第106話 落日
ダンジョンは静まり返っていた。
太一達を転移させる際に、ミカエルと一緒にモンスター達もどこかへと消えていった。
どうやらミカエルは先の言葉通りに、雪たちを最深部へと招待しているようだった。
46階以降、息を潜めたように物音ひとつしなくなった。二人の足音だけがやたらと響き、ただ、下へ下へと伸びるダクトだけが静かに脈動を続けているのが見えるだけだった。
「ねぇシェル、エルが言ったこと本当だと思う?エレメントコアを使えば、エルが死ぬことなくダンジョンを解放できるってやつ」
「……嘘の可能性は高いだろうな。心臓なしで生きられる人間がいないのと同じで、コアを一瞬でも取り出せば魔導生物は皆即死だ。そう…容易い話ではないはずだ」
雪とシェルはダンジョンの最下層へ向けて2人、幾分の警戒を残したまま、ひたすらに踏破を続けていた。
「……だよね」
「大尉は心が読めるURスキルまで持っていると聞いたことがあるが、なぜあの局面で使わなかったんだろう」
「心が読めるというか、相手の精神世界に入り込むスキル。だから脳の消耗は激しいし、気付かれて対応されると危険」
「えぇ、そんな不便な能力いつ使うんだ」
シェルは、かつて雪やアナスタシアがまさにその不便なスキルのおかげで心神喪失状態から連れ戻されたことを知らされていなかった。
雪は、説明が面倒なので黙っておくことにした。
「でも、他人の頭の中に入っていくって、どんな世界が待っているんだろう。興味あるな」
雪は己の精神世界において、あの納屋の中で太一と出会ったこと、エウゴアから守ってくれたこと、そして両親の遺品を見つけてくれたことを覚えている。だが、太一が自分の元に辿り着くまでの行程の一切を知らないし、詳しく聞いても教えてくれなかった。
だから雪も、太一がどんな世界を見たのか詳しく知らないという点ではシェルと変わりなかった。
「さぁ……ね」
あとシェルはあまりデリカシーがないから、多分向いてないと雪は思った。
「それより、私たちはエルと対峙することになるわ。私たちを殺すつもりなのか、本当に話がしたいだけなのか……分からないけど。つまりたった2人でルシファークラスの相手と戦り合う可能性が高い」
「ハァ、頭が痛い話題だが向き合わないとな。クソ、あいつ、なんだってよりによってダンジョンマスターなんてやってやがるんだチクチョウめ!」
シェルはダンジョンの壁を思い切り蹴った。
そしてふと気付いた。
「君は……ある程度こうなると分かってて大尉を地上に戻すことを選んだよな?」
「そうね」
「そうねって……。勝算はあるのかい?私は今なら自分の身を守ることくらいは出来そうだが、君の援護となると回復と……あとはせいぜい風を吹かせ続けることくらいだろう」
雪は左の、機械のてのひらを、感覚を確かめるように握りしめた。
(この腕が私の身体を侵蝕し続けていることは分かっている。でも、だからこそやれるはず。たとえそれで……死期が早まったとしても)
「それで十分。ありがとうシェル。最初はよわよわだったけど、今はとても、頼りにしてる」
そう言って雪は珍しくにこりと笑顔を作って、シェルの胸をとんとんと叩いた。
鬼教官からの唐突で、ささやかな卒業証書授与だった。
シェルはなぜだかそれで、すっと覚悟が定まったような気がした。
「……分かったよ。私も出来るだけの事はするさ。チームメイトの不始末は、私たち自身の手で片を付けよう」
「うん。頑張ろうシェル」
「あぁ」
そして、遂に地下50階へと辿り着いた。
静まり返った大広間は扉の向こうへと相変わらず何かを送り続けている。
ここはまるで、奈落の底のようだった。
2人は励まし合うように頷き合い、重い重い扉をゆっくりと押し開けていった。
----------
久方ぶりの日の光の眩しさに目を細めた。
俺、ジャン、ルーパーの三人は、地上に帰ってきた。
エル……いや、ロシアS級ダンジョンマスター・ミカエルによって、地上に強制送還されたのだ。
「あーあ、あんだけ苦労したのに、手土産なしで帰って来ちゃったわね。お天道様が眩しいこと」
「言うなよ……後悔先に立たずだ」
「もージョーダンよ。相手がミカエルだけに、マイケルジョーダン。ぷっ」
「99%事実だが…」
「るぱ↓」
「もう、くよくよしてたって仕方ないわよ」
「っとそうだな、すまん!」
俺はすぐに念話リンクでナーシャにコールした。
その途端、目の前が微かにゆらぎ、暖かいものが胸に飛び込んできた。
「太一!」
まるで待ち構えていた様なレスポンスの早さだった。
「ナーシャ、ただいま」
「無事で良かった……」
顔をぐりぐりと擦り付けてきた。
随分といっぱいいっぱいな様子に見える。地上も一波乱あったのかもしれないな。
「ハァイ、ナーシャ」
「ジャン、あなたも無事でよかった。…雪ちゃん、シェルくん、エルくんは?」
そこに気付いたナーシャの顔がさっと曇った。
当然の疑問だが早速耳が痛い質問だった。
「生きてる。だがいろいろ紆余曲折あって、雪達だけが地下に残ったんだ」
「え!?なんで…」
「後で話すよ。地上も、何かあったんだろ?」
「地上も、瀬戸基地とノアで同時クーデターが起きてーー」
「クーデター?諸国司令や店長の家族……基地は無事だったのか?」
「無事…だった。でも店長さんの家族は、あの大空寺君が……命に替えて守ってくれたわ」
「……」
そうか、あの青年が……。
「何とか事態は収束したけど、特に基地は大きな被害を出した……。それも道すがらで話すわ。すぐ基地に戻りましょう。恐らく……もう間もなくよ」
俺はふと何気なく、遠くの空を見上げた。
どんよりとした曇り空だった。
モンスターの群れが気づいて襲ってくる前に俺達はテレポートで基地へと戻った。
ワープ空間から抜けて地に足をつけた瞬間、地面が激しく揺れた。そして風が吹き荒れる。
地震……いやこれは地盤うんぬんのレベルじゃない。まるで星そのものが揺れているようだ。
視界を上げる。
セントラルタワーが目の前にあった。高層ビル並の高さがあるのに、この揺れと風の中、不思議と殆ど揺れていない。アレク謎技術は深まるばかりだ。
基地中には大音量でアラームが鳴り響いている。脅威度最大レベルの警報だ。
俺たちはすぐにタワーの中に入った。
中央エレベーターはものの数秒で俺達を最上階まで運んだ。ドアが開き、作戦司令室へと入った。
360度パノラマの風景が広がる司令室には、層々たる顔ぶれが終結していた。
地下組を除くゲートバスターズ全員……いや、オナリン・ソサはいないか。
各地のダンジョン攻略から引き上げてきたのだろう。全員の視線がこちらへと集まった。
「おかえり太一」
出迎え第一声はアレクだった。
道すがら、アナスタシアに説明しながら彼には念話で情報を共有してある。
皆にも伝わってはいるだろう。それでも、俺は自分の口で状況を報告する必要があった。
「すまない、S級ダンジョンの攻略は未だ成っていない。三鷹エマニエルはよりによってロシアS級のダンジョンマスターだった。何らかの意図があってか、雪とシェルだけを残すように交渉された。俺は、戦えば何とか勝てたかもしれない。だが……今でも自分の決断が正しかったのか分からないが……雪に託して、俺はここに戻って来ることを選んだ」
決断したつもりでいて、言葉にすることで後悔の念は湧き上がった。
雪……。
ふと誰かが近づいてくる足音がした。肩に手を置かれた感触で、俺は顔を上げた。クリスだった。
「お前の判断を信じる。雪は強い。今や力も、心もな。いくつか交渉材料は得たのだろう。なら胸を張れ。あとはあの子に任せよう」
「クリス……」
「ふふ、そうだね。君の妹なら何とかしてくれるさ。明らかに彼女は僕より強いし、実質人類ナンバーツーの実力者だ。皆も異論はないね?」
アレクがパンパンと手を叩いて取りまとめた。
ナーシャ、店長、リーリャ、ジャン、玉藻、ルーパー。
皆が一様に頷いた。
……ありがたい。
「地上では何が起こってる?そのミカエルがもう間も無く【主】が現れると言っていたのだが」
「太一、僕たちとしては、君が帰ってきてくれて本当によかった。答えはもう空に浮かんでいるよ」
俺は言われた通りに南の空を眺めた。
「……そうか」
そして否応にも理解出来てしまった。
ついに、その時が来たのだと。
魔導核を全弾打ち込んだあの日の作戦映像では、時空の裂け目はせいぜい数百メートルだった。
今は、遠く離れたこの場所から肉眼でありありと視認できてしまっている。
空には、数十キロメートルに渡って巨大な闇が広がっていた。
音はしないが、まるで空が悲鳴をあげているかのように、それはゆっくりと、しかし確実に、こじ開けられるように拡がっていた。
「前回の魔導核掃射で少し慎重になっているのかもしれないね。ゲート入り口でエネルギーを炸裂させないよう、体の一部を割り込ませず、魔法か何かでじっくりこじ開けているようだ。もう僕達にあれほどの超エネルギーの塊は残されていないのにね」
「司令、もう、いよいよです」
ナーシャだった。
その声は、妙にフロアに響いた。
テレポートのスキル持ちは、ゲートに関して通じるものがあるのかもしれない。不思議と言葉に真実味のようなものがあった。
それだけに、コンソールに張り付いているオペレーター達が唾を飲み込む音が聞こえてくるようだった。
「そうか、とうとうこの日が来たんだな。……総員、対主戦用戦闘配備!」
諸国司令の一声により、オペレーター達は慌ただしく動き始めた。
「了解、対主戦用システム起動」
「当基地およびセントラルタワーはこれより【武装】状態へ移行。居住区画および一般兵区画を地下領域内へ格納、大型兵装および地下生物兵器軍のチャネルシフト輸送行います!」
生物兵器というのは初耳だった。
時を待たずして、基地に鳴り響くアラームと共に、アナウンスが流れ始める。俺たちにではなく、ここに暮らす人々に向けたメッセージだった。
「間も無く当基地は、未確認敵性生命体群の迎撃体制に移ります。市民の皆様はこれより安全な地下空間へと移送します。どうかパニックにならず、速やかに最寄りのシェルターへ避難してください。繰り返します…」
反対の窓の向こうで、基地は変貌を遂げようとしていた。というよりも、本来の姿を取り戻しているのだろう。
まず最外層の一般兵区画が降下を始めた。地下では立体駐車場よろしく一斉に区画のシフトが行われているようだ。規模は桁違いだが。
次いで、居住区画が消えた。何万人が住む街が、地面ごと一斉に地下へと姿を消したのだ。まるで魔法のようだった。
その広大な空洞を埋めるべく新たに浮上したのはノアの如き機械の大地。しかしノアと違い高層ビル群などの建造物は一切なく、ただ地面には無数のダクトがはい巡らされ、それらは無数の楕円形のポッドへ接続されていた。
それは、ロシアS級ダンジョンで見た化け物を培養していたあのダクトに瓜二つだった。
あれが生物兵器とやらの格納器なのだろう。何千、いや何万体もいるように見える。
「こんなものが基地の地下で作られていたのか……」
更に基地は変貌を続け、最後に『羽の生えた大きな砲台』のようなものが飛び上がった。
それはタワーのてっぺんで旋回しながら浮遊しているようだった。
「あれが【主砲】だ。直接地下であれの姿を見たことがあるのは諸国司令とナーシャくらいだろうね。僕の最後のアーティファクトであり【銃神】の魂魄を込めてあるから、ああ見えて威力はお墨付きさ」
そして、基地が変貌を終えてまもなくのことだった。
「aa――――――――――――――――――――――――!!」
(ぐッ!!)
多分、声だったのだろう。
頭が割れそうなほど、ビリビリと脳髄に衝撃が駆け抜けた。
まるで言葉と思えないその音は、しかし多分に歓喜を含んだ声色に聞こえた。
あんなに大きな穴なのに、よっぽど中が窮屈だったのかもしれない。
きりもみしながら飛び出したソレは、空高く舞い上がった。
高く高く翔び上がり――。
ぴたりと空で静止した。
衛星が正確な映像を即座にスクリーンに回す。
――白い超巨大な……人型。
背中には大きな四枚の白い翼。
女性のようなフォルムだが、おおよそ肌と呼べるような表皮はない。
白い無地のゴムみたいな皮膚は、まるでAIにテクスチャを張り付けられたかのように生物味が感じられない。
オメガを遥かに超える程に巨大な体躯。
顔には、鼻も口も耳もなく。
ただ異常に大きな両眼だけがそれぞれ別々にぎょろりぎょろりと動き回っていた。
正直、身の毛がよだつ思いとは、まさにこのことだった。童話に出てくる天使のようでいて、それとは全く似ても似つかない。
おおよそ、グロテスクという形容がよく似合った。
「うェ……」
誰かが床に吐瀉物をぶちまけた音がした。
次にあいつが何をしでかすか、想像も出来ない。
一瞬も目を離せないのに、体はまったく動けなかった。
あの眼に縛り付けられて、勝手に拷問を加えられているようだ。カーネマンが発狂したのも分からないではない。
「あれが……【主】なのか」
あのアレクが、そんな誰でも言えるようなただの感想をぽつりと漏らした。
そんな中、白い巨人は両手をゆっくりと空に掲げた。
そののっぺりとした体からつぷり、つぷりと何かが分離されていき、それは尖った柱のような構造物となり、宙に浮かび上がった。
長さは【主】以上に巨大な合計8本の柱が、空に浮かび上がった。
「あれは――」
宇宙空間から見た、アメリカS級ダンジョン。
その形にそっくりだった。
まるで巨大な、杭。
止めないと。
止めないと途轍もなく不味いに違いない。
カチリ
その時、なんだかとても安っぽいような音がした。
見ると、諸国司令が手に赤いボタンのようなものを持ち、それを押していた。
「主砲――発射」
ドォッッ!!!!
その瞬間、セントラルタワーの全ての窓ガラスが粉々に砕け散った。
飛行する砲台はただ【主】殲滅のためだけに作られた。
今それが、嬉々としてその使命を遂行したのだった。
空に浮かぶ雲を全て吹き飛ばして、巨大な一条の閃光が宇宙の彼方へと消え去った。
【主】の頭部を狙ったであろう軌跡は回避されたようだが、片腕とともに数本の柱を消し飛ばしていた。
だがあの生物には痛みや恐れというものがないのかまるでひるんだ様子がなく、砕けずに残った3本の柱が、速やかに投下された。
時奪陣が発動したのだろうか。
杭は、とてもゆっくりと地表に向けて落下していく。
俺にはただ、それを見ている事しかできない。
ダンジョン落とし?
そんなもの、どうしようもないじゃないか。
(ッちくしょう!俺は……!)
天地がひっくり返るほどの衝撃と浮遊感が、世界全土を駆け抜けた。




