第12話:そんでこっちはロリババア
――【村神千冬】という【悪役】の軌跡――
村神千冬はかつて世界を救うために悪と戦う魔法少女だった。
それは彼女が十歳だった頃の話。
彼女は精霊と契約を交わし不老の存在となり、異世界から来る暗黒魔術師や魔獣と戦う【主人公】となった。
そして十年、【終劇】後――彼女は通っていた大学のある男性から求婚を受け永遠の愛を誓い合う。そして魔法を捨てて元の少女へと戻った。
だがそれから二十年後、彼女が四十歳、外見が三十歳になった時――そこには永遠の愛など存在しなかった。
◇ ◇ ◇
この時間の空はまだ薄暗い灰色。今は夜と朝の狭間。街が活動を始める少し前の時間。
千冬は膝を抱えてリビングのソファーに座り、丸くなっていた。
気付かない内にそのままの姿勢で眠りについていたらしい。
ちょうど寝室の錠が外れ、ドアの開く音で目を覚ます。
千冬は顔を上げリビングに入ってきた一人の男を見る。それは自分の旦那。
彼はそんな彼女に何の感情も抱かない視線を向ける。
見つめ合う事数秒。やがて男が無言で目を逸らし、踵を返した。
「シャワーを浴びる……。朝食の準備をしろ」
この家庭には「おはよう」という言葉も、既に存在しなかった。
男がシャワーを浴びる間、千冬はサンドイッチとコーヒーを用意する。
数分後男がシャワーを終えて食卓に着くも、そこに礼の言葉もやはりない。
二人は終始無言。目も合わす事もしなかった。
だが男が先に食事を終えた時、口を開く。
「昨日の理由、まだ聞いてなかったな?」
千冬は俯いたまま硬直する。
「どうしてあんなことをした? 答えられないか?」
その詰問に千冬は顔を左右に振る。そして一言。
「あなたを、信じたかったから……」
彼女は本心からそう口にした。
事の発端は昨夜。
「ふざけないで!」
千冬の怒声は団地中に響き渡る程だった。
対して男の目はチベットスナギツネの様に冷めている。
彼の瞳に、千冬を愛する気持ちはもう欠片も残っていなかった。
尚も千冬が捲し立てるが男は黙って聞き流す。
だが、だからと言って、決して男が冷静でいるわけではない。次の瞬間――
「ばばぁ、喚くんじゃねぇ!」
男は吠えて、腕を振るってテーブル上の【それ】を床にばら撒く。
落ちたのはどれも男が千冬以外の女性と写っている写真。不倫現場の証拠写真だった。
「こんな事までして、何のつもりだ? アァ!?」
「貴方の様子がおかしかったから。何をしているのか知りたくて。そしたら、こんな………」
千冬は放心する。彼女自身目の前の写真が信じられないのだ。
「恥ずかしくないの!? こんな若い子と」
写真に写る女性。それも旦那と比べるとふた回りは若い女性だ。
彼が少女趣味というのは結婚前から知っていた。
だがよもや二十年後にこんな愚行に走るなど。
「…………お前が悪いんだよ」
なのに男は開き直る。
「……?」
「俺は昔のお前が好きだったのに」
それは……。
「余計な事なんかしやがって、鏡見たか? 今じゃババアだよ」
「――――――!?」
「魔法を手離すなんてなに考えてんだ」
――違う。
出たのは現実逃避の言葉だった。
――ちがッ、ちがう。こんなのッ、違がぅよぉ……。
二十年前――彼女は彼と結ばれるために己の奇跡を捨てたのだ。
苦渋の選択だったが、彼と同じ存在になり、同じ時間を生きる。ひとつになれるならそれでいいと思った。それなのにこれはどういう事か。己は彼の永遠を得る為に永遠の存在でい続けなければいけなかったのか。
「そんな……」
……違う。
本心からそう叫ぶ。
彼女は彼の口にした永遠の愛を信じた。
しかしこれじゃあ、これじゃあ、これじゃあまるで……。
「気の、迷いだったとでも言うつもり……?」
「ああ。そうかもなぁ」
「…………!」
受け入れたくない現実を肯定される。否定して欲しかった。
だがそんな事は起こるはずもなく、彼は一人寝室へと消えていく。
リビングに一人残された千冬。
違う。――違うぅ。
彼女は己の選択を、過ちだなどとは認めたくなどなかった。
――そんな事があった翌日。
「馬鹿な女だ」
男は立ち上がり、外室の支度を始める。
そんな男の姿を千冬はまっすぐ見つめた。
「何処に行くの?」
「仕事」
男は鬱陶しそうに呟く。嘘だと直ぐにわかった。
先週もそう言って他の女と会っていたからだ。
今の言葉に誤魔化す意図などない。ただ反射で口にしただけ。だから――
「お願い。あんな子ともう会わないで。私だけを見てよ」
男はぽかんと口を開けて千冬を見た。
千冬は泣き腫らした様に目が赤い。だが――
「お前なんか見てるくらいなら、蟻の巣見てる方が楽しいよ」
「――――――…………!」
「行ってくる」
男はそう言って千冬の前から去った。
千冬は過去の自分の選択が正しかったと最早思えなくなっていた。
永遠なんてものはこの世には存在せず、このまま自分には何も残らなくなってしまうのかと。
漠然とした不安が千冬を襲い、彼女は膝を着いて蹲る。
「そんなの、厭だよぅ…………」
助けて……。精霊さん。ごめんなさい。捨てたりなんかしてごめんなさい。あなたの言ってたこと、正しかったよ……。お願い助けて……。
その時だった。千冬の前に彼女が現れたのは――
「泣かないでください」
視界の隅に裸足で立つ一人の少女の姿を捉える。
そして差し出されるハンカチ。千冬は腫れぼった目でそれを見た。
少女は容姿から察するに十二、三歳を思わせる外見。だが同時にそうで無いとも思う。
千冬は少女から嘗ての自分と同じ空気を感じた。
それは即ち魔性。少女の外見は子供だが、もしかしたら自分より歳上かもしれない。
己も魔法を手離していなければ今でも外見は十歳のままなのだから。
そもそも少女は人間かどうかも疑う様な不思議な雰囲気を纏っている。
少女は妖精が歌う様な可憐な声で問いかける。
「また、昔の自分に戻りたくはないですか?」
そして少女は掌に青白い焔を連想する輝きを灯す。
「これは……?」
「あなたが過去に手離した力です」
それは確かに、二十年前、己が魔法を手離す際、最後に見た奇跡の輝きを想起させる光。
でも一体何故彼女が……。しかしそんな事はどうでもいい様に思えた。
その輝きは懐かしい匂い、懐かしい波長を持って千冬に呼びかける。
それはどれをとっても嘗て己の身に宿っていた奇跡で間違いない。
千冬まるで引き寄せられる様に光に手を伸ばす。
そして指先が触れるなり、それは再び彼女の魂へと溶けた。
体内を駆け抜ける魔力に蘇る回路。千冬の身体に突如変化が起こる。
見る見る内に周囲と自身の縮尺にズレが生じ、それは己の身体が縮んでいるのだと自覚した。
そして数秒後、千冬は目の前の少女より幼い、かつて魔法少女だった頃の姿を取り戻す。
見間違えようはずもない。十年間も付き添った己の十歳の頃の姿。
「あ、ぁぁ……」
千冬は我が身に起きた奇跡に最早言葉も出ない。その場に跪きその身を抱きしめた。
そしてこの奇跡を与えてくれた少女に……。
「さぁ、行きましょう?」
「――――――はい」
共に歩む事を誓う。千冬にはこの少女が天使に見えた。
こうしてこの日――村神千冬も【平和の鷹】の翼を成す羽の一枚となった。




