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『栗毛の来訪者』(下)

 私たちは縦に並び、目的地である山頂に向かう山道を黙って登った。そして、私の前を行く彼女を見て、私はふと疑問を覚える。そもそもえぐれたお腹で動いて大丈夫なのか。もしかすると、あれが通常の状態なのかもしれない。世界のどこかにはあんな生物がいてもいいだろう。いや待て。そういえば初期にはよく出血していたか。





「そういえば、どうして怪我をしていたんですか」


 2人で座って休憩中、珍しく私から話しかけると彼女は嬉しそうな顔になった。手にしていたおやつを置いてぐいぐいとこちらに寄ってくる。


「お? お? ようやく気にしてくれたのー?」


「……それでどうして?」


「うーん、この地方に悪い魔法を使う存在がいるって聞いて、私はいそいそとやってきたんだけどね」


「やってきて?」


「なんか倒せって言われてて。で、私も人を殺すのって抵抗があるんだけど、そういうふわっとした存在、あ、精霊みたいなものだったんだけど、そういうのをえいやとやっつけるのは精神衛生上問題なかったの」


「えいやと」


 彼女はうんうんと頷き、何度かその場でぶんぶんと手を振り回した。ひょっとして、彼女がその存在とやらをやっつけた場面を再現してくれているのかもしれないが、正直よくわからない。





「そう、やっちゃった。そしたら、なんかあるじゃない? 最後に相手から呪いを受けるみたいな。それを食らっちゃって。で、急に、あれれこの世界なんかおかしいぞ? ってなって。そもそもここどこ? みたいな」


「それが呪い?」


「ううん、たぶん私がえいやとやっちゃった相手が、私の目を覚まさせてくれたんだと思う。だって、忘れてたもん。自分がどこから来たかなんて。……だからこそ、その相手も解きやすかったんじゃないかなー」


「解きやすかった?」


「うん。その存在が使ってたのはね、相手の記憶を消す、そんな魔法だったの」


「なるほど」


 ……どうやら急に私に関係がある話になってきた。というのも、私もいちおう、相手の記憶を消す魔法が使える。私以外に同じ魔法を使える者も、1人だけ知っていた。……師というのか、私に記憶を消す魔法を教えてくれたその人は、とても怪しい相手だった。なにが怪しいって、その人は突然私の前に現れ、「お前の力が私を呼んだ」と、ふわふわ浮きながら初対面の私に話しかけてきたのだ。色々怪しい。


 そして何もわからないまま、私は記憶を消す魔法に関する講義を無理やり受けさせられ、結果として私もその力とやらがあったのか。普通に使えるようになった。


 あの時以来会っていないその存在は、どうやら知らぬ間にえいやと退治されていたらしい。あれだけ説明不足なら退治されていても仕方ないだろう。しかもあれはなんでも悪い魔法だったそうだ。それをまず私に教えるべきではなかったか。






「でもね、その存在が言うには、『既に私の全てを継いだ人間がいる』って」


「……余計なことを」


「ん?」


 私の危険な独り言は、辛くも彼女の耳には届かずに済んだようだった。まずい、彼女の迂闊さが私にも伝染しつつあるようだ。私は逸れつつあった話題を修正する。


「ならその存在とやらにその傷をつけられたんですか?」


「ううん。いやー、敵は味方の中にいたとはね。用済みだ、みたいな感じで」


「感じで」


「なんか向こうの知り合いの声で呼んでくるからさ。喜んでドア開けるじゃない。がぶってやられるじゃない。逃げるじゃない。なんとなく呼ばれてるような気がして進んで、その先にいたのが、あなた」


「急に駆け足に」


「でもね……逃げてきた先にこういう子がいたんだもん。会えてよかった」


 こちらを見ながら静かに笑う彼女が何を「よかった」と言っているのかは、私には分からなかった。






 そして、私たちは、遂に、というほどの時間が経ったわけでもないけれど、山頂に着く。そこは少し周りの景色が見渡せるような広場になっており、私の馬小屋も遠くにぽつんと小さく見えた。地上より少しだけ冷たい風が、時折さあっと音を立てて私たちの間を駆け抜ける。……なるほど。遠くからだとあんなに小さく見えるのか。


 彼女は、それがどういう感情を表しているのかはいまいち定かではなかったが、ぴょんぴょん飛び跳ねながら私の方をちらちらと横目で見てきた。


「どうかな? どう?」


「上から見たことはなかったので新鮮です。……こんな風に見えるんですね」


「そうでしょー! ふふ、お姉さんに感謝しなさい」


「あなたも初めて来たんでしょうに」


 でも、彼女に誘われなかったら、ここに私は来なかっただろう。私が素直にお礼を口にしようとすると、ちょうど彼女もこちらを向き、何かを珍しく口ごもった。あちらも何か言いたいらしい。どうぞ、と私は順番を譲っておく。




「……実はねー。2つ言わなきゃいけないことがあるの」


「はい」


「まず1つ目、私は追われています」


「知っていますが」


「あ、そういう意味じゃなくって。現在進行形で、あなたの後方に追手がいます」


 私はそれを聞いても振り向かなかった。なるほど。私が認識できない敵を彼女は認識している。なら索敵は彼女に任せた方がいいだろう。彼女はそんな私を見て、ちょっとばつの悪そうな顔になった。


「いやー、ややこしいことに巻き込んでごめんね。……それで、もう1つは個人的な話になっちゃうんだけど」


「はい」


「私ね、……たぶんもうすぐ死にそう」


 ……そう言われて彼女の腹部を見ると、服は随分な範囲がどす黒い血で染まっていた。あんなにぴょんぴょん跳ねていたのに。いや、跳ねたからこうなったのではないだろうか。


「なぜ山へ来るのに反対しなかったんですか」


「いやー、だって年上として、初めてあなたが自己主張してくれたのは受け入れてあげたいじゃない? じゃない? 年上としてね!」


「20歳上ですもんね」


「ああああごめんなさいやっぱり年齢の話しないで」






 そして彼女が弱っているのを追手も理解していたのだろう。彼らは身を隠すでもなく、ばらばらと姿を現した。ただ、今は彼らの存在は少し邪魔だ。……ここは、ご退場願おう。そうするのはとても簡単だった。私と相手の境界を無くした上で、相手の全てを消してしまえばいい。彼らは油断していたのか、私が魔法を発動するその瞬間も、何も気づかなかった。


 やがて追手は全員、ふらふらと山道を彷徨い、木立の向こうに姿を消す。それを見た彼女は何も言わず、私の方をじーっと見つめた。……そうか、私の魔法を初めて見たなら、その効果に不安を覚えている可能性はある。いちおう解説しておいた。


「もうここがどこかも自分が誰かも忘れています」


「いやいやいやいややりすぎだからね! やっと少し笑ったと思ったら黒い笑顔だよ! ねえお願い! ちょっとこれからその魔法使う時加減してもらっていいかな!? 全部忘れるとか絶対ヤバいからね!」


 なるほど、全部はやりすぎらしい。次に使う時はもう少し、加減して使ってみるとしよう。






「さてあなたも全部忘れますか。怖くはなくなるでしょう」


「しかも無視してさらっと怖いこと勧めてきた……。いやーいいよ。だって傍にいてくれる誰かがいる方がずっといいもん。今事情が分からないままにされたらその方が怖いよこれ」


「そうですか」


 その辺の感覚が私にはよくわからない。しかし彼女も死ぬのが怖いのは怖いらしい。気を逸らすために何か話をしようか。……そうだ。


「そういえばあなたが行きたい場所ってどこだったんですか」


「私の故郷にさー。すっごく有名な牧場があるの。地元過ぎて行ったことなかったけど。そこにあなたと行きたいなーって思ってた。絶対似合うと思う。牧場対決だよ」


 牧場対決。いったいどうなったら勝ちなんだろうか。


「別に行き先はそっちでもよかったですよ」


「うーん、でもあっちはねー。……すごい遠いところにあるから、行けないや」


「行けない場所を候補に……」


「だから言ったじゃない。こういうのって、行けなくてもいいんだよ」


 ……そうだろうか。今度行く旅の目的地の候補なら、行けるかいけないかは結構大事な気もした。





「あ、でも行きたいな……いつか。ねえ、どうしようか。私って死んだら特別にあっちに戻してもらえるらしいんだけど。あなたがこっちに来たら、一緒に行こうよ。あなたが来るまで、私も行かないからさ」


 私はそれに返事をしなかった。彼女が何を言っているのかわからなかったし、あまりに曖昧。できない約束は、私はしない性格だった。そしてしばらく2人の間に続いたその沈黙に耐えかねたのか、彼女は焦ったように違う話題を振ってくる。


「いやしかし、さっきの魔法、凄かったねー」


「私もえいやと退治されますか」


「いや、さすがにこの期に及んでそれはしないよ! 私はいいと思うな!」


「……私はこの能力嫌いです」


「そんなことないよ! きっと誰かの役に立ついい力だと思う。……でも自分でそう思えないのは辛いよね。どうしたら……うーん、難問だ」


 彼女は腕組みをしてうんうんと唸り声を上げながら考えている様子だった。……嫌な予感がする。なんとなく、彼女の頭ではいい考えは浮かばない気がした。そしてやがてぽん、と彼女は手を叩く。


「……あ、そうだ! 今の能力をあなたが改良して、誰かの役に立つって自分でも思える魔法にしちゃえばいいんだよ! だって、さっき山から見たらいつもの馬小屋も全然違って見えたでしょう? きっと世界は私たちが思ってるよりずっと広いから。できることも多いと思うの。……私、それ見たいなぁ。あなたが胸を張って、自分の魔法を好きだって言えるところ」


 なるほど。意外に悪くない考えのような気もする。私は彼女の頭脳に対する評価を反省しなければならないようだ。


「もう、またしかめっ面して。お姉さんはあなたの笑ったところも見たいなぁ。……え、難しい? 笑い方、笑い方ねえ……我が人生ながら、死ぬ前に直面するのが難問ばかりだ。私いつでも笑いすぎって言われるからなぁ。それにしてもここにきて見たいものがいっぱいだわ」




 その後も彼女のために川の水を汲んできたり、大きな木に2人でもたれて座りながら、大事な、あるいはどうでもいい話を、私たちはとめどなくひたすらに、ずっとした。


 ……そして夜明け前に。不意に話を止め、ふと彼女がこちらを見た。私はなんとなく、彼女との別れが来たことを理解する。同時に、彼女が本当は、私が思っていた以上にとても怖がっていたということも。……何かすがるものを探しているような目をする彼女の手を取って、私は思わず言った。伝わるかどうかもわからなかったけれど。


「いつか見せに行きますから。大人しく待っててください」


 ……彼女はそれを聞いて一瞬だけ目を見開き。そのあとこちらを向いて、少しだけ笑った。そして黙って頭をぎゅっと抱き寄せられたが、私は文句を言わなかった。


 それから少しして、私を抱き寄せたまま、彼女の呼吸は止まった。そして、途中だった話の続きは永遠にできなくなった。






 ――彼女は死んだあと、光に包まれて消えた。突然やってきて、突然いなくなった存在。この場から1人消えただけで、随分周りが静かになった気がした。騒がしくて、何を言っているかはよくわからなくて、たまにそうかと思うことを言い、実は怖がりだった彼女。彼女は光に乗って、いったいどこまで帰ったんだろう。私は光の軌跡を見送ったが、それはすぐに宙に散って消えてしまい、どこに向かったのかは、わからなかった。




 ……しかし結局、彼女にうまく笑ってみせることはできなかった。これは改良の余地がある。そう、私とて馬と羊の世話も最初からうまくできたわけではない。……私には練習が必要だった。再び彼女に会うまでに。ただ、やり方がわからない。どうするべきだろう。


 ――「今の私の真似、ちょっと似てた」という彼女の声が耳に蘇る。なるほど、彼女を真似したらいいか。再会は叶うとしても、おそらくはるか未来だろう。練習する時間は、まだまだたっぷりあった。なにせ、あっちとかこっちとかいう曖昧な手掛かりしかないのだから。……あとは、人の役に立つ魔法、か。人の役に立つ……これも曖昧だ。曖昧なものは、苦手だった。






「揺らぎを観測してやってきたら、驚いたな。その年齢で使いこなすか」


 不意に掛けられた声に私が顔を上げると、木に寄りかかり、見知らぬ少年がいつの間にか立っていた。敵か味方か、それもわからない。……わからないのであれば、消すべきか。消してやろう。お前も自分が何者かすら忘れて彷徨うといい。


「いや、私は敵対はしない。君と同じく、魂に関する魔道の探求に勤しむ者だ」


 ……同じく? そしてその少年は延々と興味の湧かない自己紹介を始めたが、その中で私が気になった台詞があった。どうやら目の前の少年は、あの翻訳魔法を作成した張本人らしい。……翻訳魔法。世界中で使われている、人の役に立っている魔法。……少し、それには興味がある。


「へーそう、なんだ」


「私はウルタルという。君は、何というのかね?」


「私は、……ううん、……私はねー、ルートっていうの。よろしくね!」






* * * * * * * * * * * *






「……今と過去でキャラが違いすぎる」


「いや、照れちゃうなー」


 僕のコメントに、てれてれ、と頬をさするルート先輩だったけど。伝わってくる心の中は平静そのものだった。心電図で言うとこの人死んでます、ってくらいの起伏のなさ。きっとこの人にとっては事実だから、そもそも照れるとかではないんだろう。僕はなんとなくそう思った。いや、でも……うん。


「あのー、もう聞いちゃったので。無理してその話し方しなくて大丈夫ですよ。素で話してもらった方がいいです」


「うーん、それがね。最初は真似だったんだけど。今はこの話し方、癖になっちゃってて。だからこっちの方が楽なんだよー」


 んーっと伸びをしながら先輩はそう答える。なんだ余計怖いぞ。今度から口調に騙されないようにしなければ。たぶん先輩って笑顔のままで人を刺し殺せる人だと思う。……あれ? でもよく考えたら僕の知り合いにもそういう子がいた気がする。そういう意味では同ジャンルなの……? なんか違うような気もするけど。



 でも、今の話で重要なことがいくつかあった。そして、まだわからないことも。……さすがに8歳の時から成長してるだろうとはいえ、先輩の能力の範囲が規格外すぎる気が。


「それがね、私の能力ってその時からあんまり成長してないんだー」


 うわ読まれた。……あれ、でもなら余計不思議なんだけど。明らかに国民全員相手は無理そうな……。


「それは私の力じゃないから、言えないかな。直接話してもらったらいいと思うよ」


 そう言って、自分がぽすぽすと叩いて凹んだクッションを整えた後、先輩は立ち上がった。そのまま去っていく後姿に、僕は思わず声を掛ける。


「その人がどこから来たか、私、たぶん知ってます!」


「うん。この前知ったよ。……どうしようか。私もその武器屋の子に頼みに行った方がいいのかなぁ。……それとも……ふふ、迷っちゃうなー。これは難問だぞ」


 ふんふんふーん、と鼻歌を歌いながらルート先輩は今度こそ去っていった。その長身は音もなく、すっと研究所の奥に消えていく。……どうやら先輩には、過去の先輩自身の予想とは違って、大きくなる才能はあったらしい。僕はさっきの話を思い出しながら、そんな場違いな感想を抱いた。

なぜ進むにつれてやばい人が増えていくんだろう

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― 新着の感想 ―
[一言] 唯一の真人間かと思ったら同じ穴の狢だった(゜ω゜)
[一言] 先輩が一番怖い
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