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第58話 兵士の日常




 ジリリリリリリ!!



 兵士の朝は早い!

 早朝5時。男性兵士寮の各部屋に設置されているスピーカーから、起床ベルの音とーー


『起きろぉ〜寝ぼすけども〜! あと3秒で起きなきゃディープキスしに行くぞ〜!』


 若き女性寮長リラ・ロデモの、どこか気怠(けだる)そうな低めの声が響き渡る。それと同時に全員がベッドからはね起き、ジャージに着替える……。


 そしてすぐさま自分の部屋を出る! ダッシュで寮の外、正門前に集合! 整列! 点呼! そのまま寮生全員で、ランニング10キロ! コースは街をぐるーっと! 

 どれだけ眠くても手は抜けない! 1番遅かった者には、寝る前に寮中のトイレを掃除しなければならないというペナルティが待っているのだ!


 速い者で40分足らず、50分もあればほぼ全員難無く完走する。だが当然、そうならないヤツもいるわけで……。


「へ〜い新人! またビリだな!」


「最初に比べりゃついて来れるようにゃなってるが、まだまだ甘いぜ! 気合いが足りねぇぞ!」


「んじゃ、今日もお前がペナな。さぼんじゃねーぞー」



「は……はひぃ〜……」



 先輩どもの煽りに対し情けない返事をするのは、菜藻瀬雄弥(なもせゆうや)! もちろん最下位はコイツである! しかも入寮してからずーっと! 30日連続で!


 その後全員でシャワーを浴び、男女共用の食堂で朝食! 食べ終わったら30分で身支度を済ませる! 


 そして8時! いよいよ出勤! 勤務時間は昼休み込みで17時まで! 

 当然、入ってまだ1ヶ月の雄弥はムッチャクチャにこき使われる!


「お〜い新人、この書類を区議会に送ってくれ〜」


「分かりました!」


「新人くん。この800枚の報告書を、項目別に分類してファイリングしてくれたまえ」


「ショーチしました!」


「しんじィん! 黒のインクのストックが切れた! 買って来いッ!」


「はァい、ただいま!」


 新人に休むヒマなど無い! 逆らう権利などもっと無い! やれと言われりゃ『はい』と言い、一目散に駆け回る! 遅れりゃゲンコツか怒鳴(どな)り声!


 やがて17時! 勤務()終了! やっと休める……ワケが無い! 


 今度は基地の練兵場で、戦闘訓練! ()ったり、()げたり、(なぐ)ったり! 20時までの生き地獄!

 

 寮に戻り、みんなで夕食! 間髪入れずにお風呂に直行! そして……ようやく自由時間〜。 


 ……が、雄弥だけは違う! お待ちかねのトイレ掃除! 各階ふたつ、6階分! 便器だけでも96個! 永遠(とわ)(とお)のくフリーダム!


 23時! 消灯時間! 守らぬ者にはまた、寮長からのディープキス!

 雄弥は別! なぜかって!? トイレ掃除が終わってないッ!


 午前1時! ようやく終了! ベッドに倒れ、即気絶! 睡眠はたったの4時間だけ!


 キビシ過ぎる!? しょーがない! だってここは軍だもの! 




 ーーこのように雄弥は、文字通り眼の回る忙しい毎日を送っていた。


 そんな中の、ある日の昼。

 昼休みを終えた雄弥のもとに、1人の女性兵士がやって来た。


「新人くぅん。これ、ジェスに渡してもらえるぅ? 今日中に眼ぇ通しといてって言っといて〜」


 彼女がそう言って雄弥に手渡したのは、暑さ5センチはあろうかという分厚い資料の束。


「あ……分かりやした〜……」


「お願いねぇ〜」


 眼の下のクマ、げっそりした頬。まだ1日の半分、なんなら訓練を含めるとそこまですら終わっていないが、雄弥はすでに生きた屍である。フラフラの足取りであっちにこっちに頭をぶつけながら、やっとの思いで支部長室に辿り着く。

 

「ジェセリ〜……見といてほしい書類がーー」


 ノックと同時に部屋に入り、ガッサガサの声でそう言った雄弥の眼に飛び込んできたのは……。

 


「キャッ!?」


「なあッ!?」

 

 ……半裸状態でソファに寝転ぶ女性と、その上に覆いかぶさろうとするジェセリだった。



「え、あ。あ、あはあは。お……お邪魔しました〜……」


「あ、ちょ!? 待ってよリンちゃーんッ!!」


 引き止めようとするジェセリの声を無視し、女性は乱れた服を直しつつ雄弥の横を気まずそうにそそくさと通り、退散して行った。


 雄弥はしばらく固まっていたが、やがてその身体をワナワナと震わせーー



「こんのッ……万年発情期がァアーーーッ!!」



 持ってきた書類を、床に思いっきり叩きつけた。


「ヒトが汗水流して必死に働いてるって時に何してんだてめぇはよーッ!!」


「バカ!! 俺だって今から汗水垂らそうとしてたんだよ!! こんの野郎、よくもジャマしてくれたな!!」


「汗水のイミがちげーだろ!! そんなモン仕事が終わってからベッドの上でいくらでも流しやがれッ!!」


「しょーがねーじゃん!! 俺を待ってるハニーたちはそれこそ無限にいるんだ!! 仕事なんかしてるヒマはねぇの!! ベッドに移動するヒマもねぇのッ!!」


「トップのてめぇがんなこと言ってんじゃねーッ!! ハジ知らずの性欲モンスターめェエッ!!」


 ちなみに雄弥がこの部屋で同じような光景に出くわしたのは、今回ですでに5度目。……怒るのも無理はないような……。


「……やれやれ。ずーいぶん荒れてんな、ユウ」


「8割はてめーのせいだよ! それに大体ッ、俺は戦闘員じゃねぇのか? なのにこの1ヶ月間、雑用、訓練、雑用、訓練、雑用、雑用、訓練、訓練……そればっかりじゃねーか!」


「そりゃそーだ。魔狂獣(ゲブ・ベスディア)だって毎日現れるわけじゃねーし。それに憲征軍は人手不足なんだ。役割とか関係無く、みんながやれることをやれるだけやらなきゃ回していけねぇんだよ。な? 分かるだろ?」


「分かんねーよ!! なーにが人手不足だッ!! 自分の胸に手ェ当ててみろ!! 仕事サボってところ構わずイチャコラチュッチュしてるヤツに言われたかねーよ!!」


「へーだ!! 俺は支部長だからいいんですーッ!! 1番エラいからいいんですぅ〜!!」


「えぇいドちくしょうめ、なんてオーボーな野郎だッ!!」


 トップがこの有様なのだ。雄弥がヘトヘトになるのも当然である。むしろ異常なのは、こーんな支部長に対してなんの糾弾(きゅうだん)もしない他のヤツらだ。



 ……が、他の兵士たちがジェセリに対してなんの不満も見せないのは、れっきとした理由があった。



「で、なんだ? 俺に用があったんじゃねぇの?」


「あ? あ、ああ……アンタにこれを渡してって言われたんだよ。今日中に見といてくれってさ。ほらよ」


 怒鳴り過ぎてぜぇぜぇと息を切らす雄弥は床の書類を拾い、彼に手渡す。


「おお、(わり)ぃなわざわざ」


 ジェセリは(ひも)で閉じられた冊子型の書類を受け取ると……突然、真面目な表情になる。そしてすぐさまそのページを、ものすごいスピードでパラパラとめくり始めた。

 紙1枚につき1秒も眼を通してはいない。しかし彼の眼球は、(まばた)きもせずにぎょろぎょろと各ページの文字を追っていく。やがて2分もかからないうちに書類をパタンと閉じーー

 

「はいよ。覚えた」



 ……まぁ……こういうことである。

 


「……だからてめぇはムカつくんだ、マジで」


「んあ? なんて?」


「なんでもねぇッ! 俺、戻るッ!」


「おお、午後も頑張れよ〜ん」


「フーンだッ!」


 拗ねきった雄弥は戸を乱暴に蹴っ飛ばして開け、支部長室から出て行った。




 ーー時刻は変わり、その日の23時半。


「ぶへぇ〜……あと……16コか……。……今日は0時半には寝れそうだな……」


 雄弥は今日も今日とて夜のトイレ掃除に勤しんでいた。

 ちなみに非番の日以外毎日行われる戦闘訓練によって彼の全身は痛々しい生傷でびっしりと覆われており、もともと刻まれていた古傷の痕も合わさってその有様はハタから見れば奴隷も同然だった。あんまりといえばあんまりな姿である。



「はぁいナモセくん。精が出るね」



 そんな彼に、後ろから声がかけられた。女性の声だ。


「! リラさん……! お疲れ様です」


 振り返った雄弥は手を止め、声の主に軽く頭を下げる。



 兵士寮の(おさ)、リラ・ロデモ。外見年齢30歳前後の、細身の女性。

 鮮やかな青色のロングヘアーを1本の三つ編みにし、茶色のタレ眼には(ふち)の無い丸メガネをかけている。身長は雄弥とほぼ同じ。上下一体型の黒いロングスカートの上に真っ白なエプロンをしており、いかにもお手伝いさんといった風貌だ。

 彼女は基本ずっと無表情ののんびり屋、しかしそれでいてなかなかフランクな人物であった。



「おつかれ〜。今日もビリだったんだね。うちのトイレ掃除はもうキミの固定みたいになっちゃってる」


 リラは女性にしてはやや低めのその声で、真顔のまま彼に語りかける。


「じょ、ジョーダンじゃねぇ! 明日こそはドベを脱して、この無限地獄からおさらばしてやるッ!」


「ほほぉ、言ったな? 楽しみにしておこう」


 ……まだ真顔である。


「ぜ、ぜってぇできるって思ってねぇなアンタ……。ちっくしょうめ、見てろよ……!」


 雄弥はヤケクソになりながらデッキブラシを床に擦りまくる。


「……にしてもさぁ、キミ、スゴイよねぇ」


 急にリラの声が、しみじみとしたものになった。


「え? なんすかいきなり」


「こんなキッツい生活に1ヶ月も耐えるなんてさ。少し前にキミと似たような境遇の子がいたけど、彼は2週間で逃げ出したな。まぁ私に言わせれば、彼もよく頑張った方だと思うんだけどね……だからキミは尚更。根性あるよ、キミ」


「へん! そーんなご立派なモンじゃねぇですよ! 俺は他に行くところもねぇし、やりたいことも、できることもねぇ。だからここにしがみつくしかねぇってだけです。……ダッセぇ話ですけどねッ!」


「……そか。そっかそっかぁ」


 それを聞いたリラは顔をゆっくりと緩ませ、嬉しそうに微笑んだ。


「ーーよ〜し、今日はもう寝なさい。あとはこの私が代わってあげよ〜う」


「は!? い、いや悪いっすよそんなの。それにこれはペナルティであって、俺が自分でやらなきゃ意味が……」


「か〜たいこと言わないの。キミの本業は兵士なんだから、たまにはちゃーんと休んでおかなきゃそのうち本当に倒れちゃうよ? ここはいいからとっととおねむしちゃいなさい。1ヶ月頑張ったごほーび……みたいな? ほ〜ら、よこしなさい」


 リラは雄弥からデッキブラシをひょいと取り上げる。


「……ま、マジですか?」


「マジよマジマジ〜大マジよ」


「あ、ありがとう……! リラさん……!」


「どーいたしまして。おやすみ〜」


「おやすみなさい!」

 


 リラに挨拶をした雄弥は自室に戻り、ベッドにボスンと音を立てて寝転んだ。

 身体はヘトヘト、眼はチカチカ、頭は何やらボーッとしている。それでも。



 ーー自分の頑張りを、誰かが見てくれている。



 彼にとってこれ以上の幸福は……。


「……よぉしッ! 明日もやってやるぜちくしょーッ!」


 雄弥は自身の両頬をばちんと叩き、改めて気合を入れ直したのだった。


 


 ちなみに翌日の早朝ランニングはやっぱりビリでした。







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