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第86話 受け継がれる、"変わる"意志




 ユリン・ユランフルグ。彼女は壊滅的な方向オンチである。

 彼女にかかれば近所の公園までの道のりが、未開のジャングルでの大遭難劇(だいそうなんげき)と化す。


 そんな彼女が今回目指したのは、都立中央病院本棟1階にある売店。用は飲み物を買うこと。スタート地点は特別病棟の雄弥が入院する部屋。渡廊下を歩いて階段をいくつか降りるだけの、実にシンプルかつ簡単なミッションである。


 で、スタートしてからすでに1時間。彼女はというとーー



「あ、あれ? 病院ってどこだったっけ……? 北の反対が南だから、私たちが向かってるのは……右? あれぇ?」



 ……なんと、()をうろついていた。


 病院内で迷うどころかその病院すらも完全に見失い、彼女は昼下がりの宮都の町であっちへこっちへを繰り返している。

 

「ゆ、ユリンおねぇちゃぁ〜ん……病院はこっちじゃなくて、さっきの角を左だよ〜……」


「ぜぇ……ぜぇ……」


 そんな予測不能のウォーキングに付き合わされた子供たち2人もとっくにヘトヘト。体力自慢のリュウですら怪我の影響もあってか息を切らしてしまっている。

 いやもっと早く止めなさいよ! というツッコミをしてくれるヤツは、残念ながら誰もいなかったのだ。


「え、ホント!? ご、ごめんね2人とも。う〜ん……あぁ、もういいや! ここで休んじゃおう!」


 そして彼らはちょうど眼の前にあった小さな屋台に行き、ユリンはそこで子供たち2人のと合わせて3つのジュースを買った。


 ……あれ? 雄弥の分は?




 道の脇に設置されていた長椅子に並んで座りながら、3人はビン入りのジュースをこくこくと飲む。


 ……いや訂正、リュウだけは蓋を開けただけで、少しも口をつけていない。

 座ったままうつむき、時々何かを言いたそうに肩をモジモジと動かしている。


 やがてビンを空っぽにしたユリンが、自身の右隣に座るエミィに優しく話しかけた。


「……ねぇエミィちゃん。さっき……病室でユウさんが話していたことなんだけど……」


「! ……だ、誰にも言わないよ……。ユリンおねぇちゃん……」


 やはりエミィは賢い。ユリンの言いたいことを即座に理解し、両手で抱えていたビンを口から離しつつ彼女の求める答えを返す。


「正解! お願いね」


 ユリンはそんな少女の頭を嬉しそうにぽんぽんと撫でた。


 だが肝心の当事者はそうもいかない。



「ーーなん、だよそれ…………!! なんでだよッ!!」



 エミィの右隣に座っているリュウは中身の入った飲料ビンを地面に投げて叩き割りながら立ち上がり、ついに声を上げた。


「イミわかんねーよ!! アイツのひだりメ……オレのせいでなくなったんだろ!? ほかのけがだって、ぜんぶオレのせいなんだろ!? オレはアイツをいっぱいなぐった!! だからアイツはオレがだいっキライなハズだ!! すごくうらんでるにきまってるんだ!! なのに……なんでそこまでしてオレをたすけたんだよ!! なんでオレなんかに、あそこまでキをつかうんだよッ!!」


 少年は妖艶(ようえん)さすら纏うその綺麗な顔を鬼のように真っ赤に染めながら怒鳴る。エミィは彼をなだめようと一瞬声をかけようとするが、言葉を見つけられなかったのか結局何もできない。

 

 しかしーー


「違う」


 ユリンは躊躇(ためら)うことなく言い放った。


「違う。それは違うよ、リュウくん。ユウさんの怪我はきみのせいじゃない。今のユウさんは、相手が誰であってもその人が助けを必要としているのなら、そのために迷わず命を賭けにいく。キライだとか、何をされたんだとか、そういうことは関係無くね。その上で負った怪我は、ユウさん自身と……あの人を守れなかった、仲間である私の責任。絶対にきみのせいにはならないんだよ」


 真っ直ぐな眼で自分を見つめる彼女にリュウは怯み、無意識のうちに数歩後退(あとずさ)りをしてしまう。


「は、はあ……!? お……おかしいよ……!! な、な、なんで…………なんでアイツは、そんなことができるんだ…………ッ!?」



「ユウさんは、兵士だから」



 最後まできっぱりそう述べたユリンの赤い瞳に、迷いや疑いは全く映らなかった。

 彼女の中のユウヤ・ナモセが何者なのか。その答えが揺らぐことはもう無い。……そんな自信に満ちていた。



 ーー私にもね、ヒーローがいるの。



「…………あ…………オレ…………オレ…………」


 圧倒されきったリュウはへなへなと地面に座り込む。


 彼の頭に浮かんだのは、かつて聞いたエミィの言葉。

 ……何も間違いなどなかった。その内容に。そして、エミィの憧れに。


 自分がしてきたことへの罪の意識が、ついに彼にどっと押し寄せてきた。


「…………あ、あやまらなきゃ…………オレ、あやまらなきゃ…………」


「待って!」


 ふらふらと立って病院に向かって歩き出そうとするリュウを、ユリンがその両肩を掴んで止める。


「言ったでしょ? きみは何も悪くない。それにここで謝ったら、それはむしろユウさんの思いを無駄にすることになる。だからきみはもう今回のことは忘れる。それでいいんだよ」


「で、でも…………でも…………ッ」


 背後のユリンに振り返った少年の顔は、罪悪感でべったりと塗りつぶされていた。


 生意気盛りではあっても、彼はまだ子供。それらしい純粋さ、素直さもきちんと持ち合わせている。

 それを悟ったユリンはリュウの正面に回り込んで眼線が合う高さにまでしゃがみ込むと、優しく彼に語りかけた。


「ーーじゃあこうしよう? もしきみがどうしても、ごめんなさいって思っているのなら……ひとつだけ約束してほしいな。私じゃなくて、ユウさんに」


「……? アイツに……やく、そく……?」


 言葉を飲み込めないリュウの両頬(りょうほほ)に、ユリンの両手がそっと挟んで置かれる。



「きみはとっても強い。誰にも……それこそ私やユウさんにも真似できない、特別な力を持っている。その力を……"誰かを守ること"に、使えるようになりなさい。……どう? できるかな?」



 誰かを、守ること。


 自分が目立つためじゃない。自分の欲のためじゃない。


 綺麗事ではあるだろう。理想論ではあるだろう。不条理に直面し、苦しむこともあるだろう。


 ……でもーー



「ーーで、きる……ッ。やる……ッ。やくそく、するよ……ッ!」



 少年は子供なりにそれら全てを理解した上で、何度も何度も(うなず)いた。ボロボロと涙を(こぼ)し、顔中をぐしゃぐしゃにしながら。


 無知を知り、恥を知り。そして変わる覚悟を持つ。


 それはこれまでの雄弥と、全く同じ気持ちである。


「ん! なら良し!」


 ユリンは泣きじゃくる少年の羊毛のようなモコモコの頭を満足そうにわしゃわしゃと撫で回す。

 また……いつの間にかリュウの隣にやってきていたエミィは、その姿をいつかの雄弥と重ね、微笑みながら彼の手をきゅっと握った。



 






「……………………おっせーな、ユリンのヤツ」


 ちなみに病室でベッドに寝転ぶ雄弥は結局、1杯の飲み物のために3時間も待ちぼうけをくらった挙句その肝心の飲み物を買うのを忘れられ、改めて買いに出かけたユリンが戻るのをまた5時間も待つハメになったのだった。







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