第70話 迷う者を、見下ろす者
「ーーそうですか、ジェスがそんなことを……」
「……ああ」
翌日の、訓練終わりの夜。
寮の中の男女共用の食堂で雄弥とユリンは向かい合って座り、話をしていた。
「……でもそればかりはジェスの言う通り、どうにもなりません。アーレンさんのことは確かに気の毒ですが、私たちは結局……何かが起こってからじゃなきゃ動けないんですから」
「そりゃ分かってるさ。……でもどうにも割り切れなくてよ」
夕食をむぐむぐと口に運びながら、彼らは重苦しく言葉を交わす。
「…………なぁユリン。お前はなんで兵士になったんだ?」
「私? 私は……お母さんのため、ですね」
「お母さん……? 家計の手伝い、ってことか?」
「え? いえいえそうじゃなくて。ーーあ、そっか。ユウさんにはまだ言ってなかったですね」
「? 言ってなかったって……何を?」
「私のお母さんって、サザデーさんなんです」
「は」
何の脈絡も無いカミングアウトに雄弥は口に入れかけた肉を直前で止め、彼女の言葉の意味を理解するのに30秒もの間そのままフリーズする。
「ーーえ、えぇッ!? ウソだろ!?」
「本当ですよ。そんなウソつきません」
「い、いや……マジ……!? そ、それにしちゃその、なんつーか……全然顔とか似てねぇな……! 雰囲気も……!」
「そりゃそーです。籍上は親子ですが、私とあの人に血の繋がりはありませんから」
「なに……?」
「養子なんです。孤児だった私をサザデーさんが拾ってくれて、ユリン・ユランフルグという名前もあの人が付けてくれたんです。私は自分の本当の名前も……いえ、自分に名前があったのかすらも、そして自分の本当の年齢も知りません」
「!? ちょ……ちょっと待て、それおかしくねぇか? だってお前会ったばっかりの時言ってたじゃねぇか。自分は俺と同い歳だ、って……」
「それはサザデーさんが拾った時の私の外見から適当に決めてくれた年齢から、数えたものです。だからもしかしたら私は実際はあなたより歳下かもしれないし、逆にずーっと歳上かもしれません」
『……歳上の可能性の方が高そーだな……』
彼女から滲み出ている妙な大人っぽさ、幼めな外見とは真逆の包容力。雄弥が即座にそう思ったのは当然である。
……だがそんなこと思っている最中でありながら、彼の前に座るユリンの顔は急に凄みを溢し出し、どんどん厳しいものになっていった。
「……私は恩人であるお母さんの……憲征軍元帥閣下のお手伝いが少しでもしたくて、彼女のもとで働ける兵士になりました。ただそれだけです。大した理由じゃありません。ーーいえ……理由なんてどうでもいいんです。兵士に必要なのは脅威に立ち向かう勇気と、それを排することのできる力。それだけです。高潔な動機があるのもいいでしょう。死者への憐れみ、遺族への同情、確かに人道の観点から見ればそれらも大切でしょう。……ですが、動機は能力には無関係です。人ならざるモノを相手にするのが仕事の私たちに、人道などは何の役にも立ちません。それらはどちらもひたすらに邪魔です」
「!? お、おい! いくら何でも冷てぇだろそんな言い方!」
雄弥はたまらず椅子から立ち上がって声を荒げるが、ユリンは構わず淡々と話を続ける。
「そうですね。しかし私たちが向き合わなければならない現実に、温もりなど皆無に等しい。今回のようなことだって、兵士として生きていく以上それこそ無数に起こり得ます。やりきれないでしょうが、ひとつひとつのことに構っているとキリがありません。忘れろとは言いません。ただ引きずるのはダメです。これからの犠牲を減らしていくためにも……」
燃えるように赤いのに、どこか冷ややかなユリンの眼。
それに圧倒されたこともあり、雄弥は彼女に何も言い返すことはできなかった。
「ちょっとユウくん、大丈夫かい? 顔色悪くないか?」
またまた翌日。本日お昼の巡回組は、雄弥とタツミである。
が、雄弥は一昨日の出来事への物思いが止められずに寝不足に陥ってしまっており、眼は充血して顔面は灰色になっていた。そのゾンビもびっくりの有様の彼に、タツミは心配そうに声をかける。
「あ……全然ヘーキっす……」
「いやウソ下手か、さっきから真っ直ぐ歩けてないよ? 巡回が終わったら今日はもう上がっちゃいな。そんなんじゃいざって時に動けないぞ」
タツミは眼鏡を上げて彼の顔を覗き込みながらそう言った。
『くそ……ッ! ユリンの言う通り、いつまでもウジウジしてるヒマは無ぇのに……! 俺も切り替えて、やんなきゃなんねーことに集中しねぇと……ッ!』
雄弥は自身の頬をべしべしと引っぱたく。
彼自身分かっている。ひとつの出来事にこだわり過ぎて眼の前のことを疎かにしていては、また同じことを繰り返すだけだと。
が、自覚はあってもそれを改善できるほど、まだ彼は"兵士"としても"人"としても成熟していないのだ。
その時、街中に魔狂獣出現の警報が轟いた。まさに息もつかせんばかりのタイミングである。
同じくして、タツミの腰に下げられていた通信機から機械化された人の声が飛び出す。
『魔狂獣出現!! コードはガネント!! 場所は411街区の13!!』
「な……に!? 411街区!? それって僕たちがいるここーー」
タツミがそう言いかけたその時、突然何かが爆発したような音が彼らの耳に飛び込んできた。そして彼らから200メートルも離れていないような近場の商店街から、黒々とした煙と人々の悲鳴が立ち上がる。
「な、なんてこった……!! 白昼堂々こんな街中に魔狂獣が出るなんて滅多に無いのにッ!!」
タツミが青ざめる中、雄弥はもう1発だけ自身の右頬に拳骨をお見舞いして、頭を回させ気合いを注入する。
「俺が始末してきます!! たっつぁんさんは避難誘導を!!」
「たっつぁんさんてナニよ!? ーーで、でもユウくん、キミまだ手ェ治ってないだろ!? それに調子も悪そうだしあんま無理しないほうが……」
「大丈夫っす!! この程度もう慣れっこですッ!!」
「あ、ちょ!! おぉいッ!!」
制止を無視し、雄弥は逃げていく住民たちの波をかき分けながら現場に向かって駆け出した。
と言ってもそこはほぼ眼と鼻の先である。彼は30秒ほどで爆音と黒煙の発生地点にたどり着く。
「!! いやがったな……!!」
連絡通り、そこにいたのは真っ赤でフサフサとした体毛で全身を覆い、手足の4本指の先からは長い鉤爪を生やし、犬のような顔からワニのような巨大な顎を突き出した4つ青眼の魔狂獣ーーガネントである。
この世界に転移して最初に対峙した魔狂獣。いかに彼の脳ミソがスッカスカであっても、忘れることなどできはしない。
その身長2メートルほどの二足歩行の化け物は焼け焦げた瓦礫の上でふしゅふしゅと鼻息を荒げながら棒立ちしていたが、やがて雄弥が自身の前に立ち塞がると爪や牙を剥き出して威嚇の姿勢を見せる。
雄弥は赤毛の化け物に睨まれつつ、ゆっくりと周囲を見渡す。
……彼の視界に、死体は映らない。どうやら爆発に巻き込まれた人はいなかったらしい。そして、ガネントの口の周りや爪に血は付いていない。つまり、そいつはまだ誰かを喰ったりはしていない、ということである。
『よし……まだ犠牲者は出ていない……!! このままさっさとブッ殺す!!』
彼はひとつ胸を撫で下ろしつつ、唸るガネントに対して戦闘態勢をとった。
「グルルルルルルル……ッ!!」
「へッ、えらく懐かしい面じゃねぇか……!! その牙でデコに穴開けられた恨み!! 今ここで晴らしてやるッ!!」
もちろん彼の額に牙を突き立てたガネントと今彼の前にいるコイツは別個体なのだが、彼は自分の台詞の的外れっぷりには一切気がつかないまま、構えた両手に魔力を込め始める。
「!! ……ガルァ」
ーーしかし彼の手に現れた青白い魔力を見た途端、突然ガネントは全身から発していた殺気を雲の子を散らすように引っ込め、くるりと背を向けて彼と逆の方向に走り出したのだ。
「な、なに!? 逃げんのか!? 待てッ!!」
雄弥は無論追いかける。
しかしガネントの足の速さがいくらディモイドには遠く及ばないにしても、並かそれ以下の運動神経しか持たない雄弥にカンタンに追いつかれるほど鈍足でもない。ゆえに、そこから20分近くにもおよぶ鬼ごっこが始まった。
商店街を脱し、林道を突っ切り、田んぼを駆け抜け、人里を置き去りにする。気づけば彼らは、真昼だというのにひどく薄暗い、どこかも分からない深い森の中にまで来てしまった。
「ぜぇ、ぜぇ、……ッこの野郎……ッ!! いい加減……止まりやがれええェェェーーーッ!!」
身体中汗でぐしょぐしょにして息も絶え絶えの雄弥は周りに誰もいなくなったのを機に、自身から20メートルほど先を走るガネントに向けて、まだ包帯が取れていない左手で『波動』の光弾をブッ放した。
『波動』は弾道を遮る木々を次々に消し飛ばしながら、やがて見事標的に命中。その下半身をすっぽりと消滅させ、ガネントは地面に転んでしまう。
「ゴガアアアアアアアァァァッ!!」
驚きからか、痛みからか、悲痛な雄叫びを発するガネント。
雄弥はそんなうつ伏せに倒れる4つ眼の怪物に背後から飛びかかっていきながら、今度は拳を形作った右手に魔力を集中。先のディモイド戦で披露した"砥嶺衝を、怪物の背中のど真ん中へとブチかました。
「ずぇりゃああああァァァッ!! 」
「プギュ!? ェエエエエエエエエェェェーーーッ!!」
拳が触れたのと同時にガネントは滑稽な叫びを上げつつものの一瞬でチリも残さず粉々となり、地面には直径5メートル、深さ60センチ近くにも及ぶ大穴があいたのだった。
「ーーぐぁああ……ッ!! いィッてぇえ〜……ッ!! ち、ちくしょう……やっぱまだ治りきってねぇか……!!」
その穴の真ん中で雄弥は、巻かれた包帯を余すことなく血で真っ赤に染めている右手を押さえながらうずくまる。
「ま、まぁいいや……誰も死ななかったっつー奇跡との引き換えと考えるか……。……しっかしそう考えると、あのガネント、ヘンなヤツだったな……。逃げてばっかで攻撃も全然してこなかったし……魔狂獣にもビビリなヤツとかがいんのかな……?」
痛みを紛らわそうと思考をポジティブにしつつ、雄弥はイカれた右手に破いたパーカーをぐるぐる巻きにしつつ、自身がこしらえた穴から這い出て辺りを見渡す。
……といっても、どこもかしこも木ば〜っかり。それも先ほど述べた通り、木々のどれもが高すぎて日光がほとんど差し込んでおらず、どこもかしこも夕方のように薄暗い。アテもなく歩き回るのは明らかに危険だ。
「や、やべぇぞコレ……! 夢中で走ってたらエラいとこ来ちまった……! ここどこだ……? まだこの街の地理ぜ〜んぜん頭に入ってねぇんだよなぁ……」
彼はアタマを抱えながら土の地面に腰を下ろす。すると、右腰にぶら下げていた通信機がガシャリと鳴った。
「あ! そうだコレがあんじゃねーか! 誰かに迎えに来てもらおう」
早速それを左手に取り、通話ボタンを押そうとする。
ーー刹那。
彼の真上から突如ひとつの"何か"が猛スピードで落下し、彼の手にあった通信機に命中。それをバラバラに砕け散らせた。
「ぐあッ!? な、なんだッ!!」
雄弥は驚き、立ち上がる。
そして彼は見た。自分の足元の地面に、"何か"が突き刺さっているのを。たった今通信機を破壊したモノの正体を。
……それは、1本の巨大な氷柱であった。
「いやァ〜すげぇすげぇ。あんなデカブツを一撃かァ〜。大した成長だ。俺ァ感動で涙が出そうだぜ」
同時に、彼の頭上から声が降ってきた。
男の声。知らない声。どこか人を小馬鹿にしたような、カンに触る声。雄弥はすぐさま顔を上げ、視線を真上に向ける。
木の上。地上から15メートルほどのところに生える枝の上。
1人の男がニヤニヤとした笑みを浮かべながらそこに立っている。
身長180以上の細身。左側頭部を刈り上げた、クセの強い鈍色の髪。左耳の青いリングピアス。
ジッパーだらけの黒レザージャケット、中に白シャツ、緩い黒ズボンに鼠色のブーツ。
ーーそして、黒色の瞳。そんな姿の男が……。
よろしければ、評価やブックマーク登録をお願いします〜。




