第56話 可哀想なマヌケ
「うゔぇッ、ゴホゴホッ! ち、ちっくしょーめ! ここはどこだ! 前はどっちだ! バツ印なんてどこにあるんだーッ!」
雄弥は咳き込みながら、ホコリまみれのダクトの中を匍匐で進んで行く。どこもかしこも真っ暗であり、ライターの火の明かりでやっと1メートル先が見えている状況だ。
おまけにダクトの中は入り組み過ぎて完全に迷路であり、彼は行って戻ってまた行ってを散々繰り返して疲労とイライラがピークに達している。
そんなふうにあっちだこっちだを30分以上も続けた末に、彼はようやくお目当ての換気口を見つけた。
「!! あ、あった! 赤いバツ印!」
その換気口には確かにペンキのようなものででっかいバツが塗りたくられており、網状の換気口の蓋からは下の部屋の灯りがうっすらと漏れ出てきていた。
雄弥が早速蓋を開けて下を覗き込むと、そこはーー
……真っ白だった。
『!? なんだなんだ、何も見えねぇじゃねぇか!』
霧のような、靄のような。とにかくかなり濃い水蒸気が視界を完全に遮っている。下の部屋の様子どころか、10センチ先すら見渡せない。
だが、はっきりと人の声がする。何やら楽しげな……女性の声。それも1人や2人ではなく、最低でも10人以上はいそうだ。
『声が反響してるな……かなり広い部屋みてぇだ。床からこの天井までも結構な高さがありそうだぜ』
雄弥は視界以外からの情報を整理する。
だがそんなことがいくら分かったところで、今のままでは部屋の中を写真に収めることなどできはしない。
『来るまでに時間を使い過ぎたな……。ジェセリは時間制限については何も言ってなかったけど、かかり過ぎて良いワケはねぇよな。……ちッ、しょーがねぇ! やるしかねぇか!』
「はぁあ……ッ!」
すると雄弥は右手の人差し指の先端に、青白い魔力の粒を発生させた。
それは、至近距離でよっぽど眼を凝らさねば見失ってしまうほどに小さい。米粒よりも、ゴマよりも、ずーっと小さい。
『"破壊力"は必要ねぇ……ただ霧を一瞬散らすだけの、軽い衝撃があればいい……!』
彼はそのままそれを、換気口から下に向けて撃ち出した。
ぽん、という柔らかい音とともに換気口の周りの霧が離散し、下の部屋の様子が露わになる。
『よしッ! 霧が戻る前にッ!』
雄弥はすかさずそこにカメラを構え、シャッターに指を添えた。
……そこで。
「…………………………………………え?」
パシャリ。
カメラの覗き穴から下の光景を眼の当たりにした彼は絶句。無意識のうちにシャッターを押したことに気がつかなかったほどに茫然自失になった。
床と壁一面のタイル。耳障りの良い、水の滴る音。プールかと思うくらいの大きな湯船。そして何より、全身の素肌を露出しながら、歩き回ったり談笑したりしている女性たちーー
……下の部屋は、大浴場だった。
雄弥は反射的に換気口から顔を引っ込め、瞬きも忘れて凍りつく。
…………いや、いやいやいやいやいや。どーいう状況だコレ。え、なに、風呂場? それもなんか……見た感じ女しかいなかった……よーな……気がする……。
ーー女風呂ッ!? ここは……女風呂の天井か!? そういうことなのかッ!?
ちょちょちょちょちょちょっと待て!! 俺、何をした!? たったさっきに何をした!?
覗いた。女風呂を。
……写真に撮った!! 女風呂をッ!!
どどどどどどどどどーしようッ!? 犯罪者だ!! 18歳っつー若さで前科者になっちまった!! しかもよりによって盗撮なんつークソダセぇ罪状でッ!!
冗談じゃねぇぞ、何のために2年間も頑張ってきたんだ!? 人生の新ステージがブタ箱からだなんてあんまりだ!! ユリンに会わす顔も無ぇッ!!
…………つーか、そもそもなんで俺はこんなところにいるんだっけ?
…………そうだ、ジェセリの指示だ。あの人がここに行けって言ったんだ。あの人が、ここの写真を撮れと言ったんだ。
ーーいや、なんで!?
こんなことに何の意味があるってんだ、いったい何のためなんだ!? 入隊試験なんだとしたら余計にイミが分からねぇぞ!!
…………い、いや待て。それが分からねぇのは……単に俺がバカだからじゃないのか!?
そーだ、そうに決まってる!! 仮にも軍隊の一組織の頂点に立つ男が、意味の無ぇことをさせるはずがねぇ。この一見ただのお下劣カス野郎にしか見えねぇ行為も、何か考えがあってのことなんだ。俺なんかが思いつかねぇような深ぁい考えが!! そうだそうだ、ごちゃごちゃ首を突っ込むことじゃねぇ……。
そ、そうとすりゃとっとと帰ろう……!! 意味があるにしろねぇにしろ見つかっちまえば、就職早々俺の社会的地位はどん底に落ちるッ!!
半ば無理矢理に結論づけた雄弥は慌てて換気口の蓋を閉め、もと来た道に戻ろうと身体の向きをモゾモゾと反転させる。
「ーーん?」
向き直ったところで、彼は自分の眼の前に小さな黒い塊があることに気がついた。それは何やらかすかに動いてるようにも見える。
「な、なんだ……?」
彼はライターを点火し、その塊に明かりを灯す。……そこにいたのは。
「ちゅう?」
ーー雄弥の顔が、一気に青ざめていく。
耳が頭のてっぺんにひとつしかない、全身黒みがかった灰色の、前歯の出っ張った小動物。多少の外見的差異はあれど、その姿形は完全にーー
「もぎゃーーーッ!! ネズミーーーッ!!」
雄弥はたちまち大絶叫。狭い空間の中でじたばたと暴れ回り、頭だの肘だのを壁にガンガンぶつけてしまう。
……ここがどこで、自分が今何をしているのかも忘れて。
「!? ちょっと何今の声!?」
「天井に誰かいるわッ!! 覗きよ覗きッ!!」
とーぜん即バレた。浴室の女性たち全員が天井を見上げ、口々に叫び出す。
「ジェスぅッ!! またアンタかぁあッ!!」
そのうちの1人が青い魔力を纏わせた両手で湯船のお湯に触れ、巨大な水柱を発生させる。
水柱はとんでもない勢いで上昇すると、天井に直撃。そこに固定されていたダクトパイプをバラバラにして叩き落とした。
「へッ!? のわぁああああああッ!!」
中にいた雄弥もパイプもろとも引きずり降ろされ、そのまま真下にあった湯船の中に大きな飛沫を上げて転落してしまう。
「ぶはァッ!! ゲェーッホゲホゲホッ!!」
彼は慌てて水面から飛び出すも、気管という気管にお湯が入りまくったせいでめちゃくちゃに咳き込む。
そんな彼の顔を見たその場の女性たちは、皆眼を丸くしてひどく驚いていた。
「……え? ジェス……じゃ、ない!? 誰よコイツ!?」
「ウソ、外部からの侵入者よ!! 早く取り押さえてッ!!」
誰かの号令で、身体にバスタオルを巻いた大勢の女性たちは彼を湯船から引っ張り出して床に組み伏せる。
「いででででででッ!! 許して!! 許してーッ!! 知らなかったんだよーーーッ!!」
「知らないでする覗きって何よ!? 言い訳ヘタかアンタッ!!」
腕を固められたり馬乗りにされたり頭を押さえつけられたりと、雄弥の有様はまるで蟻に群がられたエサである。
そんなはちゃめちゃな状況の最中。
「ーーあれ? ユウさん?」
ものすご〜く知っている声が聞こえてきた。雄弥が恐る恐る顔を上げるとーー
……眼の前に、その身に一糸も纏わずに滴に濡れた美しい肢体を晒している、ユリンが立っていた。
『……………………詰んだなコレ』
ユリンからの信用までもがパーになることが決定的になった雄弥は絶望。白眼を剥いて石化してしまった。
「なんであなたがここにいるんですか? ……おーい、ユウさん聞こえます? あなた、女性兵士寮のお風呂場で何してるんですか」
「じょじょじょ……じょせー……へーしりょー……!?」
今のを分かりやすく言えば、ここはおまわりさんちのど真ん中です、ということだ。
石化した雄弥の顔にヒビまで入る。
「なぁにユリンちゃん、この変態野郎あなたの知り合いなの?」
「!! ちちちちちち違うッ、俺は変態じゃない!! ジェセリのカメラはダクトに写真を風呂場でネズミが落っこちただけなんだーーーッ!!」
ユリンの後ろから口を出してきた女性兵士のその言葉に、雄弥は動転しまくりながらも必死に弁解する。
「……ハァ、なるほど……。それはユウさん、まんまと利用されましたね」
それを聞いたユリンは呆れたと言わんばかりにため息をつく。
「……え? ユリンちゃん今ので分かったの?」
「はい? 何がです?」
「……」
「みんな、彼を許してあげてください。この人はあの"煩悩の化身"に嵌められたんです。ユウさんは覗きなんてしょーもないことをするほどバカじゃありません」
「え、そうなの!? あーの変態王子め! また新しいやり方を考えたってワケね!?」
「もう……口を閉じて何もしなければ、いい男なのにねぇ……」
「悪かったわねボウヤ。寮長に見つからないうちに早くお逃げなさいな」
妙にトゲがある言い方ではあったもののユリンのその言葉を聞いた女性兵士たちは全員納得したらしく、雄弥をあっさりと解放してぞろぞろと浴室から出ていった。
「……あ……あれ……? た……たす……助かった……のか……?」
「大丈夫? 災難でしたねユウさん」
状況に追いつけず放心しっぱなしの彼を、ユリンは手を貸して起き上がらせる。
「そっちの奥に裏口がありますから、そこから帰れますよ」
「あ、ああ……ありがとう……。……ん?」
そこで、雄弥はあることに気がついた。
『……そういや……カメラどこいった?』
ジェセリに渡されたカメラが無いのだ。
周りを見渡してみても見当たらない。湯船の中に落ちてもいない。しかし色々ありすぎてヘトヘトに疲れ果てた雄弥には、もうそんなものに構うだけの体力は無かった。
『……いいやもう知らね。どうせさっきの女の人たちが回収してったんだろ。忘れよ』
「どうしたの? どこか痛みます?」
そんなことを考えていた彼の顔を、ユリンが下から覗き込んできた。
「いやなんでもねぇよ。……と、ところでユリン……。その〜なんつーか……今の俺が言うのは、ヒジョーに的外れなんだけども……」
「? なんですか?」
「……あの……せめて前くらい……隠せよ……」
……さっきからユリンは自身の身体にタオルすら巻かず、片手を腰に当ててずーっと仁王立ちしているのだ。
雄弥は顔を真っ赤にして気まずそうにそれを指摘するが、彼女は恥じらうどころか逆にクスクスと笑いながら、彼との距離を詰めてきたのである。
「あ〜ら、2年間もひとつ屋根の下で一緒に暮らしてきた相手に、今さら恥ずかしがることなんかないでしょう?」
ユリンはニマニマしながらそんなことを言う。
彼女の白く艶やかな肌による視覚的刺激によって、ただでさえ色々ありすぎてとっくにパンク寸前だった雄弥の思考回路はいよいよ限界に達しーー
「いィィィィ加減にしろォォォォォォーーーッ!! もうウンザリだ、もうたくさんだァァァーーーッ!!」
そのまま彼は半泣きになりながら、一目散に逃げていってしまった。
「…………さぁて…………あの憲征軍の恥さらしに、お仕置きしに行かなくっちゃ…………」
……もはや小悪魔ではなくただの悪魔。
誰もいなくなった大浴場の中で、ユリンは見ている者がいれば間違いなくそう感じるであろう怖〜い笑みを浮かべた。
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