第74話 想いを捧ぐ①
「クラウス様!」
イドニア王国立魔術学院の生徒会室に、わたくしエリザベータ・フォン・アルヴァハイムの声が響く。
部屋の正面、澄んだ晴空が広がる窓を背に、生徒会会長の席で書類の整理をしていたらしいクラウス様が顔を上げ、藍色の視線をこちらに向けた。
護衛の騎士は廊下で待機しており、側近のウィルフリードの姿も見当たらない。
一緒に来たギルバートは一礼した後そそくさと退出して行ったので、部屋に残されたのはわたくしとクラウス様のふたりだけになった。
「一体どういう事ですか!?アリスに間諜の様な真似をさせるなんて!!」
つい先刻までクラウス様から婚約解消の話があるだろうと怖気付いていたわたくしだったが、生徒会室へ向かう道すがら、アロイジウスの屋敷から謀反の証拠を探し出す密命を遂行したのが他ならぬアリスであったと聞いて、婚約解消は頭からすっ飛んでしまっていた。
クラウス様は素っ気なく「ギルバートから聞いたか」とだけ言って視線を机上に戻し、持っていた万年筆を置いて書類を片付け始める。
「アリスはせいれ……っ"愛し子"なのですよ!?何かあったらどうするのです!!」
アリスがザイフリート公爵家の養女になったと聞いてから―――『エバラバ』でアロイジウスがアリスに対して危害を加える描写はなかったものの―――アロイジウスが危険人物である事を知っていたわたくしは「公爵家での生活はどうなの?」とか「変な事はされていないわよね?」とか何かにつけて気を揉んだものだが、その度アリスはあっけらかんと「大丈夫ですよ〜」と笑っていた。
きっとあれは、本当は怖いのに、それを堪えて気丈に振舞っていたのだわ。とてもそうは見えなかった。……何て演技力なの。わたくしも悪役令嬢を演じる身として負けてはいられないわね。
「まぁ座れ」
挨拶もなしに生徒会室に飛び込んで来た事を咎めるでもなく、クラウス様はわたくしを低卓子の傍にある長椅子へと促す。
「アロイジウスに疑念を抱かせず懐に入り込むにはアリスが適任だった。内偵を命じたのは確かに俺だが、これは本人も納得のうえだ。功績に対する報賞として、騎士団での配属先の希望を聞き入れるよう求めて来たのはアリスの方なのだからな」
「き、騎士団ですって?」
長椅子に座って落ち着く間もなく、わたくしはクラウス様の発言に驚いて腰を浮かせた。
騎士団。
騎士団?
あの子、騎士団に入るの!?
聞いていないわよ、そんな話。
そういえば、学院を卒業した後についてアリスと話をした事はなかった気がする。
卒業した後は王太子妃になる為の準備を始めるものとばかり思っていたので、わたくしから聞いた事もなかったのだ。
「将来的には王太子妃の近衛になりたいのだそうだ」
「王太子ではなく王太子『妃』の?」
「そうらしいな」
書類を纏め終えたクラウス様が席を立つ。
わたくしは少し浮かせ気味だった腰を長椅子に沈め、指でこめかみを押さえながら深く溜息を吐いた。
これが「王太子の近衛騎士になってお側でお守りしたい」という話ならば、理解も出来るのだけれど……
「一体何を考えているの、あの子は。自分で自分の近衛になんて、なれる訳がないでしょう……クラウス様、申し訳ございません。アリスは天然が行き過ぎて、時々訳の分からない事を口走る悪い癖があるのですわ。後でわたくしの方からキツーく言い聞かせておきますので……あ、あの、クラウス様?」
こちらへ歩いて来たクラウス様は、低卓子を挟んだ向かい側の長椅子に座るというわたくしの予想に反して、同じ長椅子、わたくしの直ぐ隣に腰掛けた。
背もたれに腕をかけこちらを向いて足を組む姿はいつもピシッとしているクラウス様にしては大分リラックスされたご様子だが、組んだ足の膝とわたくしの膝とが触れそうな程の近い距離にドギマギしたわたくしは、つい口ごもってしまう。
「俺の方からも、リーゼにキツーく言い聞かせておかなければならない事があったな」
「わ、わたくしに?」
ドギマギの次はオロオロとするわたくしの瞳を真っ直ぐに見据え、クラウス様が口を開いた。
「アリス・フォン・ザイフリートは王太子妃にはならない」
「えっ?」
オロオロしていたわたくしの動きがピタッと止まる。
そうだった、アリスも今や公爵令嬢。出世したものだわ。名前もアリス・アイメルトではなくてアリス・フォン・ザイフリートなのよね。わたくしとしては音の響き的に前の名前の方が好きだったのですけれど……ってそうではなくて。
アリスが王太子妃にならない?
たった今、クラウス様は確かにそう言った。
聞き間違いを疑う余地もない、はっきりとした口調で。
ま、待って?元はと言えばクラウス様が「王太子妃はアリス、キミにきめた!」って仰ったのでは?
だから皆、他の貴族達だって、王太子妃はアリスだと思って、長年しつこくクラウス様に色目を使ってきたドロテア嬢だって、その後も大分粘ったみたいですけれど、最近漸く伯爵令息との婚約が決まって……
「宮中会議で王太子妃を決めたと仰ったのはクラウス様ではないのですか?」
「俺は『王太子妃は自分の意思で決めたい』と言っただけで、アリスを王太子妃に据えるとは一言も言っていない」
「時間を割いて、アリスに〈魔術〉や〈武芸〉を教えたり……」
「生半可な腕では近衛騎士は務まらないからな。呑み込みが早いので、ついやり過ぎてしまった部分はある」
「だ、だって、皆、王太子妃はアリスだと思って……クラウス様だって、否定しなかったではありませんか?」
「アロイジウスの事があったので、その時点ではそう思われていた方が俺にとっても都合が良かった」
「………アリスはその事を」
「知っている」
何だか、アロイジウスの尻尾を掴むべくアリスを王太子妃にすると偽っていたという風に聞こえる。
そしてアリスはそれを知りながらも、クラウス様の為に危険な任務を……?
だってアリスは、クラウス様の事を好きな筈よね。
クラウス様は格好良いし、クールで頼り甲斐があって優しくて、あと格好良いし、好きにならない理由がないもの。
「じゃあ、アリスはどうなるのです、アリスの気持ちは……」
「気持ちも何も、元より俺とアリスとの間に特別な感情は何もない。過去より現在に至るまで一度も、だ」
念を押す様に断言するクラウス様。
クラウス様だって、アリスの事が好きなのだと思っていた。
アリスは『エバラバ』の主役を張る程の可愛さで性格も良いし、動きも小動物みたいでわたくしにも良く懐いて、守ってあげたくなるというか……わたくしが男だったら間違いなく好きになっていたわ。
「リーゼは、アリスが学院に来た当初から、俺との仲を勘繰っていただろう」
こちらを見つめたまま続くクラウス様の言葉に、わたくしの口から「えっ?」と素っ頓狂な声が出た。
い、いえいえ、わたくし、ちゃんと悟られない様にしていたわよね?え?していたわよ…ね……?
「かと思えば、陰でコソコソとアリスの手助けをしてみたり」
「そ、そんな事しておりませんわ?」
多分、クラウス様はわたくしに付けている"影"からの報告を受けているのだろう。
それはそれとして、あまり突っ込まれたくないわたくしは白を切る事を選んだ。
納得したのか、わたくしの気持ちを汲んでくれたのか、クラウス様は「そうか」とだけ言って、それ以上は追及して来る気配はない。
それはとても助かるのだが……
「ち、ちか、クラウス様、少し近くありませんこと?」
距離の近さに耐えきれず躙る様に離れても、クラウス様がそれ以上に距離を詰めて来るので、わたくしはとうとう長椅子の肘掛けにまで追い詰められてしまっていた。
甘い様な清しい様なクラウス様の匂いまでをも感じる近さに耐え切れず視線を彷徨わせるわたくしの様子を、クラウス様は心なしか楽しそうに、背もたれに乗せた方の手でわたくしの髪をくるくると弄びながら見つめている。
「リーゼが不快であれば離れるが」
「そっその言い方は卑怯ですわ!不快な訳ないでしょう!わたくしが言いたいのは、あの、あまり近いと、は、恥ずかしいので……」
顔を上げると直ぐ目の前にクラウス様の藍色の瞳。
頬に熱が集まるのを感じて、慌ててサッと目を逸らす。
「それを聞いて安心した」
「な、何を……」
な、なにかしら、いつの間にこんな状況になっているのかしら。
目を逸らしたところで、わたくしの髪を撫でるクラウス様の手や、間近に聞こえるクラウス様の声。何ひとつ安心できる要素はない。
「恥ずかしいというのはもう、慣れてもらうしかないな」
「慣れ……っ!?」
無理無理無理です!
そう言おうとしたわたくしだったが、次に続くクラウス様の言葉に、ピシッと石になったかの様に固まった。
「前々から思っていた。リーゼは、何故そこまでアリスの事を気にかける?アリスが『乙女ゲーム』の『主人公』とやらだからか?」




