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第51話 主犯への疑惑




 8号車内。


 幼い男の子の鳴き声が、絶え間なく響き渡る。

 乗客たちは顔を青くしており、怯えきっていた。


 原因はただひとつ。座席に挟まれた通路の中心に立つ、1人の男である。

 


「いいかてめぇら……騒ぐんじゃねぇぞ。余計な怪我はしたくねぇだろ……?」



 男……レイドは右手に握ったナイフを見せびらかし、かつ乗客全員をくまなく見渡しながら、語気を強めてそう語る。

 乗客たちは皆押し黙るが、ただ1人、彼の言葉に従わない者がいた。……先程から泣き続けている、2歳ほどの男の子である。


 レイドは舌打ちをしながら男の子の(そば)に寄ると、なんとその顔を蹴った。


「いやぁあああッ!! たっくんッ!!」


 顔面を蒼白にした母親らしき女性が慌てて男の子に駆け寄り、抱き上げる。

 男の子は顔を腫れ上がらせ、余計に泣き叫び始めていた。


「この……ッ!! 私の子に何するのよッ!!」


「騒ぐのが悪いんだよ……。俺は躾けてやっただけだ。周りの迷惑を考えねぇクソガキをな……」


「こ……こんな状況で子供が落ち着けるわけないでしょう!? 全部あなたのせいじゃない!! あなたが言えることじゃないわ!!」


 母親は臆することなくレイドに猛抗議するが、これにレイドが苛立ちを覚えないはずはなかった。


「……うるせぇ女だ……。だったら……親のてめぇが手本を見せてやれ……!」


 突然、レイドは左手で母親の頭を鷲掴みにし、その手に白い魔力を発生させた。その魔力は母親の全身を呑み込んでいき、母親は力が抜けてしまったのか、抱いていた我が子を床に落としてしまう。



 ーーやがて母親の身体は、頭からつま先まで分厚い氷に包まれてしまった。



「うわぁあああああッ!?」


「きゃーーーッ!!」


 それを()の当たりにした他の乗客たちは騒然・混乱し、次々と恐怖の悲鳴を上げる。


「ママッ!! ママぁあーーーッ!!」


 氷塊(ひょうかい)に閉じ込められぴくりとも動かない母親を見せつけられた男の子も当然、大人しくなどできるはずもない。顔を歪ませてぎゃんぎゃん泣き(わめ)く。

 レイドは無慈悲にも、再びその子を蹴り飛ばした。


「が……ッ!!」


 男の子は座席の角に頭を強く打ちつけ、気を失ってしまう。


「やれやれ、ここまでやっても分かんねぇとは……頭の悪いガキだな……」


「よ……よくもこんなひどいことを……!! きみの目的はいったいなんなんだ!?」


 先程まで眠っていたスーツ姿の中年男性が、怒り半分、恐怖半分といった様子で尋ねる。


「てめぇに話して何か俺に得があるか? 同じ目にあいたくなけりゃ、てめぇも口を閉じるんだな……」


「こ、こんなことしていられるのも今のうちじゃぞ!! ワシはさっき、胸に兵章を付けた女性が歩いているのを見た!! この汽車には兵士が同乗しているんだ!! どうせ貴様はもう逃げられんッ!!」


 次にそう(しゃべ)ったのは、新聞を読んでいた小柄な老人男性。


「フン……そいつなら今頃、俺の妹が始末してるさ。なぁに、心配するな……そいつらも、てめぇらも……今はまだ殺しゃしねぇからよ……。軍への大事な人質だからな……。人質は……多けりゃ多いほどいいんだ……」


「ぐ……軍への……じゃと……!?」



 その時レイドの背後で、7号車から8号車内への入り口の扉が開く音、そして、何かが床に倒れたようなドサリという音と響く。


「……ウワサをすれば戻ってきたか。遅ぇぞカリスァ。たかが女1人片付けるのにどれだけかかってーー」



 ……が、彼が振り向いたそこにいたのは……白眼(しろめ)を剥きながらうつ伏せに床に倒れた、カリスァであった。

 


「!! なに!?」


 ーーそして……。

 


「残念ですが……この方具合が悪いようです。お話しできる状態じゃありません」



 その倒れたカリスァを(また)ぐように、ユリンが8号車へと入ってきたのである。


 レイドは状況が理解できないと言わんばかりに、気絶しているカリスァ、何事も無かったかのように立つユリンの順に何度も交互に眼を向け、しばらくしてやっと口を開いた。


「……てめぇ1人でやったのか?」


「ご想像にお任せします」


「信……じられねぇな……てめぇのような痩せっぽちが……」


「あら、女としては嬉しい言葉ですね。ありがとう……可愛い服のテロリストさん?」


「てめぇ……!! 俺をナメてんのーー」


 レイドの誤算は、まだ終わらなかった。

 彼の台詞を(さえぎ)るように、9号車から8号車への入り口になる扉を勢いよく突き破り、何かが8号車内に転がり込んできたのである。


「!? なんだ!!」


 転がり込んできた"何か"は、レイドの脚にぶつかって動きを止める。その"何か"とはーー


「ぎ……ギレン……ッ!?」


 胸の中心に何か凄まじい衝撃波を受けたような真っ赤な(あと)をつけて失神した、彼の弟であった。

 直後、かなり疲弊した様子の声が、続いて8号車内へと入って来る。



「よう……てめぇか……? このうるせぇチビ野郎の親玉は……」



 声の主は、ぜぇぜぇと息を切らした雄弥だった。


「ユウさん!」


「お〜ユリン……生きてたか〜」


 通路の中央にいるレイドを挟むようにして立つユリンと雄弥は、互いの無事を確認して安堵する。


「ええ! ユウさんは、えっと……だ、大丈夫ですか……?」


「ああ? バッキャロ、ぜーんぜん楽勝だったぜ……」


 と彼は言うが、ユリンの怪我が不意打ちでもらった最初の一撃による頭部の負傷のみなのに対し、雄弥は完全にグロッキーであった。


「……楽勝……ですか〜」


 ユリンはそんな雄弥の身体をちらちらと眺め、苦笑いを溢す。


「う……うるせー! なんだその眼は! ヘーキったらヘーキなんだよ! ……あ、そうだ。奥歯2本折られちまったから後で診てくれ」


「はい、全然平気じゃないですね。後で歯医者に行って差し歯を作らなきゃ」



「……バカな……!! ギレンまでも……!!」



 敗北した弟と妹の姿にレイドが戦慄したその時、列車全体が大きく揺れた。急ブレーキがかけられたのである。

 他の乗客たちが驚きの声を上げながら前のめりになり、立っていた雄弥も足をふらつかせて床にへたり込む。


 しかしユリンとレイドだけは、少しもバランスを崩さないでいた。


「さすがに運転士さんも気が付いたみたいですね……まぁこれだけ暴れれば当然ですが。さて、ええと……あなた、お名前は?」


「……レイドだ」


「レイドさん、こんな無意味なことはもう止して、投降しましょう。余計な怪我は……したくないでしょう?」


「……おいガキ。随分なクチのききようじゃねぇか……。俺をカリスァと同じに考えてんならーー」


 レイドは自身の左手を白い魔力で染め上げると、それをゆっくりと振りかぶりーー


「見当違いもいいところだ!!」


 その魔力をユリンに向けて撃ち出した。


「ーー"慈䜌盾(しらんじゅん)"」


 しかしレイドの一撃は彼女に届く手前で薄く透明な壁に阻まれ、ぶつかった衝撃で周囲に四散してしまう。


「!! ちっ……妙な術を使いやがる……!!」


 彼が忌々しそうに舌を打つ中、雄弥は全く別のものに眼を向けていた。


 通路脇の座席に転がっている、氷漬けにされた1人の女性。

 そして、たった今周りに散らばったレイドの魔力が触れた、壁や床。そこは、白く凍りついていたのだ。


「……てめぇのそれ……『雹悔(はっけ)』の術か……!?」


「あ……? 他に何に見えるってんだ?」


 魔術特性『雹悔(はっけ)』。雑に言えば、魔力を冷気として還元する特性。

 雄弥の脳裏に蘇ったのは1年前のバイランの事件。バイランが姿を消す直前突如降り注いだ、あの氷柱(つらら)ーー


「おいユリン!! まさかこいつ……!!」


 ユリンにも彼の言いたいことは伝わったらしい。彼女の顔が一気に、般若(はんにゃ)のような凄みに覆われた。


「……ええ。どうやらこの方には、聞かなきゃいけないことが山程できるかもしれませんね」


「……あのなぁ……。さっきから俺をほったらかしてワケの分からんことを……言ってんじゃねぇぞぉおおおッ!!」


 沸騰したレイドはユリンを直に叩こうと彼女に襲いかかって行き、その顔目掛けて、右手のナイフを力の限りに振り下ろす。


「ずぁああッ!!」


「……ふん」


 しかしユリンはそれを最小の動きであっさりと回避。

 息つく間もなく、彼女はお返しと言わんばかりにレイドの鳩尾(みぞおち)に右手の手刀による突きを見舞う。


「おごッ!?」


 そして急所への一撃に意識を明滅させた彼を、真横に思いっきり蹴り飛ばした。


「ぐぁあッ!!」


 レイドはそのまま窓を突き破って車外に放り出され、それと同時に列車は停止した。


「ーーふぅ……妹さんに劣らず、やんちゃな方ですね」


 両手をパンパンと払い、何事も無かったかのようにすました様子でいるユリン。そんな彼女を眺める雄弥の表情は、感心を通り越して呆れていた。


「……相変わらずおっかねーな、お前」


「あ、相変わらず!? ……私そんなずっと怖いですか?」


「ああこえーよ。俺の方がちびっちゃいそうだ。……さてと。そんじゃ、あいつの始末は俺に任せろ。お前は子供と、凍らされた女の人の処置をしてくれ」


 そう言いながら億劫そうに腰を上げる雄弥を、彼女は少し不安げに見つめる。


「ーーやれますか? 1人で」


「へん、お前を相手にするよりゃずっとラクな相手だろ。なぁ教官どの?」


 ニヤリと笑みを浮かべる彼にユリンは少々呆気に取られていたが、やがてニコリと笑い返す。


「いいでしょう。でももし負けたら、腕立て1000回のペナルティですからね」


「げ!? ……が、頑張りや〜す」


 若干頼りない返事をすると、雄弥は上に着ていたパーカーを脱ぎ捨てながら車両から飛び降り、レイドに向かってゆっくりと歩みを進める。


 列車の外は、辺り一帯草が茂るのみ。民家はただのひとつも無く、通りかかる者も無論無し。

 雄弥が魔術を"全力で"使うには、うってつけのエリアだった。

 



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