62話 朝に訪問者
テフランとの暮らしが続くと、スクーイヴァテディナは少しずつ変わってくる。
表情が一層豊かになり、言葉をたどたどしくながら喋るようになり、そして行動に落ち着きが見えるようになってきた。
加えて、テフランへの親愛の情を示す行動も、良く行うようになってきている。
「おはよう、テフラン」
単語での挨拶の後、スクーイヴァテディナは朝の訓練から帰ってきたテフランに近寄り、お互いの頬どうしをすり合わせてくる。
犬や猫のような挨拶の仕方に、テフランの心臓は驚きと羞恥で鼓動を早めかせてしまう。
「う、うん、おはよう」
挨拶を返しつつ、テフランはこの行動を止めるように言うかを迷う。
ファルマヒデリアやアティミシレイヤの誘惑とからかい交じりな行動とは違い、スクーイヴァテディナは純粋な挨拶目的でしていると分かるからだ。
その証拠に、頬をひと擦りした後、スクーイヴァテディナはいい匂いが漂ってくる台所へと歩きだしている。
テフランは胸に手を置くことで、鼓動を普段の早さに落ち着かせてから、自分も食卓へと向かう。
そこでは、ファルマヒデリアが魔法で調理した料理の数々を並べていた。
「おはようございます、二人とも。テフラン、アティミシレイヤはまだ外ですか?」
「自分の訓練をしてから戻るって言ってたけど――あ、戻ってきたよ」
会話の途中で、アティミシレイヤが玄関から入ってきた。
彼女は汗が浮いた肌を手ぬぐいで拭きながら、三人がいる場所へと近づく。
その際、汗の匂いとは違う、劣情を招くような匂いを感じ、テフランの胸がざわついてしまう。
(いままでも感じてきたし、訓練のときは気にならないんだから、俺自身のことだけど、慣れても良いと思うんだけどな……)
自分の未熟を、テフランが秘して恥じていると、食卓に料理が並べ終わっていた。
「さあ、食べましょう」
ファルマヒデリアの声に、全員が手にフォークを持つ。
今日の朝食は、焼き目が香ばしそうなパンに、コップに入った湯気立つ具沢山スープ。瑞々しい生野菜と、染み出る油が音を立てている腸詰。
朝の訓練で空腹なテフランとアティミシレイヤは、美味しそうな光景と匂いに耐え切れず、すぐに料理を口に運んでしまう。
「んう! 美味い! ファルリアお母さんの料理は、どこで食べるものより美味しいや」
「日々、腕を上げていると実感させられる。流石は万能型だと唸ってしまう」
「ふふふ。そう褒めても、お代わりしか出せませんよ」
ファルマヒデリアが嬉しそうに笑いながら、二人の皿に追加の腸詰を置き、自分も食事を始める。
そうして三人が食べ始め――特にテフランが半分ほど食べ終えるのを見てから、スクーイヴァテディナも食べ始めた。
なぜか彼女は、テフランが満足に食べるのを待ってからでないと、食事を取ろうとしない癖のようなものがあるのだ。
誰に教えられたものでもないため、テフランたちとの日々から学習した結果なのは確実。
しかし、どこからそういう判断をしたかが、テフランだけでなくファルマヒデリアたちも分からなかった。
(知能の高い獣は、子供が食べるのを待ってから、親が食べるって父親から聞いたことはあるんだよね。つまり、本能的な母性に従うと、こういう行動になるのかな?)
そんな理屈付けをしながら、テフランは朝食を食べ進めていく。
四人とも、食事の際はあまり喋らない。
テフランは渡界者の流儀と父親から、『食い物は静かに早く食べ、酒は騒がしく大いに飲む』と教えられたため。
ファルマヒデリアは、美味しそうに頬を緩めながらパクパク食べるテフランを見つめて、幸せを噛みしめるため。
アティミシレイヤは料理の味を、集中して確かめているため。
そしてスクーイヴァテディナは喋り始めたばかりで、もともと口数が多くはないからだ。
しかし、静かな食卓ながら四人の空気は悪くなく、それどころか穏やかな雰囲気が流れているほどである。
そうして食事が進んでいき、テフランが満腹になった腹を擦って食休みを始めると、他の三人も食べ終えた。
「よく食べましたね、テフラン。それで、今日はどうしますか?」
「もちろん迷宮に行くけど、今回はいままでより少し深く進んでみようと思うんだ」
テフランの言葉を受けて、ファルマヒデリアはアティミシレイヤに意見を求める視線を向ける。
「テフランの実力からすれば、いままでよりもう少し先に行っても十分に通じる。むしろ、いままでの場所で戦っていると、実力の伸びを阻害することになりかねない」
「……戦闘型のアティミシレイヤのお墨付きなら、納得するしかありませんね」
少し残念そうにファルマヒデリアが言うと、スクーイヴァテディナがその袖を引っ張る。
その顔には、テフランを守るという意思が見えた。
言葉なくとも決意を語ったスクーイヴァテディナに、ファルマヒデリアが苦笑する。
「ふふっ。そうですね。私たちが気をつければいいだけでしたね」
「その通り」
「ちぇ。もっと俺の実力を信じてくれていいのにさ」
「母親とは子供の心配をするものだ。例え、どれだけ安全な場所に子供がいようとだ」
「その通りですよ、テフラン。可能なら、ずーっと腕の中に留めておきたいくらいなんですから」
「それは絶対止めてよ!」
ずっと抱き着かれたら気絶は確実だと思い、テフランは悲鳴を上げる。
その様子を、ファルマヒデリアたちは微笑んで眺めていた。
穏やかな空気の中、テフランたちは迷宮へ行くための準備を行う。
テフランは鎧と剣を、アティミシレイヤは手甲と背嚢をつけ、ファルマヒデリアは調理のための調味料の選別をする。
スクーイヴァテディナも、従魔化前に使っていた剣と杖を装備する。これは単独行動で魔物を狩りに行くことがある彼女のために、テフランが装備するように言ったからである。
準備万端整えて、いざ迷宮に行こうとする。
まさにそのとき、間が悪く玄関の扉が叩かれた。
「お客さんが来る予定はなかったんですけれど?」
ファルマヒデリアは首を傾げながら、応対に向かった。
「はい、どちらさまですか?」
扉を開けると、そこには旅装束をした渡界者風――外套に荷物満載の背嚢、よく使いこまれた丈夫な革鎧、腰に帯びた武器、体の一部に魔法紋――の三十頃の男性が立っていた。
ファルマヒデリア、後ろから覗いていたテフランには、その男性に見覚えはない。
テフランたちが警戒心を引き上げると、男性は敵意はないと身振りしてきた。
それで警戒を解くほど、テフランたちは甘くない。
それどころか、スクーイヴァテディナはじっとその男の顔を見て、ぽつりと呟いた。
「これ。一昨日から、町中で、こっち見てた」
「そうですね。監視者の一人でしたね」
獲物が向こうから現れたと言いたげな二人の言葉に、男性の顔色が変わった。
「えっ、見破られて――いや待ってくれ! 確かに監視してたけど、悪気があってしたことじゃないんだ!」
本当に敵意はないと、男性は両手を上に上げる。
戦う意思のない様子に、ファルマヒデリアとスクーイヴァテディナは落ち着きつつも、とりあえずと家の中に引っ張り込んだ。
すると、男性を追って一匹の黒い犬が入ってきた。
テフランはその大柄の犬を見て、なにかが引っ掛かった。
「これ、普通の犬じゃない。魔獣の一種でしょ?」
確認のために問いかけると、緊張気味だった男性の表情が綻んだ。
「その通り。そいつは、俺の従魔で、名前はマブロ。俺はネヴァクだ」
紹介されて、黒い魔犬――マブロは頭を下げる。その後、ネヴァクの横まで歩くと座った。
大人しく、そして賢い様子に、テフランは関心の目を向ける。
「普通の犬より賢く見えますね」
「そりゃそうだ。普通の犬よりもとから知能が高いし、加えて長生きもするからな。その分、食費がかかるんだが、渡界者なら迷宮で魔物の肉を与えられるからな。大した労力じゃないよ。それにこいつの毛並みを見てくれよ。手触りのいいツヤツヤ具合だろ。これは俺が丁寧に毛づくろいしたからで、野良の魔犬の毛皮で絨毯を作ってもこうはいかないんだ」
よほどネヴァクはマブロのことが好きなようで、饒舌に語ってくる。
押しの強さにテフランが目を白黒させていると、ファルマヒデリアが割って入ってきた。
「それで、魔遣いのネヴァクさん。私たちにどんなご用件なのですか?」
「えっ、あ、すまない。少々熱くなってしまった」
苦笑いを零してから、ネヴァクは改めて用向きを語り始めた。
「この家に尋ねたのは、俺たちの仲間にならないかって誘うためだ」
テフランは予想外の理由に驚きつつ、ファルマヒデリアたちの顔を見回してから、ネヴァクに向き直る。
「他に仲間が必要ってわけじゃないので、お断りを――」
「あ、待ってくれ。『渡海者として徒党を組んでくれ』という意味じゃないんだ」
意味が分からずに首を傾げるテフランに、ネヴァクは追加で説明する。
「俺は、『魔遣いの集い』ってヤツの一員なんだ。名前の通り、魔遣いたちが情報交換目的で集まる会だ。まあ、自分の従魔自慢をしたい奴の集まりとも言えるけど」
「その説明を聞くと、集まって話をするだけで、他に目的がないようですけど。それで合ってますか?」
「まさしくその通り。集まって大きなことをやろうとか、魔遣いの地位向上を訴えるとか、そんなことは頼まれてもやらないよ」
「そうなんですか……」
そんな集まりの何が良いのかや、それに入る意味が、テフランには分からない。
そのため、そんな人もいるんだな、ぐらいにしか思えなかった。
「それで、俺をその集まりに誘うため、家を訪ねてきたんですか?」
「そう。君は『告死の乙女』の主なんだろ。なら、うちの集まりに勧誘する、立派な理由になるじゃないか」
ネヴァクの確信をもっての言葉。
テフランは鼻白み、とりあえず惚けることにした。
「何のことだか分かりませんね。たしかに、俺の義母たちは美人ばかりで『告死の乙女のよう』ではありますけど」
遠回しに勘違いだと告げたところ、ネヴァクはニヤリと笑って首を横に振ってきた。
「マブロが匂いから彼女たちを『人間ではない』と判別している。その誤魔化しは通じないよ」
従魔を信じての発言だが、確固として信じているという力強さがあった。
テフランは舌打ちしたい気分を押え、平静な口調を保つ。
「……一昨日から監視していたのは、魔犬にファルリアお母さんたちを確認させるためだったんですか」
「勘違いして欲しくないんだけど。魔遣いの集いには、真偽不確かな従魔の情報が寄せられるんだ。だから君たちの話を知ったときは、誰もがまた偽物だと思ったんだ。だからこそ、人か魔物かの判別を行える鼻を持つマブロと、その主の俺が遣わされたんだ。従魔とその主じゃない相手を勧誘しても、こちらとしては意味がないから」
「一応、彼女たちのことは秘密になっているはずですけど?」
「この町の渡界者組合の組合長の名で、関係各所に『この町で告死の乙女を従魔にした者の噂がある』っていう報告が上がっているけど?」
(組合長め。こっちには秘密にしろと言っておいて……)
テフランが恨み言を心の中で呟いていると、ネヴァクはにこやかに気にしないようにと手を振る。
「そんな噂を検証するために、現地に運ぶ酔狂者なんて、俺たちぐらいしかいないから安心しなよ。というか、今回も空振りだと高をくくっていたのに、意外にも大当たりで、驚いたのなんのって」
ネヴァクは困ったように言ってから、少し真剣な表情になる。
「というわけで、俺たちの集いに入らないか。規則は緩いよ。集まれるときに集まって、話し合いを行うだけだからね。特に君に損はないと思うけど、どうかな?」
再びの要請に、テフランは真剣に考えてから、首を横に振った。
「悪いですが、参加する気にはなれません。一応、秘密ということになってますから」
「そうか。でも、理由はそれだけじゃなさそうだ」
意外にも鋭い指摘に、テフランは少し言い淀んでから、隠していた真意を告げる。
「そうですね。俺の夢は、地底世界へ行くことです。だから、暢気におしゃべりする暇があるのなら、その分の時間で自分を鍛えたいんですよ」
「あははっ、辛辣だな。でも確かに、その夢を追いかけるのなら、余計な足踏みはしていられないか」
「意外ですね。夢を笑われると思ってたんですけど」
「笑わない、というか笑えないさ。だって魔遣いの多くは、それに劣らない変わった夢を持っている。人間全員が、魔物や魔獣を従魔として連れ歩く世になればいいって夢がね。もっとも俺自身は、その夢に身を費やしてまで邁進する気は、さらさらないけどね」
「それはどうしてですか?」
「そりゃまあ、人間は獣相手でも後れを取るのに、魔法を使ってくる分より危ない魔物や魔獣が近くにいたら、普通の人なら心が休まらないだろうなって理解できるからだね」
だからこそ、魔遣いの集いは会話による情報交換しか行わず、強い主張を行わない。
「そうして従魔とその主が穏やかな様子を見せ続けて、近くの人たちは『魔物や魔獣は怖いものだけど、従魔と鳴ったら大人しいもの』と認識してくれるのを待っているわけさ」
「そんな理念があったんですね」
「理念というには、後ろ向きの考えだけどね」
苦笑いした後で、ネヴァクは握手を求めてきた。
「集いに参加してくれないことは残念だけど、君の夢は応援しているからね」
「ありがとうございます。そちらの夢も、実現できるのを祈ってます」
「あはは。そう言ってくれると助かるよ。さて、俺はこの後、この町の渡界者組合に顔を出さないといけないから」
「なにか用があるんですか?」
「いやなに、君たちに接触しようとして、先に条件を出されてしまったんだよ。話し合いが終わったら、顔を出すようにってね。きっと迎えが、この家の前にいるんじゃないかな」
(ファルマヒデリアたちのことは秘密にしているから、その口止めかな?)
テフランはそんな判断を下して、ネヴァクと従魔のマブロを玄関から見送った。
その後で振り返ると、ファルマヒデリアたちの顔に、少し警戒の色が見えた。
「どうかしたの?」
「いえ。これで、私たちが告死の乙女だと知られてしまったなと思いまして」
「この一件が、次の騒動の呼び水にならないといいのだが」
不安を掻き立てる言い方だが、テフランは苦笑いするだけだった。
「心配しなくても、組合長が動いているようだから、ネヴァクさんは秘密にしてくれるさ。そんなことより、長話して時間を取っちゃったから、急いで迷宮に行こう」
ほらほらとテフランが急かし、ファルマヒデリアたちを家の外へと出す。そして迷宮の入口へ、速足で向かう。
そんななか、スクーイヴァテディナは最後尾をついていきながら、ふとした瞬間に後方をざっと見渡した。
なにかの予感に突き動かされたように見えた行動だったが、しかし一秒と経たず再び前を向き、テフランたちを追って歩いていった。
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