1004 分からない人
圧倒的に大怪我しているはずの、無傷の人と、シミひとつないズタボロの服。
……深まるばかりの謎を前に、生ぬるい視線がオレに注がれている。
「えーと、あの、シロ? もしかして、辺りに血痕は残ってたり?」
『うん、それはあるよ! この人、怪我が治ってお風呂入ってるんでしょう?』
そうですよねえ……やっぱりそうなるよね……。
紛れもない事実に、がっくりと項垂れる。
「お、おかしいな……? そんなに生命魔法水濃くなかったはずなんだけど……」
『浄化との相乗効果かしら?』
「いつから浸かってるのか知らないけど~、一晩中なら、外傷くらいは消えたのかもね~?」
そっか……確かに。代わりに、お風呂の生命魔法水は概ね普通のお水になっている気がする。そんな消費の仕方ってあるんだ……初めて知ったよ。
「そっちのネズミさんも……大丈夫そうだね」
こっちは普通に飲んだのかも。うっすら甘いしね! ……ただ、オレたちの出汁が効いていてちょっと申し訳ないけれど。
ネズミと言っても、チュー助みたいなグレーじゃない。
柔らかな黄色がとてもかわいい。
「とりあえず、この人が起きないのはどうしてかな……? まだ内側に損傷があったら大変だよね。回復魔法かけさせてね」
あまり攻撃をしてきそうなタイプには見えないけど、一応ネズミさんに断って、ゆっくり回復魔法をかける。
生命魔法水と洗浄効果で、特に大きな問題はなさそうに思うけど……。点滴魔法も交えて内側から回復を施していると、呻き声が漏れた。
ぴい、とネズミさんが心配そうな声で鳴く。
「こっちにおいでよ、大丈夫だよ」
ネズミさんは、でも、と言いたげにちら、とシロを見た。
『ぼく、怖くないよ! いい犬だよ!』
ぱあっと笑ったシロに、『犬……?』と言いたそうな顔をしつつ、そろそろ近づいてくる。
ちゃんと言葉が通じてる。やっぱり幻獣で間違いないよう。
「ユータ、そのネズミって従魔でしょ~? なんて言ってるの~?」
「なんでそんな大怪我したんだ?」
二人が、まだ目を覚まさない人とネズミを見比べ、当たり前のように尋ねてくる。
「わかりませんけど……?! オレ、幻獣と会話できないよ?!」
シロなら、と視線をやったけれど、シロは困ったように首を傾げる。
『あのね、ネズミさんはあんまりおしゃべりできないみたい。多分……怖いのがいっぱい、逃げた、聖なる泉、来た、って言ってるのかなあ……?』
『主ぃ、会話できるような幻獣じゃないんだぜ! そこらのワンコとそう変わりないんだぜ!』
そっか、動物に近い子なのかな。
この人は冒険者だろうから、探索の途中で魔物に追われたってところだろうか。
『怪我した主人を一生懸命引きずってきたのね! とっても役に立つネズミねえ』
『お、俺様、俺様もっと役に立つネズミ……』
まあ、それは置いておこう。
そして、オレの放置していたお風呂、とても役に立ったってことじゃない! 人命を救助したんだから、何も問題はない。聖なる泉だなんて、ネズミさんがそう言ってるだけだもの。誰にもバレやしない。
ふう、と安堵の息を吐いたところで、男性が身じろぎした。
ふすふす、とネズミさんが顔を寄せるのがくすぐったかったか、次いでぱちっと目が開く。
「わっ?! ど、どうしたの?」
途端、跳ね起きた男性にオレたちがビックリしてしまった。
「……」
だけど、飛び起きた割に、男性は戸惑ったように動かない。
「なあ、どうしたんだ? なんで怪我してたんだ?」
「僕らが通りかかって良かったね~? こんな辺鄙なところで、ひとりで何してたの~?」
おお、助けたとは言ってないけど、そこはかとなくオレたちが助けたような雰囲気が漂っている。
何も嘘はついてない、問題ないだろう。
余計なことは言うまいと、深々頷いて参加しておく。
「お前……? お前は、知ってる……」
嬉しそうにすり寄るネズミを撫でて、男性が不思議そうに呟いた。
そして、オレたちを見て、瞳を揺らす。
「君らは……? 俺は、何をするんだった……?」
「えっ」
思わず3人で顔を見合わせ、恐る恐る男性を見上げる。
「えーと、名前は? 冒険者だよな?」
「名前……。冒険者、のようだ」
自分の姿を見下ろして、不思議そうにそう言う。
「あの、どうして倒れてたの?」
「倒れていたのか?」
オレたちも困っているけど、男性はもっと困惑している。
「何でもいいから、覚えていることを教えて~?」
揃って男性を見つめると、眉根を寄せて必死に思い出そうとしているよう。
「何か……早くしなくてはいけない、はず。ツノがある黒い牛のような……あれが一面にいた」
「動物? 魔物かな? あ! だったらもしかして、魔物の大群が暴走するのを、急いで止めようとしたとか?!」
ハッとしたオレに、二人が首を振る。
「そんなことできんのはお前ぐらいだ」
「そういう時急ぐのは、逃げることだね~」
ひとまず分かったことと言えば。
「記憶喪失?」
「だね~」
「まあ、命は拾ったからよかったんじゃね?」
心細そうな顔でオレたちを見ている男性に、頷いた。
「段々、記憶は戻ってくることが多いみたいだから~」
「きっと、何かの衝撃でぶっ飛んだだけじゃねえ?」
「ひとまず、近くの村に送るね! そこ出身だったら話が早いんだけど」
冒険者で、こういう症状はそう珍しくないらしい。
それもこれも、回復魔法なんてすごいものがあるから。瀕死の重傷を負っても生き残れる奇跡があるけれど、失った脳内の記憶やら何やらまでは回復できないことがあるみたい。
「いや……ダメだ。どこかに、行かないといけない。村へは行かない」
表情を険しくしたその人が強く首を振る。
「そんなこと言ったって、覚えてねえのに?」
「村で思い出すことがあるかもよ~?」
そわそわ立ち上がった男性が、焦燥を浮かべて右往左往している。
「どこかって、どこに行くの?」
「……分からない」
当てもなく彷徨うだろう彼を前に、顔を見合わせる。
困った。まさか、置いて行くわけにもいかないし……。
『どこに行くか分かったら、ぼくが連れて行ってあげるのに』
耳としっぽを垂らしたシロが鼻を鳴らして、オレを舐めた。
「そうだね……」
いくらシロの鼻でも、行くべきところは分からない。そう考えたところで、ハッとした。
「でも! どこから来たかは分かる!」
「確かに~? この人の脚で歩いて来たなら、そう遠くじゃないかも~」
「なら、辿ってみたら、何か分かるかもな!」
虚ろだった男性の目に、微かに光が灯る。
「そうか……! トガリだっている、俺が来た道なら……!」
「「「トガリ?」」」
首を傾げたオレたちに、男性があっと声をあげてネズミを見た。
「……トガリ、だよな?」
「ぴい」
すり寄るネズミに、男性の目が輝いた。
「お、ネズミの名前思い出したのか!」
「これは、記憶が戻るのも早そう~」
よかった。トガリも、男性も。
その手がトガリから離れないのを見て、胸がぎゅうと締まる。
きっと、大事な相棒だったんだろう……よかった。
幸先のいい出来ごとに、にっこり笑う。
「じゃあ、さっそく記憶探しの道のり、出発! だね!」
満面の笑みに釣られるように、男性も少し口角を上げた。
なんか時事ネタみたいになっちゃったね……






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