくなるくらい、悲痛なものだった。
だが、太一が残したという伝言を聞いた彼女は、周囲も驚くほど早くに平静を取り戻した。一体、太一は彼女に何を伝えたのだろうか。今でも不思議だ。
でも、そういうところが彼の才能だったのかもしれない。
そしてそれからというもの、ずっと雪は神域へと至るためのワープ装置の研究開発に没頭しっぱなしだと聞いている。
魔素を手にした人類の魔導科学の進化は目まぐるしいと聞くが、それでも、神々の奇跡を超える御業を人為的に引き起こすには、まだ到底至っていない。
あのルシファーでさえ手を焼いていたワープ装置の開発となると、恐らく――自分達の命あるうちに達成できるような代物ではないだろう。
「シェル君はずっと彼女のそばに?」
「――らしいな。心配なんじゃろうて」
「そっか」
なら、少しは安心かもしれない。
彼は、ちょっとスケベな所はあるけど、きっと雪ちゃんのことを、とても大切に思っているはずだから。
「アレキサンダー殿も、変わらず忙しくしておるようじゃ。したくもない政の大半が、あの御仁の両肩に乗しかかって来ておるのじゃろうからな」
「アレクは相変わらず苦労が絶えないわね……。リーリャさんとは仲良くしているのかしら?」
「わらわはそこまで知らぬ。じゃがあの軍人娘もまた、軍部の最高責任者としてアレキサンダー殿を支えておる。今はそれでよいのじゃろう」
「そっか……」
――皆、新たな世界で、新たな人生を踏み出そうとしている。
アナスタシアは、自分はそうではないという疎外感が、ないと言えば嘘になると思った。
でも彼女は、今の生活に十分過ぎるくらい、満たされていた。
最愛の娘との二人だけの――静かで、穏やかな生活。
その中で、ほんの時折だけ感じられる、か細い魔素の糸の気配――。
それを感じていられるだけで、彼女はとても幸せだった。
――今日は珍しく、大切な客人がもう一人訪れる予定となっている。
もうそろそろ、あの賑やかな声が聞こえてくるに違いない。
「ぉーーーい、ナーシャさーーん、リツカちゃーーーん。次郎おじちゃんが、お土産とお土産話を、たんまり持ってきましたよおおおーーーーーーー」




