第59話 キンキュージタイ
「んなにィ!? シフィナが帰ってくるぅッ!?」
雄弥が入隊してから2ヶ月が経とうとしている、ある日の真っ昼間。
自室の机に座っているジェセリは、飲み込もうとしたお茶を眼の前にいるタツミに向けて思いっきり吹き出した。
「うわッ! 何すんだよもうッ!」
「ゲェーッホゲホッ!! ちょちょちょちょちょちょっと待てよたっつぁん!! なんでだよ!! あいつの出張は今月末までだろ!? まだ2週間近くも残ってるじゃねーか!!」
「たっつぁんはやめろっつってんだろ!! ……それが、もう仕事は全部終わっちゃったからあっちにいる意味は無い、って」
「ちきしょーなぁんて優秀なヤツなんだ!! さすがだッ!! ……じゃなくて!! いつだ!? あいつはいつ帰ってくるんだ!?」
「…………もうこっちに向かってる、って…………」
「……………………え?」
ジェセリの顔がみるみるうちに蒼白になる。
「…………ウソだよな?」
「ウソのウソだ」
「それじゃウソがひとつ足りなくねぇか?」
「足りないとしたら2つか4つか……」
「ば、ば、ば、バカヤローッ!! ベラベラおしゃべりしてる場合じゃねぇッ!! キンキュージタイだッ!! 警報を鳴らせ!! 非番の連中も招集しろーッ!!」
「……スクランブルドッグ……むにゃむにゃ」
今日の雄弥は非番である。
彼はナゾの寝言を呟きながら、陽が昇り切ってもなおベッドで惰眠を貪れるという社会人にとっての極上の時間に浸っていた。
……しかしそれもここまでだった。
ビビビビビビビビビビビ!!
「どぇ!? なんだ!! なんだぁッ!?」
防犯ブザーを魔改造したような爆音がスピーカーから轟き、雄弥は眼をしょぼらせながらハネ起きる。スピーカーからは続けて男性兵士の声が流れ出す。
『緊急事態発生!! 緊急事態発生!! 兵士諸君は今やってることをなんもかんも放棄し、大魔王の帰還に備えよ!! 繰り返すッ!! 兵士諸君はーー』
「ーーな、なんだって……!? ……大魔王……!?」
雄弥は放送の内容については皆目見当つかなかったもののそのひどく切迫した様子からタダ事とは思えず、大急ぎでパジャマを着替えて支部へと走る。
巨大な門をくぐり、支部の敷地内に入る。すると彼は、正面扉に続く道の途中に建てられている小さな物置小屋にて、ゴミを漁る野良犬のようにその中身をひっくり返しているジェセリを見つけた。
雄弥は事情を把握せんと彼のもとに行く。
「ジェセリーッ!!」
「ん!? おおユウ、いいところに!! お前も手伝ってくれ!!」
「手伝えって……何があったんだ!?」
「今からここに怪物が来る!! それへの対処措置をとるんだ!!」
「怪物!? いよいよ魔狂獣が出やがったのか!?」
「あほッ!! んなモンよりずーっと強くて、ずぅぅ〜〜〜ッとおっかねぇヤツだッ!!」
「……な……な、なに……!?」
それを聞いた雄弥は絶句した。
魔狂獣をも上回るモンスターなど彼には全く想像もつかない。しかし何より、いつものほほんとしているジェセリのこのひどい慌てよう。余程の異常事態であることだけは明白である。
「よ……よく分かんねぇけど、大変なことが起きてるんだな!? 分かった!! 俺にできることなら何でもするぜ!!」
「よく言ったユウッ!! ならコレを持て!!」
「おうッ!! 武器か何かか!?」
ジェセリは物置小屋から何かを引っ張り出すと、それを意気込む雄弥へと押し付けるように手渡した。
……が。
「……………………あの、コレ何?」
雄弥は何? とは聞いたものの、彼が渡されたモノはどう見ても、ただのバケツと1枚の雑巾である。
しかしジェセリはそれを微塵も気にせず、話をたたみかけていく。
「そしたら本棟に向かえ!! 全ての階の全ての床、壁、窓!! 何もかも隅々まで磨き上げるんだ!! チリひとつでも残したら殺されるぞ!!」
「はぁ!? 言ってることがさっぱりーー」
「任せたぜッ!! 俺は自分の部屋の掃除に行くッ!!」
「お、おおい!! ちょっと待てよ!!」
ジェセリは雄弥の台詞をぜーんぶ無視し、モップとほうきとバケツを抱えて突風のように駆けて行ってしまった。
1人ぽつんと取り残された雄弥はしばらく唖然としていたが、やがてある結論を"勝手に"出す。
『!! ま、まさか……生きて帰れるか分からねぇから少しでも身の回りの整理をしておけ、ってコトなのか!? そこまでしなきゃならねぇ相手なのか!? じょ……冗談じゃねぇぞ!! いったい敵はどんなヤツだ!?』
「……え、えぇい考えてもしょーがねぇ!! とりあえず言うことに従うしかねぇッ!!」
ーーそうして雄弥が本棟に行くと、そこではもうとっくに大勢の人たちがてんやわんやの大騒ぎをしていた。
「誰か今すぐ替えのスポンジ300個買って来てーッ!!」」
「おい!! ここの窓を磨いたヤツは誰だッ!? やり直せッ!! こんなんじゃ今日がてめーの命日になるぞ!!」
「ハッハー!! 物置がいっぱいでもう何も入れられないや!! 終わったな〜コレ!! よし、死のう!!」
七転八倒の阿鼻叫喚。眼も当てられない惨状である。
『な、なんなんだよマジで……!! どんだけのバケモンなんだよ……ッ!?』
その地獄同然の空気に当てられ、雄弥も冷や汗をダラダラに流しながら廊下の雑巾掛けを必死に行う。
その約1時間後。
ゴーンゴーンと、今度は鐘のような音がスピーカーから流れ出した。
「や、やっべぇッ!! 到着したぞッ!!」
「作業はそこまでだッ!! 1、2、3班は掃除用具を片付けろ!! 残りは全員1階正面扉前に集まれェェッ!!」
それを聞いた第7駐屯支部兵士たちはいよいよ半狂乱になり、用具を戻しに行った者たち以外の全員が、1階に向かってドカドカと階段を駆け降りて行く。
それについて行った雄弥の眼に飛び込んできたのは、本棟正面扉の前の廊下、その両側の壁際に気をつけの姿勢でズラーッと整列している何十人もの兵士たちだった。まるで、今から誰かを迎え入れようとしているように……。
雄弥はワケが分からないまでも空気を読み、その列に混ざった。
「開扉ーーーッ!!」
すると誰かの号令で、両開きの正面扉が開放される。それと同時にーー
「おかえりなさいシフィナ・ソニラ副長ッ!! 出張お疲れ様でしたーッ!!」
状況に1ミリもついていけていない雄弥を除き、並んだ兵士たち全員が腹底から全ての空気を搾り出して声を上げた。
…………開いた扉の外に立っていたのは、煌めく長い銀髪をそよ風に靡かせながら腕組みをして仁王立ちする、1人の長身女性。
彼女は切れ長の細い瞼から黄金の瞳を、そしてさらにその中から野獣の如き威圧感を覗かせながらーー
「……ただいま」
静かに一言、そう返した。




