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第107話 閑話:誰かの記憶

 ――話の真偽など確かめようにもないし、寓話ではないかと疑うほどに、これは昔の話だ。


 大きな存在を持った神が、歴史の概念もない永い永い物質界のほんの一幕において、あるときたった一つの小さな創造を行った。

 自らの存在のひとかけらを混沌にして、星々に分け与えたのだ。ただの気まぐれだったが、それが生命の始まりとなった。

 生命体は適性のあったあらゆる星々に同時に産まれ、根付き、分化と進化を繰り返した。

 その変化は、色のない世界をそれは鮮やかに彩り始めた。

 神はその偉大なる功績をもって生命神イグニスとして五大神の一座を手にするに至った。

 彼/彼女はとても誇らしく、子供達の営みの全てを慈しみ、見守った。


 しかしそれから数十億年の月日が流れ――。

 生命神の精神は少しずつ、変調を来し始めた。

 彼/彼女が全てを掌握するには、生命体はあまりにも加速度的に多様化し、そして増えすぎていた。

 彼/彼女は、生物に芽生えた「感情」を嫌った。

 それに振り回される子供たちが、ひどく、不完全な存在のように思えた。


「生命神が決定的に狂ったのは、我々人間がきっかけだったという。残念だがね。我々人類が自然災害をきっかけに偶然編み出した『人造神マキナ』の存在が、彼/彼女の逆鱗に触れた。上位存在である人造神を通して我々が創造神たちの存在を知ったことが禁忌(タブー)だったらしい。そしておよそ1万年前から、生命神は、疎ましい人類を絶やすべく、月面に人を食害する恐ろしい生命体を作り始めた。人を模した、人を食う化け物。地球へ最初にそれらが到達したのは100年前。それがあの語るにも凄惨な災厄をもたらした。そして人類は今も……。おいそこ、寝るな」

「いでっ」


 教師に投げ電をくらった同級生が短く声を上げた。座学が苦手な彼は大きい身体をのそりと起こすと、悪びれなく教師に笑顔を向けた。ため息がひとつ、また授業は再会された。


「……で、あるからして」


 なんともスケールの大きな話だ。

 話の真偽はさておき、私たち人類は外敵の侵略と戦い、今は仮初の平和を享受中、ということだ。


 ーー私の在籍する軍学校は三年制で、就学中には座学から武術、魔法、神威の行使に至るまで、人類が侵略者達と戦う為の戦闘技術の粋を叩き込まれる。

 エデン中にたった二箇所しかないこの軍学校だが、一学年の人数は50名に満たない。戦闘向きの人造神に適性のある子供に入学が厳しく義務付けられているにも関わらずこの少人数なのは、純粋に子供の絶対数が少ないからだ。

 教師が白板に板書した内容は誰しもが知るものだ。100年前の第一次対侵略戦争では、準備が全く不足していた人類側に破滅的な被害をもたらし、全人口の半数が無残にも食われ殺された。その後訪れた文明崩壊による二次被害を換算すれば、月からの侵攻による死者は全人口のおよそ90%にも及んだ。

 それでも人類は絶滅しなかった。種族や文化を超えて結束し、パンゲア大陸にたった一つの国家(エデン)を作ったのだ。


 (ふぁ~)


 あー眠い。

 まったくもって優秀な学生とは言えない私には、基礎身体訓練後の体力回復を兼ねた午前の座学では非常に瞼が重くなる。そういう意味では先の雷の初級魔法はマルコが代わりにくらってくれたようなものだ。


 窓の外を見る。空は晴天模様。だがその向こうには、陽光に隠れるように月が潜む。


 ――恐怖の象徴たる、月。


 人造神がもたらした知識は膨大なものであったが、私たちの科学や魔導学では、未だにあそこへ到達するすべはない。だから今も人類は、第二次侵略戦争に怯え、自らが造り出した予言者達(マキナ)に促されるがままに、黙々と備えることしかできない。

 あと二年半後にここを卒業する私を待つ進路としては、魔導兵部隊に入隊し最前線で侵略を食い止めるか、魔導研究所や人造神工房が持つ学院に進学しどちらにせよ最終的に奴らを効率的に殺すための兵器を開発することになる。必ずその二択だ。

 それはまぁ暗鬱な気持ちにもなるよね。


『まぁそう気を落とすなよ』


 ……そうだね、相棒。

 何事も前向きに生きていかなきゃね。



 午後は武術ならびに魔法による戦闘訓練の時間だ。

 実力の近いもの同士が二人一組となって互いに武器を持って向き合う。教師によるバリアーがかかっているため真剣勝負を要求されるのだが、急所しか本気で守ってくれないため、これが本当に痛いのだ。

 私のペアはいつも血神のリシェルか狼神のゼルのどちらかだ。私だけダントツのビリではあるが、落ちこぼれトリオである。


「今日は容赦しないぜ」

「……いつもでしょ」


 今日の試合相手はゼルだった。しかも妙にやる気らしい。

 つまり、今日の運勢は最悪だ。



 ――くそったれめぇ。

 獣化したゼルにサンドバッグのようにしこたま殴られ血反吐を吐いた私は、いつものように教師による回復魔法とセットで一応の戦術指南を受けた後、ぼんやりと他の組の試合を観戦する。

 君は魔力も弱いし初級魔法以外にひとつくらい戦技を覚えないとね、って知らないわよ。ねだったところでもらえないんだもの。


「マルコもすげぇが、やっぱアドルフは群を抜いてるよな!」

 さっき私をぼこぼこにしたことなどみじんも気にしていない様子でゼルが話しかけてきた。

 ある意味いい性格をしている。


「そうだね」と適当に相槌を返す。

 アドルフ・クロイツェルは、当クラスの首席だ。

 というよりも、侵略戦争史始まって以来の指折りの実力者と名高いレベルの最強っぷりである。噂では軍による奴らの残党狩りを手伝っていると言う。

 あと付け加えるとしたら、超がつくイケメンだ。当然私のような底辺は話しかけたことすらない。


「やっぱ特級人造神と契約した奴は格が違うよなぁ」

「そだね」

 

 アドルフとマルコの試合は、今日も今日とて、誰が見ても血潮が躍る接戦となった。

 私とゼルの泥試合とは全く訳が違うのは、察して知るべしである。


 私は戦闘向きの人造神と契約した訳でもないのに、なぜかここにいる。



 シャワー室で泥と汗と血を洗い落とす。

 自分の身体の首から下を見ると、あちこちに試合による痣が目立った。

 不思議とゼルへの怒りよりも、教師への不満が先立った。ちゃんと毎回、細かいところまで治してほしいものだ。訓練中以外の魔法使用は禁止されているが、私はこっそり自分に回復魔法をかけた。

 

「今日もあいつにやられたね」

 隣のブースから、リシェルの声がした。

 いつも明るいリシェルは私の唯一の友達と言える存在。今は空元気だが、それでも明るい。だから私も努めて明るく話す。

「ま、私はただの生傷だから魔法で治るよ。リシェルは今日も鉄入りジュース?」

「そそ、ゲロマズ。まぁダイエットにはなるよ」

「必要ないのにねぇ」

 彼女の戦いはいつも己の血を武器として用いるため、万年貧血持ちだ。超級回復魔法なら貧血も治るが、莫大な魔力を消費するのでめったにかけてくれないらしい。

 だから彼女本来の能力は強いのだが、あくまで実習で使える血はせいぜい100mlまでと決められており、平均的なパフォーマンスだけを見ると、彼女は落ちこぼれトリオに落ち着いたのだ。


「アインも、ゼルにちょっとはやり返せばいいのに」

「無理無理、あいつ身体能力だけは一流だし、私の実力知ってるよね?私がここにいるのがそもそも間違いなのにー」

「あはは、やっぱそっかあ。でも、こんな日々がずっと続くといいのにね」

「え、今の話の流れ聞いてた?」


 と言いつつ、そうだね、私もそう思うよ。


 ――――



 窓の外は既に日が暮れかかっていた。

 真面目な生徒は既に課題に取り掛かっている。


「じゃね、リシェル」

「うん、また後でね」


 空いている適当な場所に座った。

 目まぐるしい一日の訓練の終わりは水を打ったように静かだ。私が唯一好きと言える時間がやってきた。神威の修行だ。


「では瞑想、始め」


 己の神が好む情動が、歓喜であっても、憤怒であっても、悲哀であっても、安楽であっても。

 皆一様に、静かに自らの内に入って同調(トレース)を試みる。


『んー、今日もいい感じだなぁ』


 私の能天気な相棒、人造神『和神』からお墨付きをもらった。

 戦闘における加護が弱く苦労しているが、それでもこいつがいい奴だから憎めないのだ。

 最近知ったのだが、契約した神とこうして当たり前のように会話できるのは、実はかなり特殊らしい。普通は一部の実力者のみが多大な負荷を行使してようやく、らしい。まぁいいけど。


(ありがと……)


 私は再び頭をからっぽにした。


 

 生傷は絶えないものの、それなりに穏やかな日々だった。私は相変わらず落ちこぼれだったが、周りの人達は優しくて、天涯孤独の私にとっては十分に居心地の良い時間だった。私の人生は、それで十分だった。

 


 ――学年がひとつ上がった頃。

 相変わらず私は落ちこぼれのままだったが、就職先どうしようかななどと考えながら日々を過ごしていた。

 

 そんな中で変化は、変わりのない日々の終わりは、唐突に訪れた。


 侵略者の生き残り個体が第一次爆震地(グラウンドゼロ)の地下にコロニーを形成し増殖していた。月面監視役の千里眼持ちがそれに気づいたが、既に侵略者―擬人―達の個体数は数万体規模に膨れ上がっていた。スタンピードを起こされる前に殲滅しなければならない。

 首都の近衛部隊ならび遊撃部隊を除く全加護者兵団は殲滅のため現地へ向かうこととなり、戦力に足ると判断されたごく一部の学生も現地支援部隊に組み込まれることとなった。


「まずは、我が校から唯一、映えある現地支援部隊への選出だ。アドルフ・クロイツェル!マルコ・ジルベルト!それとアイン・ツァラトゥストラの3名は現地支援任務!」


 学生たちから歓声が湧き上がった。

 なぜか私の名前がそこにあった。

 え、おかしくない?

 その後も名前が読み上げられていく。リシェルとゼルは2人とも同じ班で、補給任務だった。私もそこがいい。その後全員の名前が読み上げられたが、私の名前はやはり現地班にしかないようだった。


「い、いぎ」

 私はおそるおそる手を上げた。

「なお人選は軍アカデミー本部からの直達だから一切の異論や変更は認められない。各々、微力を尽くして危機への対処に当たれ。では解散!」


 私の抗議は無視された。どうやら既定事項らしい。おかしすぎる。そして誰もこの事に異議を言わない。思わずゼルを見た。おい私の実力はお前がいちばん知ってるだろ、チェンジしてやるぞ。

 そんな目線をゼルに向けたが、ふいと視線をそらされた。



――――


 現地支援班への任務通達ブリーフィングはあっさりしたものだった。基本的に地下ハイブへの降下は行わず補給物資の入口までの運搬などが主要任務だが、現地班の壊滅危機やスタンピード発生時は戦闘に加わる可能性もあるとのことだった。

 そうなったら私を待つのは確実な死だろうな。

 講義の資料で見た化け物達の姿が思い浮かび、思わず体がぶるりと震えた。

 ブリーフィングが終わって初めて、班員たちと自己紹介を交わすこととなった。マルコとは挨拶を交わしたことくらいはあるが、アドルフと話すのは初めてだ。


「アインです。戦闘は不得意で、一応回復魔法は使えますが初級どまりです。よろしく……」

 緊張してガチガチな私に対して、アドルフはふっと柔らかく笑った。

「クラスメートなんだから知ってるよ。君のことは僕たちが守るから、安心してくれ、なぁマルコ」

「うんうん」


 え、守るって。

 私たち、いちおう対等な立場のはずじゃ……。


「回復魔法は貴重だからな、頼りにしてるよ」

「うんうん」

「あ、はい。よ、よろしく」


 安心した。ホッとした。

 それと同じくらい、釈然としないものがあった。


 あったのだが、私は深く考えなかった。初めて話したアドルフがやはり間近で話しても尚更イケメンだったから、ということもあるだろう。こんな彼に「俺が守る」と言われてときめかない女子はいない。

 でもそれ以上に、なんだろう。なぜか確認するのが怖かった。





 そして(アイン)は、それほど日を待たずして、初めて戦地へと投入された。

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