17話 新たな日常
渡界者組合といざこざがあったり、アティミシレイヤを新たな従魔にして以降、テフランの生活がどうなったか。
意外なことに、さほど変わっていない。
組合側はテフランの要望通りに、アティミシレイヤが渡界者を殺しまわっていた魔物という事実をなかったものにしたうえ、素材の買い取りもごく普通に取引してくれる。
不思議に思って尋ねると、職員が小声で答えてくれた。
「あまり渡界者の方に言うのは憚られますが、組合とて一枚岩というわけじゃないのですよ」
「そうなんですか?」
「渡界者上がりの武闘派職員は、思い上がった渡界者は冷遇したいと考えがちです。でも、我ら事務職員としては、魔物の素材を納めてくださる渡界者の方々に、分け隔てなくせっすることを良しとします」
「組合長といざこざがあった渡界者でも、ですか?」
「私は、そのいさかいの内容を知りません。でも、組合長が不公平な取り引きを君に持ち掛けたとは噂で聞いてます。それが本当なら、事務職員としては頭を下げて、組合の利用を続けて欲しいと頼まないといけない場面ですよ」
ただし、正式な謝罪は難しいと付け加えられた。
「スルタリアさんが、この件は表沙汰にすると君に迷惑がかかると。だから要らぬ憶測を呼ばないように、表立っての謝罪はしないようにする方針なのだそうです」
職員は内情を話しつつも、テフランに真偽を確かめる目を向けた。
このスルタリアの言葉を信頼していない様子からも、組合の職員たちは一枚岩ではないことが分かる。
だが、テフランにとってもあの件は公になっては困る。
もみ消してもらった、アティミシレイヤが渡界者を殺しまわっていた告死の乙女という部分は、特にだ。
「正式な謝罪は要りません。報酬は貰ってますから」
「……これ以上は野暮ですね。またのご利用、お待ちしております」
テフランが換金したお金を受け取り、ファルマヒデリアとアティミシレイヤと共に去っていく。
その際、職員たちが顔をつき合わせての内緒話で、謎多き噂をこれ以上気にしないように申し合わせたのだった。
共同生活にアティミシレイヤが加わった際、テフランは彼女がファルマヒデリアのようにベタベタとくっ付いてくると覚悟していた。
しかし、そんなことはなかった。
むしろ、迷宮で出会った当初に見せていた残酷さはなりを潜めて、のんびりとした雰囲気に変わっている。
全員での迷宮行でも、手足に痣を隠す包帯をしているからか、素材の荷物持ちしかしないほどだ。
テフランは、その変わりように疑問を抱いた。
「アティさん。俺の従魔になってから、心境の変化でもあった?」
家の中、求められてつけた愛称で呼びかけると、アティミシレイヤはゆっくりとした動作で机に頬杖をついた。
「なにせ戦闘以外に脳がない型だからね、危険がない場所では大人しくすることにしたんだ。もちろん、テフランの要求を出せば、全力で応える気ではいるよ」
「要求って、例えばどんなこと?」
「迷宮でしたようなキスをしたいとか、夜寒いから抱き枕にしたいとか、かな?」
ゆったりと唇を動かして見せ、小麦色の肌を見せつけるような仕草に、テフランは頬を赤くして抗議する。
「そんなこと求めないって!」
「テフランがそういう方面に積極的じゃないことは分かっているとも。だからこそ、ファルマヒデリアみたいな過剰な接し方はしてないよね?」
テフランは、アティミシレイヤが自分のことを考えて接触を控えてくれていることに、ありがたさを感じた。
同時に、ファルマヒデリアへの不満も露わにする。
「ファルリアお母さんも、アティさんのように慎みがあればなぁ……」
「ふふふ。ファルマヒデリアが接触過剰なのは性格に起因しているものだから、諦めてくれ」
「それは十分に分かっているって……」
それなりに長く同棲した結果、ファルマヒデリアに改善を求めるより、スキンシップに慣れてしまう方が精神的に楽だと学んでいた。
もっとも、テフランは女性への免疫が薄いために慣れるのも苦難の道で、痛し痒しな心境でいる。
苦悩している様子に、アティミシレイヤは微笑む。
「過剰に接しはしないが、テフランを誘惑する気はあるから、安心してばかりは駄目だぞ」
「……アティさんもなの?」
「主に可愛がってもらいたい欲求は、告死の乙女の性のようなものだ。こればかりは、止めろと命令されても止められない」
新事実を受けて、テフランは半目を向ける。
「過剰に接しないで、誘惑ってどうやるのさ」
「そうだな。例えば――」
アティミシレイヤはテフランの手を優しく取ると、そのハリの強い大きな乳房へ押し付けた。
「――こうして、この肉体のすばらしさを知ってもらうとかかな。全裸で添い寝、という手もあるな」
「ちょ、いきなりなにをするんだよ。って、引き抜けない?!」
テフランが強く自分の手を引っ張るが、接着剤で固定されているかのように、アティミシレイヤの乳房から離れない。
「ふふふ。戦闘型の告死の乙女と力比べして、人間が勝てるはずもない。ほら思う存分、手で堪能するといいぞ」
「止めて、放してってば!」
「服の上からでは不満だというのなら、直に触ってくれても――って、これ以上は悪ノリが過ぎるか」
アティミシレイヤは微笑みを強めると、あっさりと手放した。
テフランは自分の手を引き戻して安堵しつつも、手のひらにしっかりと残っているアティミシレイヤの体温に、ついドギマギしてしまう。
「ゆ、誘惑は止められないってことはわかったけど、頻繁には止めてよ」
「テフランに嫌われるような真似はしないよ。そう考えただけで、泣いてしまいそうだからね」
笑顔のままの言葉に、本気なのか冗談なのか、テフランには判別がつかない。
そんな会話をしていたら、二人の前にある机に、重々しい音と共に料理が乗った皿が置かれた。
「二人がすっかり打ち解けたようですね。というよりも、テフランは私よりアティミシレイヤの方が、仲良くなっているのではありませんか?」
嫉妬まではいかない寂しさを含んだ感情を向けられて、テフランはあたふたする。
「そんなことないって。アティさんと会話を多くしているけど、こうして美味しい料理を作ってくれるファルリアお母さんのことは、すっごく感謝しているんだから」
本心を込めた言葉に、わざと拗ねてみせていたかのように、ファルマヒデリアのようにの機嫌がコロッとよくなった。
「喜んでくれているのなら、私もうれしいです。ほら、テフランが好きな料理ばかり作りましたよ。冷めないうちに食べてしまいましょう」
テフランを抱きしめて撫でてから、席に着く。
赤面しつつも安堵するテフランへ、アティミシレイヤは声を出さずに「ごくろうさま」と口を動かしていた。
ファルマヒデリアの魔法で材料を溶かしてから再構成で料理の形にした食事は、相変わらず美味しかった。
(買ってなかった食材が、なぜか料理の中に入っているのが不思議でしょうがないけど……)
普通の人なら気味悪がるところだが、父親の教育で魔法は不思議なものという理解があるため、テフランは深く気にしない。
むしろ購入した廃棄一歩手前のようなクズ肉が、味わい深い食肉に魔法で変わることを喜んでいる節すらあった。
だが、こういう良い鈍感さは、困難が多い渡界者に相応しい資質なのである。
なにはともあれ、料理に満足していると、ファルマヒデリアは思い立った顔で手を鳴らした。
「お金も貯まってきましたし、アティミシレイヤの服を買いに行きましょう」
力持ちのアティミシレイヤが荷物持ちをしてくれるお陰で、迷宮内の活動場所は変わらないまま、収入は倍増していた。
そしてファルマヒデリアが自炊してくれて、購入するのは安い食材ばかりで食費が削られている。
お陰で、貯蓄がはかどり、小金が蓄えられていた。
ファルマヒデリアの提案に、テフランとアティミシレイヤは顔を向け合う。
「そうだね。アティさんは、もうそろそろその『過激』な見た目を、どうにかした方が良いかもね」
「そう言うほどとは思わないけれど。必要な部分はちゃんと隠してあるわけだし」
「胸元と腰元だけ布で覆えば十分っていうのは、違うと思う」
「テフランがそう言うのなら、新しい服を買うとしよう」
「では、決まりですね。ほら二人とも、食器のかたずけを手伝ってください。終わったら、すぐに出発ですよ」
ファルマヒデリアは買い物に出かけるのが楽しそうだ。
一方でテフランとアティミシレイヤはというと、必要だから買うという感覚なので、買いに出かけることが楽しいという気持ちはない。
しかし二人とも気分に水を差す気はないため、大人しく楽しげなファルマヒデリアの後についていく。
そしてやってきたのは、以前テフランがファルマヒデリアの服を購入した、あの高級店だった。
(蓄えで買えるかな?)
ファルマヒデリアに買った服の支払いほど、手持ちの資金はない。
テフランが不安な心地で店に入ると、店員が笑顔で近づいてきた。
「またのおこしを、お待ちしておりました。今日は、そちらのお嬢様の服を見立てればよろしいのでしょうか?」
テフランたちが来たことを覚えていて、用件を予想してみせた店員に、ファルマヒデリアは笑顔で頷く。
「このアティミシレイヤは、私と同じ人を好きになった子で、いわば妹のような存在です。お任せしてもよろしいですか?」
「承りました。では、アティミシレイヤさま。どうぞ、こちらに」
「ああ。よろしく頼む」
当たり前のように、アティミシレイヤは店員の後についていく。
すると別の店員が、テフランにすすっと近寄ってきた。
「どのようになさればいいか、お聞きしたく思うのですが」
「これで、アティさんが好きな服装にしてあげて」
購入資金を全て手渡して注文すると、店員は笑顔でアティミシレイヤが向かった先へと歩いていった。
その姿を見送ってすぐに、ファルマヒデリアがテフランの腕に自分の腕を絡ませる。
「店内を見て回りましょう。きっと面白いものがありますから」
「え、あ、ちょっと引っ張らないで」
「ほらこの小物、可愛らしいと思いませんか。小鳥ですよ、緑色の小鳥」
ファルマヒデリアは嬉しそうにテフランを連れまわす。
その際に、豊かな胸の側面が抱えられている腕に当たったり、体温がじんわりと伝わってきたり、いい匂いが漂ってきたりする。
感覚を刺激する女性らしさに、テフランは赤面を止めることがなぜか出来なかった。
(誘惑してくるのは、告死の乙女の性だって言ってたけどさ……)
そう理解してもファルマヒデリアのような絶世の美女に嬉しそうにくっつかれると、鼓動が高鳴ってしまうのが男性の性である。
テフランが赤面したまま店内を連れまわされてしばし、店員が「服装が整いました」と呼びに来た。
連れられいくと、着替えた服を指で弄っている、アティミシレイヤが立っていた。
その姿を見て、テフランは素直な気持ちを口に出す。
「前と、あまり変わってないような気がするんだけど」
その感想の通りに、アティミシレイヤは相変わらず際どい服装をしていた。
まず、首元から肋骨までをピッタリと覆った、肩ひものある黒い下着のような服が目につく。その上に袖なしの革の短外套を、前を開けた状態で着ている。
腰元は丈を太腿の上半分まで詰めた明るい緑色のズボンを、大きいバックルがはまったベルトで止めている。
足には踝まで頑丈なブーツが覆っている。
それ以外の部分は、健康的な小麦色の肌が肉体美をさらけ出している。
つまり布面積で見ると、前とほぼ変わっていない姿だった。
しかし当のアティミシレイヤは、この服装を満足そうに着ている。
(……これは、ファルマヒデリアから注意が入るんじゃないか?)
そう思ってテフランが見やったところ、予想外にファルマヒデリアの表情は好意的に微笑んでいた。
「アティミシレイヤ、前よりもっと魅力的になりましたよ」
「そうか? テフランはどう思う?」
急に話を向けられて、テフランは改めてその服装を見る。
先ほどは布面積しか考えていなかったが、アティミシレイヤとの調和も考えて観察すると、飛びぬけて似合っている気がした。
意外にも多く肌を晒している卑猥さへの印象は薄く、むしろアティミシレイヤの内にある剣呑さを現しているかのように、ほのかな威圧感が出ているように感じる。
テフランは受けた印象をどう言葉にするか悩んだが、思うまま素直に口にすることにした。
「まるで、アティミシレイヤのためにある服みたいだ」
「――そう手放しに喜ばれると、照れてしまうな」
アティミシレイヤは少し驚いた顔をした後で、気恥ずかしそうに顔を逸らして俯く。
その弱ったような姿がとても可愛らしく映り、テフランの心臓は高鳴りを打った。
そんな二人の様子に、ファルマヒデリアは嬉しさから微笑む。
「アティミシレイヤをより気に入ってくれたようですね」
言われて、テフランはギクリと身を縮めつつ、ファルマヒデリアに向き直る。
「……いまの、服装のことを言ったんだよね?」
「ふふっ。服装を気に入ったことは、否定しないのですね」
「それは――間違っていないけど」
一本取られた気になり、テフランは口を噤んでしまう。
そしてアティミシレイヤは、服装を気に入れたことが嬉しくて、自然な微笑みが頬に浮かんでいる。
こうして三者とも大満足の内に店を脱したのだが、家までの道中で予想外の人物に呼び止められることになった。
「テフラン! なんで『そいつ』と並んで歩いているのよ!」
声がした方向を見ると、ルードットが指をテフランたちに向けている。
そう、アティミシレイヤがまき散らした殺害から逃れた、数少ない生存者の一人が憤慨した様子で立っていたのだ。




