第71話 同種対面
ーー"人間"に属する者は全員黒の瞳を持つのに対し、"猊人"に黒色の眼をしている者はいません。
男の姿を眼にした雄弥が最初に思い浮かべたのは、かつてのユリンの話だった。
「黒色の……瞳……!! に、人間……!?」
「あァ? んな驚くことかよ。オメーも同じ"人間"じゃねーか」
驚愕の表情を露わす雄弥に対して男は変わらず薄笑いを見せ、ズボンのポケットに両手を入れたまま枝の上から飛び降りる。
ひゅうっ、という空を切る落下音が雄弥の耳に届く頃には、男は彼の眼の前に軽やかに着地。そしてーー
「…………そうだろ? ユウヤ・ナモセ…………」
……そんなことを口にしたのである。
すると当然、雄弥の脳内には2つの疑問が爆誕する。
『!? こいつなんで俺の眼のことを……俺のことを知ってやがる!?』
彼は自身の前に立つその男とはもちろん初対面。
加えて、彼の眼にはしっかりと白色眼膜が装着されている。今の雄弥の瞳は、白色なのだ。おまけに特定の人物以外の前では彼は黒眼を晒したことはない。なのになぜかこの男は彼の本当の瞳の色をーー彼の"人種"を知っている。
「だ、誰だアンタ……!? 何者だ!? いつから木の上にいたんだ!?」
「んん? ん、ん、ん〜……。……あれだよな、オメーは今俺に対し、『あなたはどちら様ですか』と尋ねたんだよな……? それはつまりこの俺によォ〜……"自己紹介"をしろっつーことだよなぁ……?」
長身痩躯で、軽薄な話し方に似合わないどこか儚げな印象を受ける顔立ちを持つその男は、潰した右手を構えながら最大限の警戒態勢を取る雄弥の質問にのらりくらりと返事をしていく。
「人の名前覚えんのって難しいよなァ〜……"オメーのようなマヌケには"特に……。でも俺は同じことを2度以上繰り返すのも、繰り返されんのも大ッキライでな……1回言った自分の名前を聞き返される、なぁんてのは避けてェんだ……」
「は、はぁ……!?」
雄弥は男の台詞の意味が全く理解できず困惑するばかり。
「ーーだからよォ、オメーには1回だけでこの俺を覚えてもらうよう……先に強ォ〜烈なインパクトってのを与えてやるよ……」
すると男は右足をゆらりと上げ、そこにボウッと音を立てて純白の魔力を纏わせる。
「!? お、おい!! 何のつもりーー」
異変を察した雄弥の言葉には少しも耳を貸さず、男はその足で地面を軽く踏み込んだ。
「ーー"凍惨突山"」
男がそう呟いたのと同時、彼の足が触れた場所を起点に地面から高さ1メートルほどの小ぶりな氷山が無数に、雄弥に向かって次々と地面から突き出てきた。
「おぉおおおおッ!?」
雄弥はそれらが自身の足もとに達する直前に空中に飛び退く。
『氷……!? 『雹悔』の……魔術ッ!?』
滞空中の一瞬にそんなことを考えた彼だったが、攻撃をしてくる者を前にしてすることではなかった。
身動きの取れない状況かつおまけに余計な思考を含ませて狙い撃ちされ放題の的と化した彼の左脇腹を、1本の氷柱が抉り掘った。
「ぐ!? がぁああァッ!!」
激痛の余波で視界を明滅させる雄弥は、受け身も忘れて背中から地面に叩きつけられる。
「ご……ッ!! ーーこ……こ、この……野郎ォ……ッ!! いきなり何しやがんだァァッ!!」
彼の中では痛みよりも怒りが勝ったのか地に落ちた雄弥は即起き上がると、健在の左手に凝縮させた魔力から5つの『波動』の光弾を男に向けて投げつけるように放った。
が、男は全く逃げようともしない。
代わりに右の掌を前にかざす。そしてそこから、迫り飛んで来る5つの光弾に向けて真っ白な冷気を放った。
するとーー雄弥が撃った『波動』の光弾の全てが冷気に触れた瞬間空中であっという間に凍りつき、制止してしまったのだ。
「!? な、なにッ!?」
「ん〜な驚くことじゃねェっての……。"魔力"から生成された冷気なら……同じ"魔力"を凍らせることだってできるさ」
予想外の事態に愕然とする雄弥に、そう講釈を垂れる男。
ほどなくして空中で凍結したまま止まっていた5つの『波動』は粉々に砕け散り、微細な結晶粉と化して舞い消えていった。
「ちいッ!! だったら直接ブン殴ってやるッ!!」
雄弥は遠距離は無理だと悟るや左手に魔力を宿し、男のもとまで一直線。その顔面のど真ん中に向けて"砥嶺衝"の正拳を打ち出した。
……だがその一撃は男の鼻先に当たる寸前で、男に手首をがしりと掴まれて止められてしまう。
「へへ……やっぱ骨のあるヤツだなァ、オメー……」
男がそう呟いたのと同時に、雄弥の左腕が男に触れられている部分からどんどん凍りついていきだした。
「うわあぁああああッ!? て、てめ……ッ!! 放せぇえッ!!」
自身の腕がアイスキャンディーになろうとしていることにパニックを起こした雄弥は相手を振り払おうと、潰れた右手をお構いなしに男に向けて打ち出す。
しかし男は相変わらずのにやけ面のまま、彼の眼元に、ふぅッ、とひとつ軽い吐息を吹きかけた。
その吐息は冷気を含んでおり、たちまち彼の両眼のまつ毛を凍りつかせ、上下の瞼をくっつけてしまう。
「!? な、何だ!! 眼が開かねーーいがぁあああァッ!!」
視界を奪われた動揺。それもまた隙。雄弥は右手を止めてしまう。さらに、男から先ほど氷柱で抉られた左脇腹に対してモロの膝蹴りを叩き込まれ、絶叫。とうとう口から血反吐を溢して地にうずくまる。
「おェ……ッ!! げェほげほッ、ガバ……ッ」
咳き込み、苦悶を吐き出す雄弥。
そんな彼が気が付かぬ間に男は両ポケットに手を入れたまま四つん這いでうずくまる雄弥の頭上にまで歩み寄ると、ゴツゴツとしたブーツを履いた右足で彼の顔面を強く蹴り飛ばした。
「むがァアアアァアッ!?」
その衝撃で前歯を4本もへし折られた雄弥は歯茎から大量の血を噴き出させて転げ回る。
「お〜悪ぃ悪ぃ。足が滑っちまった。……おぉっとしまった、また滑ったァ!」
「おごォッ!!」
男はもはや隠す気も無いワザとらしい台詞をのうのうと吐くと、またもや彼の口元に向けて蹴り込んだ。
彼の履くブーツはすでに、雄弥の血で真っ赤である。
「…………ウぶ…………ガ…………」
「……あァ〜あ、ホンットひでぇよなァ〜……初対面でこんな暴力を振るってくるヤツなんて……。顔も、名前も……ムカつきすぎて忘れらんねぇよなァ。でもそれでいい……それでいいんだ。忘れるんじゃねぇ。痛みと一緒に、俺の全てを覚えるんだ。どんなことよりも優先して……」
男は、うつ伏せに倒れ、かつ顔の下半分を血塗れにして白眼を剥きながら意識を朦朧とさせる雄弥の前髪を掴み、顔を無理矢理に上げさせる。
「ーー1度しか言わねぇぞガキ……。ゲネザー・テペト。それが俺の名だ。おっと聞き返すなよ? 代わりに13回、頭の中で復唱するんだ。オメーとは長い付き合いになりそうだからな……仲良くやってくにゃあ、名前だけは絶対に覚えてもらわねぇとなァ……」
男ーーゲネザーは、彼の顔を覗き込みながら邪悪な笑みとともにそう告げた。
「ユウさぁーーーんッ!! どこですかーーーッ!!」
その時、森の木々を反射して遠くからユリンの声が響き渡ってきた。続いて、30は超えるであろう大勢の足音も。どうやら雄弥を探しにきた兵士たちのようである。
「お〜っと……いらんヤツらのお出ましだ。そろそろ俺ァ帰らせてもらうか」
それを察知したゲネザーは雄弥の前髪をパッと放し、彼の顔を乱雑に地面に落として立ち上がる。
「んじゃ……また会おうぜ。異界からのお客サマよ」
ーー彼が去り際に残したその言葉は、気絶する直前の雄弥の脳にこびりつくことになった。
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