第79話 痛みを知る、恐怖を知る
ーーリュウ・ウリムは生まれつき、ヒトのレベルを超越した身体能力に恵まれた。
生まれて3日で重さ1キロの米袋を持ち上げ、2歳の時には10コ以上も歳が離れた近所のいじめっ子を叩きのめし、5歳になる頃には大人が十数人がかりで挑んでも太刀打ちできないまでに成長した。彼はオツムのほうはともかくとして、"力"を用いた勝負では生まれてこのかた負けたことがなかったのだ。
彼はのびのびと自信を育んだ。この力があれば誰にも、何にだって負けやしない。そんな絶対的な自信を。
……しかし、今回の相手はーー
「コゲェエエエエエエエエエエエエエエエ」
ひと回り巨大化し、両肩と両脇腹からも翼を生やしたアイオーラは、3つに増えた頭もとい口から文字通り3倍声量の鳴き声を上空から轟かせる。
「ど……どういうこと……!? 魔狂獣が……姿を変えた……!?」
「なん……だよ……ありゃあ……!!」
アイオーラの変貌はユリンにとっても予想外の事態であったのか、彼女は怪我人への治療の手を一瞬止めてしまうほどに驚愕。雄弥に至ってはもう何が何だか一切分からず立ちつくしたまま動けずにいる。
そんな彼らには眼もくれずアイオーラは6枚の翼全てを思いっきり振りかぶると、地上に向けてそれらをバネのような勢いで振り下ろした。
ターゲットは当然……リュウだ。
「う!? うわぁあああああああーーーッ!!」
単純計算で先ほどまでと比較して3倍のパワーをもつ風がリュウを襲う。そのあまりの風速は、超人的身体能力を誇る彼にすら回避行動を許さなかった。
「が……ッ!!」
直撃。
少年の身体を地面に埋め込むほどに叩きつけ、地表を陥没させるほどの威力。これはもう風なんて呼べるものじゃない、空気の爆弾だ。
「……ッう……ぬぅあッ!!」
重い全身打撲に見舞われながらもリュウは意識を保ち、すぐさま起き上がって走り出す。アイオーラから距離を取るように。
常人であればとっくに身体中が複雑骨折まみれであったろうが、そこはやはりさすがである。
『い……いたい……!! ……いたい……!? これが、"いたい"……!?』
逃げながら、少年は自身の全身を隙間無く襲う感覚に混乱していた。彼は痛みに慣れていなかった。いや、"疎い"と表現したほうが適切かもしれない。
いずれにせよ無理もない。強靭な肉体を持つ彼が痛みを感じたのは、赤ん坊の時、寝返りを失敗して箪笥に頭をぶつけたのが最後だったのだから。
そしてそんな彼をさらなる絶望が襲う。
「ゴゲァッ!!」
自動車を優に超えるスピードで疾走していたリュウに、アイオーラが羽ばたきひとつで追いついてしまったのだ。
「!? な!?」
再びリュウの身体は、上空に飛ぶ悪魔の影に包まれる。
翼が増えて、飛翔速度も増す。単純だが凶悪すぎる理屈であった。
『あ、ありえ……ない……!! お、お……おれより……はやい……なんて……!!』
少年が半ば呆然とするよりも先に、アイオーラは急降下。地を走るリュウに対し嘴からの体当たりをかました。
「ゔぁああああああああッ!!」
リュウの身体はきりもみ状に回転しながら宙高く跳ね飛ばされ、ぐしゃりと音を立てて地面に落ちる。
いよいよ血塗れになった幼い男の子に、空の悪魔は無慈悲にも同じ攻撃をかけようと2度目の降下を始めた。
「こ……こッ、こぉ……ッーーこんのおおおおおッ!!」
意地を振り絞ったリュウは血を滴らせながらもがばりと起き上がり、空から迫る怪物に向けて跳躍。アイオーラが突進の体勢を整えるより先に肉迫すると、その土手っ腹へと残る力の全てを込めた渾身の拳骨を打ち込んだ。
ズドォン、というダンプカー同士が正面衝突でもしたかのような超重音が響く。威力は最大、狙いも最良。まさに今のリュウにとってベストな一撃だった。
が。
「ケェ……コケェーッケッケッケッケッ!!」
……アイオーラは、ご機嫌に鳴いていた。笑っているようにも聞こえる。
効いていない。ほんの少しも。
『…………ウ、ソ…………だ…………』
少年の眼の前は真っ暗になる。
無敵だと思っていたスピードで抜かれた。
負け知らずのパワーも通じない。
いくら強かろうが、彼はまだ年端もいかぬ子供。精神もまた幼い。1度崩された自尊心を立て直すことなどできるはずもなかった。
そんな。
そんな、そんな。
……そんな……!!
「ケーーーッ!!」
完全に戦意喪失し空中で固まってしまったリュウを、アイオーラは翼のひとつをフルスイングさせてはたき落とす。
少年は弾丸の勢いで頭から地面に激突し、とうとう白眼を剥いて気絶してしまった。
意識が消える直前、少年の頭にあったのは……彼にとって人生初めての、"恐怖"だった。
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