第72話 緊張
お昼時。
ヒニケ地区内の、とある民間病院の入院病棟の一室でのことである。
ベッドで上体を起こしている雄弥は、自身の左隣で椅子に座るユリンに対して何やら興奮した様子でーー
「んむー! んむむ、むむー!」
……"喋って"いた。
「ええとなになに? 男の名はゲネザー・テペト、年齢は20代前半……」
「むむ、むむぬ、むむもむ!」
「濃い灰色の髪に身長180弱の痩せ型で、『雹悔』の術を使用……」
「ぐむ? ぬぬ? むむぅ〜!」
「なお、その者は『人間』であり、目的等は不明……と。ありがとうユウさん、もう大丈夫です。すみません無理にしゃべらせちゃって。まだ差し歯をいれたばかりなのに……」
口元を包帯でぐるぐる巻きにされて満足に話すことができない雄弥の言葉をユリンは何の突っかかりもなく聞き分け、サラサラとメモにまとめる。
「…………ねぇユリン。あなた、今のが理解できたの?」
「え? 何が? シーナ」
「い、いや……なんでもないわ」
ユリンの背後で腕組みをしながら立っているシフィナもやや引き気味の様子である。
「ゲネザー・テペト、ねぇ……」
そんな中次にぽつりと口を開いたのは、雄弥のベッドの右隣で壁に寄りかかって立つジェセリだ。
雄弥、ユリン、シフィナ、ジェセリ。部屋の中にいるのは彼ら4人。個室病棟においては少々狭苦しい人数である。
「知り合いの多いアンタでも分かんないの? ジェス」
「……うんにゃ、さすがの俺でも人間サマのオトモダチはいねぇな」
「じゃあやっぱり、公帝軍の間者、とかでしょうか……」
「だったらこんなハデな動きをしたりはしねぇさ、ユリン。それも兵士相手なら尚更だ」
「てかそもそもそのゲネザーとかいうヤツは、ユウのことを知ってたのよね? だったら……ユウが狙われたのは意図的なものだったのかしら」
「どうでしょう……単独行動をしていてかつすぐに仲間が来れない状況下にあった、という条件に、ユウさんがたまたま当てはまっただけという可能性もあるでしょうが……」
「それについては、ユウヤが巡回していた街区に現れたガネントが気になるな。ディモイドみてぇな小物ならまだしも、人里のど真ん中に魔狂獣が出現した例は記録数こそ少ねぇがいずれも数百から数千単位の被害者が出ている。だが今回は死亡者どころか、ユウヤ以外にゃ怪我人も全然いやしねぇ……」
「? 何が言いたいのよ、ジェス」
怪訝な顔をするシフィナに、ジェセリはわざとらしく冗談半分のような口調で答える。
「ーーいやいや〜……ひょ〜っとしたらそのガネントは、ユウヤをあの森の中におびき寄せるためだけに現れた……なぁ〜んてことだったりしてな」
……彼の言葉に他の3人は息を飲み、沈黙する。まぁ雄弥はそもそもまともに話せないのだが。
「……ど、どういうことですか……? なんでユウさんを……?」
「さぁな、それこそゲネザーさんとやらに聞かなきゃ分かんねーよ。魔狂獣であるガネントにそれを指示してうまくいくのかっつーハナシだしな」
「ジェス……もうひとつよ。仮にアンタのその予想が正しかったとして、何のためにユウを誘い出したっていうの? ユウから聞く限りじゃ、ユウはそのゲネザーとかいうヤツには手も足も出なかったらしいじゃない。なのに殺しはせず、痛めつけるだけ痛めつけ、生かして帰した……。何がしたいのかサッパリだわ」
「いやあの、だからね? 俺はそのゲネザーさんじゃねーんだってば。俺に聞かれても困るって。……ただまぁ……殺さずに生かして帰したワケについちゃ、理由はひとつしか無ぇがな」
「え? な、なんですか、それは……?」
「カンタンだ。それ以外の目的があったってことさ。あるいは……ユウヤに会うことそのものが、目的だったのかもしれねぇが……」
これまで3人の会話を眺めるだけだった雄弥だが、ジェセリのその仮説を聞いた瞬間、脳裏にゲネザーのとある言葉を蘇らせた。
ーーオメーとは長い付き合いになりそうだからな……仲良くやってくにゃあ、名前だけは絶対に覚えてもらわねぇとなァ……。
もちろん意味は理解できない。何がしたいのかなど尚分からない。
しかし雄弥は、それを思い出した途端自身の背中に妙な冷や汗がどんどん滲み出るのを感じていた。
「ま、どっちにしろこりゃ第7支部だけで片付けられる問題じゃなさそうだ。対策は総本部に報告した上で指示を仰ぐとするか」
「……そうですね。なら、私が宮都に行ってお母さんに直接報告しましょう。それが1番手っ取り早いですし……それに、人が魔狂獣を操った事例についてはひとつ心当たりがありますから……」
『! バイランのことか……!』
ユリンの台詞に、もう1年以上前にもなるバイラン・ゼメスア戦の記憶が、雄弥の脳内に思い出される。
「マジ? そりゃありがてぇ。ならユリン、悪ぃが任したぜ。ーーいや、なんなら治療がある程度終わった後で、ユウヤも一緒に連れてけ。本人の口がありゃ尚いいだろ」
「はい。分かりました」
「ーーそんじゃ俺は警戒の指揮を執んなきゃだし、そろそろお暇すんぜ〜。ユウヤ、とりあえず今はゆっくり休んどけ。入院代は経費でおりるから心配すんなよん」
ジェセリは寄っかかっていた壁から背中を離し、明るい笑顔で雄弥にそう述べる。
「ジェス、あたしも戻るわ。界境の見廻りに行かないと。……ユウッ!」
彼を追うようにシフィナも腕組みを解くと、キャミソールの上から着ているカーディガンのポケットから何かを取り出し、ベッドの雄弥に向けてそれを軽く放り投げた。
「んむッ?」
雄弥はまともな左手でそれをキャッチ。
シフィナが投げたのは、乳白色の液体が入ったひとつの小瓶。ビンには、赤文字で『モーモードリンク』と表記されている。
「歯や骨に必要な栄養がたっぷり入ってるわ。それ飲んでとっとと治しなさい。アンタの取り柄は、しぶとさだけなんだから」
「むゥ!? むむ、うぬぬんッ!」
「はァ!? 他にもいっぱいあるわッ! ……だって」
アタマから湯気を出して怒る雄弥の喚きは、ユリンが即座に通訳する。
「フン、つくづく客観視ってモノを知らないヤツね。じゃあユリン、またね」
そうしてジェセリとシフィナは、一緒に病室を後にした。
並んで歩く2人。ジェセリの金髪と、シフィナの銀髪。病棟廊下の窓から差し込む陽光に照らされる彼らの後ろ姿は、じつに映えのあるものである。それが並べば尚更だ。
「ま〜ったく……メンドくせーことになっちまったなぁ。こりゃ向こう1ヶ月のデートは全部キャンセルしなきゃだな。シフィナも悪ぃね、出張終わったばっかなのに働かせまくっちまってよ」
「あたしはアンタと違って好きでこの仕事をやってんのよ。謝られる覚えなんか無いわ」
「お、おおう……頼もしいねぇ。……でも気ィ抜くんじゃねぇぞ。現場の痕跡とユウヤのやられ方から判断するに、ゲネザーとかいうヤツはかなりのやり手だ。もしかしたら今度狙われるのは俺やおめーかもしれねぇし……油断はするな」
「……上等じゃない。その時は、このあたしの膝下で勝手なマネをしてくれた礼を倍にして返してやるわ……!」
眼元を凄ませながら金の瞳を静かな怒りでギラつかせるシフィナは、軽く電気を爆ぜさせている右手の骨をゴキリと鳴らす。
「気合い十分なのは結構だけどよ……あんまり熱くなり過ぎんのもヤメてくれよ? お前が本気で暴れ散らかしたらそれこそ手がつけられねぇし」
「アンタ以外には、でしょ。アンタさえいれば平気よ」
表情を動かすこともなくあっけらかんとそう述べるシフィナに、ジェセリは自身の首からぶら下がっているネックレスのチェーンを指でカチャカチャと弄りながら苦笑する。
「…………や〜れやれ。カンタンに言ってくれるぜ、ホント…………」
……彼の笑いには苦みに加え、わずかながら嬉しさのようなものも含まれていた。
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