第112話 巨人と天使
俺達が海上へと這い出てまず目にしたのは、燃える基地の姿だった。
擬人達が世界中へ飛散してしまった後、それでも瀬戸基地は防衛を一手に引き受けていた。
というよりも、基地に擬人達が群がっているようだった。
理由は……?
――地下都市に人間が密集しているからか。
さっき擬人共が巣から飛び立った時に感じたが、あれは恐らくゾンビとしての――人を食害する欲――の性質を持っていた。
店長は黙って海の向こうの炎を眺めている。
守らなければならない人を背に侵略戦争を戦うとは、なんて酷なことだろう。
「すぐ基地に戻ろう。リーリャとクリスに加勢しなければ」
「えぇ。皆、つかまって」
ナーシャのテレポートで俺達はセントラルタワーまで帰還した。
クリス達と別れたタワーの頂上には敵味方の死骸が山のように積まれ、据えた匂いと煙があたりに立ち込めていた。
確かにルシファーと戦っていたはずのクリスとリーリャの姿はどこにも見当たらなかった。
『クリス……リーリャ、俺だ。太一だ。基地へ帰還した。応答してくれ。どこだ』
念話で二人に呼びかける。
――ほどなくして、返答が得られた。
『太一。あたしだ。クリスも無事だ』
リーリャの声だ。こんな状況だが、二人が無事と聞けてほっとした。
『タワーはもうだめだ。今はジオフロントの戦術ブロックエリアのA-3まで後退して、地上からの敵を防いでいるところだ。ルシファーは、繭の中からでっかい波動を感じるようになってから、どこかへふらっと消えちまった。今は状況はどうなっているんだ。アレクは無事か?』
『……俺達もそこへ行く。着いたら話すよ』
『……了解。待っている』
リーリャに伝えるのは……つらいな。
「ナーシャ、ジオフロントまで飛べるか?」
「ちょっと集中がいるけど、やれるわ」
ーーーーーーーーーー
「……そうか、アレクとジャンが……残ったのか」
魔導銃の掃射音と擬人の叫び声、兵士の雄たけびや悲鳴が遠くで飛び交う中で、リーリャはぽつりと俺の報告を反芻した。
彼女とクリスはルシファーとの戦いで身体のあちこちを消し飛ばされ重傷だったが、医務棟に運ばれ、なんとか生きてくれていた。
ナーシャがすぐに治療にかかり、みるみるうちに二人は欠損部位を取り戻し回復した。
容体が落ち着いたところで、俺は【主】の進化と、二人があの死地に残ったことを伝えたのだった。
「じゃぁ、今も海の向こうで花火みたいに聞こえる音も恐ろしい波動も、全部アレク達が頑張っているが為、か……」
「……そうなるな」
俺は頭を垂れた。リーリャがアレクをずっと想っていたことを知っている。
今この時もアレク達は命を削って戦ってくれている。正直、帰還は絶望的だろう。
「はは……。アレクは、本当に、出会った頃からずっと――恰好いいな。私も、頑張らなきゃな」
でもリーリャはそう言って小さく笑った。
「ナーシャ、現状のダンジョン攻略状況は?」
クリスがナーシャに尋ねた。『ダンジョンマップ』を投影し戦況をモニタリングするオペレーターの生き残りに聞くよりも何よりも、スキルの持ち主であるナーシャに聞くのが一番早い。
「S級は……残念ながらまだ生きているわ。でもC級の数は、全世界で残り50を切ってる。オナリン・ソサ部隊が全方面で展開し、破局の攻略を続けてくれている。これならきっと、数刻のうちにカタがつくわ」
そうなると、あとはロシアS級のみか……。
俺は遠く、雪とシェルの無事を願った。
「じゃぁ、これから、どうする?」とリーリャ。
クリスが基地の現状を説明した。
ジオフロントと地上をつなぐA層は隔壁でA1からA10まで箱状に区切られているらしい。
最浅層が1で、最深層が10だ。その下のB層には人造兵の貯蔵庫があり、そこを破られると、C層……市民たちが暮らす広大な地下都市が露わになる。そこから更に相当な層を降りていくと、Z区画には原初の魔素核と、ノアへと繋がる【芯柱】が封じられているということだ。
「諸国司令も無事だが、今ここにはいない。人造兵たちが力を発揮するには彼がもつ異能が必要でありオペレーションルームにかかりきりだが、彼の体力もぎりぎりだ。もしこの基地の守りが壊滅したり、新たな難敵に襲われた場合は……どうする」
それについては、譲れなかった。
「徹底抗戦だ。悪いが俺は逃げるつもりは毛頭ない」
「……そうだな。基地が落とされれば、滅亡までの秒針は一気に進むからな。では我々の方針はそのように」
「では私達も戦いましょう。班を3つにわけて――」
ナーシャが言いかけたその時だった。
ズゥゥゥン!
ジオフロント全体が大きく揺れた。
ズゥゥゥン!
何度も、何度もそれは繰り返された。
激しい衝撃で一部では天井が崩れ落ちてきた。
「何が起きている!」
クリスがオペレーターに呼びかけた。
「突如現れた岩のような巨人が、A区画の装甲を、な……殴りつけています!」
「なんだと!」
岩のような巨人……オメガだ。
これまた最悪な状況での登場だが、ルシファーだって出てきたんだ。あいつが出てきてもなんらおかしくはない。
モニターに映し出された地上の映像には、間違いなくオメガが映っていた。
だが……。
(なにか違和感があるな……。笑っている?しかも、不気味な笑い方だ……)
「あのような邪悪ではなかったように思ったが……化けたか?」
腕を組んでクリスがそう呟いた。
その表現に思わず頷いた。まさに邪悪そのものが体を成したという感じだった。
「A5層まで破られました。あと4層でここに到達します!人造兵の損耗率80%!ただし、敵モンスターも共に押しつぶされていっています」
……なに?
ちょうど違和感が最高点に達した時だった――。
「わーたーせーくん!あーなーすたしーあちゃん!外はお掃除しておいたから、少し話しーまーしょぉぉぉ!」
巨人が図太い声を裏返してそう叫んだ。
ーーーーーーーーーー
オメガの出現は最悪の事態ではあったが、瀬戸基地を攻めてきたモンスター達は大半が隔壁を打ち破ろうとへばりついていたため、奴の言う通り殆どがミンチと化し地上に静けさが戻っていた。
要求通り、俺とナーシャの二人は、ドラゴンの背に乗って地上へと飛び上がった。
巨大なオメガと目線が合う位置まで浮上する。
「ちゃんと二人で来てくれましたねぇ。偉いですよぉ」
俺が知る限り、愚直な武人であったオメガは、身をくねらせながら気色の悪い声のままそう続けた。
間違いない。これはオメガではない、別人だ。
そして、この状況でこんなふざけた態度をとる敵を、俺は一人しか知らなかった。
「お前まさか、エウゴアか……?」
「ピンポーン!大正解。感激です!さすが我が宿敵。姿がこぉんなに変わってもすぐ分かってもらえるなんて」
「おまえ……乗っ取ったのか」
雪とナーシャ。俺の大切な二人を人体実験にかけたこの男はまさに最も憎むべき俺の宿敵だ。ここのところ姿が見えなかったが、まさかオメガの身体を乗っ取っていたとは……。
「乗っ取る……たったそれだけのために目立ちたがりなこの私がこぉんなに長い間表舞台を去らざるをえなかったと思われるのは心外ですねぇ?私、仕事早いほうなので」
「じゃぁ何をしてたんだ」
くそ、質問を誘導されているのがまたイラつく。
「ふふん、月ですよ。渡瀬太一もご存じの通り、アメリカS級は地球に打ち付けられた巨大な杭。その先端は10万kmにも及びます。宇宙空間をものともしないオメガの身体でそこから月まで行って帰るなんて、飛行機で沖縄旅行に行くような感覚なわけです」
「月……?そんなところに一体何をしに……」
「何って、あぁ無知とはつらいですねぇ。全ての始まりがあったのですよ、そこにね。この物語の全てがね。でもでも、おしえてあげなーい」
「……」
「ま、私も詳しくは知らないのですがね!ぷぷ!あ、イラっとしましたか。いい気味です。私はそのなぁん倍もイラっとしてきたのですから。なぁん倍もね。まぁでも、もし?教えてほしいなら?じつりょく――デェツ!?」
したり顔のエウゴアの顎の下で突如、大きな水砲が破裂した。
盛大に舌をかんだのであろうオメガの口からだらだらと血が流れる。
おそるおそる後ろを振り返ると、ナーシャが無表情で杖を掲げていた。
「太一……。気になる情報はあるけど、この狂人とは話すだけ無駄です。いえあれはもうヒトですらない。【主】と徒党を組まれる前に、皆も呼んで今すぐ全員で殺しましょう」
「……あぁ」
確かにそうだ。気になる情報はあったが、今はこいつに時間をかけていられる場合ではない。
「ヒトか、ヒトではないか。その違いはなんなのでしょうか。ヒューマン……オアノット」
「世迷言をッ!」
「ごげぇ!」
今度は極大魔法だった。ナーシャは二発同時に放った水のレーザー砲を空中で同時に空間移送させて左右からこめかみを挟みこむという想像するだけで頭痛がする離れ業をやってのけた。
それで頭がつぶれることはなかったが、さすがに痛かったのかエウゴアは頭をかかえてうずくまった。オメガの時であれば考えられないくらい、隙だらけだった。
俺はすぐに銀極穂の柄の部分を巨大化させてその後頭部目掛けて『銀閃』を放った。
エウゴアの頭蓋はそれで、木っ端みじんにはじけ飛んだ。
「……あっけなかったな。ダンジョンの外なら、こいつも再生できないだろう」
「…………狂人は分からない……。本当に、何がしたかったんだろう」
だがすぐに、俺達の考えが甘かったことを思い知らされた。
エウゴアのはじけ飛んだ頚から頭部が、みるみるうちに再生したからだ。
「すっぽーん!みたくリスポーン!エウゴア★復活!!どぉっはっは!」
俺達は即座に距離をとり、警戒を最大にして武器を構えた。
「……なぜ、ダンジョンの外で再生できる?【主】による地球の神々の抑圧は完全ではないはずだ」
「太一ぃ、そんなチンケな種ではない。あのダンジョンはルシファーやオメガの部下たちの地球での研究施設を兼ねていたわけだが、過去の……うーんと過去の資料も残っていてね。今の【主】の肉体組成において大きなウェイトを占める生物達を量産していた地下施設が一部壊されずに残っていたわけさ。そこで私はこのオメガの肉体を独自に強化させて、また戻ってきたわけだ」
「お前、そこまでオメガの身体を完全に掌握していたのか」
「ンー、まぁそれならそれでよかったのだが、完全には無理だな。ある程度、この宿主の期待に沿ったからこそスムーズに事が運んでいるとも言える。――そんなことより、私があえて貴様ら二人に話をしに来た理由にいい加減触れなさいよ」
巨人は腕を組んで不満そうにしている。
触れなさいよ、って、知るかよ。
「なんだ、何が目的なんだよお前は」
あぁくそ、また誘導されてるな俺。
「ふっふーん、なかなか話してみれば、話せるではないか太一ぃ。いいだろう話してやろう。――共闘だ」
「……あ?」
「共闘してやろうと言っておるのだ、この私が、お前達と。【主】との戦いでな」
「ふざけないで!なんで今更あんたなんかに、背中を預けて戦えるわけないじゃない!」
「お怒りはごもっとも、ミス・ミーシナ。だが背中が云々言えるような相手かね?今は奇跡的にあの繭の中で誰かが時間を稼いでくれているようだが、それももう間もなく終わるだろう。――はっきり言ってやろう。今の君達だけでは【主】に攻められれば数分と保たずに全滅だ。私の助けが必要だと思うが?」
「ぐっ」
「理由を教えてくれ。ここまで来ればお前が単に人を裏切っただけとも言い切れない気がしてきた。本当の目的があるんじゃないのか」
「ふふん、太一、いいぞ。なかなかロジカルに話せるではないか。そうだ、私の目的は最初からただひとつ。『人類の救済』だ。当初は人間そのものを改造し高みに昇らせようとした。だがそれは到底間に合わない、その前に【主】の旅団に絶滅させられると途中で悟ったさ。だから私は方向性を変えた。私そのものが究極進化を遂げて、劣等きわまりない愚民たちをこの手で導くのだ、と」
「もしかしてお前は……」
「そうだ。私は、主の肉体を手に入れるつもりだ。そのためには奴を身動きがとれないレベルまで弱体化させねばならん。もう既にルシファーとは袂を分かったのでな。利用できるのは貴様らのみということだ。特に太一、貴様が覚醒すれば相当に強化されるという見立てらしいではないか?それまで時間を稼いでやろうと言うのだ。悪い提案ではなかろう。だがそれでも【主】を倒すことは不可能だ。あれは封じるしかない。私の身体にな。どうだ、悪い提案ではなかろう」
……悪い提案に決まっている。
正直、全力で拒否したい。
だが、俺達がとれる選択肢は多くない。
「……万が一、本当に【主】の身体を手に入れたら、お前は地球の人間には手をださないと誓うか?」
「フン、偉そうに。まぁよい、愚民にさしたる興味はない。私は哀れな奉魔教徒たちに魂の祝福を分け与えて、私だけの王国を作る。それでよしとしようではないか」
俺はナーシャの方を見た。
彼女は首を横に振った。「任せる」とのことだった。
「……いいだろう。だが必ず約束は守れよ。違えたら、俺が必ずお前ごと滅ぼしてやるからな」
「ふふん、いいだろう。守ってやろうではないか、お前たち弱卒たちをひっくるめてな。ふぁーっはっはっは!!」
こんなのに頼るしかない自分が情けないが――。
今は、泥を啜ってでも生きなければならないんだ。アレクに報いるためにも。
ーーーーーーーーーー
「先程、ついにC級ダンジョンが全て、踏破されました」
ナーシャが報告をくれた。
オナリン・ソサがやってくれたのだ。
管制塔は大いに沸いた。
アレクが稼いでくれた時間は決して無駄ではなかった。
あとは、たったの一つ――。
たったの一つだ。
ビシッ
ビシッ
ついにドームにヒビが入り始めた。
アレクが施してくれた封印が破られていく。
ひときわ大きな音がして、壁の大部分がはじけ飛び、海に落下した。
そこから這い出てきた天使は、能力が強化されただけでなく、外見もまた変貌していた。
頭にわっかのようなものが付いて、翼の数が増えて、手には槍のようなものを携えている。
「aaaaaaaaaaーーー!!!」
その咆哮だけで、海全体が平伏したように波一つ残さず平らになり、陸地は大きく揺れた。
衝撃波で瓦礫が崩れ、ジオフロントへの入り口は露わになっている。
多分【主】はルシファーに誘導されて、地下の【芯柱】を壊すつもりだ。それで地球から根こそぎ持っていくつもりだろう。バイト仲間、店長の家族、この町の人たち、避難してきた人たち、ひいては、地球に生き残った人たち全員の命。それがこの戦いの勝敗という天秤の一方に賭けられたものだ。
やるしかない。たとえ彼我の戦力差があまりにかけ離れていようとも。
俺、ナーシャ、店長、リーリャ、玉藻、クリス。
「和装と合わない」と最後まで着ようとしなかった玉藻も説得して、全員が重魔装外骨格を着込んでいる。和装とパワードスーツというものも中々悪くなく、玉藻も十分に着こなしており、褒めると満更でもなさそうだった。
骨格には基地の地下に眠る原初の魔素核をなんとか僅かに削りだしたものを飲み込ませた特注品となっており、アレク程ではないが、圧倒的な格上ともわずかな時間であれば戦えるはずだった。
生き残った人造兵部隊も、地上で出撃の合図を待っている。
エウゴアはジオフロントの上で仁王立ちをしている。
――全員、崩れかけのタワーの頂上で覚悟を決めた。
ドォッ
海を割りながら、槍をかかげた天使が一直線に飛来してくる――。
ガチィン!
ドゴォッ!
ジオフロントへの入り口が大きく陥没しながら、エウゴアは槍の一撃を手に持った石柱で食い止めた。石柱の岩肌には謎の光る文字群が躍る。
突風が吹き荒れ、俺達が足場にしていたセントラルタワーはそれで完全に崩落を始めた。
「はっはぁ!最初からスキル全開で行かせていただきますよ。マイマザーあぁぁっぁぁぁ!」
機体のスラスターを吹かせながら、六機は巨人たちの頭上で気を滾らせた。
そして――。
「俺達も行くぞ!」
「おう!」
俺達は守るべきものを眼下に収め、神に等しい敵へと戦いを挑んでいく。
無慈悲で、無残な――。
最後の戦いが始まった。
ーーーーーーーーーー
ロシアS級は、ダンジョンマスターを失ったことで、少しずつ崩落を始めていた。
「この箱の中身がきっと、このダンジョンに封じられた神ね」
「あぁ、長かった我らの任務の目的だ。すぐに解放しよう」
雪とシェルの眼下には、古めいた宝箱が一つ、置かれてある。
彼らは膝をつき、震える四の手でもって、その箱に手をかけた。




