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第100話 人が人であること

「いやぁ、あの時の太一君は凄かったなぁ。今でも身震いするよ。私とリーリャさんがあれだけ苦労した化け物の群れをこう、バッタバッタとなぎ倒していってさ」


 次郎はそう言うと、グイと何本か目のビール缶を美味しそうに呷って空にした。

 彼は酒を飲むと饒舌になるタイプだった。特に気の置けない家族の前でビールを飲んでいる今のような状況ではなおさらだった。


「このところ本当に、太一君の話ばっかりね。あなた自身だって随分と活躍してきたのでしょうから、たまにはあなたの武勇伝を聞かせてくれてもいいのよ?」


 少しあきれた口調とは裏腹に、妻である沙優莉はにこにこと楽しそうに次郎の話を聞いていた。彼が営業マン時代に培ったテクニックを全て駆使して口説き落とした自慢の美人妻だった。


「あなたがフェアリーマートを始めた時に最初に雇ったあの太一君が今じゃ世界の英雄だものね。何かぴーんと来るものでもあったのかしら?」


 沙優莉自身も店の手伝いで足を運んだ際に何度か話したことはあったが、これといった特徴のない地味な青年という印象しかなかった。


「うーん、そうだなぁ。なんというか、ほっとけないって感じだったかな、あの頃は。バブルがはじけたばかりのあの頃の日本は皆が暗かったけど、彼の瞳の奥の暗さはそれに輪をかけて尋常じゃなかった。放っておくと何をしでかすか分からないというか。それで思わず声をかけたものさ」


 沙優莉も初めて聞く話だった。

 次郎は間抜けたようでいて、昔から妙にするどいところもあった。


「いろいろあって、神様に選ばれた子供だったからなんでしょう?なんでそんなになるまで神様は放っておいたのかしらね…」


「そうだなぁ。でも、人の苦悩は、人や人同士が解決するしかないってことなんじゃないか?だが彼は今じゃ、立派になった。本当に立派になったものさ」


 今度は目に涙を浮かべて、日本酒に手を出し始めた。

 沙友里はやれやれと笑いながら、彼に甲斐甲斐しく酌をしてやった。

 案外、神様が彼を夫と引き合わせたのかもしれないなと、彼女は思った。


「お父さん、ゲームしよ!」


 娘の日名子だった。友達とのメッセージ交換にでも飽いたのか、二階から降りてきたらしい。

 もう中学三年生になるが目立った反抗期の様子はない。幸いメタボな次郎よりもすらりとした母親によく似た、かわいい一人娘だ。


「ゲームもいいけど宿題はやったのか?」

「こんなオワコン間際な世界で宿題なんかやったって仕方ないでしょ。基地学校だって問題のある子ばっかりだから、そこらへんはユルユルなのよ」


 まぁそう言われればそうだなと次郎は思った。宿題より大切なものはいくらでも転がっている。


「よぉし、じゃぁ三人でやろうか。人生ゲームなんてどうだ」

「いやよ。サイコロ系はお父さんキモいくらい6しか出ないもの」

「悪いがお父さんそこらへん全く加減できないからなぁ」

「こんなラッキーお父さんが英雄の仲間だなんて、今でも信じられない」

「ほんとそうよね」


 彼は今日も家族とのかけがえのない幸せな時間を過ごした。

 

 次郎はいつものように、この瞬間が永遠に続くことを小さく願った。

 ふと時計を見ると、夜の8時くらいだった。

 時計をかけた壁の横の大きなガラス戸の向こうには暖かな隣家の明かりが連なっている。

 

 ―次郎は突然、時間が止まったような感覚を覚えた―


 窓の向こうをもう一度見やる。

 目を凝らすと、町の中枢部にある一番高い棟、その向こうの空で小さく何かが光った。


 静かな時間の流れの中で、光は瞬く間に大きくなっていった。

 光が視界のすべてを埋め尽くす前に、次郎は妻と娘に覆いかぶさっていた。


――――――――――


 ―それは【事変】が起きる、数刻前―


 「アレキサンダー, D, R, S, オリヴェイラ。この名を知らない人間はもはや地球上に存在しないと言ってもいい。私は1/1より前から彼とともに戦い、支え、対ダンジョン協会を世界随一の組織へと作り上げたが…。実際のところ、彼は一人で、本当にたった一人の力で、哀れに魔物に食い殺される一方だった人類を【壁】の建造により、立て直した」


 日本の真裏、ブラジルにおける対ダンジョン協会総本部において。

 本部総司令であるヨゼフ・カーネマン卿は、多数の聴衆を前に語り掛けた。


「魔獣を退けた後、今度は親しかった故人が死人となり人を食らう奈落の底に人類は再び蹴落とされた。すると彼は次に【聖域】を作り、怯える無力な民衆を匿った。優秀な人類とともに、沢山の動物や植物も一緒に、地球の生きた証として。この星の力を纏った奇跡の都市だ。聖域を楔として星に打ち込むことで、彼は大いなる外敵と戦い、星そのものを守ろうとした。素晴らしい、全く素晴らしい英雄だ。…だが彼はここにひとつの大きな過ちが含まれていることに気が付いていなかった」


 もともとカーネマンの目には力があった。

 すべてを見通す目、千里眼。青く澄んだ空のようなきれいな双眼。

 だがそれらは今、見る影もなく暗く濁っていた。

 そしてそれが聴衆にも伝播したかのように、皆一様に同じ目をしていた。


「それは人の持つ最も大きな業、『傲慢』だ。等しくそれは彼の心にもあった。私は人類の中で唯一、この千里眼を通してあの姿を見たのだ、あの悪魔の全貌を。あれはもう、人の力が及ぶようなものではない。私たちにできることは何もない。あれに手を出してはならない。手を出そうとすることがそもそも、人の業なのだ!」


 カーネマンは激しく身震いしながら天を仰いだ。まるでこれまで信じていたものを糾弾するかのような言葉に聴衆はおののき、嘆いた。

 

 一呼吸おいて、彼は落としていた声のトーンを戻して、続けた。


「だが私こそが、彼にかねてより提言を続け、聖域を『箱舟』として作り変えさせた者だ。舟を起動させるためのペアキーは私と彼が持っている。次にあの悪魔がこの星を襲う前に、我々は彼に決断させなければならない。もう地球は手遅れなのだと。我々人類は、人類こそが地球が生みだした奇跡の果ての存在として、なんとしても宇宙そらへと逃れ、生き延びなければならない!」


 ワァァァァァァ!!!


 聴衆は立ち上がった。

 初めからその号令を聞きたいがために集まっていた集団だった。


「我々は!生きるために!これより最後の戦いを行う!瀬戸基地を破壊し、悪魔との決戦などという無意味な『業』から一刻も早く降りるのだ!既に我々の主力部隊が瀬戸基地を包囲してある。あの基地に暮らす人々は悪魔との最前線に残り、生きることを『放棄』した人々だ。悪魔に食い殺される前に慈悲を与えてやろう」


「『聖なる生存者達』よ!生を勝ち取れ!勝ち取れ!!」


 ワァァァァァァァ!!


 基地の殆どの人間は、一兵卒に至るまで殆どがカーネマンに『洗脳』されていた。

 そこには太一や雪の訓練に付き合ってくれた魔道兵達や、衛兵の姿もあった。


 いや、カーネマン自身が、もはやその目に狂気をありありと映し出していた。


 彼はある意味で正しかった。

 彼は分不相応だったのだ。


 ―たった一人で、深淵の【目】を直視するには。 


――――――――――


 ドォン!ドォン!ドォン!ドォン!



「―はっ」


 アナスタシアは巨大な爆発音で目を覚ました。

 急いで窓の外を見ると、四方で空が燃えていた。


「何が起こったの…!」


 爆発は大門に近い、最外層にある一般兵区画で同時に複数回にわたって聞こえた。

 魔導の気配も少しした。威力からすると魔導核ではないだろうが、相当な威力のものが使われたに違いない。

 ここは最外層から随分と離れているし、中枢区画に貼られた独自のバリアーが守るため、まずもって害されることはない。問題は―。

 そのすぐ内側にある居住区が…兵士の家族や避難民たちの家が…。


「店長さん…ッ」


 アナスタシアは乱れた髪を一つに括り、法衣を纏うと部屋を飛び出した。

 次郎と家族の安否が気になったが、自分にはまずやらないといけないことがある。

 諸国司令の安全確保だ。


 その目的はほどなくして達せられた。


「ミーシナ君」

「司令、ご無事でしたか」


 瀬戸基地司令、諸国源一郎は複数のオペレーター達と共に司令室でものものしく多数の近衛魔導兵達に護衛されてはいたが、本人はいたって冷静な様子に見えた。


「司令、敵の正体は?」

「まだ不明だ。目的も。被害は最外層の一般兵区画は最も爆発規模の大きかった東部が壊滅、他三区画も被害甚大で、外層の居住区核も死者が多数出ている。生き残った一般兵達は負傷者の救助に、魔導兵部隊が事態の収拾に動いている」

「壊滅!?門のバリアーは作動しなかったんですか?」

「作動していない。爆発は内側から起こった。つまりは内部の人間の仕業だ」

「侵攻が間近に迫ったこの大事な時に―ッ」


 そこでアナスタシアに通信が入った。

 声の主は、初めて聞く声色をした、アレクからだった。


「ナーシャ、最悪だ。カーネマンが裏切った」


 ―遠くで断続的に銃撃の音が聞こえる。


「僕が不在のところを狙われた。僕寄りの間諜からの連絡だったが先ほど消息を絶った。本部にいるクリスとも連絡がつかない。彼を抑えているとすれば、僕が決戦用に本部で開発していた7機の重魔装外骨格ヘビーアーキフレームを根こそぎ奪われたに違いない。紫電の素体となったアーティファクトで、大量の魔素核を投入してある。兵装の開発と整備はカーネマンの直属に委ねていたのだが、まさかこんなことになるなんて…」


 程なくして、外部からの侵入者を防ぐための大門の生体セキュリティが破壊され、外部から大隊相当の武装兵団がなだれ込んできたと報告があった。


 銃撃の音は少しずつ、こちらに近づいてきていた。おそらくリフトも乗っ取られたのだろう。この手際の良さからして、基地攻略は周到に計画されたものだ。

 そして重魔装外骨格ヘビーアーキフレームとやらは白兵戦力として相当のものだろう。もし本当にクリスを制圧したレベルなのであれば、ここの魔導兵達の装備では到底太刀打ちできない。


「ナーシャ、僕を迎えにすぐドイツまで―」

「残念だけどアレク、その猶予はないみたい。あなたは今すぐ自力でここか本部に戻って」

「クソッ、カーネマンめ!……すまないナーシャ、瀬戸基地は僕の持てる全てを注いだ最重要拠点だ。なんとか守ってくれ。残念だが内からの攻撃にはたいして強くない」

「えぇ、分かってるわ。アレク、あなたも気を付けて」


 通信は切れた。


「司令、敵はダン協内部の反乱軍のようですが、狙いはわかりますか?」

「……カーネマンは【主】の侵攻の日以来、どこか様子がおかしくなっていたと聞く。『勝てるわけがない』といった指揮官にあるまじき言葉をよく口にしていたようだ。そしてそれは兵士達にも伝播していたと。もし彼が【主】との戦いを回避するためにこの基地を襲ったのだとすれば……目的は、純粋な基地の破壊、およびダン協そのものの戦闘力を削ぐことか」

「とすると?」

「あぁ、狙いはこのセントラルタワー地下の動力核および屋上の主砲の破壊、そして、私と君の命だろうな」

「名の広まった私の命も取りにくるでしょうか?逆賊の名を冠するのは彼にとって下策ですが」

「カーネマンが本気で宇宙に逃れたいなら、ゲートバスターズの面々は一人でも減らしたいはずだ。アレクと結託して反乱が起きるリスクが上がるからな。つまり聖女たる君は事故死でもしたことにして、【主】との決戦を忌避する流れに利用するつもりだろう」


 アナスタシアは彼のあまりの身勝手さに目眩すら覚えたが、行動原理は理解できた。


「…では司令、ご命令を」

「あぁ。アナスタシア・ミーシナ中尉、君は君の判断に従い、基地に侵入した逆徒どもを余さず抹殺しなさい」

「……御意に。司令におかれましては、くれぐれもご自愛ください」

「わかった」


 アナスタシアは一礼し、諸国司令と別れた。

 塔の入り口を出た後、その唯一の入り口を水の結界で封鎖した。

 遠くを見ると黒い多量の煙が空を覆い、あちこちで火柱が上がっている。基地の中は既に随分と侵略されているのが見て取れた。

 ふと仲間の一人の気配を感じて、彼女は暗闇に向かって声をかけた。


「玉藻さん」

「あぁ、聞いておったよ」


 九尾の妖狐は何処からともなく姿を現した。

 今この基地にいるゲートバスターズは、アナスタシアと次朗と玉藻だけだ。かつては敵だった玉藻だが、戦闘力でいえば仲間の中でもトップの座を争う彼女がここに居てくれたのはなによりも救いだった。彼女は人間同士の争う様子を、まるで懐かしむように目を細めて眺めていた。


「人間の浅ましい部分は変わらんな。して、わらわはここを害する者どもを殺して回ればよいかや?」

「いえ、それは私が。民間人の命もできる限り救いたいので。ここの護りをお願いできますか」

「好きにしろ。ここは誰であっても通さぬ。それでよいか?」

「十分です。ありがとうございます」


 アナスタシアは玉藻に軽く一礼し、タワーを離れていった。

 その後ろ姿を玉藻は目で追いかけた。


「それは私が、か。あの女も、なかなか面白い方向に化けたな」



 中枢区画の中はがらんとしていた。

 いつも巡回している魔導兵たちの殆どは外に駆り出されているらしい。そもそも、どれくらいの兵士にカーネマンの息がかかっていたのかすら定かではない。

 知った顔だろうと、障害は全て排除するしかなかった。


 タワーと同じく魔導兵区画との関所も南側の1箇所だけだ。そこにはいつも程ではないが、多くの衛兵が守護の任を続けていた。

 かつて気配を消した太一に容易に空から侵入された失態を受けて、セキュリティは大幅に強化されている。彼と初めて出会った時のことだ。今となっては懐かしい。


「通るわ」とアナスタシアは衛兵に声をかけた。

「はッ、ミーシナ中尉!ご無事で何よりです!しかし外は危険ですので、どうか中枢内で待機ください!」

「いいえ、この基地の構造上、ただ待てば四方からの軍勢が結集して襲ってくるだけよ。外は私に任せて、あなた方は分散して中枢区画内を守って。最重要のセントラルタワーは玉藻が守ってくれているから、生産工場を破壊されないよう努めて。死なない程度にね」

「はッ、命に変えましても!ご武運を」


 ゲートをくぐると、既に魔導兵区画にまで敵の精鋭たちが入り込んでおり、硝煙と死臭がひどく鼻をついた。あちこちで転がる死体は魔導銃で撃たれて死んだ味方が大半だが、中には圧壊されたように原始的な壊され方をされた者もいた。重魔装外骨格ヘビーアーキフレームとやらの仕業だろうか。敵の死体もそれなりにあり、兵士たちが善戦したことが見て取れた。


「アナスタシア様…逃げてください」


 地に伏せた生き残りに声をかけられた。顔を見ると、基地設立当初からの顔を知った魔導兵だった。手足が一本ずつ失われ自身の血の池の中で風前の灯だ。

 素早く辺りの魔力反応をサーチすると、まだ生き残りが点在しているようだった。彼らをまとめて戦線復帰させられれば、この辺りの状況はまだ持ち直すかもしれない。


「ソジュン、すぐに治すわ」

「い…いけません、敵はあなたを探しています…居場所がバレれば一斉に…」

「むしろ好都合よ」


 手から杖に、杖から地に魔力を伝わせて、巨大な魔法陣を展開した。

 彼女のヒーラーとしての真骨頂は部位欠損を治せる程のレベルの回復魔法を数キロメートルに渡る超広範囲に展開できる点にあった。


「『エリアヒール』」

「お、おぉ。手が…足が…」


 兵達はちぎれ飛んだ自身の手足が生えてくる光景が信じられなかった。

 上がる歓声とともに各地で消えかけていた火が一斉に灯り、再び戦闘レジスタンスが再開された。

 だがそれと引き換えに、敵は標的ターゲットの一人を容易に見つけることとなった。


「いたぞ!聖女アナスタシアだ!」


 像でも狩るのかという程に大口径の魔導ライフルを肩に担いだ魔導兵の小隊にアナスタシアはあっという間に囲まれた。


「標的二名のうちアナスタシアは生死問わず(デッドオアアライブ)だ。殺せ!」

「こんな超上玉の顔を吹き飛ばすなんてもったいねぇが仕方ないか」

「くくく」


 後方のリーダー格の男の指示に従わず即座に撃ってこない辺り、随分と舐められているようだ。

 本部の魔導兵団はつわもの揃いで有名だったが……。


「アレキサンダーが戻る前に殺る必要がある。いいからやれ。一斉放火ヴァレーファイア!」

「イェッサ―」


 ダダダダダダダダダダ!!


「……あ、アナスタシア様」


 魔力で強化・加速処理された徹甲弾が秒速数百発の早さでアナスタシアの元に収束したのを見て、ソジュンと呼ばれた中年魔導兵は膝をついてうなだれた。

 本部産の最新の魔導兵器の前では我々は一発でもまともに喰らえばそこらで転がっている死体の仲間入りだというのに、あんなに撃たれたんじゃ、いくら聖女様といえ…。


「打ち方やめ!」


 8割の兵士が装弾していたバレルを撃ち尽くした所で停止の声がかかった。


「へへ、きんもちぃー。金になりそうな遺品の一つでも回収できたらいいけどな」

「そうだな、殺した事が確認できなきゃ任務成功にならねーもんな」


 兵士たちは勝利を疑わなかった。

 あんな細身の女一人、歴戦の本部魔導兵団の魔弾が貫けないなどと、想像だにしていなかった。


「確認なら簡単ですよ。たくさん残ってますので」

「へ?」


 場にそぐわない鈴の音のような静かな声に兵達が呆気にとられた直後、前衛の三人の頭が弾けとんだ。

 地に叩きつけられて人形のようにバウンドする部下たちを見た隊長は一瞬の内に自分の中にあった驕りを激しく悔いたが、ふと頭上を見ると、無数の碧い水球がふよふよと辺りに漂っていた。

 

 バァン!

 シャボン玉のようにばらまかれた水球はすべて彼女の得意な中級魔法ハイアクアであり、それらが一斉に弾けた。

 隊長含む小隊全員、首から下が凸に抉れて呆気なく地面に転がった。

 アナスタシアはその死にざまには目もくれず、小走りに移動を開始した。

 歴戦の本部魔導兵団も、長らくC級ダンジョン討伐遠征ばかりで緩みきっているようだった。この世界で見た目ほど当てにならないものなんてないのにと彼女は思った。


 アナスタシアは初めて人を殺した。その事実は少なからず彼女の心にしこりを残したが、彼女はその事実を一笑に付した。自分に自分を憐れむ資格はない。


 彼女は孤立無援の状況をものともせず、多くの兵達を戦線復帰させながら、ひたすらに内側の居住区画を目指した。


 無数の凶弾は暗闇では不可視に近い水の隔壁が悉くを宙に停止させ、空に浮かべた水球が炸裂するたびに死体の山が築かれた。そんなあまりにも圧倒的で一方的な戦闘を見て、敵味方の兵士たちは思い出し、そして真の意味では初めて知ったのだった。

 選ばれた人間とそうでない人間の間にある、あまりにも大きな隔たりを。





――【主】による地球再侵攻まで、あと8日――

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