レーネは急に意見を変えました
わたしは焼いたケーキをカットすると、一息ついた。
同じ班のパウラがわたしのテーブルを見て目を輝かせた。
「おいしそう。一つもらっていい?」
「いいけど、自分のを終わらせてからね」
「ありがとう」
彼女はオーブンを開けると自分の作ったオレンジピールのパウンドケーキを取りだした。
今日は調理実習だ。あれから目立ったトラブルもなく、この日を迎えた。
レーネたちのことも気にはなるが、今は調理実習に集中しようと決めていた。調理実習中であればいくつ作ってもいいことになっている。先生には一つ提出をして、味を見てもらい、それが評価につながる。評価はシートに記載し、後日各々に配られることになっていた。
わたしはレーネたちの班を見た。レーネとドロテーは笑顔で言葉を交わし、使った器具を片づけていた。
もう焼き終わるのを待つだけのようだ。
レーネとドロテーは何を思ったのか、同じ味のケーキを作り出したのだ。まあ、レーネはクルトにあげるので、問題はないだろうけど。クルトは好き嫌いが全くないうえに、レーネの作ったものなら何でも食べる。
わたしはフランツたちの分を別の容器に入れておいた。先生にも持って帰っていいという許可はもらっていた。
「クラウディア、交換しよう」
パウラは微笑むと、わたしの前にお皿を差し出した。
わたしは彼女の言葉に頷くと、開いているお皿にケーキをつぎ分けた。
レーネたちも無事に作りおえたようで、わたしは一息ついた。
レーネもドロテーも満足いく出来だったらしく、わたしは一息ついた。
帰りのホームルームを終え、先生はあいさつを終えると、教室をさっと出て行った。わたしも鞄にテキストを片づけると、レーネに声をかけた。
「帰ろうか」
「うん」
レーネは鞄を手に取った。
彼女はまだケーキをクルトに渡していない。
「今からクルトの教室に行くなら、先に帰っているけど」
「クラウディア、そのことなんだけど」
唇を噛んだレーネの口から導きだされた言葉に耳を傾けようとしたが、別の声が耳に届いた。
「レーネ、今日は図書委員があるから、忘れるなよ」
同じクラスのグンター=ゲアルだ。彼はレーナと図書委員をしていた。
ちなみにわたしは学級委員だ。
「そうだったっけ?」
「やっぱり忘れていたんだな。今から五分後だから、忘れるなよ」
「分かった。教えてくれてありがとう」
彼は鞄を手に教室を出て行った。
急な話だったが、クルトとレーネの家は近い。
家に届けることもできるだろう。
「先に帰っていていいよ」
「そうするね」
「じゃ、明日」
そうレーネは笑顔で言葉を紡ぐが、あごに手を当てると、上唇で下唇を覆った。何かを考え込んでいるように見えた。迷っているのだろうか。
彼女は右手の指先を軽く動かし、わたしを手招きした。
わたしは彼女の真意が読めないながらも、彼女に顔を近づけた。
「わたし、やっぱりダミアンにあげようと思うの」
わたしはそう小声で囁いたレーネを凝視する。
「クラウディアはいろいろクルトとのことを気にかけてくれたのは分かっている。でも、ドロテーを見ていたら好きな人にあげて、喜んでほしいなと思ったんだ。クルトにはまた今度別の形で用意するよ。せっかくの誕生日だもん」
「大丈夫なの? 嫌いなものが入っているかもしれないよ」
「好き嫌いないと言っていたし、大丈夫だよ。実はね、調理実習前に実は決めていたの」
レーネはそう満面の笑みを浮かべた。わたしはそう決めたレーネをどうとめていいのか分からず、何も言えずに学校を後にした。ダミアンのために作ったケーキを渡す機会をわたしが奪っていいわけがないのだから。いくらダミアンがああいう人間だったとしても。それにここでレーネの作ったケーキを奪ってしまうと、妨害行為に該当してしまう可能性だってある。クルトもついでではなく、誕生日としてプレゼントを渡されたほうがいいに決まっている。
学校を出ると、短く息を吐いた。
いろいろな要素が重なり、彼女を咎めたりはしなかった。本当にこれでよかったのだろうか。レーネと別れて何度も自問自答を繰り返すが、その答えはいまだ出なかった。
ダミアンとレーネを今の段階で引き離してしまえば、レーネも本当のことを知らずに済むのに……。
そんな思いが何度も胸の中で駆け巡っていた。
背後から名前を呼ばれ振り返ると、ドロテーがこちらに駆け寄ってきた。
「クラウディア、今日は一人なの?」
「レーネは図書委員があるらしいの」
「そっか。委員会って面倒だよね」
彼女は納得したように首を何度も縦に振る。
「クラウディアは今日のケーキ、フランツさんにあげるの?」
「それと幼馴染の女の子にね。彼女もいっしょに住んでいるの」
「賑やかそうでいいね。あんなにかっこいい人と一緒に住んでいたら、他の男子には目がいかないよね」
わたしははいとは言い出せず、苦笑いを浮かべた。
「わたしはダミアンのほうが好みだから安心してね」
「そんなにフランツがもてるとは思っていないわ」
わたしは苦笑いを浮かべた。
「結構人気になっているみたいよ。クラウディアがいなかったらチャンスがあるのにと言っているのを聞いたもの」
「別にわたしがいようがいまいが関係ないと思うけれど。わたしと彼は付き合っていないのだから」
「クラウディアと争って勝てるなんて思わないじゃない。それに、クラウディアはどうであれ、フランツさんはそうでもないでしょう。クラウディアのために放課後まで待っているなんてすごいじゃない」
そういえばドロテーはわたしがダミアンを好きだという仮定で、そんなことを言っていた気がする。
普通はそういうものなのだろうか。フランツはよくわたしを待っていてくれるのでいまいちぴんと来ない。
曲がり角に来たとき、ドロテーが足を止めた。
彼女の家はまっすぐ行った先にある。
意外に思いながら、わたしも立ち止まった。
「じゃあね、わたし、この先の公園でダミアンと待ち合わせをしているんだ」
わたしは頷き、ドロテーに別れを告げる。
わたしは少し遠回りになるが、公園の前を通らずに帰ることにした。ダミアンがああいう人間だと知り、ドロテーがダミアンに渡すのを見たくなかったのだ。
だが、家に向かいかけたわたしはふっとあることを思い出した。ドロテーから借りた本をまだ渡していなかったのだ。明日でもよいのは分かっていたが、借り物の本は何らかのアクシデントがあって綺麗なまま返せなくなっては困る。早めに返しておいたほうがよいという一心でドロテーの後を追った。今から追えば、ダミアンが来る前に渡せるかもしれない、と。
だが、ドロテーがいるであろう公園の前に到着したわたしは後悔の溜め息を吐いた。そこには既にダミアンとドロテーの姿があったのだ。
もう来てしまったのか。できれば今日返したいが、このまま二人でどこか行くなら、明日本を返そう。
わたしは公園の中に入ると、時間が過ごせる場所を探した。
のぞき見するのは気が引けてしまうため、恋人同士の二人の姿をできるだけ視界に収めないように木を背中に当てた。
広い公園だが、遊ぶ子どももほとんどおらず人気がない。そのためある程度離れた場所の会話も耳に届く。ドロテーとダミアンの会話も部分的に届き、わたしは居心地の悪さを覚えながら、髪の毛をかきあげた。
「これ、調理実習で作ったの。よかったら食べて。こういうの好きだったら、わたしももっと頑張って創るよ」
無邪気なはずんだ声。きっとドロテーは幸せそうに笑っているんだろうな。
「ありがとう。でも、俺、ブルーベリーは好きじゃないんだよね」
「え?」
わたしはその言葉に驚き、思わずダミアン達を見た。
ドロテーは顔を引きつらせ、ダミアンを見ていた。
「ごめんなさい。わたし、知らなくて」
「いいんだよ。次から気を付けてもらえば」
「だったら、これわたしが食べるね。ごめんね」
ドロテーは自分が作ったケーキを抱き寄せた。
「そうしてくれると助かる。もらって捨てるのも申し訳ないからね」
「そうだね。はっきり言ってくれてありがとう。今日は用事があるから、ここで」
「分かった。俺も用事があったんだ。じゃあね」
ダミアンはそう言い残すと、そそくさと公園を出て行ってしまった。




