影法師の魔物-SIDE:ダイアナ
「失礼いたします」
神官は両手を組んで感謝の祈りを捧げつつ、家の中に足を踏み入れた。
祈りを捧げる神官の手、そのしわがれた細い指にはめられた黒曜石の指輪が鈍く輝く。
人の趣味を悪くは言いたくないけど、聖職者には不釣り合いな代物だ。
「おや? お掃除の最中でしたか。日を改めましょうか?」
「大丈夫ですよ。この場でご用件をお伺いします」
「ありがとうございます」
神官は顔の皺を増やして微笑むと、箒を手に床掃除をしているクロの後ろ姿を見つめた。
「実は今朝、クロさんの保護者の方から連絡がありまして」
「クロの家族が見つかったんですか!?」
「はい。この村の南に位置するカデナという町……私が管轄する教区なのですが、その町のギルドに子供の捜索依頼が出されていたのです」
神官は懐から羊皮紙を取り出すと、ワタシに手渡してきた。
書かれた内容を読んでみると、クロによく似た容姿の少女が行方不明になったと書かれていた。
「詳しく話を聞いたところ、クロさんによく似た女の子がゴブリンに攫われたとかで。名前と特徴が一致しているので、まず間違いないかと」
「そうなんですか。よかったぁ……」
「ご家族に事情を伝え、こちらまで来ていただきました。本人と直接会って顔を確かめたいそうです。ご両親は馬車でお待ちです。どうぞこちらへ」
神官は開いたままのドアの向こう――道ばたに止まっている馬車へワタシとクロを誘う。
「ママ……?」
何かを悟ったのか、クロは掃除の手を止めてこちらに近づいてきた。
「い、いや……っ!」
だが、神官の顔を見るやいなや、慌てたようにワタシの背中に隠れてしまう。
「おやおや。怖がらせてしまいましたか」
「ごめんなさい。この子、人見知りする方で。大丈夫よ。この人は教会の――」
「嫌……!」
クロの背中を撫でて前へ出るように促すが、クロは首を横に振って頑なに拒絶した。
「出て行って!」
クロが叫び声を上げると足下の影が揺らめき、人の形をした何かが姿を現した。
泥人形のような姿をした影の魔物は、漆黒の触腕を伸ばして神官に襲いかかる。
「ひぃ……! ば、化け物っ!」
神官は目を見開き、その場で尻餅をつく。
「クロ、ダメよっ!」
ワタシは慌ててクロを抱き締めた。
黒い魔物の正体はわからない。
けれど、ここで止めないと取り返しのつかないことが起きる。そう直感した。
「力を抑えて!」
「離してっ! クロがママを護るのっ。この人、パパを襲った悪い人の仲間だよ!」
「あ、悪魔だっ。魔物の力を持った忌み子だっ!」
神官へと迫る影法師の怪物。
神官は胸に下げた聖神教会のシンボルである聖神ベルドのタリスマンを掲げて――
「違う!? あのタリスマンは……!」
タリスマンに描かれていたのは、大きな一つ目の怪物だった。
それは魔物たちが崇める魔神クロウ・クロワッハの姿を象ったもの。
「ああっ、あああっ! 素晴らしいっ! すでに覚醒を済ませているのですね。我らが神、魔神クロウ・クロワッハよ!」
恐慌状態から一転、神官は口元を吊り上げて哄笑を浮かべた。
最初から厭な予感はしていたけど、やっぱり人の皮を被った魔物だった……!
「杖よ!」
ワタシはクロを腕に抱き締めたまま、短縮詠唱で風妖精に呼びかけた。
呼びかけに応じて杖が浮かび上がり、ワタシの手元に飛んで――
「無駄ですよ」
神官が指を鳴らす。
すると、杖は途中で力を失ったかのように落下。
音を立てて床に転がってしまう。
「この地の霊場は私が抑えています。当然、村の地下を流れる霊脈も私の支配下にある」
「なんですって……?」
目を凝らして精霊力の流れを感知すると、場の精霊力が黒曜石の指輪に吸い込まれているのがわかった。
「その指輪が精霊力を乱していた元凶ってわけね」
「私の宝物なのですよ。名をドロウプニルと言います」
黒曜石の指輪が鈍色に輝くと、神官に迫りつつあった影法師の化け物が指輪に吸い込まれた。
すると、スイッチが切り替わるようにして場を流れる霊脈が一瞬だけ正常に戻る。
なるほど。一度に二種類の精霊力は吸収できないわけか。
「ドロウプニルの指輪の名は聞いたことがあるわ。魔王城に封印されていたマナ喰いの神器ね」
指輪を見た時から警戒はしていた。
話を合わせつつ様子を窺っていたけれど、相手のマナを上手く感知できずにいた。
身に宿るマナが感知できないと、人と魔物の判別は難しい。人の皮を被っているなら尚更だ。
「クロのマナが感知できなかったのも、その指輪の影響ね」
「フフッ。さすがは霊王の娘だ。なんでもお見通しですか」
神官は自らの顔に指を突き刺すと、ベリベリと音を立てながら皮を剥いだ。
下から現れたのは、醜悪なゴブリンの顔だった。
「余興はこの程度でいいでしょう。人間の皮は窮屈で敵いません」
ゴブリンは忌々しげに修道服を脱ぎ捨てると、胸に手を当てながら慇懃無礼に頭を下げた。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前は邪精王スプリガン。以後お見知りおきを」
「邪精王スプリガン。魔王城の倉庫番ね」
「倉庫番とはお言葉ですな。宝物庫の番人、とお呼びください」
「ハッ! 同じようなものでしょ。下働きの三下幹部じゃない」
ワタシはわざと挑発的な物言いをして、スプリガンの注意を向けさせる。
相手の狙いはクロだ。ワタシは間合いを計りながらクロを背中に隠した。
邪精王スプリガンは、魔術を得意とするゴブリンキングだ。
魔王が集めた宝を管理しており、魔物の間では疎かになりがちな財務管理も担当していたという。
他の幹部連中はこれまでの戦いで倒してきたが、スプリガンだけは最後まで姿を現さなかった。
魔王討伐後も行方をくらませて、ギルドから高額の懸賞金が掛かっていたわけだが……。
「はぁはぁ……ママ……」
「クロ!? しっかりして!」
気がつけば、クロは顔を真っ赤にさせて呼吸を乱していた。




