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第94話 悪魔




「大人しくしてなさい、だって……!? できるわけねーだろ……! 気になってしょーがねぇ……!」


 "人間"のテリトリー。その眼で確かめられずにはいられない。

 イユの言いつけを早くも無視した雄弥は、ぬかるんだ地面に残っていた彼女の足跡を辿って森を抜け、街に来ていた。……"人間"の街に。


「……なんか……ヒニケとあんま変わんねぇな」


 しかしすぐさま拍子抜け。

 包帯だらけの上裸体にパーカーだけ羽織り、街道の真ん中を右脚を引きずりながら歩く彼の眼に映る街並みは、はっきり言って憲征領のそれとほぼ同じ。ここ……マヨシー地区の雰囲気は、彼の住む地区にそっくりである。



 ただ、もちろん異なる点もある。


 それは2つ。ひとつは当然、そこに住むヒトたちの違い。全員、黒眼。老若男女全員が黒眼。2年以上もカラフルな瞳ばかりを眺めて過ごした雄弥にはそれが唯一の強烈な違和感となる。


 もうひとつは、"兵士"の違い。先程から彼は何度か、"人間"の……公帝軍(こうていぐん)の兵士とおぼしき人々とすれ違っている。

 なぜそれが兵士だと分かるのか? それは彼らが全員、同じ制服を着ていたからだ。白の詰め襟に銀ボタン、そして制帽。学ラン姿の学生のようであった。『我が軍(憲征軍)には制服なんてものは無いんでね』……かつてのアルバノの言葉が耳に響く。



「…………あ」


 そうやって周囲を観察しながらぷらぷらと歩いていた彼は、前方50メートル先に緑頭巾の少女を発見。見つかったら怒られると思い、彼は側に建っていたガス灯の影にそそくさと隠れる。


「ごめんねおじぃちゃん。こんなに安くしてもらっちゃって……」


「気にすることないんだよ。イユちゃんにはいつも世話になってるからねぇ」


「そんな……お世話してもらってるのはこっちなのに……」


 彼女は小さな建物の玄関前で白衣を着た医者と思われる老人とそんな話をしたのち、そこを離れてまた歩き出した。雄弥もバレないようにコソコソとついて行く。


 彼女はそれから3軒ほど店に寄った。食材調達のために。

 だが、それら全てにおいてどうも様子がおかしかった。おかしい、というのは彼女がどうこうではなく、店の従業員の態度である。



 特に目立ったのは、3軒目の八百屋の老婆店主。

 イユはそこの八百屋で、店頭に置かれていたキャベツによく似た野菜のうちのひとつを手に取った。


 すぐそばに椅子に腰掛けていた老婆店主が彼女に話しかけたのは、その時である。


「ちょっとアンタ、買うならこっちのにしときな」


 そう言って老婆が差し出したのは、イユが手に取ったものと同じ野菜。しかしひどく色が黒ずんでおり、大きな虫喰いもある明らかな粗悪品であった。


「え…………でも…………」


「でもじゃない。ここはアタシの店だ。アタシの言うことが聞けないなら何も売らないよ。さぁ、どうするんだい」


「…………分かり、ました…………」


 イユはそれ以上何も言わず、老婆に押し付けられた品質最悪の代物(しろもの)だけを買って店を後にした。



「な、なんだありゃ……!? あんなのありか……!? なんつぅ感じ(わり)ぃババアだ……!」


 その前の2軒の店主も似たような調子だった。最初の白衣老人とはえらい差である。

 腹が立った雄弥は文句をつけようと自分もその店に行こうとする。



「おぉーッと!! くせェ、くせェ、くせェなァァァ!! バイ菌まみれの猊人(グロイブ)の臭いがするぜェェーッ!?」



 しかしその瞬間、彼の背後から大声が飛んできた。ダミダミの男の声だ。


『!? な、なに!? 俺のことか!? まさか……バレた!?』


 その内容に雄弥はぶわりと冷や汗を発生させながら、恐る恐ると振り返る。



 彼から少し離れた後方にいたのは、ぞろぞろ歩いて来る2、30人ほどのむさ苦しい男の集団。

 スキンヘッド。身体中刺青(いれずみ)まみれ。白いタンクトップに、迷彩柄のカーゴパンツ。そいつらは1人残らずそんな姿をしている。ダミ声の主は、集団の先頭にいるサングラスをかけたボスらしき大男だった。



「まままま待て待て待て! 誤解をしている! 俺はーーあ、あれ?」


 しかし集団は大慌ての彼には全く見向きもせず素通り。


 彼らのターゲットは、雄弥ではなくーー


「お〜い? おいおいおいおいおォ〜いィィィ!? やっぱりかァァァ!! なぁんで"甘そうな者(シュガー)"がここにいるんだァァ〜ッ!?」



 ……八百屋を離れかけていた、イユであった。

 


そんなモン(頭巾)被ったくれぇでゴマかせると思ったのかよォーッ!! ここは人間サマの街だ!! おめーみてぇにきったねぇヤツが来ていいところじゃねーんだよォ!! なァ、混血のゲロカス野郎め!!」


 先頭のボスは、ワザと周りに聞かせるような大声で、背中を向けるイユをなじりだす。

 肩を小刻みに震わせるイユは振り向かぬまま早足でその場から逃げようとするが、男たちはそれより先に彼女を取り囲んでしまう。


「ええッ!? 今逃げようとしたァ!? 逃げるってことはやましい気持ちがあるってことだァァ!! よくないなァ〜それを自覚しててここに来るなんてェ〜!! ーーお仕置きが必要だと……俺たちは思うぜェェッ!!」


 するとボスの大男がいきなり、片足でイユの背中を蹴っ飛ばした。


「なッ!?」


 雄弥は絶句した。


 イユは前に倒れ、持っていた買い物カゴも中身が溢れてしまう。

 異常な暴力。しかしもっと異常なのは、周りにいる街の住人たちがそれを少しも気にしていないことだった。誰も彼女を助けようともしない。しかも一般人どころか、たびたび通りかかる公帝軍兵士でさえも見て見ぬフリを貫いている。


 そんな中、倒れた彼女の腹部に大男からの2発目の蹴りが打ち込まれる。


「……ッは……! げほッ、げほッ、……おぇ……ッ」


「おい!! おいやめろッ!! 何しやがるんだ!!」


 うずくまり、嘔吐するイユ。

 たまりかねた雄弥は走り出し、男たちの円陣をかき分けてイユのそばに駆け寄った。


「しっかりしろ、大丈夫か!?」


「……!? あ、あなた……なんで……ここに……」


 イユは自身を起こそうとする彼を認識した途端、極めて居心地の悪そうな表情をする。まるで、彼にはこの様を見られたくなかったかのように。


「おお〜!? なんだァてめぇ、正気かァ!? こんなゴミを庇うのかァ!?」


 イユに理由の不明な蹴りを2度も振るったボスも含め、スキンヘッド集団全員の視線は乱入してきた雄弥へと移る。


「ああ!? 正気じゃねぇのはてめぇらだろ!! こいつがてめぇらに何したってんだ!?」


「あ、の、なァァァ!! ゴミってのはよぉ、愛でるモンじゃねぇ!! 踏みつけて捨てるためにあるんだぜェ!! てめぇはゴミがどういうものかも知らねぇってのか、ガキが!! ママに教えてもらわなかったのかァァ!? だったら……俺様が教えてやるゥッ!! ゴミってのは、こうするんだァァァーーーッ!!」


 ボスのその言葉を合図に、イユの背後にいた男の1人が、彼女の頭に向けて力の限りに棍棒を振り下ろした。


「!! イユッ!!」


 それに気づいた雄弥は自身の左隣にいた彼女を突き飛ばし、代わりに自分がその棍棒の一撃を受けてしまう。


「が……ッ!!」


「あ…………あなた…………」


 衝撃で雄弥も倒れ、頭部から流れ落ちる血で顔中をたちまち真っ赤に染める。

 彼に突き飛ばされた勢いで頭巾が脱げたイユは、そんな彼を見て顔を悲壮感でいっぱいにする。


「……ん? おォーッ!! 見ろよ兄貴!! このガキ見た目はは小汚ねぇくせに、右耳に一丁前なモンぶら下げてやがるぜェ!?」


 その時男の1人が、頭巾が脱げて露わになった彼女の右耳のイヤリングに眼をつけた。


「はっはァ!! ちょーどいい!! そいつをてめぇの通行料としてもらっといてやるぜェェッ!!」


「え……!? !! や、いやッ!! やめて……ッ!!」


 大男は横たわるイユの頭を地面に押さえつけて動けなくすると、彼女の訴えを無視してその右耳のイヤリングを無理矢理奪い取った。


「おっほォ〜コイツはすげェ!! かなりの値打ちモンだぜェ……ッ!! こんないいモンをもらったっつーのなら、こっちもそれなりに礼儀を尽くさねぇとなァ!? なぁそうだろお前ら!!」


「おおーーーッ!! その通りッスよォォ!!」


「よぉしよし、全員賛成だなァ。ならコイツをもらう代わりに、今日のところはこれくらいで勘弁してやるぜェ……!! よかったなァ〜ガキ共ォ〜!! 俺たちが優しくてよォォ〜ッ!!」


「か……返して……ッ!! お願い、それだけは……ッ!!」


 イユは大男のズボンの裾を掴みながら、涙混じりの声を必死に絞り出す。


「へっひゃあァァッ!! 人の優しさは素直に受け取れよォォーーーッ!!」


 しかし彼は無慈悲にも、彼女の顔へと3度目の蹴りを見舞った。イユは軽く吹っ飛ばされ、うつ伏せで蹴られた右頬を押さえながら身体をカタカタと震わせる。



 ーーそれが、雄弥に限界を超えさせた。



「…………ブッ殺す…………ッ!!」



 いよいよ理性を怒りで押し潰した雄弥はヤク中毒者のように表情をトばしながら右手を魔力で染めて立ち上がると、ボス男の顔面にその拳を撃ち込もうと思いっきり振りかぶった。


 しかし、拳が命中する直前。


「…………や…………めて…………ッ!!」


 顔を腫れあがらせたイユに背中から抱きつかれるようにして制止され、雄弥はギリギリで攻撃をやめた。


「……何言ってんだ……!! なんで止める……ッ!!」


「……もう、もういいから、やめて……!! お願い……ッ!!」


 ーー嗚咽がひどすぎて、気を抜いたら言葉が判別できなくなる。イユのそんな声を耳元から聞かされた雄弥は、怒りによってギチギチと音を鳴らす拳を引っ込めざるを得ない。


 だが破裂しそうなほどに充血した彼の隻眼には、男たちの悪魔のような笑みが張り付いて離れなかった。







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