第108話 相棒
長い夢を見ていたような……気がした。
意識が急浮上する。
(私……いや俺は……)
身体に損傷はないようだ。
くそ、なぜ一瞬意識を手放してしまったのか。
ふらついた際に足元で散乱したガラス片がジャリジャリと音を立てた。
窓枠の向こうで、落下した三本の柱が遥か遠く水平線の向こうにそびえ立っていた。突き刺さったのが陸地か海かは分からないが、大陸がまるごと吹き飛ぶ事態は避けられたようだ。
巨大で不気味な天使は、なにかをぶつぶつと唱えながらせわしなく目玉をギョロギョロとしながら宙に留まり続けていた。吹き飛んだように見えた片腕は何もなかったかのように元に戻っている。
「くそなんてやつだ。ナーシャ、あれのテレポート取得をどう見る?」
アレクがナーシャに問いかけた。
「……本体ごと転移を果たした時点で習得はしたのだろうけど、完全なものではない筈。少なくともあれだけゲートをこじ開けないとこちら側に来られなかった訳だから。出来て極短距離の転移のみだと判断します」
「それが聞けて嬉しいよ。全員よく聞いてくれ」
アレクはゲートバスターズ全員に向かい話を続けた。
「解析の結果が出た。あの柱はダンジョンじゃない。対星用のライフドレインだ。司令の咄嗟の判断で5本は破壊されたが、残る3本だけでも本来は地表の生物はすぐ死に絶えるんだろう。だが既に瀬戸基地とノアが繋ぐ防御機構は働き始めた。どちらかが破壊されない限り当分は保つはずだ。だからノアを破壊されないためにも、ここで奴を足止めしなくちゃいけない」
足止めって、あれを……か。
『ステータス閲覧』
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【主】?
種族:不明
性能:生命力ⅡⅩ, 理力ⅡⅩ, 霊力ⅡⅩ, 時制力ⅡⅩ, 運A
スキル:不明(保有数>1000)
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俺達が話している間に既に諸国司令は軍に向けて伝令を下していた。
基地から無人機、有人機で構成された空軍戦力が一斉に飛び立って行く。
主めがけて飛び込んでいった無数の戦闘機が、魔導ミサイルの山が、おびただしい質量の爆煙を立ち昇らせながら、ひとしく吸い込まれるようにどんどんと消えていった。
「……こんなの、犬死にじゃないか」
リーリャが顔を歪めながらつぶやいた。
「我慢だ、僕たちの出番はまだだ」
アレクが彼女の震える肩に手を載せた。
軍人であるリーリャは、もしかしたらあの中に知り合いの兵士がいるのだろうか。
彼女の言う通りかもしれない。
誰の目にも攻撃が効いていないことなど明らかだ。だが誰もそれを止めることはできなかった。
一分一秒を稼ぐ。
命を投げ出すにはあまりにちっぽけな目的だが、それがこの星の命運を握ると、皆それだけを信じて海に身を投じて行く。
気がつくと基地からだけでなく、日本海や太平洋の向こうからも数えきれない程多くの戦闘機が飛来していた。
鬱陶しいのか、【主】は時々突発的に空に雷鳴の雨を降らせ、黒刃が舞う竜巻を吹かせ、破散する氷塊の隕石を落とした。見たこともない大魔法の数々が、手を振り払うより容易く放たれ続けた。
「aa――――――――――――――――――――――――!!」
幾許かの攻防を経て、天使は叫んだ。
ビリビリと全身を突き刺すような重圧と共に大気が震え始めた。
【主】の頭上には巨大な黒い火球が渦を巻いていた。初めて溜めをもって繰り出されるであろう魔法は、皮肉にも俺の得意とする黒炎であり、込められた魔力量は優に俺のイン★フェルノの百倍はありそうだった。
俺とアレクが叫んだのは同時だった。
「基地を守れ!!」
俺、アレク、ナーシャ、玉藻の四人が即座に動いた。
窓からタワーの屋上へと飛び出し、全員ありったけの魔力をこめた。地面から機械式の防御壁が反り立ち、それを碧と青の水壁が覆っていく。最後に内側から支えるように全開のバリアーを展開した。
ヂカッ
直後、それは弾けた。
放たれた熱線は地球を周回する程だった。
衛星からの映像は全てが途絶えた。
「ぐぅッ」
激しい圧が何重にも駆け抜けていく。
「ぐあぁぁぁぁ!」
ナーシャと玉藻の水壁と、アレクの物壁が蒸発・融解し、最後に残った俺のバリアーがびきびきとひび割れたところで、炎は過ぎ去っていった。
基地は何とか守ることが出来たらしい。
だが空にはもう、飛んでいる戦闘機は一機たりとも見つけられなかった。
「……」
アレクはその光景を見て首を横に振り、手で十字を切った。
「ハァ、ハァ」
魔力切れを起こしかけたナーシャは荒い息を吐き出し膝をついていた。
「これ程までに歯が立たんとは……」
玉藻がそう吐露した瞬間だった。
「aaa――――――?aaaaa――――――――――――――――――――――――!!」
天使の姿をした怪物は、また大きな叫び声を上げると翼を数回たなびかせた。
次の瞬間には、もうその姿は基地の、俺達の頭上へと到達していた。
(速すぎる)
そして存在しないと思っていた『口』が裂けて現れ、天使はそれでにこりと笑った。
見上げる俺は、見下ろす【主】と目が合った。身体が急速に冷たくなっていくような感覚を覚える。
天使はけらけらと笑いながら、先程以上の規模の黒い火球を頭上に創り始めた。
「あぁ、このようなところで……」と玉藻が呟いた。
「そうこれは本当に……なんとかならないかな、太一」アレクが俺を見る。
海上で破裂した余波を防いだだけでこの有様なのに、直撃を弾き返すなどと……。
重魔装外骨格を装着したクリス、リーリャ、ジャン、店長を含むゲートバスターズ全員と諸国司令が屋上へと集結した。俺は思わず期待を込めてジャンを見たが、彼は静かに首を振った。極大魔法を放つには、どうしようもない程に時間が足りないのだろう。
「いちおう、盾でもかついでみましょうかね」
店長が空にシールドを掲げた。
「そうだな、やれるだけのことはやらないとな」
俺も決意して、エーテルを口に含み五行錫杖を取り出した。
「あたしも勿論、出来るだけのことはするわよ」
「私も、絶対諦めたりなんてしません」
「左様に」
ジャン、ナーシャ、玉藻もエーテルを含みながら、魔力を練り始めた。
「俺達も、出来るだけはやらないとな」
「あぁ」
クリスとリーリャも魔導砲を空へと構えた。
――その時、ルーパーが俺の横へ、とことこと歩いてきた。
「るぱ」
かと思えば、俺の頬に鼻をこすりつけてきた。
TPO考えろよと思いつつ、俺は可愛い相棒の頭を撫でてやった。
……これで最後になるかもしれないしな。
ルーパーは眼を細めてまた短く「るぱ」と鳴いた。
……そこで、俺はこいつの意図に気付いた。
まさか。
ルーパーは俺からすっと顔を離して素早く翼を広げると、勢いよく空へと飛び立って行った。
――あいつ、喰う気か、あれを。
どう考えたって無茶だ。あんな圧倒的な魔力量。限界突破もしていないルーパーの体内に収まるとは思えない。現に俺の視界は少しずつスローモーションになり、それで数秒後に訪れるルーパーの未来が見えてしまった。
「やめろルーパー!絶対に死んでしまう!死んでしまうぞ!戻れ!」
ルーパーは戻ってこなかった。
【主】は巨大な黒炎を基地めがけて落下させ、ルーパーはその中に向かって突っ込んで行った。
「ルーパーちゃん!」
ナーシャが叫んだ。
「あ……」
ふいに、あいつが卵から還ったばかりで四足歩行だった姿や、リュックに背負ってバイクで走った頃の光景が浮かんだ。
そんなちっぽけで可愛いペットみたいな奴だったのに。
思えばいつだって、あいつは俺達の危機を救ってくれた。
あれほど巨大だった黒炎が、みるみるうちに小さくなっていく。
歪んだ笑顔を浮かべていた天使が、みるみる怪訝そうな表情に変わっていく。
そしてルーパーはついに炎を完全に喰い切ったかと思うと、白い肌を真っ赤にしながら口いっぱいに含んだそれを、勢いよく空へと撃ち返した。
「るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……るぱおォォォ!!」
ゴォッ!!
すさまじい威力だった。
我慢して我慢して何倍にも増幅してから撃ち放ったのかもしれない。
黒い巨大な炎のブレスが空を埋め尽くして飛散していった後――。
【主】の翼は吹き飛び、身体は全身が真っ黒に焼け焦げていた。
「gggggggggggggggggggg?」
だが代償は大きく――。
限界以上まで荒れ狂う魔力の塊をため込んでしまったルーパーの身体は形を保てなくなり――。
次第に身体は霧散し、空に溶けていく。
「あぁ……」
空を蹴り、俺は手を伸ばした。
最後に俺をみて、ルーパーは小さく笑った。
それで完全に、空の向こうへと消え去ってしまった。
――あぁ、相棒が……。
苦楽を共にした相棒が……。
死んでしまった。
ナーシャのすすり泣く声が聞こえた。
あいつのおかげで今俺達は生きていて、おまけに最大のチャンスを与えてもらったんだ。
袖で涙を拭う。
これを生かさなければ、あの世であいつに顔向け出来ない。
【主】の身体は、次第に白い繭のようなものに包まれ始めた。
――中で安全に再生するつもりか。
「こんな好機は二度とない!たとえ倒せなくても、絶対に再生させるな!あいつの死に様に報いるんだ!!」
「応!!!!!!」
俺は銀極穂を抜き、全員が繭へと突撃しようとした。
――その時。
「探し物に気をとられて油断しましたね、母さん」
今一番、聞きたくない声が、聞こえた。
突如として繭の前に立ち塞がった声の正体は、忘れようもない相手だった。
「もちろん、こんなところで母はやらせませんよ、ワタセさん?」
「そこを――どきやがれ貴様ァ!」
神威を全開に纏う。
俺は憎き宿敵へと斬りかかった。




