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第109話 かつての友と

 天井から地面まで真っすぐに、ガラス質の大きなシリンダーが伸びている。

 その手前にある操作パネルのような装置に、彼は腰掛けて佇んでいた。

 

「よく来てくれたね。雪ちゃん、シェル」

 慣れ親しんだ声だった。

「僕はこのシリンダーの中で生まれ育った…正確には産まれ直った。特等支柱になる前の記憶もあるから――」

 

「聞きたくない」

 雪はミカエルの続く言葉を遮った。

「お前の目的は一体なに。今まで一緒に戦ってきたのは、全部嘘だったの?」

「いや違う。雷神の加護を得るために僕はレベル1から始める必要があった。さっき意図せずして力を取り戻すまで、実力を偽ったことはないよ。不死鳥フェニックスにやられたときも、あそこで死んだなら……それはそれで良いと思っていた」

「嘘だ!地球をダンジョンなんてものでめちゃくちゃにしてまでお前たちはこの星を根こそぎ手に入れたかったんだろ!やる気のないフリなんかして、お前だってただの侵略者だろうが!」

 平静なまま答えるミカエルに対してシェルは叫んだ。

 ミカエルはややおいて、ゆっくり語り始めた。


「君たちは、特に雪ちゃんは知る権利があると思うから、僕が知っていることを全部話すよ。――長い間、【主】の行動原理は、復讐だったという。彼女は確執があって恨んでいた生命神イグニスが生み出した生命体を、悉く滅ぼし、力を得るために取り込んでいった。その過程で、彼女はいつからかヒトとしての原型も、心も失っていった」

「え、生命神イグニスって、創造神じゃないか――?」シェルは目を見開いた。

「うん、でもその部分だけはルシファーも教えてくれなかったから知らないんだ。続けるね」

「1億年もの長い長い時間をかけて彼女は復讐の旅を続けて、ついにその目的を達成した。彼女は傘下を全て失った生命神を滅ぼしたんだ。偉大な生みの親のような存在を、ね。だから残念ながらこの宇宙には地球を除いて生命体はもう殆ど残っていない。――壊れた彼女の心が最後に故郷である地球を求めた時、地球には新たな人類が誕生していたことが分かった。彼女は歓喜したが、その時既に彼女は地球からあまりにも遠く離れ過ぎていた。だから侵略の度そうしてきたように、彼女は対象物を転送するスキルを使って、はるか遠くへと転送させるためダンジョンを種状にしてから地球にばらまき、成長させ、彼女を地球へ転送させるための【ゲート】を育てさせた。以上が、今回の地球を襲った危機の発端さ」

 雪もシェルも唖然としていた。

「一つの惑星を墜とすと、生命体群を自らに取り入れ、馴染ませ、また新たな星を侵略するための種を蒔き、実行する。そんなことを1億年も続けてきたのさ、彼女は。まったく正気の沙汰じゃない。というより正気をなくした彼女がここまで来られたのは、ルシファーとオメガのおかげだ。あの二人はここで産まれた僕達とは全くモノが違う。彼らこそが彼女の唯一の近衛兵であり、複製体クローンである彼らは遠征のたびに同一存在として産まれ直し、育った【ゲート】を通じて記憶を、魂を受け取ったという」

 ミカエルはふぅと息をついた。

「【主】の目的は……なんなの?」

 雪は震える声で尋ねた。

「人類が誕生して喜んだって……。地球に帰ってきて……一体なにがしたいの」

 妙に落ち着かなかった。気分がざわついて仕方がなかった。

 ミカエルはそんな雪をじっと見つめて、思わず首を横に振った。

「これは君には残酷な話だが……復讐を終えた彼女が欲しているのは……心の安寧、補填。彼女は1憶年の歳月を経て、自分の精神を保つためには同じ人間の、他者が必要であると、判断した。それも複数体であってはならず、自我を保つためには一個体が必要だと。だから彼女の肉体と適正のある人間の個体をその体内に不完全な状態で融合することで、()()()()()()()()()()()()()状態を維持したいと考えている」

 雪は、もし自分がそれに選ばれたら、と想像した。

 肉体はほぼ失われ、死ぬことすらできず、身動きひとつとることもかなわず。

 精神だけが、正気を失った化物との対話を強いられる。

 そんな永遠。

「――おぞましい」

 雪は顔から血の気が引いていた。

「うん、そうだね……。そして、その相手に選ばれてしまったのが雪ちゃん。君なんだ。君こそが、地球上で最も【主】の肉体との融合に適正があると判断された」

 雪は今度こそ、眩暈で倒れそうになった。

 創造神を殺したような存在が、自分個人を標的としている、と。

「ふざけるな!!」

 シェルはミカエルの胸倉をつかんだ。

「よくもお前、雪くんがそんな目に遭うなどと平気で言うなよ!お前が血も涙もない化物の仲間だってこと――」

「……放せよ」

 ミカエルは目元を歪ませると、電撃でシェルを麻痺させ、痛烈な回し蹴りをみぞおちに食い込ませた。

「がッ」

 吹っ飛んで壁に激突したシェルは、胃の中身と共に血反吐を吐いた。

「僕はS級のダンジョンマスターなんだよ?温情は、今のが最後だ」

「シェル貴様!」雪は大鎌を手に、ミカエルに飛び掛かろうとした。

「待て……雪くん。ただ雪くんを【主】に引き渡すためだけなら、こいつはここまで回りくどいことはしない。……なにか目的があるはずだ。……ミカエル、話を続けろ」

 回復魔法を自分にかけながら、シェルは立ち上がりミカエルを睨んだ。

「……意外と冷静に判断できてるんだね、シェル。そうだね、僕は目的があって、わざわざ雪ちゃんを最深層まで連れてきた」

「目的ってなに」

 雪は訝しんだ。

「……僕はね雪ちゃん、君のことが気に入った。好きになったんだ」

「……は?」

 雪は固まった。今度こそ、頭が完全にパンクしていた。

「君をそんな目に遭わせたくない。だから僕はここに君を匿いたいと思っている。このダンジョンの転移装置は僕が完全に掌握したからルシファーも入ってこられないし、【主】は巨大すぎて出来ることはここを破壊することだけだ。幸い、供物のための候補として捕まっている実験体は他にも大勢いるから、いつかはルシファーも諦めて、他の人間を彼女に提供するかもしれない」

「いつかって……その間に地上は……兄さんは」

「当然君を匿うためにS級ダンジョンが残存することになるから、君のお兄さんは覚醒できない。お兄さんもろとも、他の人間は……正直、助からないだろうね」

「――そんな」


 雪はわずかだが躊躇した。

 地上に出ていくのは……怖い。

 ミカエルが自分をここに幽閉しようとする理由が彼なりの善意であることも、おそらく嘘じゃない。

 彼と過ごした、わずかだが楽しかった時間が思い起こされる。

 【主】に囚われたら、死ぬまで――いや、下手すると永遠の――生き地獄が待っている。

 だがそれでも――。


 (それでも、私は)


「私は……元より、永遠と思われた牢獄から兄さんに救い出してもらった身だ。今更わが身可愛さに躊躇うことがあろうか。私は、ミカエル、お前を殺してここから出ていく」

 

 雪はミカエルにそう告げた。迷いのない顔だった。


「そう……」

 ミカエルはそれきり黙り込んだ。

 雪もシェルも、深い静寂が一帯を支配したような感覚を覚えた。

  

 ややおいて、強い殺気と魔力が膨れ上がっていくのを感じた。


「シェル、今すぐ魔力を練って」

「本当に残念だけど、でも……それでこそ雪ちゃん、なのかもしれないね」

 言葉と裏腹に、ミカエルは笑っていた。

「では、勝負といこうか。僕は雪ちゃんの命まではとらないけど、【主】の目的のためには全く五体満足である必要はない。幸い、脳だけになっても人を生かせるだけの装置がここにあることだし?」

 ミカエルは無邪気な笑顔で背後の装置を指さした。

 雪もシェルも、その人ならざる冷徹さを前にして、逆に覚悟が定まった思いだった。

 既に濃厚な死の気配が漂っていた。一瞬でも気を抜くとまばたきをした瞬間に終わってしまうと、雪は直感的にそう感じた。

 雪は第一から第三までの神威を一気に開放した。


「シェルが一瞬で死んでしまわないよう頑張ってね」

 そうぽつりと言い残すと、ミカエルの姿がかき消えた。


 ギィン!!!


「……あ」


 シェルのすぐ目の前でバチバチと雷鳴が空気を裂いている。

 本当の刃のように鋭利な手刀が、彼の眼前から間もない位置で寸止めされていた。


 ギリ、ギリ、ギリ

「……ぐッ」

 間一髪、雪が間に刃を割り込ませたのだった。

「ハァッ!」雪はミカエルを押し戻した。ミカエルの手には一筋の血が流れた。

「いいねェ!さぁ、互いの生を賭けて、命の取り合いを始めよう!」

 ミカエルは拳銃の先端に短い銃剣を取り出した。

 二人はそこから、激しく切り結び始めた。


 ギィンッ!ギィンッ!ギィンッ!


 それは、いつかのダンジョンでの一幕を思い起こさせた。

 シェルの目には雪の動きもシェルの動きも、かすかに残像が映るのみ。

 突風と雷鳴が凌ぎを削り合う。

 時折、空に現れる花火のように、火花と鋭い金属音だけが宙を走り回っている。


 (雪くんが止めてくれなければ今ので自分はあっけなく死んでいたわけだ)


 自分の近接戦闘能力はこの二人に比べたら赤子同然。既に腹は括っている。だからそんな事に絶望してはいけない。シェルは歯をくいしばった。今の自分にはやれることがあるのだから。

 彼は練り続けていた魔力を解放した。

 

「蓮華陣、発動」

 

 太一の初級魔法と違い、シェルの極大級土魔法はダンジョンにさえも影響を及ぼした。

 少しずつダンジョンを構成する双極性硬柔性物質エンシェントマターがシェルの身体に集められていく。


「そんな使い方も出来るのか」

 ミカエルは片手で雪の大鎌を捌きながら、片手に銃を取り出してシェルめがけて数発放った。

 しかしただの魔弾はシェルの鎧に弾かれて落ちた。


 シェルはみるみる豹変し、遂には魔土の巨兵と化した。それはシェル本体がどこにいるのかすら分からない程に巨大だった。


 蓮華陣は小さな円だが、巨兵と化したシェルの一部分が円に入っていれば結界を維持できることを、シェルは直感で分かっていた。

 巨人化の大きさには限度があり、内部のシェル本体が円を離れると鎧の破壊による結界消失リスクは当然あるのだが、これはスキルの制限を補うための貴重な条件だった。


「雪君!これより、私のことは一切を気にせず存分に戦え!」

「了解!」

 雪は風を纏って深く踏み込み、ミカエルの拳銃を弾き飛ばした。真っ二つにするつもりだったが、それは随分と頑丈だった。


「流石、やるね」

 ミカエルは放電し僅かに雪の動きを固まらせた隙に素早く身を翻して拳銃を拾い、帯電し加速させた魔弾を雪目掛けて立て続けに放った。


 (速い)


 レールガンの加速力は彼が人間であった頃に比して跳ね上がっていた。当然威力も。生身に当てられれば再起不能に陥るだろう。だが左腕で全てをいなし消すことは至難の業だ。


 だから雪は、迷うことなく能力を解放させた。


 バシィッ


 そして初めての試みであったそれはすんなりと成功し、弾丸は雪の元に届くことなく悉くが消滅していった。


「消滅の広域展開…。そう。本当に大尉抜きで僕に勝つつもりで、ここに残ったんだね」

「当たり前だ!」

 雪は後のことは考えていなかった。

 だから、消滅の力を制限なく振るった。

 全てのステータスで圧倒的に雪に勝るミカエルといえどもそこに迂闊に手は出せず、雪は互角以上に戦い時にミカエルの身体の一部を削ったが、その度にダンジョンから供給されるエネルギーが欠損した身体を修復させた。


 ――そうして、雪はシェルの回復支援を受け続けたものの、生命力はみるみるうちにすり減って行った。


「ゼぇ、ゼぇ」

 ――雪がわずか一瞬だけ息をついた瞬間だった。

 

 バチッッ!

「ぎゃッ」

 極大級の雷魔法をモロに受けて、猫が舌を噛んだような悲鳴が上がった。シェルは即座に回復に魔力を回す。


 ギィンッ!


 間一髪、雪はシェルの銃剣を弾いた。

 ミカエルと違い、雪は生命力を削る代償を払ってしても消滅を纏える範囲はせいぜい急所の周りくらいで、段々とミカエルにその隙を突かれ始めた。


「ゼェゼェゼェ……」

 雪の纏う風の音に、次第にヒューヒューと荒い呼吸音が混ざり始めた。

「そろそろ楽になりなよ雪ちゃん。僕は君を苦しめたくはないんだ」

「何様のつもり……?誰があんたなんかに、あんたらなんかに、屈するものか!」


 (このままではいけない。自分の身を守っているだけではだめだ。私がなんとかしないと)

 シェルは休むことなく思考を巡らせ続けた。

 四大属性魔法と異なり、回復魔法の行使はシェルの魔力を消耗し続ける。このままではジリ貧になるのが目に見えていた。


 彼女の消滅の力のみではミカエルには及ばないのだ。


 チャンスはきっと一度だけだ。その時のために、シェルは2つの魔力を同時に練り始めた。

 ――自分も意外とやれば出来るものだと、彼は思った。

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