第52話 2年の収穫
「ぐ……あ、あのメスガキ……!! 絶対許さねぇぞ……!!」
横顔を蹴り飛ばされ列車外に叩き出されたレイドは、赤く腫れ上がった左頬を押さえながら、食いしばった歯をぎりぎりと鳴らす。
その時レイドは、自身に向けてゆっくりと近づいて来る、草を踏み分ける足音を聞いた。
顔を上げたそこにいたのは、白シャツ姿になった雄弥。
「……あ? てめぇ1人でやろうってのか? この俺と……?」
「おーよ。なんだ、文句あっか?」
雄弥はすました様子であっけらかんと答える。
「……バカが……。ギレンごときに手こずったカスが俺の相手になるわけがねぇだろうが……。カッコつけねぇで、あのユリンとかいう女のガキも連れて来い。2匹まとめて始末してやる……!」
レイドの言い分はもっともである。実力どうこう以前に、歩いて来る雄弥はすでに全身アザだらけの疲労困憊状態。誰がどう見たって満足に戦えるコンディションではない。しかしーー
「バカはてめぇだこの野郎。てめぇみてぇなヤツ、わざわざユリンが相手する必要は無え。俺だけで我慢しやがれ」
本心か、はたまた口先だけの虚勢なのか。雄弥の態度は依然やたらとでかい。
そして嘘だろうが真だろうが、この台詞はレイドに屈辱を与えるのには十分過ぎた。
「どいつもこいつも……舐めやがって……!! いいだろう!! 世渡りのいろはも知らねぇ青二才に、社会の厳しさを教えてやる!!」
「俺に何かを教えんのはキツいぜ!? めっちゃアタマ悪いからよおッ!!」
両者の闘争心はピークに達し、互いに構え、戦闘態勢を取る。
周囲がどんどん静かになる。草が身震いをするのをやめ、鳥が口を開かなくなる。
やがて空気すらも沈黙した、その瞬間ーー
「だッ!!」
「ぬああ!!」
同時。
雄弥とレイド。2人が地面を踏み込んだのは、全くの同時だった。
両者、一瞬で間合いを詰める。先手必勝と言わんばかりに雄弥が前回し蹴りを打ち込む。
が、レイドはそれを腕で受け止めた。……のみならず、レイドはその脚を掴んで雄弥の身体を引き寄せ、勢いのまま彼の顔面に拳を見舞った。
「ぐ……ッ!!」
痛みに雄弥は眼をつぶり、鼻から血を垂らす。その隙を見逃さず、レイドが追撃に移る。
以降、しばらく戦況はレイドに傾いていた。雄弥も反撃を試みる場面はあれど、彼の猛攻の前には文字通り手も足も出ない。
「はッ、なんだ!? クチでは散々粋がっておいてこのザマか!! てめぇこそ、わざわざ俺が相手する価値も無ぇなァ!!」
レイドは煽りの言葉を投げつつ、一際力を込めた強い前蹴りを彼に見舞った。
それを雄弥は両腕で防ぎはしたものの勢いまでは殺せず、立ったまま後方に大きく吹っ飛ばされる。
「とっとと終わりにしてやる……!!」
レイドは早くもとどめを刺さんと、自身の両手を白色の魔力ーー魔術特性『雹悔』による冷気で染めつつ、雄弥に一直線に向かっていく。
雄弥は顔をうつむかせたまま、動く様子が無い。
ヤツはまだダメージに怯んでいるのだ。レイドはそう判断し、同時に自身のこの一撃が当たることを確信する。
「死ねぇッ!! ガキィイッ!!」
雄弥の眼と鼻の先まで迫った彼は、凍てつく右手を標的へと力の限りに振り下ろした。
ーー刹那。
雄弥が突如顔を上げて両眼をギラリと光らせた。
比喩ではない。彼の両眼から、本当に光が発せられたのだ。
「なッ!?」
レイドが驚きの声を上げた次の瞬間、雄弥の両眼から細い光線が彼めがけて放たれる。
「うおッ!!」
間一髪、レイドは身を捩ってそれを回避。
目標を外した光線は青空の彼方に消えていった。
彼は地面に転がるように着地。立ち上がり、構え直す。
「く……くそ……!! 今のは『波動』か……!? あんな撃ち方があるとはーー」
「つえ……ぇえぁあああッ!!」
焦り冷め切らぬレイドに向け、雄弥は両手を振り回し『波動』の光弾を乱射した。
「ぐおおおおおおおおおおッ!?」
驚くヒマも無く、辮髪を振り回しながら逃げ惑うレイド。野原一帯はたちまち絨毯爆撃でも受けているかのような火煙に包まれ、生い茂っていた雑草はどんどん焼き尽くされていく。
そしてそれほど見境の無い威力を持つ攻撃を、レイドが凌ぎきれるはずがなかった。
1発の『波動』が、レイドの右脚に着弾する。
「うッ!? ぎゃぁああッ!!」
彼の右脚の膝から下は跡形も無く消滅し、レイドは転んでしまう。
それを見た雄弥は『波動』を撃つのをやめ、直接とどめを刺すべく彼に向かって駆け出した。
「が……ガキが……ッ!! いい気になってんじゃねぇぞぉおッ!!」
意地を見せ、起き上がるレイド。彼は右手に白い『雹悔』の力を込めると、それを接近してくる雄弥に投げつけるように放った。
冷気は雄弥の左手に見事命中。彼のそれを握り拳の状態のまま凍りつかせ、全く開かないようにしてしまう。
「はっはァア、バカめッ!! その手ではもう術は撃てねぇッ!! 術の使えねぇてめぇなんざーーおごぇえッ!!」
……しかし雄弥は全く臆することもなくそのままレイドに肉迫し、なんとその"凍った左拳"で彼の顔面を殴りつけた。
「…………あが…………んな………な、な、な…………ッ!?」
せっかく立ち上がりかけたのに再び倒れさせられ、状況を飲めず呆気に取られるレイド。雄弥はそんな彼の後ろ首筋を掴むと、彼の身体を無理矢理起こす。そしてーー
「助かったぜ……俺のパンチは柔いんでな……。……これでいくらかマシになったァアッ!!」
「うぼァアアァァッ!!」
意味不明な理屈とともに、彼の顔面にもう1度左ゲンコツを見舞った。
レイドは大量の鼻血を撒き散らしながら吹っ飛び、地面に後頭部と背中を強打。意識を一瞬トばしかける。
「て、てめぇ……なぜ……平気なんだ……ッ!? 凍結で……灼けるような、痛みが……襲っているはずだ……ッ!! なのに……ッ!!」
そんな戦慄する彼に対し、雄弥は先ほどの『波動』の乱射による反動で血まみれになった自身の両腕を見せつけ、たった一言だけ述べた。
「…………悪ぃがこの程度の痛みなら…………もう、慣れてる」
ボロボロの腕をわざとらしく振る彼は、レイドに向けて明らかな挑発をしている。
レイドもレイドでそんなものは無視すればよかったのだが……残念ながらというべきか、彼も所詮、雄弥と同じタイプの人物であった。
「だったら……ッ!! 痛みすらも感じねぇようにッ!! 全身丸ごとシャーベットにしてやるゥウウッ!!」
バネで弾かれたように飛び起きたレイドは右脚の欠損した部分に氷で作った義足を生やすと、雄弥目掛け突撃。あっという間に彼の眼と鼻の先まで達すると、先程までと比べても一層強烈な冷気を纏わせた両手を雄弥に打ち込む。
……これがまずかった。
雄弥が迫り来る彼の両手に対し、左脚で1発の蹴り上げを見舞ったのだ。
『!! しまっーー』
それによってレイドは両腕を頭上にはね上げられ、"ばんざい"の姿勢となる。
そして雄弥はガラ空きになった彼の腹にすかさず右掌を押し付け、ゼロ距離で『波動』を撃ち込んだ。
「うッぐゥぁああぁぁあアアアアーーーッ!!」
レイドは苦痛の絶叫を上げながらとんでもない勢いでぶっ飛ばされ、100メートル近く先の地面に激突。そこで腹部を押さえて悶絶し、のたうち回る。
「おご……ぉお……が……ごあ……ッ」
「……降参しろ……。てめぇの負けだ……」
気絶すらできないほどの痛みにより、レイドはいつのまにか自身の眼の前に立っていた雄弥にすら気が付かなかった。
「!! ぐ……ぅうう……ごぼ……ッ。く……くそが……くそがァア……ッ!!」
悪態を吐き散らし、彼は雄弥を睨みつける。
しかし片脚を失くし、呼吸すらもままならない。
さすがにレイド自身も分かっていた。
もう勝てない。自分を見下ろしている、この男には。
「だ……だ、誰が……ッ!! てめぇ、みてぇな……クソガキにぃいい……ッーー」
……だが、"勝てない"だけだ。
「コーサンなんかぁああするかよぉおおおおおおおッ!!」
レイドは最後の悪足掻きと、ヤケの入り混じった捨て台詞とともにその口から真っ白な粉雪を大量に吐き出した。たちまち辺り一帯は、1センチ先も見渡せない純白の世界となる。
彼はそれに紛れ、逃亡を図った。内臓がいくつか潰れているであろう腹部の激痛に耐えながら必死に走り、この場を脱しようとする。
ーー雄弥は、彼を慌てふためいて追いかけることはしなかった。
「……バッカ野郎……逃がしてやる、とは……」
ただ、右手に魔力を集める。それは今日1番と言える凄まじい光を発し、周囲の粉雪に反射して眼を潰しかねないほどの輝きを見せる。やがて……
「言ってねぇだろうがァアーーーッ!!」
彼はある一点を狙い、ダムの放水のような光の激流を撃ち込んだ。
それは周囲の雑音の一切をかき消す轟音とともに、ある一点へと猛スピードで迫っていく。
そしてそこにはーー
「ち…………ッくしょぉおおぁああアアアーーーッ!!」
逃げ惑うレイドの、背中があった。
惨めな断末魔を放ったテロリストの全身はその直後、光の中に呑み込まれていった……。
* * *
ーーすっかり、夕方。
沈みゆく太陽の光で、人も土地も、停まっている汽車も、鮮やかな橙色に覆われている。
「お疲れ様、ユウさん」
「おー、お前もな」
雄弥とユリンは荒れ果てた野原に並んで立ち、互いを労う。
揃いも揃ってノックダウンした列車強盗の3兄弟は、雄弥とレイドの戦闘音を聞いて駆け付けた地元の駐屯兵士たちによって担架に乗っけられて連行。乗客たちも全員保護された。
「『雹悔』で凍らされた人は大丈夫なのか?」
「『命湧』の術で体内に干渉し、内側から体温調節を行って回復させました。少しの入院は必要でしょうが、命に別状は無いでしょう」
「お、おお? そ、そうか。ならよかった」
雄弥には彼女が何を言っているのかさっぱり理解できなかったが、これにて事件は解決。
……いや、していない。
「あのレイドとかいうヤツ……1年前のバイランの事件と関係あんのかな」
「まだなんとも言えませんね。『雹悔』の特性はそこまで珍しいものじゃありませんから。たまたま使う術が同じだった……ということも十分にあり得ます」
「どっちにしろ取り調べ待ちか」
「そうですね。アルバノさんにも連絡しておきましたから、何か分かればすぐに報せが入りますよ」
「ちっ……な〜んかスッキリしねぇことばっかりだなぁ」
「仕方ありませんね。ーーそれにしてもユウさん、すごかったですよ。私、ちょっと感動しちゃいましたもん。よくここまで……成長しましたねぇ〜」
ユリンは若干おふざけ気味に、茶化すように、雄弥を褒めまわす。誰が聞いてもツッコミ待ちである。
「なんだそりゃ。お前は俺のばあちゃんか」
それに対して雄弥が返したのは、こうだった。
「……え? おばあちゃん?」
「あ? なんだよ」
「い、いえ……なんでも」
そこは"お母さん"じゃないの? とは、ユリンは言わなかった。
「……にしても最後、よく把握できましたね? 敵の位置が……。あれは本当に素晴らしかったですよ。教えてください、どうやって分かったんですか?」
今度は真剣な賞賛と、問いだった。雄弥の返答はーー
「ん? いや、別に分かってたわけじゃねぇよ?」
……ふざけているとしか思えなかった。
「えッ?」
当然ユリンも、その赤い眼をまん丸にして唖然とする。
「いえ、だって、1発で仕留めてたじゃないですか。あんな真っ白で何も見えない状況で」
「へっへー、たまたまだよ。あの野郎どっちに行ったのかさ〜っぱり分かんねーから、とりあえず周り全部ぶっ飛ばしゃそのうち命中するだろ、って思ってさ。たまたまそれが1発目にヒットしたってだけだ。まぁおかげで、腕へのダメージが少なくて済んだけどな」
雄弥はあからさまな得意顔をしながら語る。
……が、こーんなしっちゃかめっちゃかな回答が看過されるはずもなくーー
「おばかーーーッ!!」
次の瞬間には、ユリンの怒号が炸裂した。
「え」
「そーんな考え無しにあんなおっきな術を撃ったんですかッ!? やっと配属先が決まったっていうのに、撃ち続けたせいで腕へのダメージが深刻化したら何にもならないでしょうッ!! あなたの左腕のような人工関節だってそんなホイホイ取り付けられるモノじゃないんですッ!! それにもし、あなたの術の射線上に私や他の乗客たちが重なってたらどーするつもりだったんですかーーーッ!!」
「…………あ。…………いや、えと…………その…………」
何ひとつ考えてなかったでーす。
こんなことを正直に言ってしまえば彼女からおしおきをくらうことは確実だと分かっていたので、雄弥はもごもごと口を濁す。
「やっぱりあなたまだまだダメですッ!! ぜーんぜん自覚が足りてないッ!! 大きな力を持つ者としての自覚がッ!! 罰として、腕立て1万回ですッ!!」
「えぇッ!? そんなヒドイ!!」
しかし無駄の極み。彼の心中などユリンにはバレバレであった。
「ひどくないッ!! さぁやってください、今この場でッ!! 終わるまで、一緒にここで野宿ですッ!!」
「…………ま…………マジすか…………?」
……普通に負けてた方が遥かにマシだったのではないか。
そんなことをずーっと考えながら、雄弥は自身が丸裸にした土地のど真ん中で、3日3晩の地獄を味わったのだった。




