第64話 死地と化した廃工場
ヒニケ地区西端、アロガロンの森。
その森の中の一帯に敷地をもつ、ひとつの大きな廃工場。ここが今回の現場である。
朽ちた柵の向こうに見える廃工場は建物の何もかもが赤茶色に錆びついており、その屋根に止まってギャーギャー鳴いているカラスのような鳥たちも相まって、まさにバケモノでも飛び出してきそうなおどろおどろしい雰囲気を撒き散らしている。
そんな施設をシフィナが柵の外から睨むように見つめていると、後ろから掠れた息切れをしながら脚をふらつかせる雄弥がやって来た。
「ぜえッ、ぜえッ、ぜえッ」
「……遅い。大した能力も無いくせに動くことすら怠けたら、アンタはいよいよただの邪魔者よ」
シフィナは振り返りもせず、背後の雄弥に冷たくそう述べる。
「て、てめぇの脚を考えてモノを言いやがれ……!! この脳筋女……ッ!!」
1人で突っ走った彼女を必死に追いかけてやっと辿り着いたというのに、その言い草。しかし雄弥にはそれ以上の文句を吐く体力は残っていなかった。
雄弥は息を整えながら、シフィナの後ろから彼女と同じように柵越しに不気味な工場施設を眺める。
「ずいぶんでけぇ廃工場だな……。つーかこんな人気の無いところで、なんで魔狂獣が発見されたんだ? 見つけたのは誰だ?」
「この廃工場は近々取り壊す予定らしくて、その下見に来ていた数人の解体作業員が出会してしまったそうよ」
「!! ……その人たちはどうなった?」
「7人は保護したって。ただそいつらが揃いも揃って気が動転してるらしくて、まともな聴取も取れないってさ。7人で全員かどうかはまだ分からない」
「な、なに!? 冗談じゃねぇ、なんでてめぇこんなところでノンキしてやがんだ!! さっさと中に入って、まだ残ってるヤツがいるのかどうか確かめに行くべきだろうが!!」
「馬鹿ッ!! 敵が……ディモイドが何体いるかも分からないのに、いるかすらも分からない要救助者のために闇雲に突っ込むのは自殺行為よ!! あたしたちは助ける側だからこそ、危険は最小限に抑えなくちゃいけない!! それくらい言われなくても自分で判断しなさい!!」
今の今までの重苦しい静かさはどこへやら、シフィナは前を向いたまま、いつもの調子で彼に思いっきり怒鳴り付ける。
……いつもの調子、とは言ったがその声にはわずかながらも切羽詰まった色があり、彼女も一刻も早く中に行きたいと焦っていることは、さすがの雄弥にも理解できた。
「ぐ……! ……わ、分かったよ……!」
彼は、初めてシフィナに何も言い返さなかった。
それから少しの間はやや気まずく息が詰まるような沈黙が続き、やがて耐え切れなくなった雄弥が再び彼女に話しかける。
「そ、そうだ……。確かディモイドって……ひとつ眼に4つ耳の小っちゃいガリガリのヤツだよな……」
「そーよ。さすがにその程度のことなら知ってんのね」
「教本に載ってたしな。それに……1度戦ったこともある」
その言葉にシフィナが耳をピクリと反応させ、ようやく視線を工場から雄弥へと移す。
「……勝ったの?」
「あ? ああ。まぁ……ギリギリもいいとこだったけど」
突然、より神妙になった彼女の口調に変な違和感を覚えつつ、雄弥は答える。
「何体?」
「は?」
「そのアンタがギリギリで倒したディモイドは、何体?」
「そ、そりゃ……1体、だけど?」
ーーその瞬間、シフィナの顔が鬼のように真っ赤に染まった。
「このマヌケッ!! アンタ、ホントに教本読んだの!? ユリンに何を教わったのよッ!!」
その過去一の迫力に圧倒されて固まる雄弥に、彼女は言葉を続けていく。
「ディモイドは現在までで確認されている魔狂獣の中では唯一、群れで行動する種類なのよ!! 最低でも8、9匹ほどで集まってね!!」
「な……!? ……あ!! そ、そういやそんなことも書いてあった……ような……」
雄弥はバイラン・ゼメスア戦後の入院生活での、ユリンとのマンツーマンの座学に明け暮れた日々の記憶を、今さら朧げに蘇らせた。……つくづく情けない男である。
「ディモイドは単体ならはっきり言って雑魚よ!! ガネント未満の!! 並以下の兵士でも20人も集まればなんとかなるわ!! でもヤツらは1匹増えるごとにその戦力を10倍にも20倍にもしてくる!! 今回のは、アンタが以前倒したそいつとは完全な別物だと思ったほうがいいわよ!! つまらない死に方をしたくなかったらね!!」
「……ふ、フンッ!! わざわざご忠告どーもッ!!」
雄弥が逆ギレ気味にそう返した、その時。
シフィナの腰にぶら下がっているゴツゴツとした通信機から音声が響きだした。
『シフィナ、聞こえるか!? タツミだ!!』
「タツミ!! 要救助者の有無は分かった!?」
『作業員たちが所属する会社に問い合わせたら、今日その廃工場の下見に向かわせたのは全部で9人らしい!! つまりーー』
「…………まだ…………2人取り残されてる…………!?」
それを聞いて眼に焦燥を浮かべ出す雄弥に対し、シフィナは静かに会話を続ける。
「……その人たちの名前は?」
『ユウキ・キンジ24歳と、イトナ・アーレン36歳!! どちらも男性だ!!』
「ありがと、たっつぁん」
『たっつぁんはやめろッ!!』
そこでシフィナは通信を切ると、肩がけに羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てて上半身を真っ赤なキャミソール1枚にする。同時に彼女の瞳に臨戦の闘志が宿ったのを、雄弥は見逃さない。
「……行くんだな……? 今度こそ……!」
「ええ……あたしたち2人でね。応援を待ってるヒマは無いから。一応言っとくけど、あたしの足引っ張ったら殺すわよ」
「ちッ……いちいち一言余計なんだよてめぇは……!」
変わらないシフィナへの苛立ち、そして久方ぶりの魔狂獣との交戦へのかすかな恐れを声と顔に漏らしつつ、雄弥は返事をする。
やがて彼らは柵を乗り越え、工場へと歩いて行った。
シフィナがトラック搬入口の巨大なシャッターを開け、2人は工場の建物の中への侵入を開始する。
ーー案の定と言うべきか、建物の中は窓から差し込むわずかな日光が当たる箇所以外はどこもかしこも真っ暗であり、手元もまともに視認できない状況であった。
「お、おいおい……!! やっぱ廃工場だから電気なんかとっくに通っちゃいねぇのか……!! どうする!? こんなんじゃ戦うどころか歩くことだってできやしねぇぞ!!」
その暗闇に早速狼狽え出す雄弥。反面、シフィナはそんな彼をまるで無視し、入口シャッター付近の壁をさわさわと手探っている。
「ええと配電装置は……これね」
やがて目的のものを見つけたらしい彼女はそれに両手を置くとーー
「フンッ!」
バン!! という破裂音とともに、その手から一瞬だけ弾けるような電流を発生させた。
その電流が壁や天井に張り巡らされている電線に沿ってあちこちに散って行ったかと思うと、やがて建物中の電灯があっという間に光を取り戻し、工場内は外と変わらない昼間のような明かりに包まれた。
「これぐらいでいちいち騒がないで。電気が通ってないなら通せばいいだけでしょ、馬鹿」
……そう言いながらパンパンと両手を払うシフィナに、もう雄弥はいよいよ感心すらしていた。
しかし明るくなったとはいえ、敵の数や位置は分からない。入口からは見渡せる範囲では、視界に動くものは映らない。
シフィナが前を、雄弥が後ろを警戒しながら、2人は慎重に建物の中を進んで行く。
工場内は天井までも数十メートルはあり、彼らが歩を進めるたびに、カツン、カツンとエコーのかかった足音が反響すする。加えて、そこら中の劣化しつくした機械類の数々も、常にミシミシギシギシと鳴き声を上げている。
このようなわざとやっているのかと思いたくなるほどの演出じみた雰囲気は、雄弥の心臓の鼓動を早めるには十分な効果があった。
『ち、ちっくしょう……。汗と……震えが止まらねぇ……。暑いのか寒いのかも分からねぇ……!』
後ろ歩きをしながらシフィナの背中について行っている彼の額には脂汗が滲み、歯はカチカチと音を立てる。
そんな状態で30分ほど歩き続け、建物の中心辺りに近づき始めた時。
雄弥の前を歩くシフィナがいきなり足を止め、それに気づかなかった雄弥と背中同士がぶつかってしまう。
「おわァッ!! ななな、なんだよ急に止まんなよ!!」
とっくに緊張の糸を千切れる寸前まで張り詰めさせていた雄弥は心臓が口からすっ飛びかけたのをギリギリで堪え、半泣きになりそうな勢いで彼女に猛抗議する。
だがシフィナはそれに全く反応しようとしない。前方の一点を凝視したまま瞬きもせずに身体を硬直させている。
その異常な態度を不審に思った雄弥は震え声で彼女に尋ねた。
「お、おい……どうしたんだ……!? まさか……ディモイドか……!?」
「…………違うわ、見て」
そう言ってシフィナは10メートルほど前を指差し、雄弥もそこに眼を向ける。
ーーそこにあるのは、床に対して垂直に設置されている円柱型の大きなガスタンク。
いやそこはどうでもいい。シフィナが指を差しているのはその後ろからはみ出している、床に横たわった状態の人の足……のようなモノである。……なおその足は、黒い作業用スニーカーを履いている。
「……あれ、って……」
「……確認しに行くわよ。周りに用心しなさい」
2人は足音を極力殺しながらガスタンクへと辿り着き、その後ろを覗き込んだ。そこにあったのはーー
……身体中の至るところを無惨に食い千切られ血でどす黒く染まった作業服を着た、男性の遺体であった……。
「うッ!! うぉ……ぇええッ」
そのあまりの酷たらしさに雄弥は強烈な吐き気を催す。
遺体は皮膚のほとんどを毟られて骨や内臓が剥き出しになっており、顔も噛み潰されて誰なのか見分けもつかない。しかし作業服を着ているということは、この者が取り残された2人の男性うちの片割れであることは間違いないだろう。
顔を背けて悶える雄弥に対し、シフィナがしゃがみ込んでその遺体が着ている作業服の胸部分を見てみると……案の定、赤い糸で『アーレン』という刺繍が入れられていた。
「くそッ!! 遅かった……!!」
彼女は悔しそうに歯を食いしばり、拳で地面を叩く。
「な、なぁ……これじゃあもう1人の方だって無事の可能性は限り無く低いぜ……! 早く探さねぇとよ……!」
しかし、なんとか吐くのを耐え抜いた雄弥に後ろからそう言われ、シフィナはゆっくりと立ち上がった。
「……えぇそうね。急ぎまーー」
その時。彼女は突然その金色の眼を見開き、険しい表情を露わにした。
「…………しまった…………ッ!!」
「? どうした?」
「構えなさい新人ッ!! あたしの後ろへッ!!」
ワケも分からずきょとんとする雄弥に、シフィナは怒号を発する。
「は!? 何言ってんだよ!?」
「全然気が付かなかった……!! まさか……ここまで近づかれてたなんて……!!」
「だ、だから何言ってんだ!? さっぱり分かんねぇよ!」
「このボケッ!! 周りを見なさいッ!! あたしたちは……とっくに囲まれていたのよッ!!」」
「え……!?」
シフィナのその台詞に、雄弥は恐る恐る振り返る。
ーー彼の視界に入ったのは、10メートルほどの距離を置いて自分たち2人を取り囲んでいる、体長150センチほどの生物の集団。
「ハルルルルルルルルルル……」
ヨダレをボタボタと垂らしながら荒く息をするその生物たちの数は、8、9匹どころの話ではない。誰がどう見ても30匹は超えている。
四足歩行に鋭い爪。顔の中心のひとつ眼と、頭の上に扇形に並んで付いた4つの耳。そして先端に棘の付いた、長い尻尾。そんな特徴を持つこの生物たちの呼び名はーー
「…………ディ…………ディモイド…………!!」
……雄弥にとっては宮都での交戦以来、実に1年ぶりの再会であった。




