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第91話 いなくなった彼




 海の向こう……水平線がくっきり見える。


 陽は今まさに、その向こうに隠れようとしている。


 その残光に照らされる橋の上。朝方に魔狂獣(ゲブ・ベスディア)の襲撃に晒された黒鉄(くろがね)の汽車が横転した状態で放置され、その周囲で大勢の憲征軍兵士たちが揃いも揃って慌ただしく動き回っていた。

 周囲とは、橋の上のことだけではない。橋の下で海に潜り、上がり、また潜ることを繰り返す者。魔術の力で、空を飛んで回り続ける者。



 ーー身体中のアクセサリーを風にチャラチャラとはためかせるジェセリ・トレーソンも、空にいる1人であった。



「ジェスッ!! どう!? そっちからはなんか見つかったッ!?」


 その彼に、地上から大声がかけられる。橋の上で夕陽に銀髪を輝かせる、シフィナ・ソニラからだ。


「ダ〜メだ!! 潮沿いに20キロ先まで行ってみたけど人影は無ぇ!! 潜水班もそれらしい痕跡は確認できねぇとよ!!」


「こっちも手がかりゼロよ!! 他支部に頼んで近隣の海岸をしらみつぶしに捜索してもらったけど、誰も漂着していないって!!」


「ちッ……何から何まで最悪かよ……!」


 アメシストのように艶やかな紫色の瞳に濃ゆい口惜しさを露わしながらジェセリは、真っ赤なキャミソールを必死の汗で濡らすシフィナの前にスタリと降り立つ。


「例の触手魔狂獣(ゲブ・ベスディア)……ドルマルンの足取りも一切掴めないわ……!!」


「そうか……こんだけ探してそのザマってことはもう俺たちの手の届く海域にはいねぇだろうな……」


「でもなぜ今になってドルマルンが!? 出現記録は10年以上前に1度きりで、これまで目撃情報だって全く入ってこなかったのに……!!」


「……少し落ち着け。魔狂獣(ゲブ・ベスディア)の行動パターンが不可解なのは今に始まったことじゃねぇだろ」


「落ち着け!? 第7支部(ウチ)の仲間1人拉致られておいて落ち着けって!? できてたまるもんですか!!」


 "拉致"。


 焦燥によって形相を苛立たせるシフィナの口から出たその言葉は、彼女と向き合うジェセリに複雑な顔をさせる。


「…………おめーも分かってんだろ。この状況で生きてるってほうが無理がある。…………ユウのヤツは、もうーー」


「うるさいッ!! 死体はまだ見つかってない!! ああいうバカがこんなつまらないところで死ぬわけないでしょ!? あたしは別の海岸を探してくるから!!」


 振り返って走り出そうとする銀髪の少女。だがそれより先に彼女の肩が、ジェセリの右手でがしりと強く掴まれる。


「……なんのつもりよ。放しなさいよ……!!」


「落ち着けってんだ。シフィナ……よく考えろ。俺たちは兵士だ。俺たちの仕事は、いなくなったヤツを探すことだけじゃねぇだろ。他にもやらなきゃなんねぇことは山ほどある上に、軍は慢性的な人手不足だ。……いくら仲間とはいえ、たった1人の男を見つけるのにこれ以上時間と労力を割くわけにはいかねぇ。生きている望みが限り無く薄いなら、尚更(なおさら)……」


「はあッ!? ざけんな!! あんたそれでもあたしらのボスーー……ッ!」


 すかさず反論をぶつけようとするシフィナ。……しかし自身の肩を掴む友人の手が震えていることを感じ取ってしまい、思いの全てを呑み込みざるを得なかった。


「…………ち…………ッくしょおおォォッ!!」


 彼女の無念の叫びは、橋の下20メートルの海面に波紋を起こす。



 ジェセリはそれを背中から聴きながら彼女のそばを離れ、橋の外に停めてあった1台の車まで歩いて行き、その後部座席のドアを開けた。


 ……彼が覗き込んだその中には、瞳孔を広げきって瞳から光を失くしたユリンが、背もたれにだらりとよりかかる形で力無く座っていた。


「……よう。大丈夫かユリン」


「…………ジェス…………ごめん…………なさい。私だけ…………何も…………してなくて…………」


 ユリンは掠れてザラザラの声を絞り出す。


「バカ、謝んな。『雛彌(ひなや)』の疲れがこんな短時間で回復するワケがねぇ。まだ動くのもつれぇはずだ。無理すんな」


「状…………況は…………?」


「……捜索は打ち切りだ。残念だが……あとは天に祈る。おめーも承服できねぇだろうが、すまん……分かってくれ」


 それを聞かされたユリンは一瞬、しかし明らかに身体を硬直させ……やがて顔に手を当て、嗚咽(おえつ)を漏らし出す。



「…………私、が…………しっかりしていれば…………ッ」



「……おめーのせいじゃねぇ。これは……どうしようもなかったんだよ……」


 ジェセリは、肩を震わせるユリンにそれ以上何も言えなかった。



「たっつぁん、潮時だ。みんなに引き上げるよう伝えてくれ」



 彼は通信機を取り、指示を出す。己の不甲斐なさに唇を噛む。


 汽車の乗員乗客106名。軽傷者70、重傷者8。だが死者は1人も無し。それが、ユウヤ・ナモセが最後に挙げた成果。


 すっかり陽を呑みきった水平線を睨むジェセリ・トレーソンは拳をぎりぎりと握り締め、その指の隙間から鮮血を垂らした。






「大丈夫さ。ユウは死んじゃいない」


 宮都総本部元帥執務室。

 ユウヤ・ナモセ消息不明の報を聞いたサザデーは、机に座って書類の束に筆をはしらせながら、澄まし顔であっけらかんとそう答えた。


「…………なぜ分かるんです」


 報告した主であるアルバノは、自身の前に座る彼女のその不可解な態度を強く(いぶか)しむ。


「お前に説明しても理解できんだろうさ。だが勘違いするなよ? 出まかせを吐いてるワケじゃない。とにかく心配いらん」


「心配ない……!? どこがですか!! 彼は戦争終結の切り札として育ててきた転移者ですよ!? こんなところでホイホイいなくなっていい存在じゃあないんだッ!! それに不審には思わないんですか!? 例のゲネザー・テペトによる彼やこの僕に対する襲撃といい、近頃妙なことが立て続けに起こり過ぎている!! その上、ユウヤくんの乗る汽車が10年間全く姿を見せなかったドルマルンに攻撃され、結果彼が行方不明!? 偶然だなんてありえない!! あるわけがないッ!!」


「くふふ……珍しいこともあるもんだ。お前ともあろうヤツがそんなに取り乱すとは……。いや実に新鮮だ。いいものを見れたぞ。これはユウに感謝しなくてはなぁ」


 彼の必死の訴えも、サザデーはにやりと笑って茶化すだけで全く真剣に聞こうとしない。アルバノはエメラルドグリーンの瞳を真っ赤に充血させながら、堪忍袋が爆発しそうになるのをギリギリで耐え抜く。


「で、は……どうするのですか……ッ! このままどこでどうなっているかも知らない彼を放っておけと……ッ!?」


「ああそうだ。ほっとけ。そのうち帰ってくるだろうよ」


「ッ!! ……失礼……します……ッ!!」


 ……最後まで軽佻浮薄(けいちょうふはく)な物言いを貫いた元帥閣下への失望を表情に(にじ)ませながら、アルバノは部屋を後にした。







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