第54話 第7駐屯支部
「ほ〜らユウさん! はやく〜!」
「ええい急かすないッ! こっちゃもう足腰ガッタガタなんだよッ!」
ゼルネア地区を出てから4日目。雄弥とユリンは、ヒニケ地区へと到着した。
軽やかな足取りでせかせかと進むユリンに対し、雄弥は三日三晩のペナルティパラダイスによるハイパー筋肉痛の影響で生まれたての子鹿のような内股の歩き方をしている。
ヒニケ地区は辺境地なだけあって、その栄え具合は宮都とは比較にもならない。駅の周りだけなら都会の飲屋街のようち煌びやかではあるが、そこから少し離れてしまえばあとは畑と田んぼと小さな商店街のみ。
……だが、空気が澄んでいる。鳥がさえずり、風が歌い、のどかな空間が続いている。
「……いいところだな」
「ふふ、でしょう?」
雄弥も思わずぽつりと呟き、ユリンはその反応に嬉しそうな笑顔を返す。
そうして歩いていくうちに、彼らの眼の前にどでかい施設が現れた。
たった今まで噛み締めてきたゆったりとした雰囲気を一気にぶち壊すほどの、仰々しい巨大な板門。
端から端までが見渡せないほど長く続く、白く高い壁。
そしてその壁の上からはみ出して見えている、これまたビルのように高い建物……。
「さ、着きましたよ。憲征軍第七駐屯支部ヒニケ本部。ここが、これからのあなたの職場です」
ユリンのその言葉は、口をあんぐりと開けて固まっている雄弥の耳には入らなかった。
さすがに総本部の要塞のような施設ほどではないが、それにしたってデカすぎる。彼がそうなるのも無理はない。
「あらあら、ガラにもないですね? そ〜んなガチガチに緊張しちゃって」
ユリンがくすりと笑ったところで、彼はようやく気を戻した。
「あ、アホ言え! ガチガチなのは筋肉痛のせいだッ!」
「はいはい、ならよかった。ーーじゃ、行きましょうか」
すると彼女は手慣れた様子で巨大な門の傍にあるくぐり戸を開けて中に入り、雄弥も慌ててそれに続いた。
* * *
施設の中はやはりだだっ広い。門から本棟の間だけでも100メートル以上も離れており、そこまでは木の1本も無い庭が広がっている。
どこか遠くから、たくさんの野太い掛け声が聞こえてくる。剣でも振っているかのような気合の満ちた声。訓練中の兵士たちだろう。
本棟も当然デカい。雄弥は中学校の修学旅行で見学した国会議事堂を思い出した。
「入るのは……こっからでいいのか?」
2人は、分厚くゴツゴツした本棟正面扉の前に到着する。
「はい。重いので気をつけて」
「ああ。よ……いせッ」
が、彼がそこを開けた瞬間ーー
「いッ!?」
中から真っ青な顔をしたメガネの男が、ぐらりと雄弥に倒れ込んできたのである。
「だーーーッ!! なに、なに!? ゾンビーーーッ!!」
大パニックになった雄弥は思わずその男を蹴っ飛ばそうとする。
しかし振り上げたその脚は、ユリンに掴まれ阻止された。
「大丈夫ですか? たっつぁん」
彼女はそのまま、その顔色の悪い男に話しかける。
すると、"たっつぁん"と呼ばれた男はそれに身体をぴくりと反応させーー
「おいッ!! その呼び方はやめろと何度言えばーー」
突然キレだし、ズレたメガネを直しながら勢いよく顔を上げる。
しかしメガネが掛け直った瞬間、彼は再び硬直した。
「……ユリン?」
「お久しぶりです。すごいクマですね。ちゃんと寝れてるんですか?」
「ユリン! ユリンじゃないか!」
眼の前にいる者が誰なのかを把握した"たっつぁん"は、つい先ほどまでのボロボロな様子が嘘であったかのようにパッと明るくなり、怒りもどこかにすっ飛ばした。
……ついでに今の今まで自分が体重を預けていた雄弥をまるで眼中に無いように、脇にぶっ飛ばした。
「ぱえッ!?」
雄弥はびたーんと音を立てて地面に倒れてしまう。
「いや〜久しぶりだな! 元気だったか!? 随分と到着が遅かったんじゃないか!?」
「ええ、元気ですよ。遅れてすみません。とぉ〜っても大切な"補習"をしてたもので」
ユリンはそう言いながら倒れている雄弥を横眼で意地悪そう見つめ、 雄弥は気まずそうに視線を逸らす。
「ん? じゃあ後ろの彼が、きみが鍛えた新人くんかい?」
「はい。戦闘技術そのものはまだまだ荒削りですが、ガッツはなかなかですよ」
「そうか〜そりゃ楽しみだ」
そう言いながら"たっつぁん"は雄弥へと歩み寄り、右手を差し出して握手を求める。
「第7駐屯支部副長補佐、タツミ・アルノーだ」
「あ、ゆ、ユウヤ・ナモセです! これから世話んなります! よろしくお願いしますッ! あと蹴ろうとしてすいませんッ!」
「うん! よろしくね」
緊張でガチガチになりながら手を握り返した雄弥に、たっつぁんーーもといタツミは、爽やかな笑顔を向ける。
桃色の直毛、茶色の眼、童顔、身長160弱の、全体的に細めの男性。その穏やかな雰囲気はどこかユリンにも似ている。
現に雄弥は彼と握手を交わしただけで、自身の緊張が和らいだのを感じていた。
「ねぇタツミ、シーナはどこですか?」
そんな中、ユリンは若干そわそわしながらしきりに周りを見渡している。
「ああ、あいつなら第14駐屯基地に出張中だよ」
「え!! いないのッ!?」
「そーなんだよ。だからそこだけはタイミングが悪かったなぁ」
「そんな!! 会えるの楽しみにしてたのに〜ッ!!」
「シフィナのヤツも、なんでこのタイミングで出張なんだ、ってずーっとボヤいてたよ。まぁ来月の頭には帰ってくる予定だから、それまで待つんだね」
「う〜……」
ユリンは雄弥がこれまで見たことないほどに、あからさまにしょげた様子を見せる。
「じゃ、僕はまだ仕事が残ってるからこれで。ジェスは自室にいるよ」
「はい、ありがとうたっつぁん」
「だからその呼び方はやめてくれッ!」
ちょっぴりいたずらっぽく微笑むユリンにそうツッコむと、タツミは去って行った。
「……ジェス……さん?」
彼が述べた人名に、雄弥は首を傾げる。
「ええ。"ジェセリ・トレーソン"。ここの支部長です」
「! 支部長!? つまり……1番エラい人ってことか!」
「……まぁ……役職的にはともかく、人物的に偉いかどうかと聞かれるとちょっと……う〜ん、って感じなんですけど……」
「は? なんだよそりゃ。どんな人なんだ?」
「ただの変態です」
彼のその問いかけに対して、ユリンは真顔で返す。
「え、なに? へん?」
「さ、行きましょユウさん」
雄弥の疑問符はそっちのけで、彼女はさっさと建物に入つて廊下を歩いていった。
「おお、ユリン! やぁっと来たな〜!」
「ユリンちゃん、久しぶり! 新発売のお菓子があるからあとで食べよ!」
「待ってたわよユリ〜ンッ! 今日は朝までおしゃべりするわよ〜ッ!」
廊下を進む先々ですれ違う人たち全員が、ユリンに対して次々と声をかけてくる。その様子から、皆彼女とはかなり親しいようだ。
雄弥は彼女の背中に隠れるようにコソコソと付いていく。
「あ、ここですここ」
やがて彼らは、廊下のつきあたりの部屋の前に辿り着いた。
そこの扉は他の部屋と比較するとひと回りほど大きく、表面いっぱいに大量の装飾が付けられている。
「ジェス〜、入りますよ〜」
ユリンはそれをコンコンと叩き、開いた。
部屋の中に窓は1枚だけだが、陽当たりがとてもいい。窓のすぐそばに大きな机と椅子、その前には応接用と思われるソファが2組と小さなテーブルがひとつ設置されている。
壁には何枚ものワケの分からない絵画がぶら下げられ、その下には彫刻や観賞用の刀剣が飾られてある。
……そして部屋のど真ん中で、金髪の男と、茶髪で化粧の濃いグラマラスな美女が、立ったまま抱き合っていた。
「ーーようユリン。……お帰り」
そう言ったのは、男の方。
『……ん? ……"お帰り"……って……?』
「……ジェス……あなたこんな真っ昼間から何をしてるんですか……」
雄弥が男の台詞に引っかかるのも束の間、ユリンはげんなりとした顔をする。
しかし金髪の男はそんな彼女を無視し、たった今抱き合っている相手の女性に対して扇情的な息遣いで語り出した。
「ごめんよミランダ、急な用ができちまった。続きはまた今度でもいいかい……?」
「えぇ〜!? またお預けなんて冗談じゃないわ! ここまでどれだけ待ったと思ってるの!? 半年よ半年ッ! 私、もう我慢の限界なのッ!」
「頼むよ。あと1週間待ってくれたら……俺はまる1日、キミのだけものになってあげるぜ……?」
「!! え……ッ?」
「どこへ行こうか……? どこでもいい……1皿10万マル以上の高級料理店か……貸切の豪華客船で2人きりのクルーズか……それとも……俺のうちで、静かに互いを温め合うか……」
「あ、あなたの……家……ッ!? ほ、ほ、ほんと……ッ?」
「俺がウソをついたことは……?」
「な、無いわ……」
「なら……信じてくれるね……?」
「…………はいぃ…………」
真っ赤なノースリーブのキャバドレスという艶かしさ全開の服に身を包んだ女性の表情が、たちまちとろーんと溶けていく。
「ありがとう……。そんな優しいキミには……きちんとお礼をしなきゃあな……」
「ジェスぅ〜……」
完全に2人きりの世界に入りこんだ彼らは、眼を閉じて互いの唇を近づけていく。
……が、こんな状況では、ほったらかしにされる方はたまったもんじゃない。
「いぃ〜つぅ〜まぁあ〜でぇええ〜」
ユリンは部屋の中に置いてあったポールハンガーを握って思いっきり振りかぶり、それを男の後頭部に向けてフルスイングした。
「やぁってるんですかぁああアアアッ!!」
「ぽげぇえええッ!!」
男は殴り飛ばされ、壁に顔面から激突。きゅう、と音を立てて伸びてしまった。
「きゃーーーッ!! ジェスーーーッ!!」
「あなたはさっさと帰ってくださいッ!! ここは関係者以外立ち入り禁止ですッ!!」
「は、はいッ!! はいーーーッ!!」
女性はびっくり仰天する間も無く、ユリンの迫力に弾き飛ばされるように一目散に逃げて行った。
「ジェスッ!! あなたも少しは人眼をはばかりなさい!! 見てるこっちはアタマ痛くてしょーがないんですよッ!!」
「な、なに言ってんだ……。わざわざドア開けて入って来たのは……おめーじゃねーかよぉ〜……。……あと……アタマは俺も痛いなぁ……」
金髪の男は床に倒れたまま、ヘロヘロの声で返答する。
「だからこの場合は、ドアを開けた瞬間にやめろと言っているんですッ!! ほらさっさと立って!! 新人の前でいつまでだらしない姿を晒すつもりですか!! ちゃんとアイサツしてくださいッ!!」
「え、新人……!? ーーげ、そいつがそうなのか!? ばっきゃろ早く言えッ! 俺ちょーカッコ悪いじゃねぇかッ!」
彼女の喝によって、金髪の男は慌てて立ち上がる。
外見から察するに歳は雄弥より少し上程度。金髪をオールバックにした、紫色の瞳の青年。
そんな彼は、雄弥に向き直ってにかりと笑う。
「だ、第7駐屯支部長、ジェセリ・トレーソン! この俺が今日からおめーのボスだ! よろしく頼むぜ〜!」
雄弥は死んだ眼をしながら思った。
……帰ろ。




