第74話 あるべき姿の素晴らしさ
「あんにゃろう……多く渡しすぎだ」
都立総合病院前にてタクシーを降りた雄弥は、運転手への支払い後に残った4枚の紙幣を手に持ちつつ、アルバノへの複雑な思いに顔をしかめる。
彼は病院に入り、階段を昇る。入院病棟の階に達して廊下を歩く。
右手の薬指が失く、左前腕の火傷痕や左頬の抉れた痕を始めとした無数の傷痕で覆われている彼の風貌は、すれ違う他の患者たちの好奇の視線に晒される。
「すんません。エミィ・アンダーアレンの面会に来たんすけど……」
やがて受付の前に立った雄弥は、受付員である眼鏡をかけた白髪頭の老人男性に声をかけた。
「はい、では……ーーん? あなた、軍の所属ですか?」
眼鏡を上げながら雄弥の左胸につけられた兵章を眼にした老人男性はそんなことを彼に聞く。
「え? あ、ああそうです」
「すると面会はお仕事関係のものでしょうか? でしたら軍の委任状をお見せいただきたいのですが……」
「あ、いやいや全然違うっす。個人的に会いに来ただけです」
「そうですか、失礼いたしました。ではお名前をお教え願いまーー」
「あれ……!? お……にぃ、ちゃん?」
その時、男性の質問をかき消す声が、雄弥の背後から飛んできた。
振り返った彼の眼に映ったのは、蒲公英のような鮮やかな黄色い髪をおかっぱにした、身長1メートル弱程度の小さな女の子。
ーーエミィ・アンダーアレンその子であった。
「ユウおにぃちゃん……ッ!? わぁ、なんで……!? 帰ってきてたの……ッ!?」
びっくりと嬉しさで桃色の瞳をキラキラ輝かせながら彼のもとへパタパタと足早に寄る彼女の様子は、まさしく子犬そのもの。愛くるしさの化身である。
普通なら誰もが条件反射で彼女を抱きしめてしまうところだろう。しかしなぜか雄弥は、自身の腰元にいる彼女を凝視したまま呼吸も忘れて硬直している。
「…………お前…………エミィ…………か?」
「? うん! エミィだよ……?」
挙句の果てにそんな的外れなことを言うのだ。エミィはきょとんと首を傾げる。
だが……無理もないといえば、そうなのだろう。
エミィは変わった。ーー悪い意味で? そんなワケあるまい。
彼女はかつて痩せこけていた頬をふっくらとさせ、マッチ棒よりも頼りなかった腕や足も健康的に肉付いている。肌の表面にも子供らしい滑らかさがあった。
そして何より、声。
雄弥の記憶に残る彼女の声は常にノイズが混ざっていたようにガサガサで、声量も少し気を抜いたらすぐに消え入りそうなほどに小さかった。
だが今は……それがよく通っている。鼓膜が優しく抱きしめられるような、柔らかく透き通った声だ。
……雄弥は、眼の前のエミィと記憶との擦り合わせを1分近くかけて終わらせると、自身を見上げる彼女に向けてようやく口を開く。
「……元気だったか」
「うん……!」
「今日も、元気か?」
「うん……ッ!」
「……そうか。いや、そーか……! いいことだ! はっは、最高じゃねぇかコノヤローッ!」
雄弥はガマンしきれなくなったように彼女を抱き上げ、そのまま歓喜の舞いを踊り出す。
「おお! けっこう重くなったんじゃねぇか!? 少し背も伸びたしよッ!」
「えへへ……! ご飯、いっぱい食べてるもん……!」
抱っこされ振り回されるエミィもまた、嬉しさに頬を紅潮させている。
「おにぃちゃん、どれくらいこっちにいるの……? 今から遊べる……?」
「今日はもうずーっとヒマだぜ。帰んのは明日の朝だからな。1日中付き合ってやるぞ」
「ホント……ッ? やった……! じゃあ待ってて、看護師さんにお外出るって言ってくる……ッ!」
「あいよ! じゃここで待ってっから」
「うん……ッ!」
そうしてエミィは彼に下ろされると、病院内だからか走ることはせず、それでも待ちきれないといった様子で廊下の向こうへとせかせか歩いていった。
その後ろ姿を細めた眼で眺めながら……雄弥は思い出していた。
つい数ヶ月前の、まともな歩行すら億劫にしていた彼女を。眼元を落ち窪ませ、常に身体を小刻みに震わせていたあの子の姿を。
そんな彼の頬を、突然何かがつたっていく。
「……あれ。なんだ」
ーー記憶の、上書き。その副反応により、彼は瞳から感情の塊をぼろぼろと漏らすのだった。
それから雄弥は病院の敷地内にある公園で、エミィとたくさん遊んであげた。おままごと、キャッチボール、かけっこ……それはもういろいろ。
エミィは年齢離れして頭がよく、振る舞いも知的かつ上品だ。雄弥なんかよりずっと大人びている。しかしそれでもやはり彼女はただの幼子。遊びたい盛りには違いない。
雄弥と戯れるそんな彼女の顔は、絶えず笑顔で満ちていた。
「入院生活はどうだ? 退屈じゃないか?」
「うん、全然……! ちゃんとお願いすればお外にも出れるし、それに……お友達だって、できたんだよ……!」
ひと通り身体を動かした彼らは野原に向かい合って座り込み、花冠を作りながらおしゃべりをする。
「そうか〜そりゃ何よりだ。その友達はどんな人なんだ?」
「リュウくんっていうの……。すごく髪がふわふわしててね……? かけっこも早いし、木登りも上手だし……あと……とっても、力持ちなの」
「ほえーそりゃまた随分とスペック高ェな。力持ちって、どんくらい力持ちなんだ?」
「すごいんだよ……! ええとね……魔術を使ってないのに、レンガをグーで壊したり……」
「……………………え?」
「酔っ払ったコワイ人を、1人で倒したり……」
「…………なぬ?」
「病院の駐車場で暴れてた車を、キックで止めたりしたの……!」
「へへぇ?」
意味不明。
0から1000まで意味不明である。
雄弥は瞬きを忘れて眼球をカッサカサにしながら唖然とする。
「……あの〜……そのリュウくんって、何歳?」
「えっと……7歳……! わたしより1コおにぃさん……」
もうここまでくるとハイスペックとかそういうハナシではない。ただのモンスターだ。
そしてそれを聞いて雄弥が出した結論はもちろん、
「……は……はっはーなるほど! おとぎ話かなんかの主人公だな? 最近の子供はエラい過激なモン読んでんだな!」
……『そんなヤツいるわけないじゃん』である。
「ち、違うよ……! 一緒に入院してるんだよぉ……!」
「またまたァ〜! いてたまるかよそんなの! 俺ぁお前の3倍くらい生きてっけど、そぉんなヤツ見たことーー」
ーーあります。
雄弥は思い出した。第7支部鬼の副官、シフィナ・ソニラを。10トントラックを片手で軽々と持ち上げる、あのウルトラヘビーバイオレンスウーマンを……。
「……え、マジ?」
「まじだよー……!」
エミィの必死に訴えかけんとする表情も相まり、とうとう疑う余地が無くなってしまった雄弥。
「あ、あのさ……そいつって今どこにいるんだ? 俺も会ってみたくなってきちゃーーってぇェェッ!!」
声を若干震わせながら雄弥がそう言いかけた瞬間、彼の後頭部にもンのすごいスピードでゴムボールがぶつけられた。
「なんだオマエッ!! ダレだッ!? エミィからはなれろッ!!」
そのすぐ後に飛んできたのは、声変わりの全く始まっていない初々しい男の子の声。
声の主は……雄弥の背後から10メートルほど離れたところに立っていた。
羊毛のようにモコモコとした茶色の天パで瞼の上まで覆い隠し、その下から灰色のタレ眼をギラギラと睨ませている、小学校低学年ほどの1人の少年。
病院で用意される白いパジャマを着てることから、エミィと同じ入院患者のようである。
「ちょ……りゅ、リュウくん待って……!! この人はーー」
「アヤしいヤツめッ!! エミィをゆーかいしようってんだな!? そうはいくかァァァッ!!」
少年はエミィの制止に全く耳を貸さず、雄弥に向かって猛ダッシュ。そして彼の身体まであと数歩というところまで来た途端、突然ジャンプしーー
「でえぇーーーいッ!!」
「うげぇえええええええッ!?」
……頭を抑えてうずくまる雄弥の背中のど真ん中に、両足での跳び蹴りをブチかました。
雄弥は潰されるカエルの断末魔の如き声を上げながら遥か向こうへとブッ飛ばされ、公園奥にそびえ立っていた大木の幹に激突。きゅう〜、と眼を回してしまったのだった……。
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