ヘレナ様が大好きなお兄様の正体にやっと気づきました
わたしは調理室を出るとほっと息を吐いた。今日は学園祭の当日だ。わたしは午前中、調理を手伝い、午後からフランツと学園祭を回ることにしたのだ。
ルトに行くことはお父様にカミラに伝えた翌日に話をした。お父様はわたしが決めたことならと賛成してくれた。叔母様にもお父様とわたしから話を伝えに行き、彼女なりにわたしの決定を認めてくれた。ただ、学校は退学ではなくいつでも戻ってこれるようにと休学扱いになるようだ。その休学にはルトで新しい学校を創設した際にそのまま通えるようにとの計らいがあってのことらしい。
学校の友人には誰も話をしていない。先だって話すのではなく、旅立つ前に話せばいい。
ただ一人。ヘレナ様のことが気にかかったが、彼女には学園祭が終わってから話をしようと決めていたのだ。
クラウディアが流すであろうよからぬ噂はまだ流れていない。もっともわたしはそんなことをするつもりはないのだから、流れるわけもないのだけれど。
わたしは午前中は手伝いをして、午後からフランツと待ち合わせをしていた。
レーネはお昼から手伝いをするようだ。
わたしは靴を履き替え、待ち合わせ場所に向かおうとしたとき、わたしの前に人影が現れた。
顔をあげると、ダミアンが立っていたのだ。
「お前」
わたしは思わず顔を背けた。
あの変な噂が流れてから、ダミアンと話をしていなかった。
わたしは彼を無視して校庭のほうに歩いていこうとした。そんなわたしの手をダミアンが掴んだ。
「クラウディア様は昼からは暇なんだな。お前が望むなら一緒に過ごしてやってもいいよ」
ダミアンはにっと微笑んだ。
わたしは眉根を寄せた。彼は何を言っているのだろう。
わたしはダミアンに嫌悪感は示せど、彼女が発覚して以降全く好意を持っていないのに。
「遠慮しておくわ。わたしは急いでいるの」
そう言ったわたしの手をダミアンが掴んだ。
「つれないな。お嬢様は。駆け引きでもしているつもりかよ」
「駆け引き?」
わたしには意味が分からなかった。いや、少し考えて、ダミアンが大きな勘違いをしていることに気付いたのだ。彼の次の言葉が、わたしの予感を確信に変えた。
「そんなことをしなくても、お前が望むなら付き合ってやってもいいと思っているよ」
「何を言っているの? あなたにはドロテーがいるでしょう」
「ドロテー? なぜ?」
「あなたたち、付き合っているんでしょう」
「嫉妬?」
「そんなことあるわけない」
わたしはぴしゃりと言い放つが、この男には全く効果がないようだった。
なぜこんなことになってしまっているのだろう。
「あいつとは別れてもいいよ。そんなに未練もないし」
彼はそうあっさりと言い放つ。
わたしの頭に血が上るのが分かった。そう。彼はドロテーに対しては冷たかった。あの調理実習のときだってそうだ。それは彼女のことはどうでもよかったから。ただのクラスメイトではなく、彼女だったのにも関わらず。わたしは湧き上がる怒りを抑え込んだ。ダミアンに力では敵わない。魔法で彼を抑え込めば、あのときの二の舞だ。
ダミアンがわたしの腕を掴む。
すごい力で、振り払うことさえできない。
「ブラント家は俺のものになるのか。チャンスがあればと思っていたけど、まさかこんな機会が訪れるとはね」
「わたしはあなたのことなんて」
そのダミアンの視線がわたしの後ろにそれる。そして、わたしは後ろから腕を掴まれたのだ。
そのまま、わたしとダミアンの間に大きな影がかかった。
わたしとダミアンの背後に立っていたフランツは、冷たい目でダミアンを威嚇した。
「僕の婚約者に変なことをしないでもらえるかな」
「お前、何だよ」
ダミアンはフランツを睨む。
だが、フランツは全く動じない。
というか、婚約者って。わたしは彼の幼馴染で婚約者になったことは一度もない。ルトに行くことが婚約を意味するのなら、そうだけれど。
その言葉に戸惑いはあるが、嫌な気持ちはしなかった。
「いや、お前、どこかで見たことが」
そう口にしたダミアンの語尾が笑いを含んだものに変わった。
「ブラント家の使用人か。以前ここにも来ていたよな。クラウディア様は使用人に手を出すほど欲求不満だったのかよ。まあ、これからは俺が相手をしてやるよ」
「そんなこと」
わたしはダミアンを睨む。
「わたしのことはなんといっても構いません。けれど、フランツのことを」
侮辱するのは許せないと言いかけたが、フランツがわたしの肩に触れた。
彼はあんな物言いをされてもいたって落ち着いて見えた。
「僕のことはあなたの好きなように言えばいい。僕はクラウディア様を愛していますが、あなたの思うような関係ではありませんよ。クラウディア様を侮辱するのはやめてください」
フランツは嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
フランツがひるむのが分かった。
「使用人の分際で、愛しているなどと。さすがブラント家の使用人だな」
フランツは眉根を寄せ、ダミアンを睨んだ。
だが、フランツの声は別の澄んだ音にかき消された。
振り返ると金髪のお面をかぶった少女が息を乱し、こちらに手を掲げていた。
「あなた、わたしのお兄さまを侮辱するの?」
「は? お兄様?」
わたしにはその声に聞き覚えがあった。幾度となく目にした愛らしい少女の声。
彼女の傍にロミーさんがかけて着て、王女の肩を抱いた。
「ヘレナ様、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられません。お兄様を侮辱する人間は誰であろうと許しません」
「は?」
ダミアンは間の抜けた表情でそのお面をかぶった少女を見つめていた。恐らく彼もそれが誰だか分かったのだろう。
心境的にはわたしも一緒だ。
彼女は誰を侮辱したことを怒っているのだろう。
状況的に考えてフランツを。
ヘレナ王女の手に燃え盛るような炎が巻き上がる。
「ヘレナ」
凛とした声が辺りに響いた。ヘレナ王女の動きが止まる。
彼女の視線は声の主である、フランツに注がれていたと思う。
フランツは彼女の傍まで歩いていくと、その手を握った。
彼女の手から炎が消えた。
「僕は大丈夫。ここで暴れたら学校を辞めないといけなくなる」
彼女はしゅんと肩を落とし、自分のかぶっていたお面を外した。
そして、よく知る美しい少女の顔が露わになった。
「そうですね。申し訳ありません」
ヘレナ王女は辺りに頭を下げる。だが、ダミアンに対してだけは睨みをきかせた。
よほど彼女の逆鱗に触れてしまったのだろう。
騒ぎを聞きつけた先生がやってきて、わたしたちは学長室に連れていかれることになった。




