第105話 運命の日
地上ではカーネマンの反乱から立ち直るため、アレキサンダー陣頭指揮の下、急ピッチで組織系統の立て直しと損耗した施設設備の再建が進められていた。
アナスタシアもまた医療班の要として傷ついた市民や兵士たちへの対応に負われる……ことはなかった。負傷した者達はトリアージされることなくレスキュー部隊により一カ所に集められて、そこで彼女の広域超級回復魔法を受けた。それで立ち直る者はあっさりと全快し、そのまま動かない者はもう既に亡くなっていた。
アナスタシアは次郎に連れ添って、二人で大きな墓地を訪れていた。
「おかげさまで、妻も娘も無事でした。ありがとうございました」
市民や兵士の墓石が並ぶ場所から少し離れた小高い丘に、目的の場所はあった。
―英霊―と特別に刀が祀られた墓石は、諸国司令のはからいだと聞いた。次郎は手を合わせて深々と頭を下げた。
「人って分からないものですね」
アナスタシアは次郎と大空寺青年の決闘を思い出していた。
「えぇまったく。最後の一刀は凄かった。あれから随分と研鑽されたのでしょう。あの時のあなたに私はとても太刀打ちできませんでしたよ。いずれ直接お礼を言いに行きますので、ゆっくり、お休みくださいね」
アナスタシアは、次郎に案内しておきたい場所があると言った。
二人はセントラルタワーの地下中層へ移動した。
エレベーターで下へ下へ、随分と長い間、潜っていった。
ここは限られた人間のみがアクセス権を持つ場所だった。
次郎はアナスタシアに連れられて今、初めてそこを訪れた。
その光景に、彼は驚愕した。
――瀬戸基地の『主砲』は強力だが、他の遠距離武器は【主】に通用しない。
基地が対【主】への最前線として機能するためには、圧倒的に手数が足りなかった。
また高度の対外バリアをもってしても、【主】に直接取り付かれれば一巻の終わりであることは明白だった。
渡瀬太一が覚醒できるか否かは誰にも分からない。それはひどく不確定な要素だった。
基地には圧倒的なまでの白兵戦力が、強く求められた。
「なんておぞましいものに手を出していたのですか……」
渡瀬雪がかつて生体改造を受けたルシファーの工房は、実は初期にアメリカでも同規模の物が見つかっていた。実験体にされた大量の人間達が見つかったが、残念ながら人間としての形も尊厳も留めたものは居なかった。
中国の工房はアレキサンダーが破壊したが、アメリカの工房は破壊せずにそのままこの基地に移植し稼働を続けさせていた。本来S級ダンジョンから動力の供給を得ていたと思われるその動力源は、基地最深部にある巨大魔導核で賄われていた。
そもそも巨大魔導核はなぜここにあるのか。それは人間が作ったものでもボスモンスターから得たものでもない。それは最初からここにあった。そして誰の手にも破壊することはできなかった。
恐らくそれは、ゲートを稼働させるためのものだと言われている。
「太一君や雪ちゃんはこの事を知っているのですか?」
「……いいえ」
アナスタシアは伏目がちにそう言った。
「…………その方が良いでしょうね」
次郎は、人間とモンスターを融合させて作られた人造兵たちの軍団を目に、そう呟いた。
ありとあらゆるモンスターと、兵士たちは融合されていた。
魔導兵としての資質がない一般兵の中からの志願兵たちだそうだ。
それがこんなにも大勢いた。
「なぜ今、私にこれを?」
「あなたには彼らを援護してもらわなくてはいけませんから。モンスターはオナリン・ソサに使役されたものを使用しており、兵士達に狂暴性は出現していませんが、任務を遂行するには思考力があいまいです。それを、諸国司令のもつ『誘導』の異能で後押しします。既に実施試験では十分な成果が出ています」
カーネマンが諸国を生かして捕えようとした理由がそれだった。
「そうですか。人造兵達は強いのですか?」
「全員、何らかの性能が限界突破しています」
「はは、それは心強い。……ですが、太一君は許せないのではないでしょうか」
「……はい。だから彼が地上に戻ってきて人造兵達が前線で戦う光景を見たら……この事を知ったら……私は彼に軽蔑されるでしょうね」
アナスタシアはうなだれた。
その目から涙がこぼれた。
次郎は、彼女を攻めるような言葉を使ったことを恥じた。
【主】と戦うとは、そういうことなのだ。とっくの昔から、倫理や建前を出してこられる状況ではない。それに兵士たちは皆、志願兵だという。
彼女はまたもや、大きすぎる苦悩をその小さな胸の内に抱え込んでいたのだ。
次郎はフェアリーマートデザインのハンカチをそっと彼女に手渡した。
「……私も一緒に彼に話しますよ。なんなら私が企画しましたってね」
「それは……無理がありますけど……ありがとうございます……」
アナスタシアは、深々と頭を下げた。
涙が止まるまで、次郎は彼女の背をさすった。
二人はベンチに腰かけて、ごうんごうんと稼働を続ける人体改造工房をぼうっと眺めた。
「私、店長さんが居てくれて、本当によかった」
「どうしてですか」
「あなたを見ていると、とっくに失われた日常が、なんだかまだ手の届く場所にあるような気がするんです」
「まぁ、ゲートバスターズ……って柄じゃないですからね」
「ふふ、そうですね」
アナスタシアは久しぶりに昔のように笑った気がした。
太一と初めて会った、あの頃のように。
もっと昔……まだ家族の思い出の残る、あの郊外の小さな別荘の中での時間のように。
「私ね……店長さん」
「うん?」
アナスタシアはゆっくりと、まるで父親に報告するかのように。
まだ誰にも伝えずに胸の奥深くに仕舞っていた事実を伝えた。
「私、太一の子供を身籠っているんです」
――――――――――
地上での激動の情報は一切が伝わらないままに。
ダンジョン攻略班もまた、癒えない疲労を背負いながら破竹の勢いで踏破を進めていた。
地下26階からは一層一層がC級ダンジョン程の狭さとなり攻略が加速したが、出現するモンスターの凶悪さも増していき、回復薬はみるみるうちに数を減らしていった。
どのフロアにも中央には円柱状のシリンジがあり、下へ下へと何かを送っているように見えた。
太一は焦っていた。
嫌な予感がしたのだ。
それが何に対するものなのかは分からないままに。
26階に足を踏み入れてから、瞬く間に3日間が過ぎていった。
――そして地下45階――
俺達の目の前には一変した光景が広がっていた。
その階層はフロアの壁がまるまる取っ払われた、ただの一つの部屋、だった。
壁は生きているかのようにグロテスクに脈動し、その脈動は何か液体だか個体だかをフロアの中央に向けてただ無心に送り続けている。
これまではただの筒状だった中央の円柱が、ここで初めて、球形に広がっていた。
スモークがかってよく見えないが、中で何かヤバいものが作られている。
絶大な力が渦巻いていた。
「あ……あ……」
雪が動揺している。
「どうした、雪?」
「ぐ……頭……いたい」
「雪――」
バリンッ
俺が雪に近寄ろうとしたその瞬間、ガラスが割れるような音がした。
その瞬間、なにか大きな力の奔流のようなものが流れていった気がした。
「かはっ」
直後、どろどろの触手のようなものが雪目掛けてすさまじい速度で伸びてきて彼女は壁に叩きつけられた。
「雪ェ!」
どろどろの触手は、―ところどころ骨や筋繊維のようなものが見えている―腕だった。
それが彼女の首をぎりぎりと握り締めた。
「が……あ……」
雪の目が真っ赤になり飛び出そうなくらい押し出されている。
首が千切れてしまう。
刹那の時間――。
反応しろ。早く動け。
時奪じ―。
「雪ちゃんを放せよ、出来損ないが」
その静かな声とともに、触手は切断された。
いや……見えなかった。いつの間にか千切れていた。
エル?
「げほっげほっ」
「雪くん!」
すぐにシェルが駆け寄った。
俺は……情報を整理しきれない。
だが今はやるべきことは一つだけだ。
「エル!そいつを倒すぞ!」
「ええ、渡瀬大尉」
どろどろの大元は、溶けてただれた人間もどきのモンスターだった。
『ステータス閲覧』
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出来損ない(ミカエル命名) Lv.350
種族:擬人
性能:生命力Ⅳ, 理力Ⅳ, 魔力G, 敏捷G, 運G
技能:捕食
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俺は瞬時に最大級の魔力を練った。
エルも魔力を練っている。
俺と同等かそれ以上の、絶大な魔力だった。
『イン★フェルノ』
『銀雷』
爆雷が弾けた。
その直前。
俺がバリアーを張るまでもなく、まるで俺達を守るように、気味の悪いダンジョンの壁が隆起して雪や俺達のことを守った。
肉壁がしぼんだ後、どろどろは完全に消滅していた。
雪は無事そうだ。シェルの手当てを受けている。
それよりも―。
「大尉、皆さん……今まであなた方を欺いていたことをまず謝ります」
「お前……」
エルの姿は、大きく変わった様子は……ない。
強いて言うなら、耳がやや尖ったくらいだ。
だがそれは因縁のある奴を思い起こさせるものだった。
『ステータス閲覧』
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ミカエル Lv.400
種族:亜人(渡来種)
性能:生命力Ⅳ, 理力Ⅲ, 霊力Ⅳ, 時制力Ⅵ, 運A
装備:魔導短刀, 魔導銃, 魔導軽装
【スキル】
戦技:雷断、韋駄天、威圧
魔法:雷魔法(初~超級)、銀雷、雷纏
技能:状態異常耐性、回復促進
神威:使用不可
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俺はすぐに彼を念話リンクから外し、今見た情報を仲間に伝達した。
その間、俺はエルからひと時も目を離さなかった。
いや、離したら、何が起こるか分からなかった。
「嘘」
声は雪からだった。
「ねぇエル、あなたが敵だなんて、嘘だよね?」
声は震えていた。
彼女の姿を見ることは出来ないが、様子は痛い程に伝わってくる。
「……ごめんね雪ちゃん。僕はミカエル。ここの……ダンジョンマスターなんだ」
なぜ人間の姿をとっていたのか。なぜ遺伝検査で分からなかったのか。
なぜ今姿を明かした?
分からないが――。
「お前は敵、ということでいいのか?」
俺は即座に銀極穂を抜いて、エルの首に穂先をつきつけた。
首筋から一滴の血が流れ落ちる。
色は……俺達と同じ、赤い血だった。
「大尉、交渉次第です。ダンジョンコアを破壊するのをやめてほしい。そうすれば僕は死んでしまう」
「そうか。だが忘れたのか?俺達はここにコアを破壊しに来たんだぞ。その提案は飲めない」
「……ですよね」
エルが寂しそうに笑う。
その姿が不意にぶれた。
(後方、矢状断、雷の刃)
むりやり身体をひねって初撃を躱した。
バチッと、物質のように色濃い雷の軌跡が顔の横を通り過ぎていった。
先の爆雷をふせいだ肉壁がバターのように切断されていた。
それを視認してから、全ての身体強化と神威を行使し、槍を振るった。
エルは武器をもたず、纏った雷の刃だけでそれをすべて相殺した。
何合か撃ち合って、エルはバックステップで距離をとった。
「あは、やっぱり大尉は強いですね。導力路の破損で支柱としての力を取り戻したのに、それでも互角とは」
「フゥ、そりゃどうも。じゃぁ諦めてくれるか?」
涼しい顔をして、互角とはよく言う。
未来視がなければ最初の一撃で真っ二つになっていたところだ。
「確かに、時奪陣を持つあなたに対しスピード型の僕は相性が悪い。全員でかかって来られたら……半々くらいで負けるかもしれません。そこで第二の提案です。あなたが持ってきたアレキサンダー製のアーティファクト『エレメントコア』。あれを上手く使えばダンジョンコアを破壊せずに封印された神を解放できます。いかがでしょうか」
「それをしてお前になんのメリットがある?」
「ありませんね。ダンジョンの力が格段に弱まるだけです。ですから提案があります」
なんだ?
「雪ちゃんとシェル。二人を除いて、大尉とジャンさん、ルパちゃんはダンジョンから転移陣で脱出してください。……二人と話がしたい」
「却下だ。お前がそうする保証がどこにある!決裂――」
その時だった。
突然の巨大な揺れがダンジョン中を大きく揺さぶった。
それと同時に、気配察知が頭が割れそうな程に強烈な警報を鳴らした。
(ついに――きたか?)
揺れはしばらくして自然と収まった。
まだ大丈夫なんだろうか。だが――。
「いよいよまずそうね」とジャンがもらした。
「そうだな」
エルの方を見た。
「【主】……ルシファーは母親と呼んでいますが、彼女はもう間もなく現れます。大尉、あなた方が50階まで到達する頃には、地上は彼女の手で更地となっているでしょうね」
「いけしゃぁしゃぁと貴様!」
俺は銀極穂を抜く。
俺達がどんな気持ちでここまで来たと思っているのか。それをこいつは――。
「待って」
気が付くと、雪が隣に来ていた。
「雪、こいつは」
「分かってる。分かってるよ、兄さん。酷いよね、仲間だと思っていたのに。折角……。でもある意味、犠牲を払わずに攻略できるチャンスでもある」
雪はエルの前に歩み出た。
雪の姿は変貌していた。俺があれだけ止めていたのに――彼女は第四神威を纏っていた。
そしてエルを正面から睨み付けた。
「エル、約束して。私とシェルが二人で行けば、必ずコアを解放してくれるのよね?」
「雪ちゃん……誓うよ」
エルは見たことのないような真剣な表情でそう言った。
「シェル、あなたはどう思う?もう間もなく地上には兄さんの力が必要になる。私達は間に合わなかった。でも、これならなんとかなるかもしれない」
聞かれたシェルは、少し考えた後、こう言った。
「エルが神威が使えなくなった点を考慮しても、戦力差がありすぎる。私と雪くんだけじゃ、恐らく今の君には太刀打ちできない。そんな状況で話など出来ない。だからエル、君が大尉を納得させられるだけの条件を付け加えろ」
エルはそれを聞いてわずかに笑みを浮かべた。
「いいね、交渉が進んでいる感じ。僕も最初からそのつもりだった。シェル、君にこれをあげるよ」
エルはシェルに向かってとある短剣を放り投げた。
綺麗な剣だったが、柄に気味の悪い目玉が付いていた。
「大尉、あれを『閲覧』してみてください」
閲覧ができるということは、どうやら生物らしい。言われるがままにそうした。
『ステータス閲覧』
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宝雷剣 Lv.400
スキル:マスター殺し
*特殊条件:ダンジョン46階以降でのみ有効
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絶妙な条件をつけやがって。
長らく人間界で生活していただけはある。
「それは僕の魂魄を半分に割って作りました。それを僕に掠らせただけで僕の力は大幅に弱まります。これで僕の決意が伝わらなければ、交渉は決裂です」
ジャンの方を見た。彼は肩をすくめている。
俺は天を仰いだ。
俺達は最終的に、エルの提案を飲むことにした。
――【主】による地球再侵攻まで、あと1日――




