第69.1話
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精霊祭当日。
高位貴族たちが国王に謁見している頃、アリスがいたのは王宮聖堂だった。
「愛し子アリスよ。此度の尽力、感謝する」
そう言ったのは宰相ゲオルグ。白髪を几帳面に整えた老紳士だ。カールさせた口髭と直線的に通る鼻筋の上に、ともすると神経質ともとれる眼光が鋭く光っている。
ゲオルグの持つ厳格な雰囲気に内心やや萎縮しながらも、アリスは「とんでもございません」と淑女の礼を返した。
ザイフリート公爵家の養女となったアリスは、それまで暮らした教会から公爵家の屋敷へと居を移すと同時に、王宮からの密命を受けていた。
ザイフリート公爵家の内部調査だ。
イドニア王国王太子クラウスとザイフリート公アロイジウスの対立は、水面下にありながらも長きにわたる。
表向き王室へ忠誠を示してはいるものの、アロイジウスはなにかと黒い噂の絶えない人物だ。
王太子陣営は幾度となく彼の悪事を追及すべく動いたが、いつもいま一歩のところで核心へは辿り着けず、証人たりうる人物は死体で発見される。
アロイジウスは狡猾で、古豪の周到さと獣の残忍さを併せ持っていた。
しかし今回、アロイジウスによる精霊祭での王太子クラウス暗殺の策謀が、クラウス独自の情報源より発覚。
王太子クラウスや宰相ゲオルグをはじめとした王太子派の者たちは、アロイジウスを召し捕るに値するだけの証拠を秘密裏に集めた。
アリスの公爵家への養女入りもその一環で、王太子暗殺に関わるものから余罪に至るまで、数多くの物証を持ち帰った彼女の功績は計り知れない。
"愛し子アリス"が多大な魔力を持っていることは今や皆の知るところであるが、彼女がクラウスやウィルフリードの手によって、戦闘や諜報に関する訓練を王宮兵士並みに、ともすると、それよりも厳しく叩き込まれていることを知る者は少ない。
そして王宮の高官たちは、王太子クラウスが妃に選ぶのは"愛し子アリス"であると確定事項のごとく思っている。
アロイジウスとて例外ではなく、次期王太子妃を養女とすることを許され、いよいよクラウスの信用を得ることができたのではと内心ほくそ笑んですらいた。
小柄でかわいらしい蜂蜜色の金髪の少女が、まさか王宮暗部の精鋭たちに匹敵するだけの能力をすでに秘めているとは、さしものアロイジウスも考えもしなかったのだ。
果たしてアリスは「認識阻害」の魔術を用いて、アロイジウスや夫人、公爵家の使用人たちにすら気取られることなく任務を遂行させてみせた。
一方でクラウスは、自分の近衛兵のひとりがアロイジウスと内通していることに気付きながらも静観に徹していたが、精霊祭当日の今朝、アロイジウス側の密偵に情報を渡し終えるのを確認した後、これを捕縛。
彼から得た情報とこれまでに集めた証拠をもとに、アロイジウスの処罰にかかる書状をまとめ、大司教の承認を得たのだった。
「……あ、あのっ」
王への謁見を早朝のうちに済ませたアリスがザイフリート公アロイジウスや公爵夫人と別行動をとっているのは、"愛し子"として大司教からの祝福を受けるため、というのは方便だ。
午後の予定であった祝福の儀を前倒しに終えてしまった彼女には、しかしまだ最後の任務が残されている。
その前に、アリスは思い切ってゲオルグを呼び止めた。
ゲオルグが片眉を上げて先を促すのに一礼して、アリスは言葉を続ける。
「お義母様は……ザイフリート公爵夫人は、これからどうなってしまうのですか?」
アロイジウスの謀反に夫人の関与がなかったことは調査の過程で明らかになっている。
アリスが公爵家の養女となったとき、公爵夫妻の間には子供がいなかったので、夫人は「娘ができて嬉しい」とアリスを温かく迎え入れた。
三月ほどの短い期間ではあるが、愛想よく振る舞いつつも決して胸の内を見せないアロイジウスとはまた違い、夫人の厚意は心からのものであったと感じていたアリスは、どうしても彼女のことが気がかりだったのだ。
ゲオルグは「ふむ……」と口髭を手でなぞって難しい顔をする。
「彼女は、夫に爵位を譲る以前はザイフリート公爵であった身だ。爵位の、ましてや公爵位の譲渡など、異例中の異例ではあったがね。――彼女は何も知らなかった。今回の件は公にはならぬし、温情も与えられる。たが彼女ほどの地位を持つ者であれば、"知らなかった"、それ自体がまた、罪となるのだ。残りの人生は修道院で過ごしてもらうことになるだろう」
数々の背信行為に王太子暗殺の謀。
正規の手順を踏み適切な処分が科されるとしたのならば、アロイジウスの配偶者である彼女も連座で極刑は免れない。それを考えれば寛大な措置といえた。
「そうですか……」
そう言ってアリスは目を伏せる。
夫を陥れるために養女となったアリスを、夫人は恨むかもしれない。
だが、アロイジウスが狙っていたのは王太子だけではなく、アロイジウスと敵対するアルヴァハイム侯爵家、ひいては侯爵家長女エリザベータも、その標的に含まれていた。
アリスにも、譲れないものがある。
「――さて、あとひと仕事だ。頼んだぞ、愛し子よ」
アリスは顔を上げ、ゲオルグに続いて歩きだした。
はるか高く天井まで伸びた石柱が、身廊の両袖に沿って列をなす。
王宮聖堂はアリスがかつて暮らした町の教会とは桁違いの規模で、見る者を圧倒する厳かな迫力と神秘に満ちていた。
前を歩くゲオルグは黒の法衣を、アリスは修道服を身にまとっている。修道服にしては華やかな、白の絹糸で柊の柄が刺繍された紺地の服は、教会から借り受けた祭礼用のものだった。
これから行われるのは祭事だ。
石段を登り内陣へ入ると、王太子クラウスと大司教が祭壇の前に並び立っていた。
祭壇の遥か上、縦長のステンドグラスから差し込む光がクラウスの金糸雀色の金髪に反射して、細かな粒となってきらめく。
均整のとれた顔立ちも相まって、金糸の刺繍が施された白の礼服と外套に身を包み端然とたたずむ姿は彫刻と見紛うほどに美しかった。
(ここにリーゼ様がいたら、クラウス殿下のことしか見えなくなっちゃうんだろうなぁ……)
アリスの、どころか、ほかのすべての存在を忘れてクラウスに夢中になるエリザベータの姿が目に浮かぶようだ。
なんとなく面白くない気持ちを抱きつつ、アリスはゲオルグに倣って、クラウスと大司教の前に跪いてこうべを垂れた。
祭壇の上には巨大な水瓶が鎮座している。
中はヴァールブルク領より運ばれた霊峰の泉水で満たされ、これに王太子クラウスが魔力を込めることで『精霊の恵み』と呼ばれる聖水を生みだす。精霊祭の主軸となる儀式だ。
武芸、魔術の双方に秀でるクラウスだったが、『精霊の恵み』を作るためには、ほぼすべての魔力を泉水へそそぎ込む必要があり、それはすなわち彼の能力の半減を意味していた。
よって精霊祭の日は周囲を必要最低限の人数の側近で固め、正午以降の王太子の日程は公開されない。アロイジウス側の密偵に掴ませた情報も虚偽のものだ。
しかし今日ばかりはクラウスも己の魔力が枯渇することを嫌った。
ゲオルグとアリスに「おもてを上げなさい」と言った大司教は老齢で、長く伸びた白い眉毛に隠れて視線の向きはわからない。内陣の端に控えていた数名の黒い外套姿の男たちのほうへ、ゆっくりとした動きで体ごと向き直った。
「王宮魔術士団、上級魔術士ヴァールブルクよ、これへ」
声に応じて祭壇へ進み出たのはウィルフリードだ。
大司教が、またアリスのほうへと向きを戻す。
「愛し子よ、立ちなさい」
アリスが立ち上がると同時にゲオルグも立ち上がり、前へと一歩進んだアリスとは逆に後退していった。
直立不動でくちびるを引き結ぶアリスに、祭壇の前までやってきたウィルフリードが人好きのする笑顔を浮かべる。
「式典とはいえ人も少ない内輪の集まりのようなものですから。そう気負わなくとも大丈夫ですよ」
あまりにも普段通りのウィルフリード。リラックスしすぎなのではないだろうかと、アリスは目の前の大司教と王太子の顔色をうかがってみたが、大司教は先ほど発言したきり置き物のように動かないし、王太子は相も変わらずの無表情で口を開く気配はない。
無口なようでいて、場にそぐわない放言はたしなめるのがクラウスだ。
これまでの付き合いで、ある程度は王太子の人となりを把握していたアリスは、それでようやく肩の力を抜いた。
「では、始めましょうか」
そう言ってウィルフリードは手に持っていた石板をアリスに差し出す。
古びた石板にはところどころにひびが入り、いくつもの魔石がはめ込まれていた。
「アリス嬢は、この盤に手をかざして魔力を込めてください」
「はい」
学院に入る前は魔術に縁遠い生活をしていたアリスだったが、今では自然に身体を巡る魔力の流れを操作することができるようになった。
言われた通りに手をかざし、石板に魔力を込める。
同時にウィルフリードが「扶翼」の魔術を使うと、石板へ向かう魔力の流れが勢いを増した。
魔力が尽きたとしても、生命を脅かされるような危険はない。
それでも身体中の魔力が急速に失われたことで、アリスはすっと血の気が引くようなめまいを覚えた。
「では次に、クラウス殿下」
多少ふらつきつつもアリスは下がり、今度はクラウスが石板に手をかざす。
ウィルフリードの「転換」の魔術が、石板の魔石に込められたアリスの魔力をクラウスのものへと変質させ、クラウスがそれをそのまま水瓶へと流し込むと、水瓶内の泉水が魔力を帯びて淡く輝く。
泉水の飽和量を超え溢れ出した魔力が、水瓶に装飾された魔石と反応して弾けるような光を放った。
ぶつかり合い、弾け、またぶつかっては弾けを繰り返す光の粒。
不思議とまぶしさは感じない。
夢幻のような光景にアリスが目を奪われているうちに、光は次々に拡散して、またたく間に堂内を満たす。
聖堂に収まりきらない魔力の光は壁をすり抜け、やがて王都へと降りそそいだ。




