第69話 輝きあれば、陰りあり
「お〜いユウ、この調書を資料室に持ってってくれ〜」
「分かりました!」
「ユウくん。この1200枚の現場写真を、日付ごとに分類して整理してくれたまえ」
「ショーチしました!」
「ユウーッ! 腹減った! おにぎり買ってこいッ!」
「はァい、ただいま!」
廃工場での一件から数日。雄弥はいつもの業務にドタバタと走り回りながら汗を流している。
まだ彼の両手は完治しておらず包帯も残っている状態だが、重ね重ね憲征軍は人手不足。怪我のひとつやふたつでダラダラと休むヒマは無いのだ。
「おーい、ユウヤはいるか〜?」
そんな彼のもとに、ジェセリ・トレーソンがやって来た。
「ん? なんだージェセリー」
「おお、いたいた。ちょっと俺と一緒に来てほしいとこがあんだ。付き合ってくれ」
「ええ? 俺まだ仕事中だぜ。……え、つーか……なんだお前そのカッコ」
雄弥が指摘したのは、ジェセリの服装のことだ。
いつもは簡素な和服に大量の趣味の悪いギラギラとしたアクセサリーという奇抜な姿のジェセリだが、今日の彼が着ているのは雄弥がもといた世界のサラリーマンが身に纏うようなビシっとした黒のスーツ。指輪だのピアスだのもひとつ残らず全て外している。
いつもの格好が派手すぎるために、そのギャップはあまりに大きいものだった。
「ま、ちょっとな。おめーもこれと似たモンに着替えてくれ」
「は? 俺も? なんでだよ、いったいどこ行こうってんだ?」
「すぐ分かるさ。それより急げ、時間が無ぇ」
「待て待て、んなこと言われたって俺スーツなんか待ってねぇぞ」
「俺のを貸すさ。支度してこい。5分でな」
「くそ〜手が痛くてネクタイが結べねぇ〜! てかそもそも結び方が分かんねぇ〜!」
「ほれ貸しな。俺がやってやるよ」
紺のスーツを身に纏い車に乗った雄弥は、隣に座るジェセリに首元を差し出し、ネクタイを結んでもらう。
「で? どこ行くんだよ。こんな堅っ苦しいカッコなんかさせてよ」
「……行けば分かるさ。それまで待ってくれ」
「……? ……な、なんだってんだよ……」
異常。いつものジェセリではない。
格好の話じゃない。今の彼の顔からは、普段のおちゃらけた雰囲気が微塵も感じられない。眉間にわずかにシワを寄せ、真剣に何かを考え込んでいるような表情だ。
そんなもはや別人とも思えかねない彼に、雄弥は戸惑うことしかできなかった。
すると20分ほど走ったのち、彼らの乗る車は停まった。
「着いたぜユウヤ。降りな」
ジェセリはそう言って自分もさっさと降車してしまう。
車が停まったのは、古い木造の一軒家の前。これといった特徴も無い、どこにでもある普通の家屋だ。
……だがジェセリに続いて車を降りた雄弥は、その家の"普通じゃない"部分に気がついてしまう。
彼が眼を向けたのは、家の表札。そこに記されていた姓はーー
「……"アーレン"……? ーーえ。ま、まさか……この家って……」
聞き覚えのある名前に狼狽る雄弥。
「…………いいから行くぞ」
だがジェセリはそんな彼には構わず、思い詰めた表情のまま、その家の呼び鈴を鳴らした。
「ご主人の遺品を、お返しにあがりました」
家の玄関に上げてもらい、並んで立つ雄弥とジェセリ。
ジェセリは、自身らと向き合って立つ家主の女性に、四角い小さな布の切れ端を渡す。そこには……『イトナ・アーレン』という刺繍が施されていた。
「…………これ、だけ…………ですか…………?」
眼の下をクマで真っ黒に染めあげ顔もひどくやつれさせた家主の女性は、それを震える手で受け取りながらか細い声で尋ねる。
「……申し訳ありません。ご主人が着ていらっしゃった作業着の他の部分は……ご遺族の眼に触れさせられるような状態ではなく……」
「…………そ、う…………です…………か…………」
家主の女性ーーイトナ・アーレンの妻の瞳の中に光は無い。側から見れば視線がどこに向いているか分からないほど、真っ暗であった。
「ご主人を……イトナさんを助けられず、申し訳ございませんでした」
ジェセリはそう言って頭を下げ、状況を飲みきれておらず混乱している雄弥も少し遅れて同じようにする。
「…………謝らないでください。あなた方のせいじゃありません。…………あの人に…………運が無かっただけ…………なんですから…………ッ」
……アーレン夫人の声は、どんどん涙混じりになっていった。
その時。雄弥の頭に、何か固いものが投げつけられた。
「ぐッ!?」
全く予想だにしていなかった痛みに雄弥は足をふらつかせ、額に血を滲ませる。
彼にぶつけられたのは木製のおもちゃの人形。彼の頭に当たったのち、床に落ちて壊れてしまう。
そして投げた犯人は……いつの間にかアーレン夫人の背後に立っていた、1人の幼い男の子だった。
「チャック!? 何をするのッ!!」
アーレン夫人は振り向き、嗚咽を含んだ声で少年を叱りつける。
チャックと呼ばれた坊主頭の少年はそれを意に介さず、眼を真っ赤に充血させながら涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔に怒りを露わし、雄弥とジェセリを睨みつけながら叫んだ。
「なんで……なんで父ちゃんだけが死んだんだよッ!! この役立たず!! もう1人は助かったんだろッ!? おまえらがもっと早く行けば、うちの父ちゃんだって絶対助けられたじゃないかッ!! なのになんで……なんでだよォッ!!」
「やめなさいッ!! なんてことを言うのッ!!」
アーレン夫人は、思わずといった様子で幼い息子の頬を平手打ちする。
「だって!! だ、だッ、だって、だって………ッ!!」
右頬を赤く染めたチャック少年の顔はどんどん悲しみに歪んでいき、声こそ大きくはあるがいよいよ舌が回らなくなる。……やがて我慢しきれなくなったように、わんわん泣き出してしまった。
「………ご………ごめんね叩いて…………痛かったよね…………。ごめん、ごめんね…………ごめんね…………ッ」
それまで気丈に振る舞おうとしていたアーレン夫人もそんな彼を目の当りにしたことで堪えられなくなり、息子を抱きしめて咽び泣く。
床に座り込んでいる彼らの足もとは……彼らの涙であっという間に濡れてしまった。
「ーーどうしようもねぇことってのはあるのさ。特に……こういう世の中じゃな」
その後すぐにアーレン家を出た雄弥たち。
車に乗る雄弥は瞬きも忘れるほど茫然自失しており、隣に座るジェセリのそんな言葉も半分ほどしか耳に入っていない。
「俺たちの仕事に、夢や希望なんざカケラも無ぇ。血と涙と、悲しみと……時には憎まれることさえある。今日おめーを連れて来たのは、そのことを知ってほしかったんだ」
車のドアに肘をつきながら雄弥にそう語りかけるジェセリは表情にこそ出してはいないものの、その声色はわずかながら悔しそうに震えている。
やがて彼らは支部へと到着。2人を正門の前で降ろし、車は走り去っていった。
「悪かったな、いきなり連れ回したりして。今日はもう帰っていいぜ。お前の残した仕事は俺が片付けとくからよ」
ジェセリはネクタイを緩めながらそう言うと門へ歩き出した。
が、それまでずっと沈黙に包まれていた雄弥が、ここでようやく重々しそうに彼の背中に向けて口を開く。
「……ジェセリ」
「ん」
ジェセリは振り向かぬまま、足だけ止めて返事をする。
「……それを分かってて、なんでこの仕事を続けてる……? お前は……なんのために兵士に……?」
雄弥が絞り出した質問はそんなものだった。
今度はジェセリの方が黙り込む。出発したのが夕方だったので、あたりはもう真っ暗。空には星が浮かび、街は月明かりに照らされている。
やがて、冷たい風が3つほど吹き込んだところでーー
「……他にやることも無かったからさ。おめーだって同じじゃねぇのか?」
ジェセリは静かにそれだけ答え、そのまま門の中へと消えていった。
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