第88話 裏の進行 -"クロイ"-
そこは憲征軍領土の内でも外れも外れ、人っこ1人近づかない最果ての土地だった。
四方を1000メートル級の山々で囲まれた盆地であり、ひしめきあって生えている背の高い針葉樹と牛乳のような濃さの霧によって埋め尽くされている。ごくたまに鳥の鳴き声がする以外は、鼓膜が機能していないのではと勘違いをするほどに静かな場所だった。
だがその土地の一角に、ひとつだけ妙なものが建っている。
……城だ。石造りの城だ。
突き出た2本の尖塔が目立つ、ゴシック様式に近い城。城ではなく、巨大な教会や大聖堂といった表現でも正しいかもしれない。
表面は蔦やヒビだらけで塗装も一片残らず剥げきっており、かなり古いものようだ。今にも崩れ落ちそうである。
しかし輝きの全てを失ったその風貌からは不思議な威厳と存在感が放たれており、そのことがこの場におけるこの城の異質さをより際立たせていた。
「いてててて……ちっくしょう、やってくれたぜルナハンドロめ……」
城の中、とある一室。上裸の身体を血を滲ませた包帯まみれにしたゲネザー・テペトが床に座り込み、蝋燭の灯りのもとに忌まわしそうな顔を浮かばせている。
「大丈夫か? ゲネザー」
そんな彼に、突然背後から声がかけられた。
「おわァッ!? ななななんだ帰ってたのかオメー!! びっくりさせんなよ!!」
ゲネザーは呂律をしっちゃかめっちゃかにして驚き、振り返る。
ーーそこに立っていたのは、1人の"ヒト"。身長175センチ程度。低めの声から察するに若い男性であることが伺える。
判別できるのはそれだけ。なぜならその者は黒地に細い白線を入れた縦のボーダー柄のローブで全身を覆い隠しており、顔もフードを被っているせいで口元くらいしか見えないのだ。
だがゲネザーの反応から、2人はかなり親しい間柄であるようだった。
「ははは、すまんすまん。いやはやお前ともあろう者が随分とこっぴどくやられたな」
「お〜もう最悪だ。アルバノ・ルナハンドロの野郎なんだが……オメーの言った通りのバケモンだったよ。俺はマジにブッ殺す気でかかったんだぜ? その結果がこのザマだ。ありゃあ今までに産んだ魔狂獣じゃ何十体束になっても倒せやしねぇぞ」
「だろうな。だが心配するな。すでにバニラガンの孤児院で得た戦闘データは解析済みだ。あれを元に、ゼメスアを進化させる。"完全体"まではまだまだだが、アルバノ・ルナハンドロの身体能力……それを超えるものを持つ個体を作ってやるさ」
「ホントか? そりゃよかった! あのジジイの面倒を見てやったのも無駄じゃなかったってワケだ」
「それでも2度とごめんこうむりたいさ。あのような俗物の世話なんぞは。……おっとそうだ、先に済ましておくべきだった。ゲネザー、頭を寄越せ」
「ん? おお、わりィな。頼まぁ」
ゲネザーが座ったまま男に対して自身の頭を差し出すと、男はその前にしゃがみ込み、彼の額の真ん中に漆黒の魔力を纏わせた人差し指で軽くトンと叩くようにして触れた。
するとそこを起点にゲネザーの全身に向けて波紋状に魔力がみるみる広がっていき、それに触れた怪我は一瞬のうちに痕も残さず消失。やがて1分が経つ前には、傷だらけだった彼の身体はたちまち産まれたての赤ん坊のように綺麗になった。
「ぷはッ! はっはっは、ふっかァーつッ! 生き返ったぜ! いーやそれにしても、オメーの『命湧』は相変わらずすげぇなァ」
痛みから解放されたゲネザーは身体中の包帯を引き千切って捨てながら生き生きと立ち、ローブの男もそれに合わせてゆっくりと腰を上げる。
「ふふ……お前のような向こう見ずが身内にいれば、こうならざるを得んさ」
「おーいもう言うなって! 悪かったから! ……でもよォ〜、"標的を仕留めるのが困難な場合は、標的に対して指示された情報を開示してから逃走せよ"……この言いつけはちゃあんと守ったぜ」
「ああ、よくやってくれた。これでルナハンドロの頭には常に、元帥サザデー・ネーダへの疑念がチラつくことになる。トップの結束が乱れるのだ。憲征軍の足並みを崩す第1歩としては最良ではないか。さすがだぞゲネザー、素晴らしい働きだ」
「てことは……いよいよ次の段階だな!?」
「そうだ、計画を進めるぞ。哀れな転移者を、同種たちのもとへ案内してやれ」
……それを聞いたゲネザーは、意地悪そうに笑う。
「"哀れな"ねェ……そいつは自虐のつもりかァ? ツバキ・クロイ……」
「くっく……さぁな。オレがそうなるかは、計画の成否にかかっている。つまり今の段階ではお前次第ということだ」
「よせよせ、キンチョーでブルッちまうだろうが。……ま、安心しろよ。俺がオメーの期待を裏切ることはねぇさ」
「大した自信だ。オレもその自己肯定は見習わねばな」
「人生を豊かにする秘訣ってヤツさ。とりあえず俺は準備に行ってくるぜェ〜」
ゲネザーはそばに置いてあったレザージャケットを掴むと、ご機嫌に勢いよく部屋から出て行った。
部屋に1人残されたローブの男……"ツバキ・クロイ"は、唯一覗かせている口を邪悪な角度に歪ませる。
「……熟れきった果実は腐り落ちるのみ。せいぜい絶望してくれるなよ……菜藻瀬雄弥……」
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