第111話 風と雷
シェルは雪が優勢になるタイミングを待ち続けたが、そのような機会は終ぞ訪れなかった。
雪は随分と追い込まれている。
かといって、自分がミカエルとサシで勝負でもしようものなら一秒と保たずに殺される自信がある。
雪が戦えているうちが勝負なのだ。
超級回復魔法を使えるのが数回程にまで残存魔力が減った時点で、彼は勝負に出ることにした。
ズシン、ズシン
土の巨兵は重い体を動かし、ミカエルの元へと向かってきた。
「ふうん、ついに君が動くのか、シェル。でもそんな動きの遅さで一体何ができるのかな?」
そこでミカエルは違和感に気づいた。
既に巨人は魔法陣から離れているからだ。なぜ魔法が維持できているのか。
ミカエルが五感を研ぎ澄ますと、重厚な足音に紛れて擦れるような音が聞こえた。
巨人の図体で隠してはいるが、目を凝らすと魔法陣に杭が打ち込まれて、そこから鎖のようなものが巨人の背中へ伸びていた。あれもシェルが魔法で作ったものなのだろう。すなわちあれを切ればシェルの魔法は解けて、彼はひ弱な生身を晒すことになる。
ミカエルが余所見をした隙をついて雪は果敢に風魔法剣で切りつけた。身体に当たりさえすれば殺傷力は神威により雪が勝るが、純然たるステータスの差により躱され押し返され、雪は電撃や斬撃による手痛い反撃をくらうばかりだった。だが雪は決して手を休めることはなかった。今シェルが魔法陣を解除されたら彼は絶体絶命だからだ。
ミカエルは雪の攻撃を捌きながら、しかしシェルに舐めてかかるつもりもなかった。彼には多彩な極大魔法があるし、何よりも自分が持たせた宝雷剣がある。あれが自分を弱体化させるのは本当だ。つまり、あれをこちらに当てれば向こうの勝ちが確定、防げばこちらの勝ちがほぼ確定する。
ミカエルはまだ雷断という奥義を使っていなかった。雪を殺すわけにはいかないので使用対象はシェルになるが、切断する攻撃のため、シェルの生身の位置が分からない今は隙をさらすリスクもあった。
『銀雷』
バチバチッ
ミカエルは魔法を選択した。雷の刃が鞭のようにしなり、シェル、雪の頭上から襲い掛かる。
予測された通りシェルの土壁が雷を完全に遮断したのか、その動きを止めるには至らなかった。
だが雪は別だった。彼女が雷魔法を防ぐ手立ては神威しかないが、それを十分に練らせるほどの時間は与えられなかった。
「ぎゃッ」
雪は不十分な防御で直撃を食らい、意識が飛びかける程のダメージを負った。ほぼノータイムでシェルが回復魔法で立ち直らせるが、ミカエルの狙いはシェルだった。
「もらったよ」
ミカエルは、シェルでは視認もできない程の速度でその背後に回り込み、鎖を切り捨てた。あとは落ちてくる生身のシェルを切り捨てるだけ……の筈だった。が、巨人化は解けなかった。
「なに?」
一瞬の隙が出来ることを予期していた雪が駆ける。溜めが必要なため面倒がってめったに使わない風来陣を展開して敏捷を大幅にブーストし、ミカエルを風魔法剣で斬り付けた。傷は浅くたちまち治癒が始まったが、そこに出来た大きな隙により、ついにシェルの土巨人がミカエルを手に掴んだ。
雪は消滅の力をもってミカエルの頭部を消そうと駆け寄る――。
「……惜しかったね」
ミカエルの目が一瞬光ったかと思うと、土巨人の手がはじけ飛んだ。空振りした雪は腹部を思い切り蹴り上げられ、血反吐を吐いて昏倒した。そしてミカエルはふわりと浮き上がり土巨人の胸に手を当てた。
「終わりだ、シェル。『破導』!」
ミカエルが深層に降りて最後に取り戻した、彼自身のオリジナルのスキルだった。自身を音響兵器と化して触れた対象を粉々にする奥義。
「バラバラ――に……」
確かにそういうスキルではあるのだが、巨人の身体は全て均一な土くれへと還った。
ミカエルが違和感の正体に気が付いた時。
――既に彼の左胸には背後から短剣が突き立てられていた。
刺したのはシェルだった。
そして彼のステータスでミカエルを傷つけられる武器は、宝雷剣に他ならなかった。
「が……はっ」
口から大量の血を吐いてミカエルは地に両膝をついた。
ステータスが大幅に減弱し、心臓まで潰された。普通であれば間違いなく即死だが、力を取り戻したミカエルが持つコアが、なんとかその身体を生き長らえさせていた。
「何か言い残すことはあるか?」
シェルはチャクラムを彼の首筋に押し当てていた。
「はっ……は、いや、ない」
「そうか、ならば――」
シェルは、ミカエルの首を切断しなかった。
「……なぜ?」
戸惑うミカエル。
「うるさい。どうせもう戦えんだろう。ならば、何故こんな馬鹿なことをしたのか、雪くんが目を醒ましたら、ちゃんと自分の口で説明するんだ。いいな!?」
「は……。わかったよ……シェル」
ミカエルは大の字になって地面に倒れ込んだ。
シェルにはもう超級回復魔法を唱える魔力が残っていなかったため、雪に施せたのは中級回復魔法だけだった。本当は上級ポーションを飲ませてやりたかったが、ミカエルから目を離すつもりはなかった。
「――ねぇシェル。いつから……ごほ、君は巨人の中から姿を消していたんだい?ごほ、そしてどうやって僕にこいつを突き刺せたんだ?冥途の土産に教えてよ――」
ミカエルは胸に短刀が突き刺さったままシェルに尋ねた。
血は少しずつ流れ出て、地面に血の池を作り始めていた。
「……最初からだ。巨人化した後、お前が雪君と戦い始めてすぐに脱出し、それからはずっと魔法陣の上で巨人を遠隔操作しながら、もう一つの魔法を使い続けていたんだ。極大級水魔法「ミラージュヴェール」。姿と気配を消す魔法だ」
「はは……。なるほどなぁ。ごほ、風魔法で雪ちゃんをブーストさせるのに専念してくると思ったら、まさかね。……わざとらしく鎖を付けたりしたのも、注意をそらすフェイクかい?」
「そうだ。生憎、私は水が一番得意なのでね」
「恐れいったよ。僕の、完敗だ――」
ミカエルが戦意を失ったと判断し、シェルは彼に初級回復魔法をかけた。
それで、ひとまず流れる血は止まったのだった。
ーーーーーーーーーー
意識を取り戻した雪は、シェルに変わって大鎌をミカエルの首につきつけていた。
「やっぱり首に添えるといえば大鎌だよね。雰囲気が出るよ……」
「ふざけないで。ミカエル、あんた一体なにがしたかったの。頚を切り落とす前に、ちゃんと答えなさい!」
雪は真剣に怒っていた。
「もう答えたじゃないか。君が、君とシェルが好きだったからさ。それ以外に理由なんてない」
「答えになっていない!」
「――嬉しかったんだ。僕は、この星に異物として産まれたのに、受け入れてほしかった……。存在が、異端だった。だから人間と融合した。そして雪ちゃんとシェルと過ごす時間の中で、なんだか、家族ができたみたいで。ちゃんとした根が張れたようで――それが嬉しかった」
「……」
雪は二の言葉を失った。
それはシェルもまた同様だった。
「【主】が雪ちゃんを狙っているのは本当。そう誘導しているのはルシファーだ。もし地上に出たら執拗に狙われて、きっと地獄を見る。ここを出たことを後悔する程に……。でも――」
「でも、なによ」
「でも――君がここでじっとして滅びを待つのを望まない事は――そんなことは誰よりも僕が分かっている……つもり。だから僕は、最後に、君の力になりたい」
「動くな!」
雪の、ミカエルの首の添えた大鎌を持つ手に力が込められた。
――が、その刃が振り下ろされることはなかった。
雪の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「私達の気持ちを弄んで……振り回して……殺し合いまでしておいて……それで言いたいことばっかり言って………………」
「ごめんね。君達が好きになってからは、何度も自殺しようかと考えたんだけど――どうしても出来なくって」
「うぅ……なんでお前、いい奴なのに、S級ダンジョンマスターなんてやってんだよ……ちくしょう」
シェルも雪も、ぼろぼろと泣いた。
それをじっと眺めながら、ミカエルは微笑んだ。
「……やっぱり、僕は人間になれてよかった。短かったけど、満足のいく人生ってやつだった。――雪ちゃん、どのみち僕は死ぬ。だから、最後に僕からせめてもの罪滅ぼしをさせてもらえないだろうか」
雪はミカエルの目を見た。
そして短くかぶりを振った。
「…………もう、好きにして……」
カラン
雪が手放した大鎌が、軽い音を立てた。
「ありがとう、じゃ、遠慮なく……」
ミカエルは最後の力を振り絞って身体を起こすと。
――おもむろに、雪の口にそっと自分の口を重ねた。
雪は一瞬理解が追いつかなかった。
が、次の瞬間、ミカエルは思いっきり雪に殴られた。
「ぐへぇ!」
「ななな、何すんのよ!」
顔を真っ赤にした雪だったが、何か新たな大きな力が、自分の中で渦巻き始めているのを感じた。
「あいたたた。もー殴ることないじゃん。今のが……正真正銘……僕の最後の命……だったんだよ」
そう言ってまた、ミカエルは地面に倒れ込んだ。
「ミカ……エル。あなた……」
「口寄せ――っていうらしい。僕が融合した胎児が、たまたまそういう事が出来る一族だったらしいんだ。自分の力を他者に委ねることが出来る。キスするのが一番……確実なんだって。だから決して、下心があったわけじゃ……ないんだ……」
「……」
「…………はは、やっぱ今のなし。半分は……下心」
「…………あっそ…………ッ」
「僕の中の雷神を、君に移植した。風神と雷神は元々は一ツ神だったらしいから、君ならきっと……制御できる。上手く制御できれば……【主】から……逃げることくらいは……できるといいなって」
「まぁ、有難く受け取っておくわ……」
雪はまだ顔を赤くしたまま、口の周りについた血を拭った。
「あとシェル。君は器用だけど、決定打に欠けるから……。僕の命を吸ったこの剣は、なかなか強力になった筈さ……。君専用だから、有効活用してね」
「あぁ。ありがとうな。恩に切るよ」
ここまで来て二人は、ミカエルが本当は自分達を殺すつもりなどなかったことを、ようやく心の底から信じることが出来た。
「……実はもう……眼も見えないんだけど……最後に、また前みたいにエルって、呼んでほしいなぁ」
「あぁ、エル。私がついてるからな。寂しくないぞ」
シェルはだばだばと涙を流しながらミカエルの手をとった。
雪は、うまく喋られないでいた。
名前を呼ぶくらいなんてことはない。もうとっくに彼のことを許したし、感謝もしている。
ただ、過去に大切な人達をいっぺんに失った光景がフラッシュバックのように頭を流れて、うまく喋られなかった。
「……雪、ちゃん」
「雪くん、最後だ、呼んでやろう」
「あ……あの…………私…………」
雪の涙がぽたぽたとミカエルの顔の上を伝った。
ミカエルはそれを感じとって、小さく笑みを浮かべた。
「雪ちゃん。……長生き……してね」
そして、ミカエルの身体から力が完全に抜け落ちた。
「あぁ……エル。エル。エル………………!」
雪はミカエルの頭を抱きかかえた。
「エル…………」
――穏やかな最期だった。
次第にミカエルの身体は光る粒子となって消えて行き、後にはひとつ魔素核と、刀身が黄金色に輝く宝剣が残されていた。
雪とシェルは、その光の粒が完全に消えてなくなっても、いつまでも彼の名を呼び続けた。




