第83話 『如樹(きさらぎ)』と『雹悔(はっけ)』の激突
『ーー急な霜の発生と、気温の低下……これは『雹悔』の術。 "人間"であり……黒眼以外の外見的特徴もユウヤくんから聞いていたものと一致……』
「……そうか……きみがゲネザー・テペト……」
雄弥から受け取っていた情報から、アルバノは自身の前に現れた男が何者かを理解する。
対する男、ゲネザーは、パチパチパチとわざとらしい拍手をしながらそれに応えた。
「おぉ〜正ェー解〜! よかったよかった! どーやらユウヤ・ナモセは、ちゃんと俺の名前を覚えられたよーだなァ。しかもそれが、アンタみてぇな大物にも知られている……いやいやうれしいねぇ。光栄なこったぜ」
「……驚いた。バニラガンの孤児院でこの僕から獲物を横取りした身の程知らずが、ユウヤくんにちょっかいをかけたヒマ人と同一人物だったとはね。きみのそのネバネバとした、吐き気が込み上げてくるような不快な気配……忘れたくても忘れられなかったよ」
「そーかいそーかい。そんなうざってぇモンを覚えててくれてありがとよ。そのおかげで俺は今こうして、アンタをこんな辺鄙なところまで引っ張り出すことができたからな。め〜っちゃ疲れたんだぜ? 憲征軍総本部にいるアンタにまで伝わるように、魔力の気配を飛ばすのはよォ〜」
「ほう? ……となると察するに、吊り橋の崩落もきみの仕業、ということでいいのかな」
「ああ〜そうさ。でっけぇ獲物を釣り上げるなら、エサは多い方がいい。ガキでも分かるハナシだろう?」
「よく喋るヤツだ……。それで? 責務大きく多忙の身であるこの僕に、きみみたいな小物がいったい何の用だ?」
「おぅおぅ、言ってくれるねぇ。まぁ大したことじゃねぇさ。時間は取らせねぇよ」
そう言ったゲネザーはその全身から、ぼわりと音を立てて巨大な純白の魔力を解放した。
「ーーその"小物"と遊んでくれや。アルバノ・ルナハンドロ……稀代の天才サマよ……?」
声の調子こそいまだ飄々としてはいるが、彼の眼はすでに臨戦の色に染まっている。
しかしそれを眺めるアルバノもまた、彼に対する睨みを一切緩めない。
「……世も末だ。ヒマつぶしで命を捨てに来る者がいるとは……実に救いようが無い」
「あ〜言っとくけど、逃げたり断ったりする権利は無ぇぞ? もう……始まってっからなァッ!!」
その台詞と同時に、ゲネザーは右足をダンッ、と地面に踏み下ろす。
するとその足を中心にして土、草、木へと次々に氷の侵食が起こり、果ては山の表面が余すことなく凍結。山そのものが全く別の極寒の領域へと変わってしまった。
土地はぬくもりを失くし、木々は過剰凍結で脆くなったところを自重でへし折れ、虫や動物たちの気配も完全に消えている。この山に宿っていた命の息吹きは影すらも残っていない。
「知ってるぜ? 魔術特性『如樹』……アンタの使う魔術は、周囲に一定の草木や土壌が必要なんだ。"生きている"草木や土壌がな……! ーーさぁここで問題だ。アンタはこーんなひでぇ場所で、いったいどうやって術を使えばいいのかなァ!?」
ものの一瞬で氷点下の死の世界を生み出した張本人は高らかな挑発をぶつける。
それを受けてアルバノは……
「……ふ……っくっくっくっく……」
怯むどころか、滑稽だと言わんばかりの小さな笑い声をあげだした。
「? なんだなんだ、別に笑うとこじゃねーだろ」
さすがのゲネザーも若干の困惑。……だが、すぐにそんなことを思う場合ではなくなった。
いつのまにかアルバノの身体から、水に薄めていない絵の具のように濃い、青の魔力が発せられている。
やがて、地響きが始まる。それはどんどん大きくなり、山全体を覆った氷の層に大きなヒビがいくつも入る。
「舐めるんじゃねぇよ……人間風情が……!!」
アルバノの雰囲気はもはや別人だった。つい今の今までの睨みなど比にもならない、人の血を啜る悪魔の如き形相。彼が身につけていたヘアゴムはぶちりと切れてしまい、夜桜のような長髪が風に靡く。
彼はそのまま両手を合わせて印を結ぶとそこにより強い魔力を現し、口を開く。
展翅開帳ーー"生々葉栄"
途端に結ばれた掌印に宿っていた魔力が花火のように破裂・離散し、山中に降り注いだ。
ーーすると、その魔力が落ちた場所の土壌がみるみる活気を漲らせ、寒さでへなへなになっていた木は全盛期の堂々としたいで立ちを取り戻し、草は自身らを幽閉していた氷の層を突き破って再び地上に顔を見せる。
1人の男によって1度死にかけた土地が、今度は別の男の手で力強く復活したのだ。
「……………………マジか?」
ゲネザーの顔から、人を小馬鹿にするような笑いが消えた。
「1人勝手にべらべらと話を進めてくれていたが……勘違いされちゃあ困るんだよ。逃げる権利が無い? それについてはまず自分の胸に聞くべきだ」
静かだが今にも爆発しそうな怒気を混じえた声色を吐きつつ、アルバノは今度は両腕全体にかけて強い魔力を纏う。
「僕も感謝しているよ。愚かにもノコノコと姿を現した、貴様というマヌケに……。貴様には聞きたいことがありすぎるんだ。特に、バニラガンとの関係だ。あの死を待つしか能の無いような腐りかけの老人が、どうやって3体もの魔狂獣を手懐けたのか。……今はただ、その答えが貴様のやかましい口から聞けることをーー」
展翅開帳
「……祈っておこう」
"御児痩摩"
ーーそして出現したのは、地面から生え昇った、2本の巨大な人型の腕。右腕と左腕が……1本ずつ。
泥や草、砂利に岩石。自然の住人たちを魔力によって凝縮して生み出した、掌だけで直径10メートルサイズの球をすっぽりと包み込めそうなほどの巨大な手であった。
「!! うおッ!!」
2本の腕はプロボクサーのジャブと思うほどのスピードで鈍髪の男へと襲いかかり、慌てて回避行動を取る彼を叩き潰そうと猛攻を仕掛ける。掌が地面に振り下ろされるたびに強烈な振動が発生するのは言うまでもない。
ゲネザーは一撃必殺の掌打の嵐から逃げ回りながらも、その土塊の腕に対して何度か魔術を当てて凍結を試みる。しかし凍るどころか、表面に霜さえ降りやしない。
「お、おいおいなんだこりゃ。まるで生命エネルギーの塊ーーぐわッ!?」
驚きのあまり一瞬の隙を晒してしまったゲネザーは、ついにその身体を背中から"御児痩摩"に鷲掴みにされてしまう。
「うぉおおおお!? ……おお…………お……………………」
悲痛な叫びも虚しく、彼はあっという間に頭のてっぺんから爪先まで握り隠され、完全に姿が見えなくなった。
「話を聞くだけなら、首から下の骨はどうなっても問題あるまい」
冷ややかにそう言い放つアルバノが右手をぎりりと握り締めると、それに連動してゲネザーを握っている土の手にもどんどん力が込められていく。
メキメキという残酷な音が少しずつ聞こえだした、その時ーー
「ハァーーーッ!!」
突然土塊の巨腕の、ゲネザーを潰しにかかっていた手首から上の部分が内側から撃ち込まれた氷柱の乱射によって砕け散り、幽閉されていた彼が脱出した。
「!! なに!?」
ゲネザーが握られていたのはやや高い位置。自身の術を打ち破り落下している彼に、アルバノはかつてない驚愕を覚える。
『いってェーッ!! あァ〜あちっくしょうめ、こりゃ術の規模で張り合ったら勝てねぇな。……チマチマやっか……いつも通りに……!!』
全身の至る所でヒビの入った骨から痛みを受け取りながらも笑みを蘇らせたゲネザーは、空中にいるまま、さっきのアルバノのように両手を合わせて魔力込みの掌印を結んだ。
「"納冷塞"!!」
すると分厚い氷で構成された半球状のドームが地面から生えるようにして発生。アルバノを閉じ込めた。
アルバノは焦りなどしない。
すぐさま残った1本の"御児痩摩"により、内側からそれを破壊する。
「"白端蝕"ッ!!」
しかしゲネザーはそんなことは計算済みとばかりに、間髪入れず次の術を発動。
たった今アルバノが砕いた氷のドームの破片をさらに細かい無数の粒子へと変え、辺り一帯を純白の粉雪で埋め尽くした。
1センチ先すら見通せない、"白い闇世界"。アルバノはこれにもまだ焦りはしない。
「フン……! 今さらこんな古典的な目眩しなど……!」
彼は自身の手掌で操る巨腕を横薙ぎに払い、その衝撃波で粉雪を掻き消す。
……はずだった。
『! 散らせない!?』
予想外の事態。
台風も同然の衝撃を受けたはずの粉雪はまるで空間にへばりついているかのように全く微動だにせず、アルバノの視界に居座り続けているのだ。
"眼"を奪われたアルバノに、ようやく現れたわずかな動揺。ゲネザーはこれを逃さなかった。
粉雪で敷き詰められたこの空間を作ったのはゲネザー。アルバノにすら通用する視界封殺の領域だが、術者本人である彼自身にはどこに何があるのかなど手に取るように分かる。
着地したゲネザーはトカゲのような俊敏さで音も無くアルバノに肉迫し、ニヤリと笑いながら魔力を宿らせた右手で彼の背中の中心に触れた。
『!! しまっーー』
それに気付くアルバノ。しかしもう遅い。
ゲネザー・テペト。
彼の使う魔術特性は『雹悔』……あらゆるものを凍結させる特性。また凍らせるのが液体であれば、固まる時の形も自由に設定することができる。
たとえそれが、相手の体内にある液体だろうとーー
「芽吹け……"躯刺血凍"」
瞬間ーーアルバノの胸から、1本の真っ赤な氷柱が突き出た。
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