第115話 真実に触れて
雪は、流れ込んできた膨大な記憶を整理していく――。
第二次侵略戦争が引き起こされた後――人類はほどなくして、絶滅した。これは確からしい。
つまり……。
「私達は、この地球で……二度目の人類なのか」
「そうです」
ルシファーは淡々とそう答えた。
あの後……流星群のように飛来した擬人達の船が地球を襲った後――の記憶は、殆どが断片的なものとなった。
アイン……あの、私とそう歳の変わらない少女の肉体的・精神的ストレスが危機的なものとなったためかもしれない。
アカデミーという軍の一部であった研究機関は、第一次侵略戦争で大量に発生したヒトの魂を材料に人造の神を造り出した。アインはその後約100年の研究を経て造り出された、ヒトと人造神の魂を集める習性を持った人造神、『和神』をその身体に埋め込まれた二番目の実験体の子供だった。
『和神』を造った目的は、人類を上位存在である限定個体へと昇華させ、種の滅亡を防ぐことだった。
「着想がエウゴアとよく似ていますよね。それが面白くて、私はあの男を飼っていたのです」
ルシファーは小さく笑った。
――アカデミーが設立した『学園』は当初、優れた人造神をもつ子供を兵士にする施設だったが……途中からそこは、アインのための実験施設へと変貌していった。
そしてルシファーはまた、終ぞアインが知らされなかった情報の補完を始めた。
「二校あるうちのもう一方の学園にいた子供にも『和神』が埋め込まれましたが、その子供は死亡しました。無理矢理に同級生たちを殺させたことで、大量の怨嗟と共に入って来た魂に身体と心が拒否反応を起こしショック死したようです。アインは……その反省を踏まえて随分と慎重を期すこととなりました。アインを戦地に送って亡くなった加護者の魂を少しずつ吸収させつつ、アインが親しくなった友人を彼女に武力で制圧させてから、戦地に送り出した。それで彼女はその子供のスキルを確実に得ることが出来た。実験は成功でした。そしてその後、同様の実験があの学園にいた全ての子供で行われるはずでした。子供達も、それを理解し、了解していました。人類の未来のためならばと。特に、彼女と親しかった者達は。だが……識者達の予想よりも遥かに早く終末は訪れ、結局アインがスキルを得られたのはゼルとリシェルという二人の友人からのみとなりました」
――そう、あの後、リシェルと呼ばれた少女はほどなくして、学園を襲った新型の擬人に食い殺されたのだ。そこから映像は乱れた。そして生徒の殆どが、その場で次々と死んでいった。
「アドルフとマルコの二人は、その後何年にも渡ってアインと共にレジスタンス活動を続けましたが、擬人たちの圧倒的な力の前に、ついに人類は絶滅の時を迎えることとなりました。彼ら三人が這う這うの体で敵の宇宙船の一機を奪ったところで、マルコは死亡しました。アドルフは、既に彼の実力を超える程に強くなったアインと共に月を攻めましたが、そこで討ち死にしました。幸か不幸か、マルコとアドルフの死もまた、彼女の血肉となり大きな力となりました」
「待て。他人事のように言うが、ルシファー……お前がアドルフなんだろう。前にそう名乗っていたし、見た目が瓜二つだ」
「そうですね。ですが私は正確には……彼、アドルフではありません。私は、アイン……母が、亡くなったアドルフの死体から造り出した、完全なクローン体です。そしてオメガは、マルコの遺伝情報を使って作られたキメラです」
「アドルフだけクローン体を造った理由は……アドルフとアインが――愛し合っていたから?」
「そのようです。アインは長く――永い間をたった一人で戦い抜き、ついには擬人達を皆殺しにして月を制圧しました。そしてその時には既に大量の擬人の魂を食らい、身体と心に歪みを生じていました。そこで魂の休息を求めて禁忌の術を用いて造り出されたのが、私です。当然だがアインは私に、生前の、恋人としての役割を求めた。ですが私には…………」
そこでルシファーは天を仰いだ。
「――アインと過ごし、戦った記憶の……感情の……その一切が、私の中には残されていませんでした。――その事実に深く絶望して……いつしか彼女は、生命神への復讐のみを糧として星々を滅ぼして回る存在へとなり果てて行きました。私は、彼女の……母の、力になりたかった。ですが彼女は日に日に理性を手放し、心の中の深い檻へと沈み込んでいきました。ご存じの通り、今ではもう、言葉すら話せません」
雪はようやく、目の前の魔人が何のために、自我を失った正真正銘の化け物を手引きしてこの星に攻め入ったのかを理解した。
「ルシファー、お前がしたいことは……」
「……母を孤独から解放することです」
「そのために、私は……」
「はい。母の身体の一部として取り込まれて、しかし自我を失うことはできないまま、彼女の心を癒すためだけに永遠に近い時を生きる、奴隷となり果てるでしょう」
「……考えただけで吐き気がする。そんなことに利用されるくらいなら、私は自死を選ぶ」
「……で、しょうね。ですが、母は自分をこんな身体にしたアカデミーを……人類をもまた憎んでいますので、あなた以外の人類は必ずすべて滅ぼされるでしょう。そこでもし、あなたが素直に母の元へ下ったならば、母を説得し人類を生かすことも可能かもしれませんよ」
「……そん……な」
雪は目の前が急に暗くなっていく気がした。
なんで自分が、自分ひとりがそんな目に遭わなくてはいけないのか。
なんで地獄と地獄を天秤にかけたような崖の上に立たされなくてはならないのか。
「雪くん……」
話の端々を聞いていたシェルは、しかし到底二人の会話に入っていくことはできなかった。
「……まぁ落ち込むでしょうね。ですが、あなたをゲートの向こうに放り込んでから地球を滅ぼす――私がちゃちゃっとそうしなかった理由をまだ――話していません」
ルシファーはあっけらかんとそう続けた。
「――え?」
「え、じゃないのですよ。私も、母ほどではないですが悠久の歳月を生きる魔人。私も母と同じくゲートの向こうに進化の種を、一粒だけ残して来ていましてね。その気になればいつでも私の力だけであなた方は皆殺しに出来た。――それをしなかった、理由です」
雪は顔を上げた。
「統一神覚醒計画、その存在を知ったからですよ」
「それって……」
「そう、あなたのお兄さんの中に眠る神の力を取り戻すという計画ですね。今はなんと名乗っているのかは知りませんが、その神は、もともと母の中にいた、母が捨てた地球に取り残された『和神』の生き残りなんですよ。母はまったく気づいていませんがね」
「兄さんの中の『八百万神』が……『和神』と、同一のもの?」
「『八百万の神』ですか……なるほど、自然発生した神々が住まう美しき世界となった今世風の名前でしょうか。そうです。あれは実は狡猾な神でしてね、今回のあなた方人間の一連の動向、それは全て、あの神の掌の上で踊らされての結果でしょう。ですがあれは元々母と親しく――その意図する目的がどうやら――――私と近いようでしてね。それで私もひとつ、賭けてみようかという気になったわけです」
「……それはどういう……」
「さて、そろそろ話も長くなってきたのでここまでにしましょう。この最後の神が入った箱はどうぞお好きに」
「待て!私は決して、お前を許してなどいない!」
雪は大鎌をルシファーに突きつけようとして――あっさりとかわされた。
「すみませんが…………私が決着を付けるべき相手は貴女ではなく、覚醒した渡瀬太一です。貴女はその得た力を使って、彼が覚醒するまでの間、母を引き留めて差し上げてください。ミカエルの忘れ形見を受け取った、そこの貴方もね」
そう言い残して、ルシファーは姿を消した。
ダンッ!
「くそ!くそぅ!!!……畜生…………ッ」
雪は思わずしゃがみ込んで地面を殴りつけた。
なにがつらいのか、もうよく分からなくなっていた。
でもきっと、翻弄され続ける自分自身が、あまりにも悔しかった。
シェルはひょこひょこと彼女に近寄って、その背をさすった。
「雪くん…………」
シェルは、次の句を繋げるつもりはなかった。
行こう、などと言えるはずもなく。
しばらく彼は黙ってそうしていた。
そのうちに雪は涙をぬぐって、自分の足で立ち上がった。
「ごめん……もう大丈夫。行こう。……きっと兄さんたちが、戦っているから」
「……あぁ」
今度こそ二人は、神が封じられた箱を空けた。
そして最後の一柱は、空へと駆け上っていった。
長く続いた人間とダンジョンとの戦いは、今、終わったのだった。
崩れ落ちるダンジョンを駆け抜けて、雪は脱出の魔法陣を起動させた。
二人は最後に少しだけ後ろを振り返り、短く何かを呟いた。
そして、地上へと帰っていった。
墓標として添えられたミカエルの銃が、静かに二人の背を見送っていた。




