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第66話 反撃の前兆




 カツン、カツンと、わななく足で歩いていく。


 背中は汗でじとじとであり、インナーのシャツがへばりついている。


 常に360度を警戒。ディモイドの俊敏さを考えれば、1秒たりとも気は抜けない。瞬きすらも死に直結する。



 ーーそうして雄弥がしばらく進んで行くと、突然彼の右真横からガサリという音が飛んできた。


「!! くッ!?」


 彼は大慌てで転がるようにそこから距離を取り、ライターの火をかざして音の正体を確認しようとする。そこにいたのはーー



「ひぃいいいいいいッ!! おおおお願いィィッ!! 食べないでくださいィィィィィーーーッ!!」



 ……死人と見間違いそうになるほどに蒼白に染め上げた顔を恐怖に歪ませまくり、積み上がった木箱の影でうずくまりながらガタガタと身体を震わせている1人の男であった。


「え!? ひ……人!?」


「うわあァァッ!! 寄るな寄るなッ!! 寄るな寄るな寄るなァァァーーーッ!!」


 驚いた雄弥が少し近づこうとしただけで、全身を泥々に汚したその男はじたばたと暴れながら狂ったように叫ぶ。

 

 ーー男は黄色いヘルメットを頭に被り、紺色の作業服に身を包んでいた。雄弥は彼のその格好から悟る。


「お、おい落ち着けッ!! え、えーと……そう!! アンタ確かユウキさん……だろッ!?」


 そう、間違いなく彼は取り残された2人の作業員のうちの片割れだ。


 するとそれまで錯乱しっぱなしだった作業員の男が自分の名前を聞いた途端騒ぐのをぴたりとやめ、怖々といった様子で眼の焦点を雄弥へと合わせる。


「…………へ? あ? あ、そ、そう…………です…………」


「そ、そうか!! 生きてたんだな!!」


「あ、あ、あれ……? ば、化け物じゃなくて……人……? あの、あ……あなたは……?」


「ユウヤ・ナモセ。憲征軍の兵士だ。アンタを助けに来たんだよ」


「た、助け……に……?」


「そう! それにしてもアンタは地下にいたのか。ホントよかったぜ、俺が崩しちまった天井の下敷きになってなくて……」


「…………アンタ、"は"、地下に…………」


 ユウキは雄弥の台詞に何か引っかかったような素振りを見せると、やがて身体をカタカタと震わせながら恐る恐る次のように尋ね出す。


「……そ、その言い方……だと……地上階で他の誰かを見た、っていうふうに聞こえるんですけど……。あ、あの……一緒に残された先輩……ーーアーレンさんは……」


「…………ああ。残念だけど…………1階で亡くなってたよ」


 雄弥はうつむきながらそう答える。


 それを聞いた瞬間、ユウキはまたもやゼンマイ仕掛けの人形のように全身をぶるぶると震わせ始めた。


「あ、あ、ああ……!! ほ……ほんとに……死んじゃったのか……ッ!!」


「? ……どういう意味だそりゃ」


「……ぼ、僕とアーレンさんは……一緒にあの化け物たちから逃げてたんです……ッ!! で……でもその途中で……アーレンさんが、こ、転んでしまって……!!」


 ……彼は眼からぼろぼろと涙を漏らしながら息せき切って言葉を繋いでいく。


「し、仕方なかったんです……ッ!! 化け物の集団はすぐ後ろまで来てた……!! あの人を助ける余裕も、力もッ……僕には無かった……ッ!! ……僕は……化け物たちが転んだ彼に群がっている隙に……逃げたんです……!! 彼を見捨てて、逃げたんです……ッ!! で、でも仕方なかったんですッ!! 僕……僕は……ぼ、僕は……死にたくない……ッ!! まだ死にたくないんだぁ……ッ!!」


「……そりゃ別にアンタのせいじゃ……ねぇだろ。自分を責めんなよ」


「うう……うッ……ううう……ッ」


 雄弥の慰めも耳に届かなかったようで、ユウキは地面に顔を突っ伏して喉を詰まらせながら(むせ)び泣く。

 彼のその悲壮感溢れる姿にあてられて雄弥も徐々に不安な気持ちが(つの)り出してしまい、彼はそれを振り払おうと頭をブンブン回しながらユウキに怒鳴りつけた。


「だぁーもうッ!! い、いい大人がメソメソすんじゃねぇ!! 死にたくねぇってのは誰だって同じだろ!? 誰にも責められるいわれはねぇじゃねぇか!! アーレンさんは確かに気の毒だが、アンタはまだ生きてる!! 前向きにとまではいかねぇまでも、どうしようもねぇことをごちゃごちゃ考えんなよ!! そうじゃなくて、こう思うんだ!! 生きてここから出るんだと!! これから美味いもん食って、バリバリ働いて……え、えーと……ーー! そ、そう!! カワイイ女の人を見つけて、結婚とかもしてやるんだーってな!!」


 ユウキの左手薬指に何もはめられていないことを見た雄弥は、彼の気を奮い立たせるきっかけになればとそんなことを述べる。

 ……が、肝心のユウキはその言葉に対して顔は上げたが何も刺さった様子を見せず、それどころか一瞬ぽかんとしてこんなことを言い出した。


「ぼ、僕はもう……結婚はしてるよォ……」


 ……彼の返答に、雄弥もきょとんとする。


「え? あ、あれ? だって指輪してねぇじゃん」


「な、何言ってるんだよ……。ほら……ちゃんと右手にあるじゃないか……」


 そう言ってユウキが見せたのは、右手の薬指。そこには、銀のリングに小さな赤い宝石が埋め込まれたなかなかに価値の高そうな指輪が、かすかな光を発しながらその存在を主張していた。

 雄弥はしばらく意味が理解できずに首を(かし)げていたが、やがて何かに気がついたのか、少し驚いた表情をしながら手をポンと叩く。


「あ……ああ、そういうこと!? この世界じゃ結婚指輪は右手の方の薬指にするのか!」


「え……な、なんて? この世界……?」


「あ、い……いやいやいやこっちの話。気にすんな」


 そう。婚姻の証は左手薬指に、というのは雄弥がもといた世界での概念である。こちらの世界では別の形だったとしても何もおかしくはない。逆によく"指輪"という部分だけでも被っていたものだ。


『そういや……あんなにジャラジャラとアクセサリーを付けてるジェセリも、右手薬指には何もしてなかったな……。なるほどそーいうことだったのか……』


 すると雄弥はふと何かを思い出したように、自身の右手に眼を下ろす。

 ……そこには、薬指が無いのだ。かつて彼がこの世界に来て初めて『波動(はどう)』を使用した際に、あまりに大き過ぎる反動によって欠損してしまったやつだ。


『……俺に結婚相手は見つからねぇっつう暗示……だったりして……? ……いやいや、縁起でもねぇや』


 少々深読みがちなことを考えながら勝手にブルーな気分になる雄弥。

 しかし今はそんな場合ではない。彼はどうでもいい思考を断ち切って気合いを入れ直し、がばりと立ちながら再びユウキに話しかける。


「まぁ……家で帰りを待つ家族がいるってんなら、尚更アンタは死んじゃいけねぇな。ほら立てよ、そろそろ行くぜ! さっさと出口にーー」



 ーーぞわり。

 雄弥は、そんな音がしたのを確かに聞いた。



 音源は前方。そこに漂う"空気"からだ。彼はすぐさまそこに眼を向ける。

 そこは暗闇。暗闇だ。相変わらず視界に満足な景色は映らない。


 ……だが雄弥は見つけた。そんな漆黒の空間に、無数の赤い光点が浮かび上がっているのを。


「…………ちくしょう…………ッ!! やっぱ地下(ここ)にもいやがったか……………!!」


 瞬間、彼は光点の正体を察知。恐怖と緊張から身体を強張(こわば)らせ、歯をぎりりと噛みしばる。

 ライターを手に取り、腕を上げ、前に向けて明かりを灯す。



「ハガ……ハルルルルルルル……ッ」



 ーーすると、ルビーのような単眼をぎょろりと光らせたディモイドの群れが、闇より姿を現したのだった。


「ひぃいいいいいいィィィーーーッ!! そ、そんなァッ!! いつの間にィィィッ!!」 


 唐突に出現した絶望の集団に、ユウキは顔を真っ青にして半狂乱になる。


『12……14……15匹か……!! さ……最悪の展開だぜこりゃあ……!!』


 ついさっきユウキに対して散々エラそうなことを吐きまくった雄弥もさすがに愕然とし、敵の数を確認したことでその動揺はさらに臨界点に達する。


「で……出口はあっち側にしか無いのにィィィッ!!  逃げ場が無いィィィッ!! どどどどどうするんだよォォォォッ!!」


「うるっせぇッ!! それを今考えてんだ!! 頼むから静かにしてくれッ!!」


 立ち塞がり(うな)るディモイド、悲鳴を上げるユウキ、冷や汗ダラダラでアタマをフル回転させる雄弥……。


『ええとええと、どうする、どうすりゃいい!? ……そ、そうだッ!! 確かユリンとの座学で、各魔狂獣(ゲブ・ベスディア)それぞれに対する基本的な戦い方も教わった気がするぞ!! な、なんだっけ……ッ!? ディモイドとやり合うときはどうすりゃいいんだったっけ!?』


 そうして足りない脳ミソをオーバーヒート寸前まで稼働させた雄弥の耳に、だんだんとユリンの声が蘇り始めた。



 ーーいいですか? ユウさん。

 ディモイドは単体でも恐ろしい敏捷(びんしょう)さを有しています。そんなものが何体も集まってしまえば、真っ向から戦えば勝ち目などありません。相手が前から来るのか、横なのか、それとも後ろからか……そんなことを考えている間にあっという間に殺されるでしょう。ですからディモイドと対峙した場合は、まず……


 "相手の攻撃ルートを限定して"ください。



「!! そ、そうかッ!! 壁だ!! 隅っこだッ!! ユウキさん、ついて来てくれ!!」


「えェッ!? な、何ッ!?」


 引きずり出した記憶から何かを思い立った雄弥はユウキにそう叫びつけながら、突然ディモイドの群れに背を向けて走り出す。


「いーから来いっつってんだろッ!! 死にてぇのか!?」


「い、イヤだァァァッ!! 死にたくないィィィィッ!!」


 最初はワケも分からずあたふたしていたユウキも彼の喝によって慌てて立ち上がり、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら走る雄弥の後を必死について行く。……当然、ディモイドたちもそれを追って動き出す。


 やがて雄弥たちが辿り着いたのは、地面に対して垂直に建つ2枚の壁が直角に繋がった場所。……要は、部屋の隅っこであった。


「よし!! ここがいい!! ユウキさん、アンタはこの隅っこで伏せててくれッ!!」


「ちょ、ちょっとキミッ!! 何をしてるんだッ!? こんなところじゃ余計に追い詰められてるだけじゃないかァッ!!」


「ちげーんだよ!! 確かにハタからはそーいうカンジにしか見えねぇだろーが、ディモイドに対してはこれがベストなんだ!!」


「え……ッ!? ど……どういうことォ……ッ!?」


「壁を……部屋の(かど)っこを背にして戦えば、ヤツらは俺たちの前からしか攻撃できねぇだろ!? 右にも左にも、後ろにも回り込めねぇからな!! どれだけ素早かろうがどれだけ数が多かろうが、前からしか来ねぇと分かってりゃあ十分に迎え撃てるのさ!!」


 彼は図々しくもユリンからの受け売りをさも自論であるかのように得意げに話すと、隅っこで頭を抱えてうずくまるユウキを背にして立ち、ディモイドの群れと向かい合う。


「まぁ……それでもきちぃことに変わりはねぇけどな……!! ユウキさん!! 生きて嫁さんに会いたきゃ、俺の後ろから動くんじゃねぇぞ!!」


「でで、でもッ!! こ、こんな数相手にいくらなんでもキミ1人じゃ無理だよォッ!! あぁもうダメだァ!! おしまいなんだァァァッ!!」


「えぇいやかましいッ!! いーから黙って俺を信じろっての!! 約束する!! アンタに傷は負わせねぇッ!!」


 もう後には引けない。……引く気も無い。

 そんな強い覚悟を瞳に宿らせ、雄弥は炎のようにゆらめく青白い魔力を両手に纏わせる。

 彼はヤケになっているのではない。自暴自棄になっているわけでもない。逃げる気も、死ぬ気も無い。



 ……彼の顔に現れているのは、爆熱に燃ゆる自信だけ。



「さぁかかって来やがれッ!! 2年の特訓で編み出した、俺のとっておきを見せてやるッ!!」


 矮小な獣の集団に向けてそう啖呵(たんか)を切ると、雄弥は戦いの構えを取った。







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