消えた窓は叩けない、とだけ聞くとなんだか詩的
「……ということは、他の世界に渡る船が完成したら、女神は邪魔してくるんでしょうか」
「まず、間違いなく。神器もあと半分ですからね。そろそろ本格的に横やりが入ると見るべきでしょう。……残りの神器がうまく手に入るといいんですが」
ふむ。海底神殿と月の平原。どちらも高レベル向けのダンジョンではあるけど……今の僕の能力だと、レベル99の水ポケモン6体でタケシに挑む難度に等しい。横やりを入れてくるのが教会だけなら、そこに海パンやろうが1人増えるくらいの違いしかないけど。女神が本格的に介入してくるなら話は別だ。対策を練っておく必要があるだろう。
「ですから、あなたも気をつけてください。いいですか、窓もドアも注意です。念のためもう1度言っておきます。……呼ばれても、あなたは開けては、いけません」
「はーい。でも、そんなすぐには来ないんじゃないでしょうか。気にしすぎですよ」
だってねえ。それが来るならもうがっつり殺しに来てるってことでしょ? そこまで問答無用じゃないだろう。さすがにあの女神でも、もう少し慎重だと思う。
中庭でしばらく世間話をした後、トアと別れ、僕は自分の部屋に戻った。しかしベッドに座ったとたん、ふわぁ、となぜだか自然にあくびが出る。うん、ベッドに座った時点で眠る気だったのは否定できない……でもなんかだるいかも。まるでプールの後みたい。
……あ、そうか。さっき……。僕はもそもそとそのまま布団に潜り込んだ。今日は池に入ったし、池に叩き落されたし。けっこうよく頑張ったんじゃないかな……ほな、また……。
そして、ふと誰かに呼ばれたような気がして、僕は目を覚ました。あたりを見回すと、いつの間にか窓の外は完全に暗くなっている。……お、そろそろ夕飯なのではなかろうか。ロランドが気を利かせて呼びに来てくれたのかな。しょぼしょぼした目を擦りながら、僕は声の方向に向かって歩く。
……すると声に向かって歩いてきたはずなのに、なぜか窓の前に辿り着いてしまった。……あれ? 間違えたかな?
僕は閉まったままの窓を、首を傾げて眺めた。窓の外は、深い闇に覆われていて、向こう側はほとんど何も見えない。まあそもそもこの窓の外って15センチくらい向こうにすぐ塀があるから、もともと景色なんてほぼ見えないんだけど。1階だからね、仕方ないね。窓は、外で風が吹いているのか、ガタガタと音を立てて揺れていた。
ところが、不意に窓に人影が映り、コンコン、と窓が叩かれた。おおう。ちょっとビクッとしてしまった。とりあえず、警戒しながら窓の方を窺ってみる。すると、何やらひそひそ声が窓の外から聞こえてきた。……なんだろう。エビとイカの化身が昼間の恩返しに来てくれたのかな?
……ところが、続いて聞こえた声は、僕のよく知っている人間の声だった。常識人で、ツッコミで、頼りになる僕の友人。ただ……ここに絶対に、いるはずのない人間。
「おい、俺だよ」
「……! まさか……?」
「やっと見つけた……。またやばいことになってるみたいだな。助けに来たぞ」
……窓の外から聞こえるその声は。間違いなく現世の僕の友人の声だった。
「いやでもどうやって……!」
そう言ってとりあえず窓を開けようとする直前に、トアの声が突然耳に蘇った。……誰かに呼ばれても、あなたは開けては、いけない。
その瞬間、はっと完全に眠気から覚醒する。いやいやいやいや。おかしい。窓の外は15センチしかスペースないんやぞ。僕の友人が一反木綿に生まれ変わったとかそういう展開でない限り不可能。……そしてもう1つ。僕の友人は、窓からいきなり声を掛けたりしない。彼はきっと玄関から普通に入ってくる方を選ぶだろう。あいつめっちゃ常識人だから。
僕が答えずにいると、不意に外の声が変わった。可愛らしい女の子の声に。その子のことも、僕はよく知っていた。
「ねえ、サロナちゃん。助けにきたの。……ここ、開けてくれない? 入れなくて困ってるの」
……はい偽物確定。彼女に開けられない鍵などない。僕は窓の外の人影を睨みつけた。ところがなぜかその姿はもやもやとしてはっきりとせず。そのまま待っていても開けてもらえないことがわかったのか、声はまた変わる。
「ねえねえ、開けてよ!」
ゼカさんの声。
「開けてもらえませんか。さっき言い忘れたことがあるんです」
トアの声。
「ねぇ、開けて一緒にお菓子食べない? 妹弟子と一緒にお菓子食べたいんだけどなぁ……駄目かなぁ」
ルート先輩の声。
「ねえ」「ねー」「ねえねえねえ」
「開けて」「開けて開けて」「開けて開けて開けろ」
「言い忘れたことがありますよ」「言い忘れましたよ」「言い忘れ」
「楽しいから」「楽しいから開けようよ」
「遊ぼう」「一緒に遊ぼう」
「話せないかしら?」「ここを開けて少し話せないかしら?」「なあ」「おい」
……暗い部屋の中で様々な人の声が響く。その声はどこか平坦なまま、何度も何度も繰り返された。まるでその声が部屋の中をぐるぐると回ってるみたい。
それとともに、ドンドン! と何度も窓が勢いよく叩かれる。私は、もう1度布団の中にもそもそと避難して涙目でぎゅっと耳を塞ぐ。真っ暗な中で、布団越しにも、呼ぶ声と叩く音はずっと聞こえた。やめてやめて、と何度頼んでも、その音は止まなかった。
……これ無理……だってもう駄目だもん……。泣きそう……。なんでここには電話ってやつがないの。このまま1人だと心が折れちゃいそう。……あ、そうだ。
視界がじわじわ滲んでいく中、私はごそごそと絵筆を取り出した。そのまま絵筆に祈る。
「あの、 水彩画家さん……どうか私を助けてください……」
『あら、どうしたのかしら? 元気がないじゃない』
「この状態で元気だったらそれって心が壊れてます」
『……何を言っているのかわからないのだけれど……』
私は絵筆をベッドのへりに置いて、自分だけ布団の中にさっと潜った。しばらくして絵筆を回収し、布団の中に戻る。その間も、ドンドンと窓を叩く音は大きくなっていく。なんであの窓割れないんだろう。ううん嘘どうか割れないでお願い。
「どうですか、何とかなりませんか」
『何なのよこれ……おかしいわ……』
「でしょう! おかしいですよね!」
私は同意者を得て少し元気が出た。そうだ、私は1人じゃない。……でもここからどうしたらいいんだろう。窓を開けないくらいでこんなに騒ぐなんて。……窓。そうだ、いいこと考えた。
「あの窓、粉々に消し飛ばしてみたらどうですか? きっともう叩けなくなると思うんですけど」
『あなたもう黙っていて。というか、どうしたのかしら。いつもよりいっそう頭が悪くなっていてよ』
……そうだ。私じゃなくてあっちに考えてもらえばいいんだ。怖くて出てきちゃったけど。あとは任せちゃえ。
ふと気づくと、布団にぐるぐる巻きになった状態でさらに枕を抱きしめ、僕はいつのまにかベッドの下に潜り込んでいた。何を言っているのかわからないと思うが、何をされたのかわからない。これも女神の攻撃の一部なのか。
まずはごそごそと暗い部屋の中でベッドの下から這い出す。……えーっと、なんでこうなったんだっけ。僕がちょっと考え込むと、ドンドン! と窓が割れんばかりに外から叩かれ、ひえっと飛び上がる。……そうだ、窓から変なのが来てるんだった。いかん混乱しているぞ。
「……失礼しました。ちょっと違う私が出てしまいました」
『そういう年頃なのかしら……』
「それで、どうするんでしたっけ。えーっと、窓、窓。あ、そうだ、窓を消し飛ばす……?」
『やめなさい』
しかしどうする……。僕がひそひそと絵筆と作戦会議をしつつ、窓を睨みつけていると、急に音が止んだ。……いやいやその手には乗らんぞ。とりあえず絵筆を構えて、いつでも魔法を発動できるようにしておく。……いつでも来い!
しーん、と沈黙がしばらく部屋を支配する。と、突如、ドアがバーン! と大きな音を立てて開いた。僕はそちらに絵筆を振りかぶる。
「夕食ができたぞ! 俺に作らせるとは……」
「―― 水彩画家!!!」
……部屋の中で召喚された4メートルもあるオーガは、実に家の2階天井までを丸々貫通した。めっちゃ怒られた。
「来ました……」
「え、何が?」
「……早い……」
翌日、僕のその報告を聞いて、さっと深刻な顔になるトアと、疑問符で顔がいっぱいになってるゼカさん。トアの説明を受けて、ゼカさんもすぐに真面目な顔になった。
「戦うとかそういう問題じゃなかったです。メンタルがヤバいです。自我が不安定になります」
「……?」
「まあ、それは置いておいても。アドバイス通り、開けなかったんですね。感心です」
思いっきり開けようとはしちゃった。僕がそっと目線を外すと、トアは「マジかこいつ」という表情になる。い、いやまあ寝起きだったし……。
「で、また来たらどうしたらいいんでしょう。昨日とか私、結局、屋根のない部屋で寝たんですよ」
「……何かの比喩なのかな……?」
「逃げる方法、ですか。……そうですね……開けようとしなければやがていなくなるそうですが」
そうだね。昨日もそうだった。そして、叩かれていた窓を、僕はあの後開けてみた。しかしそこには、すぐ目の前に塀が迫り、到底誰かが入るスペースなんてない、いつもの殺風景な景色があるだけだった。
「そういえば、あたしの複数契約ってどうなったの? サロナ1人だと開けちゃいそうなんでしょ? ならあたしが契約して強くなって一緒にいてあげる!」
そう言ってキラキラした目でトアの方を見るゼカさん。ところがトアはふいっとそんなゼカさんから目線を外した。
「いえ……それが。なかなかいい方法を思いつかなくて……」
そうなんだ。まあ、ならしょうがないよね。いやしょうがないで済ませたらゼカさん怒るかもだけど。
「それに、あなたが一緒にいても開けてしまいそうです」
「なによー。そんなことないよ。あたしの方がしっかりしてるところ、見せてあげる」
「とにかく、ここからは気を付けないと。あと残るじ……」
そこまで言って、トアは不自然に口を噤んだ。……のこるじ? ってなに?
そしてなぜかトアは僕の手をそっと握る。するとそこから彼女の考えが伝わってきた。……あ、そうか。ゼカさんには神器のこと内緒だっけ。魔王軍も集めてるらしいから。
そしてトアの考えとしては、女神側としても神器が2つ揃っている状態は捨て置けないのだという。だから攻撃が始まったのだと、そういう訳らしい。ふーん、と思いながら聞いていたら、ふと、ざわりと違和感を覚えた。
『今揃っている神器は2つ。全部で4つですから……あと残り2つ。 占板 、そして 星海』
…………そうだっけ。神器って、4つだった……?
「ゼカさん、魔王軍が集めている神器の名前って全部言えますか」
「何よ急に。忘れちゃったの? …… 意思 、 占板 、 奇異光芒 、そして 星海」
「ええ、そう。そうなんですけど、あと1つありませんでした……?」
「あと1つ?」
そう言って不思議そうな顔をするゼカさん。そう、彼女が今言ってくれた4つは、それぞれ雪山、火山、海底神殿、月の平原にある、もしくはあった。でも、もう1つ、何かあったはず。……そうだ、そもそもゼカさんは何を探してたっけ。彼女は、その4つのどれでもない神器を探してなかったか。確か、王国が秘蔵する……何だっけ。
「ゼカさんって何の神器を探してるんですか。いえ、聞いたかもしれないんですが忘れてしまって」
「あたしはその4つ全部の手掛かりを探してるの。だから、どれか1つってわけじゃないかなぁ。まあこれって、あたしに広い視野があるって認められてるってことだよね」
そう言って胸を張るゼカさんは、嘘を言っているようには見えなかった。……そして、確かに僕も、残る1つがあったのかすらも、どうしても思い出せなかった。




