60話 お金とお湯と
迷宮に入って数日後、テフランたちは地上に戻ってきた。
荷物持ちをするアティミシレイヤの背嚢には、魔物の素材が入りきらないほど詰め込まれている。
実際に入りきっていいない分は、他の三人が魔物の毛皮を包みにして背負っているほどである。
大漁だというのに、テフランの表情は歯痒さが見える微妙なものだ。
なにせ、この素材の大半を集めたのは、テフランではなくスクーイヴァテディナだからだ。
(別に俺以外が、魔物を倒して素材を回収してもいいわけだけどさ……)
ファルマヒデリアとアティミシレイヤは、迷宮であろうと地上であろうと、テフランから離れたがらない。
そのため、いままではテフランが倒した魔物からだけしか、素材を回収できなかった。
しかし、スクーイヴァテディナは違った。
スクーイヴァテディナは数度テフランが戦う姿を見た後、そこら辺を散歩するかのような気楽さで離脱し、少しして倒した魔物の死体を引きずって戻ってくる。
そしてテフランたちの近くに獲物を置くと、再びどこかへと出かけていく。
まるで巣穴にいる幼子のために食料を探しに行く、野生動物のように。
大量にもたらされる獲物を腐らせるのももったいないと、解体と回収を行った結果に出来上がったのが、いまテフランたちの背にある大量の素材というわけである。
(普通とは違う告死の乙女とは分かっていたけど、こうもファルマヒデリアやアティミシレイヤとは違うんだな)
だから嫌かというと、テフランにとってそうとは言えなかった。
スクーイヴァテディナはテフランに対して、放任に近いスタンスを取っている。
その放置のされ具合が、迷宮に消えたまま帰ってこない父親の育児の仕方を思い起こさせ、懐かしい気分にさせてくれるからだ。
(それに、よく観察すれば、ファルマヒデリアたちのような過保護な面もあるしね)
スクーイヴァテディナは地上の町を歩く際、テフランたちに近寄ってくる人たちに注意を向けている。
目による観察で、怪しい動きをしていないか、危険はないかと判断しているのだ。
そう見取ってみると、迷宮内で離れたのもファルマヒデリアとアティミシレイヤが近くにいれば危険はないと判断したのだろうと、テフランは思った。
そしてテフランは、ここで気分を入れ替えることにした。
(いま俺が面白くないと感じているのは、自分自身の実力不足を思い知らされたからだけ。素材を換金して得られるお金を考えたら、スクーイヴァテディナがしてくれたことは喜ぶべきことだし)
渡界者組合で換金してみれば、迷宮に入る前に買った服や調整した剣と鎧の代金分を、優に取り返す結果になる。
懐が温まってテフランが考えたのは、このお金をスクーイヴァテディナ、そしてファルマヒデリアとアティミシレイヤのために使おうということだった。
(大半を稼いだのはスクーイヴァテディナだし、俺のためにこのお金を使うのは、なんか変な感じがするし)
そう決めたテフランは、組合から家までの帰路で、三人にお金の使い道を尋ねた。
「――というわけで、皆のためにこのお金を使って、お返しをしようと思うんだ。なにがいい?」
「独り占めしても、私たちは文句はないのですが、そう言ってくださると嬉しい気持ちになってしますね」
「使い道をこちらに聞いてくるのも、テフランらしいと言えば、らしいところだな」
「そうですね。こちらに秘密にしたまま、なにか贈り物をしてくれていたら、もっと喜んだことでしょうね」
ファルマヒデリアとアティミシレイヤの談笑に、テフランは憮然とした顔になる。
「俺ら全員のお金なんだから、相談して使い道を決めるのは当然のことだろ」
「言いたいのはそういうことではないんですが――でも、あれこれと使い道を一緒に考えることも、楽しいことに変わりはありませんでしたね」
「驚きはなくとも、共に選んだという納得感があるものだからな」
「……二人の言いたいことが、俺にはよく分からないんだけど」
テフランが首を傾げると、ファルマヒデリアとアティミシレイヤは微笑んだ。
その笑顔は、乙女心を理解していない男の子に向ける、年上の女性そのものである。
テフランは少し面白くない気分を抱えつつ、無口なスクーイヴァテディナにも会話に参加してもらうべく、彼女に視線を向けた。
「? なに見ているの?」
スクーイヴァテディナがよそ見する方向が気になり、テフランもそちらに視線をずらす。
あったのは、具材が焼ける匂いと煙を放っている一つの屋台。
その存在を自覚したからか、テフランの鼻に香ばしい匂いが感じられた。
(あの店をじっと見ているってことは、スクーイヴァテディナ、お腹が空いたのかな?)
テフランは少し考え、スクーイヴァテディナの手を取って歩く向きを変えた。
「折角だから、スクーイヴァテディナの歓迎と、いつも俺を世話してくれるファルリアお母さんとアティさんの労いに、食堂で美味しい料理を食べよう!」
「それはいい案です。家の中には、食材が少なかったので助かります」
「いつもはファルマヒデリアの料理ばかりだからな。たまには違う人が作ったものも、味に違いがあって面白いものな」
「…………?」
楽しそうなファルマヒデリアとアティミシレイヤとは違い、食堂が分からない様子のスクーイヴァテディナは首を傾げ、テフランに引っ張られるがままに歩みを進めるのだった。
食堂で散財した帰りしな、食材店で投げ売り品をファルマヒデリアが買い求め、そして家へと戻ってきた。
「お風呂を入れる前に、私はこの食材を収めてしまいますね。その間、テフランは装備の手入れなどしていてください」
ファルマヒデリアが台所へ向かい、テフランは言われた通りに整備していく。
剣や鎧の汚れを落とし、整備油を薄く塗っていくその手つきを、スクーイヴァテディナはぼんやりと観察していた。
その目が少し眠そうなのは、食堂で口にした骨付き肉を気に入って大量に食した所為で、お腹に血が多く回っているためである。
そんなスクーイヴァテディナの様子を、背嚢を畳んでいたアティミシレイヤが見るとなしに見ていた。
しかしその目に、迷宮に入る前にあった知識のない告死の乙女という存在に対する警戒心は、すっかりとない。
「……事前知識はなくとも、告死の乙女は告死の乙女ということだな」
自身の口の中に留め置くような極小の呟きを、アティミシレイヤは漏らす。
その声が呼んだかのように、食糧庫に行っていたファルマヒデリアが戻ってきた。
「さて、迷宮で何日か過ごしたんです。お風呂で汚れを洗い流しましょう」
うきうきと湯船の準備に向かう、ファルマヒデリア。
テフランとアティミシレイヤは慣れたもので、入浴の準備を始める。
しかし、スクーイヴァテディナは理解してない顔で、首を傾げていた。
「初めて風呂に入るんだから、分からなくて当然だよね」
テフランは苦笑いして、スクーイヴァテディナの手を取り、浴室へと連れていった。
そこではもうすでにファルマヒデリアが湯を張り終えていて、温かな湯気が浴室に充満しようとしているところだった。
そんな浴室の光景を見て、スクーイヴァテディナはこの場所がどんな場所であるかを悟る。
すると急に、居場所を見失った幼児のような、不安感が強い瞳に変わった。
表情の変化を間近で見ていたテフランは少し驚き、思い浮かんだ予想を口にする。
「もしかして、スヴァナってお湯が嫌いなの?」
「………………」
理解できないといった目のスクーイヴァテディナに、テフランは予想が少し外れたと理解した。
「なるほど。嫌いなんじゃなくて、お湯は危険だと思っているのか」
事実、スクーイヴァテディナが自我に目覚めてから体験してきたお湯とは、料理の『熱々のスープ』ぐらいであった。
そのスープの温度を、湯船もあると勘違いしているようだった。
テフランはその思い違いに微笑むと、浴室の中に引っ張っていく。
「ほら、こうしてお湯に手を入れてみれば『熱いけど熱くない』って意味がわかるから」
テフランが先に湯船の中に手を突っ込む。
一瞬の肌がひりつく感じの後に、じんわりと肉を通して骨まで到達する湯の温かみを感じられた。
テフランの行動にスクーイヴァテディナは驚いた目を向け、そして恐る恐る湯に指先をつけてみる。
「Nyamu!?」
温かさに驚いて一度引っ込めた手に、漏れ出た言葉で起動した魔法紋が浮かぶ。
するとスクーイヴァテディナは、魔法で手を軽程度に保護した状態で湯船の中に入れた。
魔法で火傷の心配がない――火傷しても治るとわかったためか、肘ぐらいまで一気に突っ込んでいる。
「! ………!?」
お湯の温度が想像より低いことに驚き、続いて温かさが骨身に染みてくる感触に驚愕している。
文明を知った野生動物のような反応に、テフランだけでなく、横で見ていたファルマヒデリアも笑顔になった。
「これで、お風呂は危険じゃないってわかったでしょ」
「ふふふっ。腕に浸したぐらいで、湯船の心地よさを体験できた気になるのは早いですよ。しっかりと体を浸からなければ、真の心地よさは得られませんよ」
「…………」
ファルマヒデリアの言葉に、そういうものかと頷くスクーイヴァテディナ。
その直後、腕を衣服の中に引っ込めたかと思うと、一秒後には服を脱ぎ捨ててしまっていた。
豊満な肢体のファルマヒデリアやアティミシレイヤとは違う、将来への発展性や純潔感を詰め込んだような控えめな胸と細い腰つきの体。
熟れる直前の果実とも言える肢体を間近で直視してしまい、テフランの顔は急速に真っ赤に変わった。
「うわわわっ!」
咄嗟に顔を背け、風呂場の外へと脱出しようとする。
その襟首を、誰かに掴まれてしまった。
振り向いてみると、ファルマヒデリアの手は伸ばしかけて止まっており、引き留めている手は全裸のスクーイヴァテディナの手だった。
彼女の顔は、テフランが逃げる理由が分からないというものだった。
その表情について、ファルマヒデリアが解説する。
「お風呂に入るのは気持ちいいようだから、愛しい子供のテフランと一緒に入ってみよう、といった感じですね」
「なんかそれ、ファルリアお母さんの願望も混じってるよね!」
テフランが非難した瞬間、スクーイヴァテディナの体に魔法紋が浮かび、腕を目にも止まらぬ速さで繰り出す。
するとテフランの体がふわりと空中に浮きあがり、次の瞬間には、全裸の状態になって床板に着地させられていた。
股間を隠そうと前かがみになったテフランを、スクーイヴァテディナは抱え上げ、湯船の中へと飛び込む。
「のわっ――あぶぶっ!?」
「Nyamuuu…………」
顔にかかったお湯に苦しむテフランとは違い、スクーイヴァテディナは気持ちよさそうな声を吐いた。
そんな二人の様子を見ていたファルマヒデリアは、二人の脱ぎ捨てた服を浴室の外に置くと、一糸まとわぬ姿になって浴室へ戻ってきた。
その後ろには、全裸のアティミシレイヤも続いている。
「折角ですから、このまま四人でお風呂に入ってしまいましょう」
「そうだな。この機会に、スクーイヴァテディナにお風呂の作法を教えたほうがいいしな」
「なんかその作法っていう言葉に、不穏な雰囲気が入っている気がするんだけど――あぶぶぶっ」
声を荒げたテフランの首に、スクーイヴァテディナは腕を巻き付けると引き込む。テフランの唇は水面下に置かれてしまい、鼻で呼吸は出来ても言葉の続きを喋ることができなくなってしまった。
「Nyamuuu~~」
満足そうにため息するスクーイヴァテディナとは裏腹に、テフランは後頭部に感じるささやかなふくらみの感触に、顔が真っ赤になってしまう。
これはまずいとお湯から出ようとすると、スクーイヴァテディナは腕だけでなく足まで回して抑えにきた。
テフランが後ろ腰にある感触は、直接的に恥骨が押し付けられるもの。
その部分がどんな構造になっているかが、伝わってきた皮膚感覚をもとに、脳内が勝手に再現する。
予想外なほどに精巧な出来になってしまった想像に、テフランの顔は茹だったように完全に真っ赤になってしまった。
赤い顔で慌てるテフランと、お湯の気持ちよさに目を細めるスクーイヴァテディナ。
そんな二人の様子を、手で石鹸を泡立てていたファルマヒデリアとアティミシレイヤは微笑ましそうにみていたのだった。




