第85話 かつて自分にしてもらったこと
ーー魔狂獣アイオーラ。
空を舞う怪物が、その大きな口を開けてリュウに迫る。
「い……イヤだ……!!」
速い。リュウよりもずっと速い。あっという間に近づいてくる。
「イヤだ……イヤだ……ッ!!」
逃げようとする。だが本能が先に気づく。そんなこと、するだけ無駄だと。……脚は勝手に止まってしまう。
「イヤだァッ!! だ、だれか……だれか……ッ!!」
ーーたすけて……ッ!!
……そうして声を絞り出したリュウが最後に見たのは、左眼を失った雄弥だった。
* * *
「うわあああああああああァァァァァァーーーッ!!」
「!! リュウくん落ち着いて……!! リュウくん……大丈夫だから……!!」
アイオーラ戦の翌日の、都立中央病院のある入院部屋。
今の今までそこのベッドに寝ていたリュウが跳ね起き発狂じみた悲鳴を上げ、ずっと彼のそばにいたエミィは彼の肩を抱いてそれを必死に静める。
「はあッ、はあッ、はあ……ッ!! ……あ……あ……!? エ……ミィ……?」
「分かる……? よかった……! 待っててね、先生呼んでくるから……!」
ほっとしたエミィは、パタパタと病室の外に出て行った。
エミィが連れてきた医師が身体中に包帯を巻いたリュウに下した診断は、全身打撲と軽度の筋肉裂傷。その医者曰く、常人ならとっくに死んでいるほどのダメージであったという。
医師が診断を終えて病室から去ると、今度はエミィから彼への説教が始まった。危ないところに首を突っ込んだこと、おまけに魔狂獣に立ち向かうなどと無謀な行いをしたこと。
特に後者については、かつてエミィ自身その脅威を身をもって体験しているゆえ、涙ながらの叱責となった。
さすがのリュウとて今回の一件はかなりこたえたのか、素直に謝る以外は何もしなかった。
「そう、いえば……ユウおにぃちゃんがリュウくんに、ありがとうって言ってたよ……」
だが彼女が最後に述べたその言葉にだけは、リュウも反応せざるをえなかった。
「…………は? …………あいつが…………? なんで?」
「リュウくんが来てくれたおかげで、怪物を倒すことができたって……。すごいね、リュウくん……大活躍だったって聞いたよ……?」
……意味不明。
リュウには、彼女が何を言っているのかさっぱり分からない。
「……それ……ほんとうにあいつがいってたのか……!?」
「うん……すっごいほめてたよ、リュウくんのこと……」
「ほめてた……!? おれを……!? ほ、ほかには……? なんかいってなかった……?」
「え? な……なにも……?」
エミィはきょとんとしながら答える。
彼女は本当に知らないのだ。リュウがあの場でしたことの全てを。
雄弥に理不尽な暴力をふるい、彼の邪魔をしたことを。彼の言うことを聞かず、結果として何もできずに殺されかけたことを。傲慢を撒き、結局負けた。それも完膚なきまでに。カッコ悪いなんてものじゃない。
だが、エミィはそれを知らない。……それはつまり、雄弥が彼の行いについては何ひとつとしてエミィに伝えていないことを意味する。
『なんで……!? なんであいつ、おれのことエミィにおしえてないんだよ……!? あいつおれがキライじゃないのかよ……!?』
納得できないリュウの脳裏に、ついさっき見た夢の最後の映像が浮かび上がった。
「……なぁ。あいつは……いま、どこにいるんだ……?」
「この病院にいるよ……。……会いに行く……?」
「…………う、ん」
怖々と思い立ったリュウは、エミィと一緒に雄弥がいるという特別病棟に向かった。
病院本棟からは渡り廊下1本で繋がっている特別病棟。本来は関係者であると認められた者でなければ立ち入ることは許されないのだが、エミィは雄弥がバイラン戦の負傷でここに入院していた時も何度も彼のもとを訪れていたので、受付の看護師とも顔なじみ。問題なくそこをパスする。
リュウとエミィが並んでしばらく歩いていくと、やがてひとつだけ明かりが灯いている病室が見え、戸を開け放した部屋の中から男女の話し声が聞こえてくる。無論、その声の主は、雄弥とユリンであった。
2人の幼子は開けられた戸のそばまで来ると、こっそりと病室の中を覗き込む。
そこにいたのはベッドの脇で椅子に腰掛けるいつもの黒のニットを着たユリンと、リュウとは比較にならないほどに全身を包帯まみれにしながらベッドで上体だけを起こす雄弥だった。
両腕、両脚にゴツゴツしたギプスを着けている痛々しい様の雄弥だが、そんな彼の身体で1番目立つのは、左眼を覆っている医療用の眼帯だった。
「あ、あいつのメ……どうしたんだ……!?」
「怪物にやられちゃったんだって……。おにぃちゃんは、効き眼じゃないから大丈夫、って言ってたけど……やっぱり大ケガだよね……」
「み……みえないのか……?」
「うん……」
見るも無惨な姿の彼に動揺するリュウと、心配そうな眼差しを向けるエミィ。
そんな2人が部屋の前にいるとはつゆ知らず、雄弥とユリンは会話を交わす。
「ーー本当によかったんですか? ユウさん」
「へ? なにが?」
「なんで……アイオーラを倒したのは自分だって言わなかったんですか。結局討伐の手柄は飛空部隊とリュウ・ウリムくんのものになっちゃいましたよ。いいんですか? これで……」
「あん!? いーわけねーだろ! 正直後悔してるわ! あんな生意気なクソガキ守るために大事な眼ん玉の片っぽまで差し出したっつーのによ! 報奨金の分け前は無ぇし、俺が戦ってるとこ誰も見てなかったせいで他の人たちには『え? なんで全然働いてないお前がそんなボロボロなの?』みてーな顔されるし! いやみんなもっと気ィつかえよ! 俺を心配しろよ! あーあ! やっぱ今からでもホントのこと言っちゃおっかなー!」
『…………おれ、を…………まもる…………ため…………!?』
雄弥が冗談半分に発した台詞は、夢で見た左眼を抉られた彼のことを再びリュウに想起させ、リュウはあれが夢ではなく現実であったことを理解する。
そんな彼が病室の前にいることなど知る由もない雄弥は、やがて打って変わって穏やかで真剣な口調になった。
「……まぁなんだ……ここでアイオーラを始末したのは俺だ、って言っちまったら、あのガキ……リュウは、自分が俺なんかに助けられたってのを知ることになる。それは俺のことが大っ嫌いなあいつにとっちゃとんでもない恥……屈辱だ。だから、これが1番丸く収まるんだよ。あいつはもう十分怖ぇ思いを……痛ぇ思いをした。これ以上余計にプライドを傷つける必要もねーだろ」
リュウだけでなく、エミィもまた彼の言葉が自分に聞かされたものとは全く食い違っていることに困惑し、部屋の中の彼と隣にいるリュウを交互に見ておろおろ。
困惑したのは子供2人のみにあらず。雄弥と話をするユリンですら、彼のその物言いに心底驚いていた。
「……ど、どういう風の吹き回しですか……? あなた、散々あの子のことがキライだーって言ってたじゃないですか。そんな相手に、どうしてそこまで……?」
「ん? んあ〜……その〜……自分から言うのはちょっと恥ずいんだけどよ……」
「? な、なんです?」
「あいつさ……なんか、俺に似てたんだよ。昔の俺に……」
「え? ……ええ〜? そーですか? あの子のほうがあなたよりずーっとイケメンになりそうですけど」
「いやそーじゃなくて! ……お前さ、ゼルネア地区にエドメラルが現れた時のこと、覚えてるか?」
「ええ、もちろん。ま〜だまだヒヨッコだったあなたが手柄欲しさにでしゃばりにでしゃばって、危うく大変なことになりかけたあの事件ですね?」
「あのね、もーちょいオブラートに包んでくれてもいーでしょ。いや合ってんだけどさ。ーーそう、そん時の俺にそっくりだったんだ。あのリュウってガキは……」
ベッドの雄弥は、残った右眼でどこか遠くを眺めている。
「あん時の俺は持ってる世界が狭すぎて、なんでも自分でできると思っちまってた。自分のことだけ考えて……自分が持つ力の意味については何も考えなかった。結果はあのザマだ。お前も言ってたけど、他の人を殺しててもおかしくなかったさ」
……しみじみと語る彼に、驚いていたユリンも慈しむような表情になる。
「でも……そんなどでかいヘマをした俺を、お前は許してくれた。アルバノさんもな。だから……俺も同じようにしねぇと。……そう思っただけだッ!」
雄弥は最後は照れ隠しをするかのように若干投げやりな形で話を終わらせる。その頬は、ちょっぴり赤く染まっていた。
「ま、まぁなんだかんだ言ったけどよ、あんなクソガキでも命は命だ。代わりのきかねー命だ。それを俺の眼ん玉ひとつで助けられりゃ安いモンさ。……なーんてなーーっとォ!?」
そんな無理矢理軽〜い雰囲気に戻そうとしていた雄弥の顔を、突然椅子からガタリと立ち上がったユリンが優しく胸に抱き締めた。
「お、おい……ユリン?」
「……安くない」
「は……?」
胸に顔を埋めさせられた雄弥の頭のすぐ上から、ユリンの朗らかであたたかい声が降り注ぐ。
「安くないです。代わりが効かないのはあなたも同じ。エミィちゃん、アルバノさん、ジェスにシーナ、……それに私にとっても。あなたはもう、とっくにかけがえのない存在なんです。だから少しは……自分のことも労わってあげてください」
「…………お…………おお。…………りょーかい…………」
彼女の言葉は予想外だったのか雄弥は瞬きも忘れて硬直しつつも返事をする。
やがてユリンは、彼を抱きながら病室の開けっ放しの戸の方を一瞬だけチラリと見たかと思うと、ようやく彼の顔を自身の胸から解放する。
「……ふぅ。あ、ユウさん何か飲みたいものあります? 奢りますよ」
「お……? お、おおマジ? わりーな。じゃあモーモードリンクで頼むわ」
「はい。ちょっと待っててくださいね」
ユリンは自身の隣に置いてあった鞄から革の財布を出すと、病室の出口に向かう。
リュウとエミィはどうしたか? 逃げることなどしなかった。……いや、そんなことを考える余裕がなかった。特にリュウは、床に座り込んでうつむいたままさっきまでの話の内容を延々と頭の中で反芻し続けているのだ。
ユリンは病室から出るとそっと戸を閉め、そのすぐそばにいた2人の子供に、いるのはとっくに知っていたとばかりに視線を向ける。無論、彼女がより見るのはリュウ少年のほう。
少しばかりの沈黙が続き、エミィがとうとう我慢できなくなったように彼女に話しかける。
「あ、あの……おねぇちゃーー」
が、ユリンは自身の唇に人差し指を当て、彼女に対して「シィー」と囁く。
「おいで。2人にもジュース買ってあげる」
そして病室の中をにいる雄弥に聞こえないように小声でそう言うと、エミィとリュウににこりと笑いかけた。
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