第73話 届かない在り方
ゲネザー・テペトによる強襲から5日後。
宮都、憲征軍総本部。ーー元帥執務室。
部屋の中には、葉巻を吹かしながら机に座る元帥サザデー、その側にある来客用ソファに並んで腰掛ける雄弥とユリン、そして2人と向き合って同じくソファに座るアルバノの4人である。
「ーーじゃあ何か? ゲネザー・テペトというその男は、きみが人間であることまでも知っていたというのか? きみが転移者であることも?」
「あ、ああ……。ジェセリたちの前じゃ言えなかったけど……」
「そいつはいったいどういうわけだ……10人の耳にすら入れていない最重要機密事項だぞ……」
ようやく怪我が治りきった雄弥の報告を聞いたアルバノは、エメラルドのような瞳の間にシワを寄せて重い雰囲気を醸す。
「! ……その10人もいないっつー俺のことを知ってる人ってのは、誰がいるんすか?」
「きみを含む転移者に関する事情を知っているのは、アルと私、そしてもう1人を加えた最高戦力の3人と、議事院会の上級議員数名のみだ。……ああ、それとユリンもだな」
雄弥のその疑問には、口から煙を吐くサザデーが。
「……あれ? 最高戦力の3人……? アンタたち以外の最後の1人は、なんで今日この場にいないんですか?」
「彼女は普段どこにいるのか誰も知らないんです。私のような一般兵はもちろん、アルバノさんやサザデーさんですら。私だってまだ1度しか会ったことがないくらいです」
続く疑問には、彼の右隣に座るユリンが答えた。
「彼女……? てことは、女の人なんだなその人。ーーあれ? じゃあなんでその人は俺のことを知ってるんだ?」
「元帥であるこの私のみ、ヤツへの連絡手段を持っているのさ。それでも余程の緊急時でもなければ人前に姿を見せんヤツでな。お前のことは書面で伝えただけだ。ゆえにヤツはお前の事情については一通り把握はしているが、お前の顔などは一切知らん」
「じゃあ……その人を含めた誰かが、俺のことを外部に漏らしたんじゃ……?」
「何のためにだ? そんなことをしても得をする者などいない。仮にその内の誰かが公帝軍と通じていて、憲征軍の足並みを乱すために軍内部に向けて人間であるお前のことを晒すというならまだ話は分かる。が、そのゲネザーという者は我々には全くの無関係だ。そいつ1人にお前のことをバラされたとて我々には何も不利益など無い。逆にゲネザーが公帝軍の回者ならば、わざわざお前を襲うなどという大それた動きはせんはずだしな」
サザデーの言うことは正論である。だからこそ、ゲネザー・テペトが何者なのかは考えれば考えるほど分からなくなるのだ。
「しかしサザデーさん……誰かが意図したものであるにしろ無いにしろ、情報が漏洩したのは事実です。そっちの出どころについての調査は僕がやりましょう」
「……それも……そうだな。分かった、任せるぞアル」
アルバノのその進言に対しサザデーは一瞬だけどこか鬱陶しそうな表情を浮かべたのだが……そのことに気がついた者はいなかった。
「ところで……さっきから言ってるその公帝軍ってなんなんすか?」
「憲征軍に敵対する人間側の国軍のことだ。我々猊人の統治機関は議事院会のみだが人間側には議会とは別に"公帝"と呼ばれる世襲の王家というものがあって、立憲君主の体制を取っている。軍名はそこから付けられた」
「よ、よくわかんねーけど……フクザツっすね……。アタマ痛くなってきたぜ……」
自分から聞いといて何たる言い草。わざわざ答えてやったサザデーも、雄弥のその言葉には呆れたようにため息をついた。
やがて葉巻を吸い尽くした彼女は残りカスを灰皿に捨てると、机から立ち上がって執務室のドアへと歩き出す。
「……話はこのへんでいいだろう。具体的な対策は明日までに議事院会と合議して第7支部に伝える。お前たち2人はもう休め。今日は総本部の宿泊棟に泊まって、ヒニケには明日帰りなさい」
「はあ!? まだお昼っすよ!?」
「元帥が良いと言っているんだ。文句を言う者などおらんし、言わせん。休めと言ったら休め。ユウ、お前は尚更だ」
「う……」
サザデーの強烈な眼光には、雄弥も黙らざるをえない。
サザデーがそのままドアの取っ手に手をかけた時、雄弥の隣にいたユリンも立ち上がり、彼女の後にせかせかとついて行く。
「? 何だユリン」
「いーえ? ただあなたのお手伝いをしようと思って。雑務処理くらいできますよ」
「なに? お前も休めと言ったろうが。元帥命令だぞ」
「あら、娘が親の手伝いをするのを咎める理由がありますか? お母さん」
からかうように笑いかけるユリン。
サザデーは艶の溢れる黒髪をぽりぽりとかきながら少々呆気に取られていたが、すぐに嬉しそうに彼女に微笑み返す。
「……ふぅ。かなわないな……お前には」
「あなたの子ですから、ね」
2人はそのまま執務室から出て行ったのだった。
「……ちぇッ。なんか俺、最近休んでばっかりだなぁ」
そんな彼女らの後ろ姿をソファから眺めていた雄弥は、そんなことをぽつりと呟く。
「なんだ。何か不満そうだな」
「別に不満とかじゃねぇんすけど……ただアルバノさん、俺は憲征軍の戦力増強のためにこの世界に呼び出されたんですよね……?」
「……サザデーさんが言う限りではそうだな。それがどうした」
「いや、なんつーか……そんなことする必要がホントにあったんかな、って思って……」
「なに?」
「今言ったっすけど、俺、最近休んでばっかりなんすよ。軍は人手不足だっつーわりには第7支部は俺がいなくても問題なく回っている。それに……俺がいたとしても、俺を超える力を持つ戦闘員があそこにはうじゃうじゃいる。ーーなんかもう……俺がいる意味ってなんなんだろーって思いますよ」
向かって座り合うアルバノの眼を見ず、うつむきながら寂しそうな口調で細々と語る雄弥。
しかしアルバノはそんな様子の彼に対してすら、容易く慰めを与えるようなマネはしない。
「アホめ、きみがいなくても問題なく回ってるだと? 言葉には気をつけたまえ。そんなのはきみに気を遣わせないために、他の者たちがそう見せているだけにすぎない。くだらんことでウジウジ言うヒマがあったら1日も早く復帰するよう努めるんだな」
「……でも……俺はついこの間やっと、ガネントくらいなら1人でどうにかできるようになった程度なんす。ディモイドの時は俺だけじゃどうにもならなかった上に……結局、要救助者全員を救うことはできなかった。おまけにいきなり現れたワケの分からねぇ男には手も足も出ずこのザマだ。復帰しても俺にできることはあんのかどうか……」
「まだそんなことで悩んでいるのか? きみが弱いことなど、きみと関わった者ならとっくに誰でも知っている。きみ自身もな。きみは……弱いままでも誰かの役に立てる、そういう兵士になるんじゃなかったのか?」
「役に立てねぇから……困ってんだよ……」
「それはきみの努力不足だな。悩むのではない。考えるんだ。力が足りないならアタマを動かせ。……ま、きみの場合はそのアタマも足りないのだろうが」
「……う、うるせぇ」
ーー結局いつも通り、雄弥が静かになるしかないのだった。
「さて……しょうもない問答はおしまいだ。僕はまだ仕事が山積みなんでね。そろそろ帰ってくれないか、ユウヤくん」
「えぇッ!? ま、マジで帰んのかよ!? 俺、明日まで何すりゃいいんだよ〜……」
背もたれに上体をだらりと預けながらブツブツとぼやく彼だったが、ふとアルバノは何かを思い出したようにこんなことを言い出す。
「ーーなら、 都立中央病院に行ってきたまえ」
「……は? 都立……なに?」
「この大マヌケめ。自分が半年も入院していた病院の名も忘れたのか?」
「半年……? ーーあ、ああ! 左腕がくっつくまで入院していたあの病院か! ……え? で、何でそこに行くんだ?」
「いやね、きみがヒニケに発ってからずっと、きみのことを恋しがっている健気な子がそこにいるのさ」
アルバノのその台詞によって、雄弥の頭に蘇ってきたのはーー
「ーーエミィ……!」
バイラン事件の被害者……その中でただ1人まともな状態で生き残った、幼い女の子のことだった。
「あの子のところにはあれから僕も何度か顔を出しているんだが、そのたびに聞かれるんだ。きみにはいつ会えるのか、きみはいつ帰ってくるのか、ってな。会ってきてあげなさい。今すぐに。これは上官としての命令だ」
「う……うるせーッ! もう命令はいらんッ! 言われなくたって行くに決まってんだろ! 邪魔したなッ!」
雄弥は慌てて立ち、執務室から出ようとする。
「待ちたまえ!」
が、アルバノは今度はその彼を引き止めたのだ。
「はァ!? な、なんだよ行けって言ったり待てって言ったり!!」
ドアの手前で急ブレーキをかけて振り返る彼に対し、アルバノはズボンのポケットから本革製と見られる長財布を引っ張り出すと、その中から5枚の紙幣を取って彼に差し出した。
「!? お、おい……?」
「ここから病院までは少し距離がある。それに道順も分かるまい。これでタクシーを拾え。釣りはとっておきなさい」
「ーーえッ? ……い、いいのか? そんなの……」
「欠勤が続いたなら、どうせ満足な給与も入ってきていないんだろう? まぁ……いらないのなら別に構わないが」
「ぐぬ……じゃ、じゃあ……悪ぃけど、いただくよ。あ、ありがとう……アルバノさん」
……金が無いのは事実らしい。
雄弥は彼に頭を下げながらやや遠慮がちにそれを受け取り、元帥執務室を後にした。
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